『変革の哲学・弁証法─レーニン「哲学ノート」に学ぶ』より

 

 

は じ め に

 

 広島県労働者学習協議会では、一九九八年一一月から一九九九年九月まで、二〇〇〇年四月から二〇〇〇年一一月まで、二回にわたり、レーニンの『哲学ノート』の学習会を開催しました。本書は、その二回目の講義を中心とし、それに「ヘーゲルから科学的社会主義へ」と題する別の機会の講演を付け加えたものです。この講演は、科学的社会主義の立場からヘーゲル哲学を学ぶ意義を明らかにしたものであり、『哲学ノート』学習のまとめにもなるのではないかと考え、収録したものです。まずこの部分から読み始めた方が、全体の理解を容易にするのではないかと思われます。

            *     *    *

 マルクスの墓碑には、「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈しただけである。肝腎なのはそれを変えることである」の銘が刻まれています。
 科学的社会主義の哲学・弁証法的唯物論は、ヘーゲル弁証法を源泉の一つとして生まれた変革の哲学です。
 レーニンは、ロシア革命を準備するかたわら、論文「カール・マルクス」執筆のために、ヘーゲル弁証法に本格的に取組み、その研究成果が『哲学ノート』として残されています。その研究を通じて、弁証法を全面的にとらえ、その一般的叙述を試み、弁証法的唯物論をより豊かなものに発展させようとしたが、残念ながら革命の切迫したレーニンにその時間的余裕は与えられませんでした。
 『哲学ノート』は、ヘーゲル哲学から適宜の引用と、それに対するレーニンのコメントからなっています。このような研究途上の断片的コメントからレーニンの真意を読みとることは容易ではなく、全体をとおしてまとまった講義とすることにも非常な困難が伴います。
 そこで本書は、全体として筆者の理解する変革の哲学としての弁証法を基本とし、それを骨格としつつ、『哲学ノート』に沿って学んでいくという形式をとっています。弁証法的唯物論は、真理の基準としての実践を武器として、「世界がどのようにあるか」だけではなく、「世界はどのようにあるべきか」についても、その真理を認識しうる哲学です。この見地に立ちつつ、変革の精神と科学の目とをもって学んでいきたいと思います。

            *     *    *

 第一五講で、筆者なりの弁証法の一般的叙述の試案を提供しているのもそのあらわれの一つです。筆者自身その認識上の制約を誰よりも深く自覚するところですが、弁証法的唯物論をより豊かに発展させるための問題提起として理解して頂ければと思う次第です。
 本書は、それだけ読んでも理解しうるようまとまりを持つものに工夫したつもりですが、テキストに使用した『哲学ノート』と照らし合わせながら読むと、いっそう理解しやすいでしょう。
 本書を通じて、真理認識の論理としての弁証法の持つ豊かさと、哲学することのおもしろさを実感していただき、変革の哲学の持つ生き生きとした生命力を味読して頂ければ幸いです。
 最後に、本書出版にわたり、単に受講するにとどまらず、骨身惜しまず諸作業にご協力いただいた広島県労働者学習協議会編集委員会と会員の皆さんに、心から敬意を表し、感謝するものです。なお装丁は、長男の高村是州が担当しました。

二〇〇一年 八月 六日(第五六回原爆記念日に)
                   高村 是懿

                 → 本文を読む