『人間解放の哲学』より

 

 

第一〇講 人民主権とプロレタリアート執権(1)

一、執権と階級支配

なぜ「執権」という概念を使ったのか
 
 第八講、第九講をつうじて、そもそもプロレタリアートの執権とはなにか、レーニンの「執権」論のどこに問題があったのかを概観してきました。
 ここであらためて、「執権」論のまとめをしてみたいと思います。
 そもそもマルクス、エンゲルスが、古代の共和制ローマの政治制度で用いられたディクタトル(執政官)の職務、政治を意味する「ディクタツ上フ(執権)」という用語を、プロレタリアートと結びつけたのはなぜでしょうか。
 共和制ローマでは平時には人民によって選出された複数のコンスル(統領)が集団で国民を統治していましたが、有事の際には、ディクタトルが任命され、ディクタトルという個人に集中した権限が与えられたのです。ディクタツーラ(執権)とは、本来一個人への統治権(国家権力)の集中を意味していました。
 しかし、マルクス、エンゲルスは、国家の本質が階級支配の機関にあることを突きとめ、国家を論じるにあたり、一個人ではなく、階級としての統治権の集中を問題とする必要にせまられ、「執権」概念を階級と結びつけて用いるようになったものと思われます。
  「プロレタリアートの執権」は、ブルジョア執権に対立する概念です。ブルジョア執権とは資本主義的生産様式のもとでの権力です。資本主義的生産様式のもとでは、実質的にブルジョアジーが全権力を掌握し、国家権力を担う国家機構を自在に支配し、資本主義国家をブルジョアジーの階級支配の機関にしているのです。そのことは、国家形態がどのようなものなのか(君主制、立憲君主制、民主共和制のいずれであるのか)、さらには、普通選挙権があるのかないのか、ということにかかわりなく貫かれているのです。
 エンゲルスは、「民主的共和制のもとでは、富はその権力を間接に、しかしそれだけにいっそう確実に行使する」として、次の三つの手段をあげています(『国家の起源』全集㉑一七一~二ページ/古典選書版二三二ページ)。
 第一には「直接に官吏を買収するというかたち」で、第二には、「政府と取引所の同盟というかたち」で、第三には、「有産階級は普通選挙権を手段として直接に支配する」ことによってです。ここにいう「取引所」とは証券取引所のことであり(『資本論』⑬一五八六ページ/〔Ⅲ〕九一七ページ)、今日的にいえばブルジョアジーと同じ意味に解してもいいでしょう。
 同様にプロレタリアートの執権は、労働者階級をはじめとする人民諸階層が直接に全権力を掌握し、国家機構をその支配下におくことを意味しています。
 マルクス、エンゲルスが「執権」の用語を使うきっかけは、一八四八年のドイツ革命でした。この革命のなかで、普通選挙により、憲法制定国民議会(フランクフルト議会)が召集されます。ところが、それまでの君主制政府の権力機構もそのまま残り、革命に抵抗します。国民議会は「人民主権」の名において全権力を掌握して、抵抗勢力を抑えるべきだったのに、それをしなかったため、ついに軍隊によって粉砕され、ドイツ革命は敗北します。
 エンゲルスはこのドイツ革命の教訓を次のように述べています。
 「国民議会の第一の行為は、ドイツ人民のこの主権を、声高らかに、公然と宣言することであるべきだった。その第二の行為は、人民主権にもとづいてドイツ憲法を作成し、人民主権の原理に反するもののすべてを、ドイツに事実上現存する状態のうちから除去することであるべきだった。その全会期をつうじて国民議会は、あらゆる反動の企てをうちやぶり、国民議会の立っている革命的基盤を維持し、革命の成果である人民主権をあらゆる侵害から守るために、必要な方策をとるべきであった」(「フランクフルト議会」全集⑤一二ページ)。
 マルクス、エンゲルスは、人民主権の貫徹による革命擁護のために、国民議会は「どこでも執権者として対抗しさえすればよかったのだ」(同三七ページ)と述べ、はじめて「執権」の概念を用いています。
 ドイツ革命は、君主制の支配に反対する民主主義革命という性格をもっていました。そこから生まれる権力も、人民による民主主義的権力であり、人民が議会の多数を占め、全権力を掌握することを「執権」と呼んだのです。
 レーニンはこの点に注目しました。
 「一八四八年にマルクスが革命政府または執権に提起した任務は、その内容からすれば、なによりもまず民主主義的変革に帰着するものであった。すなわち、反革命にたいして防衛し、人民専制に反するあらゆるものを実際に一掃することであった。これはすなわち革命的民主主義的執権にほかならない」(「民主主義革命における社会民主党の二つの戦術」レーニン全集一二八ページ)。
 さらにレーニンは、この民主主義的執権をになう階級が、「人民」すなわち「労働者と民主主義的ブルジョアジー」(同一二九ページ)であることを明らかにしたうえで、この「執権」概念を一九〇五年のロシア第一次革命のさいに使っています。この頃のレーニンの執権論には、まだ硬直した姿勢はみられないのがその特徴となっています。
  「客観的には、事物の歴史的行程は、いまロシアのプロレタリアートを、まさしく民主主義的なブルジョア的変革(われわれは、簡単を期するために、その全内容を共和制という言葉であらわす)の任務に当面させている。……実際、共和制のための闘争は、プロレタリアートにとっては、小ブルジョア的人民大衆との同盟なしには考えられないということは、明らかではないだろうか?また、プロレタリアートと農民の革命的執権なしには、この闘争が成功する望みはいささかもないということは、明らかではないだろうか?」(「プロレタリアートと農民の革命的民主主義的執権」レーニン全集⑧二九四~五ページ)。
 「マルトイノフはこのことを理解しないで、専制の転覆の時期における臨時革命政府を、ブルジョアジーの転覆の時期におけるプロレタリアートの確保された支配と混同し、プロレタリアートと農民の民主主義的執権を労働者階級の社会主義的執権と混同しているのである」(同二七六ページ)。・
 科学的社会主義の学説における「執権」概念は、国家が階級支配の機関という本質をもつ存在であることを前提とし、国家がいかなる階級または諸階級の支配のもとにあるかを明らかにするためのものなのです。
 マルクス、エンゲルスが、最初に「執権」を問題としたときの階級は、「人民」または「労働者階級をはじめとする人民連合」であり、しかも民主主義革命を実現する民主主義的権力であったことには、十分の注意がはらわれねばなりません。いわばそれは、「人民執権」と称されるのにふさわしいものでした。
 マルクスが、この「執権」を労働者階級に結びつけ、「プロレタリアート執権」という用語を最初に使ったのは、『フランスにおける階級闘争』においてでした。
 フランスの二月革命(一八四八年)は、王制からブルジョア共和制への移行をもたらしました。革命後反動化したブルジョア政府は、革命の成果を守るために立ちあがった労働者階級を弾圧し、世界で最初の「労働と資本との戦い」(『フランスにおける階級闘争』全集⑦二九ページ)となりました。このたたかいのなかで、「ブルジョアジーの転覆!労働者階級の執権!」(同ごニページ)という革命的スローガンが登場します。マルクスは階級的自覚を高めたプロレタリアートが、社会主義を展望しつつあることをのべたうえで、社会主義に「到達するための必然的な過渡点としてのプロレタリアートの階級的執権」(同八六ページ)を打ちだしたのです。
 こうしたことから明らかなことは、「執権」は、権力の階級的本質を示す用語であって、「ブルジョア執権」を打ち倒す「執権」としては、その革命の性格により「人民執権」も「労働者と農民の執権」も「プロレタリアート執権」もあるということです。そしてもう一つの問題は、「ブルジョア執権」を否定する「執権」は、多数の被支配階級が支配階級に転化することによる、多数者による多数者のための民主主義的権力という共通の基盤をもっているということです。

 

二、「執権」概念の二つの特徴

階級としての権力

 以上のように「執権」をとらえるとき、そこには、二つの重要な特徴かあるといっていいでしょう。
 一つは、「執権」というときの「権力」は、階級としての権力を意味しているということです。一般には権力といえば国家権力を意味し、したがって行政権(とりわけ軍隊、警察などの公的強力)、立法権、司法権などの権力をもつ国家機構をさして使用されています。しかし、「労働者階級」または「被抑圧人民」が権力を掌握する「執権」は、単なる国家機構の問題にとどまらない、「階級としての権力」を意味しているということです。
 それは、いいかえれば、行政権、立法権、司法権などのあれこれの国家権力の機構を部分的に掌握することではなく、労働者階級または被抑圧人民が全権力をまるごと掌握し、すべての国家機構をその支配下におくことを意味しています。
 では具体的に、労働者階級はどのようにして階級としての権力を掌握することになるのでしょうか。一八七三年、エンゲルスが論文「住宅問題」で指摘している点は、この問題に示唆を与えるものとなっています。
 「イギリスのチャーティストをはじめ、あらゆる真のプロレタリア政党は、常に階級的政策を、独立の政党へのプロレタリアートの組織化を、闘争の第一条件としてかかげ、プロレタリアートの執権を闘争の当面の目標としてかかげてきた」(全集⑱二六四ページ)。
 労働者階級が「権力」を掌握するためには、「独立の政党へのプロレタリアートの組織化」、つまり労働者階級の利益を代表する独自の政党を組織しなければならないというのです。そして、労働者階級は、自らの政党を媒介に権力を掌握することになるのです。
 日本における労働者階級の独自の政党は日本共産党です。日本共産党は、当面する日本革命を反帝・反独占の民主主義革命ととらえ、この民主主義革命をつうじて社会主義革命を実現するという、二段階革命論の立場にたっています。
 民主主義革命をになうのは、民族民主統一戦線です。
 「広範な人民の団結をめざすこの闘争で、党は大衆とかたくむすびつき、その先頭にたって推進的な役割をはたさなければならない。とくに労働者階級を科学的社会主義の思想、反核・平和と主権擁護の国際連帯の精神でたかめ、わが国の民主主義革命と社会主義の事業への確信をかため、その階級的戦闘性と政治的指導力をつよめる」とされ、
 「民族民主統一戦線の発展において、決定的に重要な条件は、日本共産党を拡大強化し、その政治的力量をつよめ、強大な大衆的前衛党を建設することである」(「綱領」)とされています。
 「執権」という概念は使われていませんが、その意味するところがより具体的な形で表されています。
 「日本の労働者階級の党であると同時に、日本国民の党」(規約第二条)である日本共産党が質・量ともに強大となることによって、労働者階級の主導的役割のもとに人民連合による民族民主統一戦線が結成されます。この民族民主統一戦線が、普通選挙をつうじて国民の多数の支持を獲得し、民族民主統一戦線政府がつくられます。この政府が国家権力を掌握すると、人民民主主義革命が実現し、人民執権の人民民主主義国家体制が確立することになるのです。
 人民民主主義国家体制のもとで、民族民主統一戦線が資本主義の廃止と社会主義の建設をその目標にかかげるようになると、それは社会主義統一戦線となります。この社会主義統一戦線が、国家権力を掌握するとプロレタリアート執権、つまり「労働者階級の権力の確立」となり、その社会主義権力のもとで、社会主義建設がおこなわれることになります。
  「党は、社会主義建設の方向を支持するすべての党派や人びとと協力する統一戦線政策を堅持し、勤労農民および都市勤労市民、中小企業家にたいしては、その利益を尊重しつつ、これらの人びとを納得をつうじて社会主義社会へみちびくように努力する」(「綱領」)。
 社会主義権力を「労働者階級の権力」と規定する意義は、人民連合ではあっても、「なによりもまず、労働者階級の歴史的使命である社会主義的変革と社会主義建設を実行し、推進する権力という意味」であり、「この権力の誕生にいたる革命闘争の過程でも、権力が樹立された後においても、階級として、労働者階級が社会主義的変革の中で、主導的、中心的役割を果たす」からだと説明されています(「党綱領・規約の一部改定についての報告」『前衛』第二二回臨時大会特集、四〇〇号一〇八~九ページ)。
 民族民主統一戦線という人民連合が、人民執権となり、この人民連合という階級的本質を維持したまま、社会主義建設をめざすことによって、民族民主統一戦線は社会主義統一戦線に発展し、その社会主義統一戦線が労働者階級の権力(プロレタリアート執権)になるのです。
 ここでもっとも重要なのは、民族民主統一戦線、あるいは社会主義統一戦線それ自体が権力を掌握するとされていることであり、この統一戦線が国家機構全体をその支配下におくものとしていることです。マルクス、エンゲルスが、プロレタリアート執権という新たな概念を労働者階級の政党の組織化と結びつけて導入した理由もこのあたりにあったのではないのかと思われます。
 労働者階級をはじめとする人民連合が国家の全権力を掌握するとは、国家意思を最終的に決定する権限が、主権者である人民にあるという意味であり、人民が決定した意思を、立法権、執行権(行政権)、司法権などの国家機構が忠実に行使するということです。そのことによって、「社会から生まれながら社会のうえに立ち、社会からますます疎外していく」国家を、社会の従僕に転化させることができるのです。

真に民主主義的な権力

 「執権」のもう一つの重要な内容は真に民主主義的な権力であるということです。
 エンゲルスは、パリーコミューンを「真に民主主義的な国家権力」だとしたうえで、「あれがプロレタリアートの執権だったのだ」と総括したことは先に紹介しました。さらにエンゲルスは「共産主義の原理」のなかで、プロレタリアート革命がどんな発展の道をたどるのかについて次のように説明しています。
  「それはなによりもまず、民主主義的国家制度を、そしてそれによって、直接にかあるいは間接に、プロレタリアートの政治的支配をうちたてるであろう。イギリスのようにプロレタリアがもう人民の大多数を占めているところでは直接に、フランスやドイツのように人民の大多数がプロレタリアだけでなく小農民や小市民からなっている国々では間接に」(全集④三九〇ページ)。
 労働者階級が被支配階級の大多数を占める場合も、そうでない場合も、「執権」は民主主義的な国家制度をうちたてるというのです。エンゲルスは、明確には述べていませんが、プロレタリアート革命が民主主義革命をつうじて 「間接に」社会主義革命に移行する場合にも、あるいは「直接に」社会主義革命を実現する場合にも、民主主義をつうじてのみ実現されるという趣旨に理解することができます(ちなみにエンゲルスは、この文章に続けてフランスやドイツの場合「第二の闘争」が必要だとしているのも、民主主義革命から社会主義革命への移行時の「闘争」を示唆しているように思えます)。
 もともとマルクスは、若いころから、国家体制は、国民主権にもとづく民主共和制であるべきだとの考えにたっていました。
 「ヘーゲル国法論の批判」のなかで、マルクスはヘーゲルの「国民主権ということの意味が共和制の形式、しかももつと明確に民主制の形式のことであるのなら、……展開された理念にたいしてもはやそのような観念は論外である」 (全集①二六二ページ/『ヘーゲル法哲学批判序論 他』国民文庫五一ページ〉としているのをとらえ、次のように批判しています。
 「民主制においては諸契機のどれ一つといえども、それに帰属する以外の意義をもつにいたることはない。一つ一つが現実的に全人民(Demos)の契機であるにすぎない。君主制においては一つの部分が全体の性格をきめる。……民主制は体制の類である。君主制は一つの種、しかも不良種である。」〈同二六三ページ/国民文庫五一~二ページ)。
 「民主制はあらゆる国家体制の本質、社会化された人間が一つの特殊な国家体制としてあるあり方であり、それと爾余(じよ)の国家体制との間柄は、類とそれのもろもろの種との間柄のようなものである」〈同)。
 このように考えていたマルクスが、「執権」概念を「真に民主主義的な権力」としてとらえていたということは、論理的帰結として当然のことだといえるでしょう。
 第七講で、国家独占資本主義の下にあって、一般的に民主主義革命の可能性があることを指摘しました。民主主義革命によって実現される権力は、人民連合による民主主義権力であり、「人民執権」ということができます。しかし人民執権は民主主義権力ではあっても、まだ資本主義と搾取制度、階級対立が残っているかぎりでは、その民主主義はなお大きな制約を残しています。
 これに対し、プロレタリアート執権は、生産手段を社会化し、搾取を廃止することによって階級差別をなくします。これにより人民は統治の客体であると同時に統治の主体となり、治者と被治者の同一性という民主主義が実現されます。

 

三、「執権」と人民主権論

ルソーの「社会契約論」

 そこで、次に「執権」が民主主義権力だとするならば「執権」と人民主権論とは、どのような関係にあるのかを考えてみることにしましよう。先にもお話ししたように、マルクスとエンゲルスが最初に執権を問題にしたのは、「人民執権」でした。また「執権」が、「治者と被治者の同一性」を実現する真に民主主義的な権力だということになれば、人民主権と理論的にも重なり合っているということができます。また現実の歴史においてもルソーの人民主権論は、一七九三年のジャコバン憲法を経て一九世紀前半のチャーチスト運動や空想的社会主義者の一部〈ルイーブラン、コンシデラン、ブオナ囗ツティなど)において、社会主義と結合します。さらにパリーコミユーンの経験に学び、人民主権論は二〇世紀の社会主義運動とも結びついていくのです。
 したがって、人民主権と人民執権あるいはプロレタリアート執権とはきわめて近接した概念であることは間違いないところです。
 そこで、そもそも人民主権とは何かを、その源流にさかのぼって検討してみることにしましよう。
 人民主権論を代表するのは、ルソーの『社会契約論』です。『社会契約論』は一七八〇年代末ヨー囗ツパじゅうのベストセラーとなり、『聖書』、『資本論』とならび有史以来人類の精神にもっとも大きな影響を与えた三つのうちの一つといわれています(岩波文庫版『社会契約論』の訳者まえがき参照)。
  『社会契約論』によって、人民主権論の内容を検討してみることにしましよう。そもそも主権とは、国家としての統治権を意味しています。したがって人民主権とは、人民が統治権を所持していることを意味しています。近代民主主義は、人民主権ないし国民主権を、普通選挙権にもとづく民主共和制、すなわち普通選挙による代表選出に矮小化してしまいました。その結果は、ルソーがいうように、人民が自由なのは議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、人民は奴隷となり、無に帰してしまっているのです。ですから、ルソーの唱えた人民主権論は、こうした民主共和制に解消されるものではありません。
 ルソーの人民主権論は、社会契約に端を発しています。では社会契約とは何か。
  「もし社会契約から、その本質的でないものを取りのぞくと、それは次の言葉に帰着することがわかるだろう。
 『われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下におく。そしてわれわれは各構成員を、全体の不可分の一部として、ひとまとめとして受けとるのだ』」(『社会契約論』三一ページ)。
 つまり、各構成員(人民)は、そのすべての権利を社会(国家)に譲り渡し、社会(国家)は、一般意志の指導の下におかれるというわけです。この社会契約から生まれる「最も大切な結果は、国家をつくった目的、つまり公共の幸福にしたがって、国家のもろもろの力を指導できるのは、一般意志だけだ、ということである」(同四ニページ)。

一般意志(volonte generate)

 一般意志(volonte generate)は、個々の構成員のもつ特殊意志から区別されますが、特殊意志からしか生まれてくることができません。人民は、一方では人民の一般意志を形成することによって主権者となりますが、他方では、一般意志の指導のもとにおかれることによって統治されることになります。これが社会契約ですから、社会契約には、支配・従属という服従契約は含まれません。「だから、もし人民が服従することを簡単に約束すれば、この行為によって(主権者としての)人民は解消し、人民としてのその資格をうしなうのである。支配者ができた瞬間に、もはや主権者はいない。そして、たちまち、政治体は破壊されるのだ」(同四三ページ)。
 一般意志は、社会(国家)を統治する意志として単一な意志ですから、分割することはできません。したがって、「主権は分割できない」(同四四ページ)ことになります。政治学者は、主権を立法権、執行権、司法権などに分割して、三権分立といっていますが、「彼らは、主権者をば、いろいろな部分をよせ集めて作られた架空の存在にしている。それは、多くのからだ──眼だけしかもたない、腕だけしかもたない、あるいは足だけしかもたないところの、からだから人間を作るようなものである」(同ページ)。立法権、執行権、司法権など、「われわれがこの主権の一部と、とりちがえている、もろもろの権利は、すべて主権に従属しているものであり、常に至高の意志を予想し、その意志の執行をなすにすぎないことが分るだろう」(同四五ページ)。
  一般意志は、「至高の意志」ですから、「つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす」(同四六ページ)。しかし反面で人民の決議は、「つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない。人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見わけることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある。そして人民が悪いことをのぞむように見えるのは、そのような場合だけである」(同ページ)。
 第三講で、プラトンは民主制を批判し、そこには、〈傲慢〉〈無統制〉〈無恥〉が支配し、「真実の理」を受けいれない国制だといっていることを紹介しました。普通選挙にもとづく結果は、常に人民の幸福につながるものではありませんから、プラトンの批判も理解できます。しかし、民主制を衆愚政治と決めつけるのではなく、人民が欺かれているだけとするルソーの視線は、人民に無限の信頼を寄せるものとなっています。
 「全体意志と一般意志のあいだには、時にはかなり相違があるものである。後者は、共通の利益だけをこころがける。前者は私の利益をこころがける。それは、特殊意志の総和であるにすぎない。しかし、これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。……人民が十分に情報をもって審議するとき、……わずかの相違がたくさん集って、つねに一般意志が結果し、その決議はつねによいものであるであろう」(同四七ページ)。
 この全体意志と一般意志との区別には重要な意義があり、後に詳しく述べますので注意しておいて下さい。
 また、「主権とは一般意志の行使にほかならぬのだから、これを譲り渡すことは決してできない」(同四二ページ)。
 なぜなら、個々人の担う権力なら譲り渡すことはできますが、主権は、人民の意志のなかに存在するからです。これと同じ理由によって、主権は代表者によって行使することはできません。
 「主権は本質上、一般意志のなかに存する。しかも、一般意志は決して代表されるものではない。一般意志はそれ自体であるか、それとも、別のものであるからであって、決してそこには中間はない。人民の代議士は、だから一般意志の代表者ではないし、代表者たりえない。彼らは人民の使用人でしかない。彼らは、何ひとつとして決定的な取りきめをなしえない。人民がみずから承認したものでない法律は、すべて無効であり、断じて法律ではない」(同一三三ページ)。
 こうして、社会契約について次のような結論が導き出されます。
 「では、主権の行為とは、本来何であろうか?それは、上位者と下位者との約束ではない。政治体とその構成員の各々との約束である。……臣民がこのような約束にのみ従うかぎり、彼らは、何びとにも服従せず、自分自身の意思のみに服従するのである」(同五二ページ)。

ルソーの人民主権論

 ルソーの人民主権論は、社会契約論と一体となった独特の難解さをもっています。ルソーの社会契約論そのものは社会(国家)の真にあるべき姿を探求したものとして、ホッブズ、ロックの社会契約説と異なる独特の特徴があり、それ自体研究に値するものです。しかし、ここでは、人民主権論それ自体を取り出し、次のように整理してみました。
 第一に、人民は、社会契約により主権者となり、人民のなかから、人民の手によって、一般意志を生みだします。一般意志は、国家を統治する至高の意志です。それは主権者の意志、主権意志として、国家を統治する意志となるのです。この一般意志は、普通選挙によって示される全体意志と必ずしも同一のものではありません。また人民は自らつくりだしたこの一般意志に従って統治されることになります。
 一般意志を媒介して、人民は国家を統治し、かつ統治されることになります。したがって、国家と人民との間には、支配・服従の関係は存在しませんし、存在してはなりません。
 第二に、一般意志は、至高の意志として、常に正しく、誤ることがありません。人民は国家を統治する意志を形成するにあたって、個人的利害から生ずる特殊意志をのりこえ、人民全体の利益を考慮し、正しい選択をすることができるのです。
 第三に、一般意志は、至高の主権意志として、単一なものであり、分割することはできません。
 立法、行政、司法の三権は、一般意志に従属し、人民にかわって一般意志の執行をするにとどまります。三権は、いわゆる「三権分立」として相対的に独立し、三権相互間の「チェツクーアンドーバランス」を保つことは当然としながらも、その相対的な独立性も、一般意志に従属するという条件下でのみ認められるのです。
 同様に、一般意志は、単一の主権意志として、個々人によって代表されることもできません。人民は、普通選挙によりその代表者たる国会議員を選出しますが、人民代表は、代表を選出した個々の人民の特殊意志を行使するのではなく、一般意志に従属し、一般意志を人民に代わって行使するのです。人民の代表者たる国会議員や国家機関は、一般意志を人民に代わって行使するものとして、一般意志に忠実でなければなりません。
 こうしてみてくると、ルソーの人民主権論において最も重要な概念は、「一般意志」ということにあることが分かります。至高の、唯一にして、誤ることのない人民の「一般意志」とは、一体いかなる意志であり、またそれは、人民のなかからどのように形成されてくるのでしょうか。
 この点に注目したのが、ヘーゲルです。ヘーゲル論理学は、「概念論」において、「概念」とは具体的普遍(真の普遍)であり、それは普遍でありながら「自ら特殊化するものであり、他者のうちにありながらも、曇りない姿で自分自身のもとにとどまっているものである」(『小論理学』㊦一二八ページ)として、単なる共通性としての普遍(抽象的普遍)から区別しています。
 「単なる共通性と真の普遍性との相違は、ルソーの有名な社会契約のうちに見事に言いあらわされている。ルソーは国家の法律は普遍的意志(volonte generate)から生じなければならないが、といって決して万人の意志(volontede de tous)である必要はない、と言っている。もしルソーが常にこの区別を念頭においていたら、かれはその国家論にかんしてもっと深い業績を残したであろう。普遍的意志とはすなわち意志の概念であり、もろもろの法律はこの概念にもとづいている意志の特殊規定である」(同一二九ページ)。
 このヘーゲルの問題提起は、「執権」と民主主義の関係を論ずるうえで、きわめて重要な意義をもっていると思われます。この点について次講で詳しくお話ししたいと思います。