『人間解放の哲学』より

 

 

第三講 民主主義とは何か

一、人間の類本質と民主主義

狭義の民主主義

 第一講では、原始共産制の社会が、「自由な意識」と共同社会性を実現した社会であり、そこから、自由と民主主義への欲求が人間の類本質としてあらわれてくることを概観し、第二講で、自由とは何かを検討してきました。
 この第三講では、人間のもう一つの類本質ともいうべき、民主主義について検討してみることにします。
 もともと民主主義(デモクラシー)という言葉は、ギリシヤの都市国家で、寡頭制や独裁制などとの対比で用いられる「機構の原理」を示す卅語です。その意味するところは民衆(デモス)による支配、もしくは権力(クラトス)です。そこでは、男子の自由民が「民会」の構成員となって、民会が統治するという直接民主主義がとられていました。しかし当時はもちろん奴隷制社会ですから、女性や奴隷は当然のように排除されていました。
 プラトンは、その主著『国家』のなかで、名誉政治、寡頭制、民主制、僭主独裁制という四つの国家をあげ、民主制については、自由放任が支配し「〈傲慢〉〈無統制〉〈浪費〉〈無恥〉といったものたちに冠をいただかせ」、「真実の言論(理 ことわり)」を受け入れない国制だという厳しい批判をしています(藤沢令夫訳『国家』岩波書店プラトン全集Ⅱ六〇五ページ)。民主制は衆愚政治だという批判ですが、このプラトンの民主制評価にについては、後でもう一度立ち戻って検討したいと思います。

広義の民主主義

 民主主義は、「機構(統治)の原理」や、「方法原理(討論と説得)」にかかわる概念(狭義の「民主主義」)というだけではなく、もっと広い意味においてとらえる必要があります。結論的にいうならば、社会共同体を維持・発展させるのに必要なルール(法則)または規範が、民主主義(広義の「民主主義」)だといっていいでしょう。
 第二講で述べたように、天上天下に、直接性と媒介性の統一でないものは、何ひとつ存在しません。とりわけ人類は、社会とともに人間として発展してきたものであり、人間が社会をつくり、社会が人間をつくってきたという関係にあります。マルクスのいうように、「人間の本質は、人間が真に共同的な本質であることにある」(「ミル評注」全集㊵三六九ページ)のです。ですから、人間の類本質は、「自由な自己意識」をもっていることと、共同社会性に求めることができます。
 人間は、なんら社会的制約のない自然状態としての原始共同体の社会において、素朴な形ではあっても人間の類本質をあらわしていました。人間の共同社会性は、対社会、対人間関係を維持・発展させる合理的な法則を生み出します。それがモーガンのいう「自由、平等、友愛は、定式化されたことは一度もなかったが、氏族の根本原理」となっているような、民主主義の社会だったのです。いわば、民主主義のもとにおいてこそ、人間は、共同社会性を身につけた真にあるべき人間となることができるのです。
 共同社会性の法則的な「真にあるべき姿」(概念)について、ルソーの『社会契約論』は次のようにのべています。
 「一つの人民に制度を与えようとあえてくわだてるほどの人は、いわば人間性をかえる力があり、それ自体で一つの完全で、孤立した全体であるところの各個人を、より大きな全体の部分にかえ、その個人がいわばその生命と存在とをそこから受けとるようにすることができ、人間の骨組みをかえてもつと強くすることができ、われわれみなが自然から受けとつた身体的にして独立的な存在に、部分的にして精神的な存在をおきかえることができる、という確信をもつ人であるべきだ。ひとことでいえば、立法者は、人間から彼自身の固有の力を取り上げ、彼自身にとってこれまで縁のなかった力、他の人間たちの助けをかりなければ使えないところの力を与えなければならないのだ」(『社会契約論』岩波文庫六ニページ)。
 真に人間が人間らしくあることは、個(個人)と普遍(社会)との統一として生きることであり、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」生きることといえるでしょう。

人間的解放とは

 マルクスは、『ユダヤ人問題によせて』でこのルソーのこの箇所を引用したうえで、「人間的解放」とは何かを論じています。
 「現実の個別的人間が、抽象的な公民を自分のうちにとりもどし、個別的人間のままでありながら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その個人的な関係において、類的存在となったときはじめて、つまり人間が自分の『固有の力』を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力の形で自分から切りはなさないときにはじめて、そのときにはじめて、人間的解放は完成されたことになるのである」(全集①四〇七ページ/『ユダヤ人問題によせて ヘーゲル法哲学批判序説』岩波文庫五三ページ)。
 これを書いたときマルクスは、二五歳でしたから、まだモーガンの『古代社会』は読んでいません。しかし、もしそれを読んでいれば、原始共産制社会における人間は、素朴な姿ではあるとしても、「個人的な関係において、類的存在となった」ものとして認めるに違いありません。
 このようにみてくると、民主主義と自由とは密接に関連していることがわかります。プラトンは、民主制を自由放任の国家としてとらえましたが、これも自由と民主主義の関係を述べたものです。個人が、対社会、対人間関係において、他者に媒介されながら、自由であるためには、対社会、対人間関係において合法則的な関係、つまり民主主義の保障される関係が実現されねばならないのです。いいかえれば、自由と民主主義は自由が民主主義を保障し、民主主義が自由を保障するという相互前提関係にあるのです。
 マルクスが、「ほんとうの共同態において諸個人は彼らの連帯のなかで、またこの連帯をとおして同時に彼らの自由を手に入れる」(『ドイツーイデオ囗ギー』全集③七〇ページ/古典選書版八五ページ/岩波文庫二二三ページ)とのべているのも、こうした、自由と民主主義の関係をとらえたものといつてよいでしょう。また、社会主義、共産主義の社会を「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの協同社会」(『共産党宣言』全集④四九六ページ/古典選書版八六ページ)ととらえているのも、同様です。

最高の共同こそが最高の自由

 これに対して、社会共同体との媒介性を否定するところに自由を求める見解があります。一部の啓蒙思想家たちは、封建制国家の制約から逃れる「国家からの自由」を求めて、それをさまざまな自由権として主張しました。
 しかし、第二講でお話ししたように、真の自由は「媒介を揚棄されたものとして自己のうちに含む」ことにあります。人間は、社会との関わりでしか生きていけない以上、人間は、共同社会性を揚棄されたものとして自己のうちにとりこみ、個人としてありながら、同時に社会共同体の一員として社会共同体と関わることによってのみ、真に自由となりうるのです。真の自由は、社会的連帯のなかにあるのであり、民主主義とともにあるのです。
 ヘーゲルは、啓蒙思想家の自由論を否定し、共同社会的自由を唱えました。「人が他者と取り結ぶ共同性は、本質的に個人の真の自由の制約とみなされてはならず、その拡張とみなされなければならない。能力の面から言っても、実行の面から言っても、最高の共同性は最高の自由である」(『フィヒテとシェリングの哲学体系の差異』『理性の復権』八四~五ページ、批評社)。
 マルクスの先に紹介した文章も、ヘーゲルのこうした自由論に学んだものといっていいでしょう。原始共同体の社会は、その社会的関係においては、無自覚的ではあったとしても「最高の共同こそ最高の自由」の社会だったのです。

 

二、民主主義の諸原則

治者と被治者の同一性

 民主主義を、人間の類本質である共同社会性を維持・発展させるうえで必要なルールまたは規範(広義の民主主義)ととらえることによって、さまざまな側面をもつ民主主義を統一的にとらえることが可能になります。
 それでは、社会共同体の法則ないし規範としての民主主義は、具体的にどのような内容をもっているのか、民主主義の諸側面(狭義の民主主義)を検討してみましよう。
 対社会の民主主義は、まず何よりも統治原理としての民主主義です。共同社会においては、社会の共同事務を処理すべき治者が必要となります。統治原理としての民主主義は、治者と被治者の同一性を意味しています。つまり、統治の対象としての人民が同時に統治の主体となること、人民はみずから統治しつつ、統治されるという関係にたつ民主主義です。
 ギリシヤの都市国家で、デモクラシーが、人民の支配ないし権力を意味したのも、そのあらわれといっていいでしようし、それは、近代民主主義の原則としての国民主権ないし人民主権という用語にもつながるものとして定着するにいたっています(しかし、後にお話しするように近代民主主義の原則としての国民主権は直ちに治者と被治者の同一性を意味するものではありません)。統治の対象とされる人民が同時に統治の主体となることにより、社会共同体における個々人の意志が社会全体の意志となり、社会共同体は、内部に利害の対立をもつことなく維持・発展していくのです。
 氏族社会において、氏族会議が氏族の意志を決定する至上の権力となり、氏族の統治者としてのサケマや首領が選挙により選ばれ、かつ、いつでも解任されたのは、統治原理としての民主主義を示したものです(エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』)。

手続き民主主義

 社会の統治原理としての民主主義は、社会共同体の意志決定方法としての民主主義と結びついています。「方法原理としての民主主義」といってもよいでしょう。社会共同体の意志は、共同体を構成する者全員の個別意志を集めた全体意志として決定されることになります。原始共同体の氏族会議は、成年の男女氏族の全員で構成され、すべての重要問題についての氏族の意志がそこで決定されたのです。
 このことの裏返しですが、構成員全体の意志にもとづかない社会共同体の意志決定は、民主主義の否定としてとらえられることになります。たとえば、財産、身分、性別、信条、人種などによって、構成員でありながら社会共同体の全体意志形成の場に加われないとされるのは、意志決定の民主主義に反するのです。だれもが意志決定に参加しうるという要請は、近代民主主義のうえでは、普通選挙権と、そのうえに立脚する民主共和制の要請となってあらわれます。この民主主義は全体の意志を決定する手続きに関わるものであるところから、「手続き民主主義」と呼ばれることもあります。

平等原則

 社会共同体の全体意志形成に、構成員全員が参加する民主主義は、構成員一人ひとりがすべて対等・平等であることを要求するにいたります。これが近代民主主義における「法の下の平等」(平等原則)となり、差別を否定する論理となります。
 社会共同体が、共同体としてなりたってゆくためには、その構成員が全体意志の形成に関して平等な権利をもつという意味の政治的平等が必要なのはもちろんのこと、経済的にも社会的にも平等でなければなりません。原始共同体の氏族社会では、多数の家族が共産主義的な世帯をつくり、共同で労働、生産し、生産に利用する物も、生産物もすべて共有とされ、経済的社会的平等が実現されていました。

友愛の人間関係

 しかし、平等のもつ意味は、「差別がない」ということにとどまるものではありません。すべての社会の構成員が、平等社会にふさわしい人間関係を形成することになります。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という、友愛に満ちた相互援助、相互尊重の社会です。
 エンゲルスは、原始共同体について、「貧乏人や困窮者は存在しようがない。──共産主義的世帯と氏族は、老人や病人や戦争不具者にたいする自分たちの義務をわきまえている」(『国家の起源』全集㉑九九ページ/古典選書版一三〇ページ)と述べています。
 現代日本における「自分さえよければよい」とする利己的人間の横行、動機らしい動機も存在しないのに平気で殺人まで犯す殺伐とした人間関係からすると、夢のようにしか思えない共同社会ですが、本来の人間の社会と人間関係がこのようなものであったことを知るとき、人間賛歌の叫び声をあげたくなるのではないでしょうか。それと同時にあらためて資本主義という競争原理に支配される社会が、いかに歪んだ人間と人間関係をつくりだしているかに、思いをいたさずにはおれません。
 平等原則は、民主主義のもっとも重要な構成要素の一つであり、そこから友愛の人間関係が生まれてきます。こうしてみてくると、自由と民主主義のためにたたかったフランス革命が、「自由、平等、博愛(友愛)」をそのスローガンにかかげたのは、たたかいの生みだした英知だったといってよいでしょう。

紛争解決の民主主義

 平等原則とそこから生まれる友愛の人間関係は、紛争解決の手段における民主主義となってあらわれます。
 それは、紛争が生じた場合にも、紛争当事者間に本来的な敵意は存在せず、友愛の関係が存在するところから、当事者間の話し合いにもとづく合意(和解)により解決するという原則です。
 子ノゲルスは、「兵士も憲兵も警察官もなく、貴族も国王も総督も知事も裁判官もなく、監獄もなく、訴訟もなく、それでいて万事がきちんとはこぶ。喧嘩や争いはすべて関係者の全体、すなわち氏族または部族によって解決されるか、あるいは個々の氏族と氏族のあいだで解決される」(『国家の起源』全集㉑九九ページ/占典選書版一三〇ページ)として、氏族社会の紛争がすべて話し合いで解決されたことを明らかにしています。
 紛争解決の手段として、力(暴力)が用いられることがあります。しかし力による解決は、対等・平等な人間関係を破壊して、新たな支配・従属、抑圧と被抑圧の関係をうみだし、社会共同体の維持・発展を困難にさせてしまうのです。それだけではありません。もつと重要なことは、力による解決は、当事者の合意にもとづかない紛争の解決ですから、紛争をもたらした原因そのものを除去することができません。そのため力により表面的、一時的には紛争が解決したようにみえても、根本的な紛争の解決には決してならない。「目には目を、歯には歯を」という力による紛争の解決は、際限のない力による報復の再生産しかもたらさないのです。
 以上、民主主義の諸原則を検討してきましたが、整理してみると、①治者と被治者の同一性、②方法原理としての民主主義、③平等原則、④友愛の人間関係、⑤紛争解決の民主主義ということになります。

対自然の民主主義(環境民主主義)

 なお、一つ付け加えると、自然との関係も民主主義との関連で考えてみる必要があるように思われます。
 人間は、地球という自然のなかから生みだされた自然の一部であり、一定の地球環境のもとで、はじめて生きていき、社会をつくりあげていくことができる存在です。ところで、人間の社会は、何よりも人間が食べたり、着たり、住んだりするものを生産することのうえに成り立っています。生産をするということは、人間が自然に働きかけ、自然を変革することを意味しています。人間は自然のなかから生みだされた自然の一部でありながら、自然を変革し、破壊する存在でもあるのです。
 人間が社会共同体を維持・発展させていくためには、人間が存在しうる自然条件を維持・発展させる「持続可能な開発」が必要となります。その限りでは、対自然の民主主義(環境民主主義)が求められることになります。これまで、人間の生産力の発展による自然破壊は、人間の生存条件を損なうにはいたりませんでしたが、資本主義のもとでの爆発的な生産力の発展のなかで、オゾン層の破壊や地球温暖化による環境の変化は、人間の生存条件をおびやかすものとなりつつあります。それだけに、対自然の民主主義を論ずる意義も大きくなってきたというべきでしょう。

 

三、民主主義革命の課題

アメリカ独立宣言

 もともと民主主義とは、社会共同体を共同体として維持・発展させるうえで必要な合理的法則ですから、共同体と構成員、構成員相互間だけに適用されるものではありません。社会共同体相互間、国家間にも、民主主義の諸原則は適用されることになります。
 ギリシヤ時代にもすでに民主制という用語は存在していましたが、民主主義という用語が人類史上で定着したのは、いわゆるブルジョア民主主義革命以後といっていいでしょう。
 一八世紀以降、民主主義革命という用語がさまざまな意味で用いられていますが、いかなる意味で民主主義革命とよぶことができるのか、国家間の民主主義にまで問題を広げて検討してみることにしましょう。
 ブルジョア民主主義革命によって打ち出された諸原則は、近代民主主義とよばれています。近代民主主義の諸原則を代表する文書の一つは、アメリカがイギリスの植民地から独立するにあたって発表された「独立宣言」(一七七六年)です。
「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信じる」として、民主主義の平等原則が明らかにされています。そして治者の「正当な権力は被治者の同意に由来」し、政府が暴虐と簒奪を目的として絶対的な専制にしたがわせようとするとき、「そのような政府を廃棄し、自らの将来の保安のために、新たなる保障の組織を創設することは、かれらの権利であり、義務である」(『人権宣言集』岩波文庫一一四ページ)と、人民主権原理を明らかにしています。人民主権には、抵抗権、人民の革命権まで含まれるとしたところに、革命のもつ若々しい息吹を感じることができます。
 アメリカの独立宣言には、こうした民主主義の諸原則が含まれているのですが、当時、植民地だったアメリカがイギリスの支配から独立するということは、外国の支配から抜け出して対等・平等な国家間の関係を築くという意味で、イギリスの帝国主義的支配に反対する民主主義革命とみることができます。

フランス人権宣言

 独立宣言と並び称される近代民主主義を代表する文書は、フランス革命のなかから生まれた「人および市民の権利宣言」(フランス人権宣言、一七八九年)です。
 まず「人および市民」というところに注目して下さい。「人(homrae)の権利」とは「私人としての基本的人権」であり、これに対して「市民(citoyen)の権利」とは「公民としての権利(公民権)」を意味しています。人間は社会共同体の一員として、社会共同体の維持・発展に参画する権利をもつことを示したものです。
 
 第一条人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。
 第三条あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。
 第六条法は、一般意思(volonte generate「普遍的意思」とも訳す)の表明である。すべての市民は、自身でまたはその代表者を通じて、その作成に協力することができる。(同一三〇~一ページ)

 ここでも民主主義の平等原則、国民主権原理が同様に明らかにされています。人民主権と国民主権との間には、本質的な相違がありますが、この点は、のちに詳しくお話しすることにいたします。
 フランス革命は、台頭してきたブルジョアジー(資本家階級)が、ブルボン王朝という絶対君主制の支配に反対し、取引の自由を実現するために、君主制から民主共和制への移行を求めて革命にたちあがった革命、すなわち封建制に反対する民主主義革命ということができます。
 同じブルジョア民主主義革命といっても、アメリカの独立とフランス革命とでは、帝国主義的支配に反対するものか、封建的支配に反対するものか、打ち倒すべき権力の性格により、民主主義革命の内容にも差があり、この点にも民主主義の外延の広さをみることができるのです。

反帝・反封建の民主主義革命

 二〇世紀に入ると、資本主義は帝国主義の時代に突入し、先進資本主義諸国が、世界中を植民地・従属国として分割してしまいます。遅れて登場した資本主義諸国は、植民地の再分割を求めての植民地争奪の帝国主義戦争を起こします。第一次、第二次大戦がその典型的な例です。
 こうした帝国主義勢力は、植民地の封建地主と手を結び、植民地人民を支配します。こうした支配に反対して、第二次大戦のさなか、中国人民は、反帝国主義・反封建制の民主主義革命にたちあがり、それがやがて社会主義革命に発展し、中国革命となったのです。

戦前、そして戦後の日本の場合

 日本の場合を考えてみましよう。戦前の日本は、絶対主義的天皇制が支配していました。封建的ななごりともいうべき君主制が日本の国家権力の中心に位置していたところから、戦前の日本共産党は、創立直後から、君主制の廃止を中心とするブルジョア民主主義革命を遂行し、これを社会主義革命に発展・転化させるという二段階革命論を勇敢に提起しました。大正デモクラシーのもとでも、強大な天皇制権力と正面から対決することをおそれて、天皇主権の枠内での普通選挙権や議会の権限拡大を求める主張が支配的だった時代に、日本共産党が、日本の政党としてはじめて君主制の廃止を綱領的立場としてうち出したことは、科学的社会主義と民主主義の結びつきを示す重要なあらわれだといわなければなりません。
 第二次大戦で敗れた日本は、アメリカの単独占領ののち、サンフランシスコ平和条約で形式上は独立しながらも、日米安保条約のくびきのもとで、事実上アメリカ帝国主義の支配下におかれます。アメリカは、日本の独占資本を復活・育成して、これを日本支配のテコとして利用しようとします。
 こうした状況のもとで、日本共産党は、新しい綱領をどのように確定するかという問題に直面することになります。問題となった論争点は、いずれも民主主義にかかわる問題であり、大きく二つありました(不破哲三『日本共産党綱領を読む』新日本出版社一〇〇ページ以下)。
 一つは、アメリカへの従属関係をどう評価するかという問題です。それまで、反帝国主義の民主主義革命というのは、中国などアジアの国々、植民地従属国での問題であり、日本のような発達した資本主義国の課題とすることは、先例がありませんでした。しかし、戦後のアメリカの占領状態がそのまま独立後も継続しているという、日本の対米従属の深刻さをリアルに正面からとらえて、この従属の体制を打破する反帝独立の課題を当面する民主主義革命の中心的任務と位置づけることになったのです。
 もう一つの論点は、独占資本の支配をうち破るのは、民主主義的課題なのか、それとも社会主義的課題なのかという問題でした。
 ここで問題になっているのは、日本の資本主義のなかでも、ほんのひとにぎりの独占資本が、日本の経済全体を支配し、横暴勝手なやり方を労働者や下請け、中小資本家に押しつけているという、その「横暴な支配」が問題とされているのです。その横暴な独占資本に、せめてヨーロッパ並みの、労働者や国民の生活と権利を守るルールを守らせようというところに、独占資本の支配に反対する眼目があるのです。
 独占資本の支配の打破が、日本経済から独占資本そのものをとり除くのであれば、社会主義革命の課題だといえるでしょうが、独占資本と労働者、中小資本などが、対等・平等の関係にたつべきだというのは、経済的平等を求める経済民主主義の課題ということになります。
 こうして、日本共産党の綱領では、当面する日本革命はアメリカ帝国主義と日本独占資本の支配に反対する新しい民主主義革命であり、この反帝反独占の民主主義革命をつうじて社会主義革命に発展させるという展望を明らかにしました。
 当時、ヨーロッパの共産党は、発達した資本主義国ではもはや民主主義革命は問題とならず、社会主義革命だけだと主張して、日本共産党の立場には反対していました。しかし、今となっては、どちらが正しかったかは明瞭だといっていいでしょう。民主主義とは何なのか、また民主主義と科学的社会主義との関係をどうとらえるのか、この問題がいかに重要であったか今日ではいうまでもないことだと思います。