『人間解放の哲学』より

 

 

第八講 レーニンと民主主義(1)

一、プロレタリアートの執権

社会主義崩壊論のあやまり

 一九九〇年代初頭に、ソ連や東欧の自称「社会主義国」は一連の民主化の流れのなかで崩壊しました。
 マスコミや一部評論家など、気の早い人々は、これによって社会主義の実験は失敗したし、科学的社会主義の事業と学説は破産した、と思いこみ、社会主義崩壊論の大合唱をくり広げました。ソ連や東欧を科学的社会主義の学説を体現した「社会主義国家」と断定し、その国家体制の崩壊をもって、科学的社会主義の学説そのものの誤りが歴史的に証明されたかのように論じたのです。
 しかし、ソ連や東欧の崩壊は、「科学的社会主義の失敗ではなく、それから離反した覇権主義と官僚主義・専制主義の破産」であり、「これらの国ぐにでは、革命の出発点においては、社会主義をめざすという目標がかかげられたが、指導部が誤った道をすすんだ結果、社会の実態として、社会主義社会には到達しえないまま、その解体を迎えた」のです(「綱領」)。
 社会主義国家とは、人民が主人公となる人間解放の国家であり、ソ連のように、対外的には他民族を抑圧し、対内的には人民を抑圧するような国家が、社会主義の名に値しないことは、当然のことといわねばなりません。
 ソ連の覇権主義と官僚主義・専制主義は、自由と民主主義の否定であり、こうした誤りの根源が、「プロレタリアートの執権」とそこから生ずる共産党のI党支配にあったのではないかが問われています。そこで、あらためて、科学的社会主義の学説のなかで重要な位置をしめている「プロレタリアートの執権(プ囗レタリアートーディクタツーラ)」の問題について考えてみたいと思います。
 なぜマルクス、エンゲルスは、「執権」という概念を使う必要があったのか、それは今日でも必要な概念なのか、プロレタリアート(労働者階級)という階級が「執権」をもつとはどういう意味なのか、労働者以外の被抑圧階級は 「執権」から排除されるのか、「プロレタリアート執権」と科学的社会主義の政党とはどう関連するのか、また「プロレタリアート執権」と民主主義はどう関連するのか、などの問題が検討されなければなりません。

不破氏による「プロレタリアート執権」概念の検討

 かつて「プ囗レタリアートーディクタツーラ」は「プロレタリアートの独裁」と誤訳され、用語からしても、反民主主義的な概念であると誤解される余地を残していました。
 しかし、もともと「ディクタツーラ」とは、古代ローマの共和制の時期に、人民によって選出された複数の指導者(コンスル)が、戦争や国内危機のときに任命する「ディクタトル(執政官)」の職務、権限に由来するものです(不破哲三『科学的社会主義研究』新日本出版社三七ページ、)。
 有事の際のディクタトルへの一時的な権限の集中がもともとの「ディクタツーラ」の意味です。これを、マルクス、エンゲルスがプロレタリアートと結びつけて科学的社会主義の概念にとりいれました。こうした経緯をふまえ、「プ囗レタリアートーディクタツ上フ」は、「プロレタリアートの執権」とその訳が訂正されることになったのです。
 それにしても「執権」概念は、ローマ共和制の時代の政治概念を活用して、マルクス、エンゲルスが独自の意味合いをもたせたものですから、マルクス、エンゲルスの使用例にもとづいて検討されねばなりません。
 この研究に取り組んだのが、不破氏の「科学的社会主義と執権問題」(前掲『科学的社会主義研究』に所収)であり、その成果が、日本共産党の綱領改定に生かされることになりました。
 不破氏は、プロレタリアートの執権問題についての歴史的検討の結果を次のようにまとめています。
 「それは、第一に、マルクス、エンゲルスが『プロレタリアート執権』論を科学的社会主義の学説の柱の一つとした本来の意義は、階級も国家もない共産主義社会への過渡期には、社会主義の国家権力が必要であり、国家権力を活用してはじめて、社会主義的変革の中心内容をなす『生産手段の社会化』も実現できるという、新しい思想にあったこと、第二に、それは『労働者階級の権力』と同意義の言葉であり、とくに『執権』というのは、全権力の掌握の意味であって、これを強力革命など革命の特定の方法や形態と結びついた概念とするのは、正しくないこと、第三に、『労働者階級の権力』とは、なによりもまず、この権力が労働者階級の歴史的使命である社会主義的変革を任務とすることであって、そこで労働者階級が主導的役割を果たすことはいうまでもないが、これは他の人民諸階級との同盟を排除した労働者階級単独の権力ではなく、農民や勤労市民など広範な人民諸層と連合した、人口の多数者を代表し、多数者に依拠する権力だということは、むしろこの権力の不可欠の特質をなしていること、第四に、その政治形態は、時代と民族に応じて当然きわめて多様なものとなるが、マルクス、エンゲルスは、普通選挙権にもとづく議会を最高機関とする民主共和制を、そのもっとも適当な形態と考えていたこと、などに、要約することができる」(同一一一ページ)。
 この不破氏の研究によって、マルクスやエンゲルスが使った「プロレタリアートの執権」は、「労働者階級の権力」と同義であることが明確にされたのです。こうした研究をふまえ、日本共産党の第二二回臨時大会(一九七六年)で綱領から「プロレタリアートの執権」という用語は削除され、「労働者階級の権力」と置きかえられました。

レーニンの「執権論」
 
 ところがレーニンは、マルクスやエンゲルスが使った「プロレタリアートの執権」を独特の意味合いで使っています。
 一九〇五年のロシア第一革命のなかから、ソビエトという新しい革命権力機関が誕生します。ソビエトとは、「評議会」を意味するロシア語ですが、革命の過程で工場のストライキ委員会から発展し、労働者の大衆的政治的組織となりました。その後ソビエトは、労働者のなかだけではなく、兵士や農民のなかにも誕生します。ソビエトは、生産単位や兵営ごとの選挙人集会で選出された代議員が市、村ソビエトを構成し、その代表がピラミッド型に、地方ソビエト大会、全ロシアソビエト大会を構成しました。
 レーニンは、革命敗北後の一九〇六年、この革命のなかから生まれた労働者、兵士、農民などの各代表ソビエトを「新しい革命権力機関」ととらえたうえで、ソビエトという特殊な権力を、普遍的な「執権」と同一視するようになります。
 「上述の権力諸機関は、萌芽状態の執権であった。なぜなら、この権力は、だれから由来しているものにせよ、他のいかなる権力も、いかなる法律も、いかなる規範もみとめていなかったからである」(「カデットの勝利と労働者党の任務」レーニン全集⑩二三一ページ)。
 このように、ソビエト=「執権」ととらえ、「執権という科学的概念は、なにものにも制限されない、どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接強力に依拠する権力以外のなにものも意味しない。『執権』という概念は、これ以外のなにものも意味しない」(同二三三ページ)と規定したのです。
 ここには、執権が、すべて強力に依拠することによってしか生まれないという強力革命必然論につながる偏向をみることができます。
 このレーニンの立場は、「人民の武装蜂起-1強力革命が唯一の可能な道とされた条件のもとで、強力革命によって成立する革命政権にはあてはまるものであっても、これをあらゆる革命にあてはまる革命権力一般の特徴としたり、革命後に確立される人民権力の本質規定とすることはできないものでした」(不破哲三『レーニンと「資本論」』第二巻、新日本出版社二七一ページ)。残念なことにレーニンは、『国家と革命』を準備するなかで、この理論的偏向を拡大し、民主主義論でも大きな誤りをおかすことになります。

 

二、レーニンと民主主義

「執権」論と民主主義

 一九一六年から一七年にかけて、レーニンは、マルクス、エンゲルスの国家論、革命論を研究して、『国家論ノート』、『国家と革命』にまとめています。そのなかで、重点的に検討されているのが、「執権」論であり、「執権」論と民主主義の関係もそこで議論されています。
 まずレーニンは、マルクスの『コーダ綱領批判』のなかの、「資本主義社会と共産主義社会とのあいだには、前者から後者への革命的転化の時期がある。この時期に照応してまた政治上の過渡期がある。この時期の国家は、プロレタリアートの革命的執権以外のなにものでもありえない」(全集⑲二八~九ページ/『コーダ綱領批判 エルフルト綱領批判』古典選書版四三ページ)という命題に注目します。
 そのうえで、プロレタリアート執権との関係で民主主義を三つの段階に区分して論じています(レーニン全集㉕四九七ページ~)。一つは、資本主義社会の民主主義であり、これは、「少数者のための、有産階級だけのための、富者だけのための民主主義」(同四九七ページ)であり、「徹頭徹尾、偽善的で、いつわりの民主主義」(同四九九ページ)と断じられています。
 二つには、過渡期におけるプロレタリアート執権下の民主主義です。ここでは、民主主義は大幅に拡大し、「富者のための民主主義ではなしに、貧者のための民主主義、人民のための民主主義」(同)となります。しかしプロレタリアート執権は、「抑圧者、搾取者、資本家にたいして、一連の自由の例外」をもうけ、これらのものは民主主義から排除されるとしています。
 三つには、共産主義社会の民主主義であり、ここでは「ほんとうに完全な民主主義、ほんとうになんの除外例もない民主主義が可能となり、実現される」(同五〇〇ページ)ことになります。
 そして、この「完全な民主主義」は、民主主義の死滅をもたらす、というのです。国家の死滅と同様に民主主義も死滅するという、このレーニンの独特の命題は、次のような論理と結びついています。
 資本主義的奴隷制から解放された人間は、「何世紀ものあいだよく知られ、何千年というものあらゆる格言のなかでくりかえされてきた共同生活の根本的な規則をまもる習慣、暴力がなくても、強制がなくても、隷属関係がなくても、国家と呼ばれる特殊な強制機関がなくても、これらの規則をまもる習慣を、徐々にもつようになるであろう」から、「民主主義が完全なものになればなるほど、ますます急速に民主主義は不必要になって、ひとりでに死滅するであろう」(同)というのです。
 以上の民主主義論には、看過しがたい独自の規定があり、到底そのままに認めることはできません。

レーニンの民主主義論の問題点

 第一には、資本主義下の民主主義を「徹頭徹尾、偽善的で、いつわりの民主主義」だと一刀両断に切りすてていることです。
 確かに近代民主主義がブルジョア的な制約をもっていることは事実ですが、だからといって、その意義を全く否定してしまうのは、それ以上の誤まりだといわねばなりません。
 近代民主主義は、封建制の支配に反対するブルジョアジーや、労働者、農民の階級闘争の産物としてかちとられたものであり、階級闘争が歴史の発展の原動力であるとする史的唯物論の根本命題を立証するものです。自由と民主主義の発展は、社会発展をあらわす一つの重要な指標です。近代民主主義を全否定することは、資本主義の誕生それ自体が社会発展を意味することをも否定することにつながります。
 第二には、民主主義には、「富者だけのための民主主義」と「貧者のための民主主義」、「少数者のための民主主義」と「多数者のための民主主義」の二種類があるかのような区別をしていることです。
  『国家論ノート』のなかでは、これをさらに展開してブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義に区別し、この二つは「別の民主主義」だといっています(『国家論ノート』大月書店七二ページ)。
 しかし、民主主義は、人類の類本質である共同社会性に由来し、社会共同体を、共同体として維持・発展させるのに必要なルールまたは規範ですから、社会共同体の構成員のすべてが、対等・平等であることをその本質的要素とするものです。
 近代民主主義に積極的意義が認められるのも、実質上はともかく、形式上は、すべての人間は生まれながらにして、自由であり、平等であるという普遍的な自由・平等を宣言したからにほかなりません。
 民主主義は、すべての構成員が平等な存在であるという普遍的概念であって、「富者だけのための民主主義」も 「貧者のための民主主義」も、いずれも限定つきの、不完全なものでしかありません。その意味ではこの二つの民主主義は、程度の違いはあっても、いずれも真の民主主義に値しないという共通点をもっているのです。
 ですから、民主主義には、ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義という二つの民主主義があるとして、両者の間に越えがたい境界線を引いて、後者を絶対化することは、民主主義の概念がもつ普遍性をかえってあいまいにすることになり、誤りであると考えます。

自由を抑圧する民主主義?

 第三に、レーニンが、「執権」下の過渡期の民主主義を、「搾取者、資本家」の自由を抑圧し、民主主義から排除する国家だととらえていることも問題です。
  『国家論ノート』をみると、この着想は、エンゲルスがコーダ綱領にある「自由な国家」について論じた「一八七五年三月一八一二八日付ベーベル宛の手紙」(全集㉞一〇五ページ)に由来していることがわかります。
 レーニンは、この手紙のなかの「プロレタリアートがまだ国家を必要とするあいだは、プロレタリアートはそれを自由のためにではなく、その敵を抑圧するために必要とするのであって、自由について語れるようになるやいなや、国家としての国家は存在しなくなります」(同一〇九ページ)という部分に注目します。そして「これは、マルクスと工ングルスのいわば〈反国家的な所論〉のなかで、おそらく最も注目すべく、そしてたしかに最も鋭い箇所である」(『国家論ノート』ニハページ)として、レーニンは「国家は、自由のためではなく、プロレタリアートの敵を抑圧する」ために必要なのだと記しています。
 それに続けて、「実際には、民主主義は自由を排除する。発展の弁証法(行程)は次のとおりである。絶対主義からブルジョア民主主義へ、ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義へ、プロレタリア民主主義からいかなる民主主義でもないものへ」(同二九ページ~)と記し、民主主義を階級抑圧を伴う概念としてとらえているのです。しかし、民主主義の概念のなかに、階級的な支配と抑圧をもりこむことは、社会共同体の規範としての民主主義、普遍的な意義をもつ民主主義を否定することにほかなりません。

マルクス、エンゲルスの執権論

 エンゲルスの手紙の内容は、その後(一八七五年四月から五月にかけて)執筆された、マルクスの『コーダ綱領批判』に引きつがれることになります。そこには先にレーニンが引用した、過渡期の国家は、「プロレタリアートの革命的執権以外のなにものでもありえない」とする箇所に続けて、マルクスは、コーダ綱領がこの「執権」国家についてなにも論じようとしていないと批判し、次のように述べています。
 この綱領は、「普通選挙権、(人民による)直接立法、人民の司法、民兵制などの古い聞きなれた民主主義的な繰り言」をのべるばかりで、「それらのすべての美しい装飾品は、いわゆる人民主権の承認をもとにしたもの、したがってまた民主共和制下ではじめて適切なものである」という「主要なことを忘れてはならなかったのだ」(全集⑲二九ページ)。
 ややもって回ったいい方になっていますが、「プロレタリアート執権」国家とは、人民主権の民主共和制という人民の権力を前提とするものであり、それによって、はじめて、「普通選挙権、(人民による)直接立法、人民の司法、民兵制」などの民主的諸制度も、単なる「美しい装飾品」にとどまらず、現実的意味をもつ、ということです。
 ですから、ここでは、プロレタリアート執権が人民の権力を前提とした普通選挙権にもとづく民主共和制としてとらえられています。いうまでもなく、普通選挙権は搾取階級、被搾取階級を問わず、一定の年齢のみを条件としてすべての国民に等しく与えられる権利であり、その普通選挙権を行使することによって生まれる政権が民主共和制ですから、ここには「執権」が、「プロレタリアートの敵を抑圧する」ものだと解釈する余地はありません。
 エンゲルスは、民主共和制を「すでに偉大なフランス革命が示したように、プロレタリアートの執権のための特有の形態ですらある」(「エルフルト綱領批判」全集㉒二四一ページ/『コーダ綱領批判エルフルト綱領批判』古典選書版九四ページ)と述べたことがあります。「特有の形態」とは、そのものだけがもつ特別の形態という意味ですから、民主共和制は、「執権」国家に固有の国家形態ということになるでしょう。
 こうした点からも、「プロレタリアート執権」国家が「自由のためにではなく、その敵を抑えつけるために必要とする」との前記エンゲルスの言葉は、ブルジョアジーの所有する生産手段を、国家の権力を利用して社会化することであり、これに関連した国家機構の改造を意味しているにすぎません。
 「国家が真に全社会の代表者として現われる最初の行為──社会の名において生産手段を掌握することは、同時に、国家が国家としておこなう最後の自主的な行為である」(『反デューリング論』全集⑳二八九ページ/古典選書版㊦一五五ページ)とのエンゲルスの言葉からもそのことがうかがえます。
 たしかに、生産手段の社会化を実現していく過程でブルジョアジーが抵抗することは予想されます。その場合、その抵抗をうち破り、結果として「抑圧する」ことになるかもしれません。しかし、そのことと民主主義のありかたの問題は次元を異にする問題です。民主主義の概念そのものに階級抑圧をもりこむことには問題があると思います。

民主主義一般と資本主義下の民主主義の混同

 第四に、国家の死滅とともに完全な民主主義は死滅するとの考えにも同意することはできません。レーニンは、国家と民主主義を同じ内容をもつ概念としてとらえているのですが、その根拠になっているのは、エンゲルスの「小冊子『フォルクスシユタートからの国際問題(一八七一 ─ 一八七五年)』のまえがき」です。
 エンゲルスは、そこで、社会民主主義者と共産主義者とを区別すべきだとして、次のように述べています。
 「一般に社会主義的であるばかりでなく直接に共産主義的な経済綱領をもち、国家全体の克服、それゆえにまた民主主義の克服をもその政治的な終極目標にしている党にとっては、このことば(社会民主主義者引用者)は、不適当である」(全集㉒四一八ページ)。
 文脈からすれば、社会民主主義者を自称している者は、社会の根本的変革をめざさないのに対し、共産主義者は、生産手段を社会化し、ブルジョア的制約をもつ近代民主主義を克服することをめざすのだから、「社会民主主義」という不正確な表現を用いるべきではない、というものです。ここでエンゲルスのいう「民主主義の克服」とは、民主主義一般の克服ではなく「社会民主主義の克服」または「資本主義的民主主義の限界の克服」ととらえるべきものでしょう。それは、「国家全体の克服」が、「資本主義国家を含むすべての階級国家の克服」を意味し、それと同列に論じられていることからも、そう解すべきものと思われます。
 それを、レーニンは、「民主主義一般の克服」ととらえ、『国家論ノート』では、この文章をエンゲルスの「反民主主義論」(『国家論ノート』一〇〇ページ)としてとらえているのです。
 そのうえで、「民主主義は、多数者への少数者の服従と同じものではない。民主主義は、多数者への少数者の服従をみとめる国家、すなわち一階級が他の階級にたいして、住民の一部が他の一部住民にたいして系統的に強力を行使する組織である」とまでいっています(『国家と革命』レーニン全集㉕四九二ページ)。こうなると、もはや民主主義=国家としてとらえられることになり、「国家の廃絶は同時にまた民主主義の廃絶でもあり、国家の死滅は民主主義の死滅である」(同ページ)ということにならざるをえないのです。
 しかし、国家と民主主義とは、同一どころか、むしろ相対立する概念だといわざるをえません。階級支配の機関としての国家は、階級的な支配と抑圧を公的強力により強制するものですから、社会共同体を維持・発展させるのに必要な規範としての普遍的民主主義を制限し、あるいは否定せざるをえないのです。そこには、すべての国民の対等・平等な関係もなければ、治者と被治者の同一性も存在しません。
 エンゲルスは、「自由について語れることができるようになるや否や、国家としての国家は存在しなくなる」といいましたが、自由と民主主義の相互前提関係からするならば、「自由と民主主義について語ることができるようになるや否や、国家としての国家は存在しなくなる」というべきものでしょう。したがって国家の「死滅」は、普遍的民主主義の全面開花をもたらしこそすれ、民主主義の「死滅」をもたらすものではありません。完全な民主主義は、民主主義の死滅をもたらすとの議論は、結局のところ、「完全な民主主義」の名において、民主主義を否定する議論につながらざるをえない危うさをもっています。
 それが決して杞憂でないことは、レーニンの思想的足取りをたどることで、よりはっきりしてきます。

「執権」論の誤りを反映した民主主義論

 以上をまとめてみますと、レーニンの民主主義論には、独特の「プロレタリアート執権」論が色濃く反映されているのをみることができます。
 レーニンは、一方でプロレタリアート執権を「なにものにも制限されない、どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接強力に依拠する権力」であり、それがソビエトであるととらえます。
 他方で、レーニンは、資本主義から共産主義への過渡期の国家は「プロレタリアートの革命的執権以外のなにものでもない」というマルクスの命題に注目します。
 そこから、結論として、レーニンはこのソビエト=プロレタリアート執権という間尺に合わせて民主主義を裁断し、レーニン流のプロレタリアート執権の範囲内に民主主義を切り縮め、歪曲してしまうことになるのです。