『人間解放の哲学』より

 

 

第一三講 「人間解放の社会」
       ──社会主義、共産主義

一、人間解放とは何か

類本質の回復へ

 人間は類本質として、自由な意識と共同社会性をもつ存在です。そこから自由と民主主義をその本質的欲求とし、その実現を求めることになります。
 原始共同体の社会ではそれを妨げる社会的要因が存在せず、社会の構成員は自由と民主主義をきわめて素朴な形態ではあっても享受し、人間の尊厳が保たれ、人間性を保持していました。しかし、まだ個人は、原始共同体のなかに埋没した存在でしかなかったために、自由と民主主義を享受していることに無自覚的であり、自覚的な人権感覚は生じていません。
 生産力が発展するなかで、私的所有と階級が発生し、搾取する階級と搾取される階級に固定され、階級対立が生じてきます。階級の固定化に伴う階級対立が和解しがたい段階にまで達すると、搾取階級は、搾取と抑圧を強化するために階級支配の機関としての国家を誕生させることになります。こうして、搾取階級は、国家の支配階級となり、被搾取階級は、被支配階級として固定されるのです。
 その結果、人間の類本質は、「搾取による疎外」と「国家権力による疎外」という二重の疎外を被り、自由と民主主義が制約を受けることになります。また「搾取による疎外」は、「労働の疎外」をもたらし、人間の尊厳を奪って、人間性を喪失させます。
 二重の疎外を被った被搾取階級、被支配階級は、否応なく人間の類本質を奪われたことを自覚せざるをえなくなり、類本質の回復を求めて、階級闘争にたちあがることになります。社会発展をつうじて、社会に埋没していた個性は、次第に開花していき、「物的依存性のうえにきずかれた人格的独立性」をかちとっていくことになります。
 封建社会への階級闘争から生まれた近代民主主義の諸原則は、それまでの被搾取階級、被支配階級であったブルジョアジーの政治的要求として生まれたものであり、ブルジョアジー的制約と限界をもつものではありましたが、普遍的な自由や民主主義を人権宣言として形式上確立した点て重要な意義をもつものでした。
 このとき以降、資本主義社会における労働者階級をはじめとする被支配階級は、この近代民主主義の諸原則をよりどころとして階級闘争を前進させることができるようになりました。そうした階級闘争の成果として、近代民主主義の諸原則は、現代民主主義の諸原則へと発展してきたのです。

必然の国から自由の国へ

 しかし、より発展した現代民主主義といえども、階級社会のもつ二重の疎外を伴うものであって、その制約をまぬがれることはできません。他方、資本主義は二〇世紀に入って国家独占資本主義となり、国家権力をつかって搾取と抑圧を強化し、人民の自由と民主主義を制限し、押しつぶそうとします。
 そこから、国家独占資本主義のもとでは、「国家権力による疎外」からの解放を求める民主主義革命の課題が一定の歴史的条件のもとで浮かびあがることになり、現代日本はその条件のもとにあります。
 民主主義革命のもとでは、人民執権により国家権力のうち公的強力を中心とする搾取と抑圧を強化する機能は縮小、解体され、共同の利益を実現する機能が拡大、強化されます。これにより、自由と民主主義は、現代民主主義の枠をこえて大きく前進することになります。
 しかし、民主主義革命によって「国家権力による疎外」から解放されたとしても、「搾取による疎外」と「労働の疎外」からまぬがれることはできませんから、自由と民主主義を求める階級闘争は、さらに前進して、「搾取による疎外」「労働の疎外」からの解放を求める社会主義革命に向うことになります。
 社会主義のもとで、人間は、階級社会のもたらした二重の疎外から解放されると同時に「労働の疎外」からも解放されます。さらにより高度の共産主義社会において人間は、豊かな生産力を土台として自由な意志と共同社会性の全面開花による人間解放を実現します。ここに自由な人格と個人の尊厳のもとで、相互尊重の人間関係にもとづく友愛にみちた社会、国家が実現し、この社会、国家がすべての国民に対して、普遍的な自由と民主主義を保障します。最高の自由は最高の共同となり、最高の共同は最高の自由を保障します。ここに真の人間解放が実現されることになります。
 階級社会と国家の成立は、自由と民主主義を類本質とする人間の最初の否定であり、人間性の喪失をもたらします。社会主義、共産主義のもとで二重の疎外から解放されることは、否定の否定です。この否定によって人間は、自由と民主主義を普遍的なものとして全面的に開花させることにより、真にあるべき人間、人間の類本質を回復した人間として、再生するのです。社会主義、共産主義の社会の最も大切な理念が真の人間解放にあるといわれるゆえんは、ここにあります。
 科学的社会主義の「学説と事業の人類史的な意義は、それが、近代民主主義による国民の政治的解放とその徹底を重視しながらも、それだけに満足せず、搾取制度の廃止による国民の経済的、社会的解放にまで前進することによって、真の人間解放に到達する道を、あきらかにしたところにあった」(『宣言』二一ページ)。
 こうして、人間は、自然、社会、人間自身の主人公となり、「必然の国から自由の国へ」飛躍をとげるのです。
 いまわたしたちは、ニー世紀の入り口にたっていますが、二一世紀が、資本主義の是非が問われる世紀になるだろうとの実感は、世界に広がりつつあります。不破氏は、そのあらわれとして、次の四つを指摘しています(『二つの世紀と日本共産党』『ふたたび「科学の目」を語る』新日本出版社)。
 第一に、資本主義の根本矛盾のあらわれとしての恐慌、不況の問題です。
 資本主義は、それまでは自力で恐慌から脱出することができたのに、一九三〇年代以降国家の介入なくして脱出しえなくなり、さらに一九七〇年代にケインズ理論が崩壊してからは、もはや、解決の手段をもちえなくなっています。
 第二に、南北問題です。南北間の貧富の格差は世界の最大の問題の一つですが、これも北の資本主義国家が南の植民地、従属国を、搾取、収奪した結果生じたものです。
 資本主義諸国は、植民地、従属国におけるそれまでの自給自足の経済を根こそぎ破壊しながら、それに代わる発展途上国の経済再建の道を何ら示すことができないのです。
 第三に、地球環境破壊です。オゾン層の破壊、地球温暖化は、地球と生命体とが三〇数億年かけて生みだした 「生命維持装置」を、わずか一〇〇年足らずで破壊しようとするものです。資本主義の「あとは野となれ山となれ」方式の生産のゆきづまりは、地球規模で告発されているのです。
 第四に、、アメリカ一国主義の横暴の問題です。いま世界政治の焦点はイラク問題におかれています。アメリカは世界の世論にさからい、国連のルールも無視しフセイン政権の転覆を目的としたイラクへの先制軍事攻撃を開始しました。国連のルールと民族自決権を侵害するアメリカ一国主義の横暴は、帝国主義、ひいては資本主義そのものへの批判を全世界に呼び起こしています。
 人間が、資本主義の必然性に盲目的に支配されることから解放され、自然や社会の主人公となって、恐慌、南北問題、地球環境破壊問題を解決し、国際紛争の平和的解決をはかることは、ニー世紀に生きる人類、わたしたちの課題となっているのです。

 

二、社会主義的計画経済と市場経済の統一

社会主義的な計画経済

 以上を基本としながら、社会主義、共産主義の社会における自由と民主主義に関連するいくつかの理論問題を検討してみたいと思います。
  一つは、社会主義的な計画経済の問題です。
 経済は社会の土台となるものです。その経済が国家の手によって計画的、組織的に支配、管理されることになれば、それによって国民を統制し、国民との間に支配、従属の関係が生ずるのではないかという問題が生じます。
 しかし、そもそも計画経済の目的は、「国民生活と日本経済のゆたかな繁栄を保障するために生産力をむだなく効果的に活用する」(綱領)ところにあり、けっして国民の消費生活を統制化したり画一化したりする統制経済を意味するものではありません。
 さらに、日本における社会主義は、市場経済の支配する資本主義から社会主義への移行を実現するものですから、「市場経済をつうじて社会主義へ」の道をたどらざるをえません。大企業の手にある主要な生産手段を社会の手に移すことによって、市場経済の中に社会主義的経済部分、あるいはそれに接近する経済部分が生まれ、それが市場経済のなかでその合理性や優位性を点検されながら、その比重を高めていく、という過程を辿ることになります(不破『日本共産党綱領を読む』一九六ページ)。
 その意味では、社会主義的な計画経済も、「計画経済と市場経済の結合など弾力的で効率的な経済運営」(綱領)となるのです。しかし、その反面、市場経済を残しておいて、果たして社会主義といえるのかという問題があります。市場経済をそのままに放置すれば、資本主義に向ってすすむことにもなりかねませんが、レーニンは、「社会主義の勢力が、経済の中枢の部門(注重工業、銀行など)をにぎっていれば、市場経済面のいろいろな否定面をのりこえて、社会主義にむかって前進できる」という見通しを示していました(不破『科学的社会主義を学ぶ』九一~二ページ)。
 不破氏は、二〇〇二年九月、中国で「レーニンと市場経済」というテーマの学術講演をおこない、これらの論点にふれ、大きな反響をよびました。中国、ベトナムでの「社会主義市場経済」も、社会主義と市場経済を結びつけようとする試みとして注目されるところです。
 では、なぜ社会主義経済において、資本主義への復活の危機がある市場経済をあえてとりいれる必要があるのでしょうか。日本のように「市場経済をつうじて社会主義へ」の道をたどる場合、将来社会主義から共産主義へと発展していけば、市場経済は消滅することになるのでしょうか。それともいつまでも存続しつづけるのでしょうか。
 かつて、ソ連では、一九三〇年代に極度に中央集権化された指令主義的計画経済が採用されたことがありました。指令主義的計画経済では、「何をどれだけ」という、もっぱら数量による目標を定めることになります。
 その結果、例えば次のような状況が生じてきました。ある冶金工場で、水力発電所用に、新しい、より改善された発電機をつくったところ、従来のものより三百トン軽く、六千キロワット強力となりました。しかし、工場の総生産高目標は、トンで定められていたために、新しく軽いその発電機は、より多い労働力が使用されたにもかかわらず、以前の性能の悪い機械よりも安くなって、工場は損をした、というのです(聴濤弘『二一世紀と社会主義』新日本出版社二一一ページ)。
 結局、量を追求することは、質を犠牲にすることにしかならなかったのです。この欠陥をなくすために、「総生産高」という量的な指標だけではなく、質を考慮した指標、原価をさげるための指標等々、さまざまの指標がつけ加わり、最後には、数えきれないほどの指標になってしまい、企業はがんじからめになって身動きがとれなくなってしまった、というのです(同ニー五ページ)。
 一国の経済を上から下まで計画経済で貫きとおすことがどんなに困難であるか、逆にいえば、市場経済に委ねざるをえない部分が存在することを示すものといわねばなりません。中国やベトナムが、このような中央集権的計画経済から、「社会主義市場経済」へ移行したのも、同様の負の経験があったからでしょう。
 この経験は、市場経済には簡単には他に代替性を見出しえない、独特の効用があることを示しています。その効用について不破氏は、単純労働と複雑労働の比率の決定、平均利潤率の成立、需要と供給の調節をはかる機能、競争戦のなかで生産性の向上の推進力となる機能などをあげています(不破『科学的社会主義を学ぶ』八八~九ページ)。
 こうした点からすると、綱領で、「計画経済と市場経済の結合」を掲げていることは、資本主義から社会主義への移行期だけの一時的なものではないのではないかと思われます。
 また、計画経済による支配、従属の問題については、国家の計画経済も、すべて国家に一任されているのではなくて、市場原理を反映した統一戦線の形成する主権意志にもとづいて作成され、実践をつうじて市場で検証される循環型交流により、主権意志は不断に弱点を克服し、発展していくものであることをみておかなくてはなりません。何をどれだけどれだけつくればよいかという生産計画〈社会的労働の配分比率)も、市場原理をつうじて学びとられていくことになるのです。その意味では、計画経済が主権者たる国民の意に反して、国民に従属を強制するものとはなりえないのです。

「生産手段の社会化」と官僚支配

 もう一つは、社会主義・共産主義の社会になって生産手段が社会化されると、官僚支配が横行するのではないかという問題です。じっさいにソ連の場合は、基幹産業が国有化され、国有企業の管理者たる官僚が強大な権限を握りました。しかし、「生産手段の社会化」とは本来、搾取を廃止すると同時に、直接生産に携わる労働者が、賃金奴隷の状態から解放されて、職場の主人公として生産を管理することを目的としているのです。マルクスは、「社会化された人間、結合された生産者たちが、……この自然との物質代謝を合理的に規制し、自分たちの共同の管理のもとにおくこと」(『資本論』⑬一四三五ページ/〔Ⅲ〕八ニ八ページ)と述べています。
 したがって、労働者が職場の主人公となるための「生産手段の社会化」には、多様な形態が考えられるのであって、けっして「国有化」に限られるものではありません。ましてや「国有化」の形態をとる場合であっても、官僚が支配し、労働者がそれに従属する形態は、「生産手段の社会化」とは無縁のものといっていいでしょう。
 一九八〇年にポーランドにはじまった自主管理労組[連帯]の運動は、ポーランド民主化の原動力となりました。官僚支配をうちやぶり労働組合が自主的に生産を管理し、職場の主人公となることをめざしていました。この「連帯」の運動は、社会主義の原点へたちかえることを求めるものだったといえるのではないでしょうか。
 不破氏は、『資本論』のなかで、マルクスが生産手段を社会が握ることをくり返し強調しながらも、「国家が生産手段を握る」とは匸冐もいっていないことを指摘しつつ、「生産手段の社会化」の眼目は『結合された生産者たち』が自分の手に生産手段を握り、本当の意味で生産の主役となる」ことにあることを明らかにしています。(不破『ふたたび「科学の目」を語る』新日本出版社七五ページ)。
 そのうえで、「社会主義市場経済」をめざしている中国において、科学院、北京大学などが設立した新しい型の公有企業では、「ソ連型の国有企業とは違って、外から配置された官僚集団ではなく、現場に直結した若い力が経営を動かしているように見える」(同七九ページ)として、ここに「生産手段の社会化」の新しい形態の一つを見出しています。

 

三、民主的計画経済にとって大切な二つの存在

労働組合の役割

 労働者が職場の主人公となり、「国民が主人公」の計画経済を実現するうえで、二つの存在、つまり労働組合と地方自治体の役割が重要となってきます。
 国民は、統一戦線をつうじて形成される一般意志(主権意志)をつうじて、国家を統治すると同時に統治されるという、「治者と被治者の同一性」を実現します。この統一戦線の中枢を担うのが、労働組合の中央組織(ナショナル・センター)です。ナショナル・センターを構成するのは、産業別組織と、都道府県別組織です。
 労働組合は、職場における労働者の、健康で文化的な、人間らしい生活をいとなめる労働条件を確保することを第一の目的としつつ、「企業管理、運営への参加で積極的役割を果た」します(『宣言』三三ページ)。「国民が主人公」の社会とは、職場では「労働者が主人公」でなければなりません。労働組合は、自主管理労組として職場における治者と被治者の同一性、「労働者が主人公」の職場を実現します。
 労働組合は、それぞれの職場の生産に関する個別的要求をつかみ出し、それを産別組合、都道府県別組合をつうじて特殊的要求に高め、ナショナル・センターに反映します。ナショナル・センターは、こうして積みあげられた、地域別、産業別の特殊的要求を普遍的要求に高めることによって、経済に関する主権意志にまとめあげ、国家の経済政策に反映させます。
 他方でナショナル・センターは、主権意志にもとづき国家が制定した経済計画を、産別組合、都道府県別組合をつうじて具体化し、その実現をはかります。産別組合、都道府県別組合は、経済計画を市場経済原理のなかで実践することをつうじて検証し、市場原理の示すところに従って、計画の手直し、変更、発展を求めていくことになります。それはもう一度、ナショナル・センターに還元されて、主権意志としての経済政策をねりあげていくことになります。計画経済と市場経済の結合も「労働者が主人公」の職場をつうじて実現され、経済全体が人民の支配と統制に服することになります。
 しかし労働組合の役割は、たんに労働者階級の経済的要求を主権意志に高めるだけではありません。労働組合は、国民諸階級、諸階層の国政への様々な政治的、社会的要求をとりまとめ、これを統一戦線をつうじて同様に主権意志に高めるうえでも、中心的な役割をになうことになります。
 重要なことは労働組合が、労働者をはじめとする国民諸階級の、下からの要求を主権意志にまとめ、その実現の先頭にたつという本来の機能を失い、たんに国家の政策、方針を上から具体化する組織に転化してしまうと、「国民が主人公」の社会主義国家は空文に帰してしまいます。国家から独立した自主的労働組合は、労働者が主人公の職場を実現するうえで最も重要な課題となっています。

地方自治体の役割

 もう一つ、「国民が主人公」を実現するうえで重要なのは、地方自治体の役割です。地方自治体は、「住民が主人公」を実現する民主主義の学校であり、住民は地方行政に参加することをつうじて主権者意識を育てあげ、社会共同性を身につけていくのです。
 地方自治体の規模は、直接民主主義を実現しうる規模でなければなりません。そのなかで様々な討論の場という直接民主主義をつうじて住民の主権意志が形成されていきます。ルソーが想定していた代表者によらない直接民主主義は地方自治体のもとで実現されることになります。
 普通選挙制にもとづく民主共和制は、間接民主主義といわれています。人民の意志は、人民を代表する国会議員をつうじて間接的に行使されるからです。しかし間接民主主義は、直接民主主義を基盤とし、その基盤のうえにたつてこそ、十分に民主的機能を発揮しうるのです。
 地方自治体は、直接民主主義をつうじて、住民の、住民による、住民のための地方政治を実現します。しかし直接民主主義から生まれた地方自治体における住民の主権意志は、あくまで、その地方に限定された特殊地方的主権意志にすぎません。この特殊地方的主権意志のなかから、普遍的な国政の主権意志がつくりだされ、また国政の主権意志は、地方自治体においてチェックされることになります。
 自治体の労働者を中心とする地方の統一戦線は、「住民が主人公」の地方自治体をつくりあげるうえでも大きな役割を果すことになるでしょう。

循環型主権意志

 こうして、「労働者が主人公の職場」、「住民が主人公の地方自治体」は、不断の循環型交流をつうじて、統一戦線と協力、共同しつつ、あるいは、その一翼をになって国家の主権意志を形成し、また主権意志を実行していくことをつうじて主権意志を検証し、チェックしていくことになるのです。
 統一戦線は、統一戦線に参加あるいは協力、共同している政党、労働組合、民主団体などの特殊的意志を普遍化して、それを単一の主権意志とし、それを国家機構に反映させると同時に、国家機構により形成された主権意志としての法を実行していくことになります。
 統一戦線の役割は、一般意思を媒介にして、治者と被治者の同一性を実現することにありますから、人民から統一戦線をつうじて国家に、国家から統一戦線をつうじて人民にという、主権意志の不断の循環が求められることになります。これを「循環型主権意志」と呼びたいと思います。人民が主人公となる人民主権の政治にとって、国家・社会と人民との間に、支配、従属の関係ではなく、対等、平等の関係を築いていくうえで、この循環型主権意志の形成は決定的な意義をもっています。主権意志を形成し、それを実践することをつうじて主権意志を検証していくという、循環型交流の役割を統一戦線が十分に果さないと、治者と被治者の同一性を実現することはできません。統一戦線がこの役割を果すうえで自主的労働組合と民主的地方自治体がそのカギを握っているのです。

 

四、「三つの構成部分」と自由・民主主義論

「三つの構成部分」

 次に、自由と民主主義論は、科学的社会主義の理論においてどのような位置づけをもつのか、という問題があります。
 マルクス、エンゲルスという科学的社会主義の創始者たちは、その生涯を通じてぼう大な著作を残しました。大月書店の「マルクス、エンゲルス全集」だけでも、補完、別巻まで含めると全五二巻という大著であり、現在もその作業が続いている、メモやノート類まで含めた完全な全集(新「メガ」)となると、一一四巻、一二三冊になると予定されています。
 こういうぼう大な著作の全体を押さえたうえで、マルクス主義(科学的社会主義)全体をどのように性格づけ、どのように体系化してとらえるのかは、容易な作業ではありません。その困難な作業に取組んだのがレーニンであり、当時の限られたマルクス、エンゲルスの文献をつうじてまとめられた「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」 〈レーニン全集⑩三ページ~)は、そうした労作の一つです。
 レーニンは、このなかで、「マルクスの学説は、正しいので全能である」として、マルクス主義を「全一的世界観」と規定しています。世界観というものは、もともと自然や社会、人間あるいは人間の生き方を含め、世界全体を統一的にとらえる見方を意味するものですが、その世界観にわざわざ「全一的」という形容詞を重ねたところに、マルクス主義を「全能」ととらえるレーニンの思いがよく表現されています。
 そのうえで、レーニンはマルクス主義を、田弁証法的唯物論と史的唯物論の哲学、図剰余価値学説を礎石とする経済理論、閣階級闘争の学説という三つの構成部分からなっているととらえ、その後これが科学的社会主義の理論構成として定式化されました。
 しかし、「全能である」マルクス主義にとって、自由と民主主義の問題がどう位置づけられているのか、といえば、この三つの構成部分のどこにも直接的には含まれていないのです。

自由と民主主義は、科学的社会主義の本質的構成要素

 では、マルクス、エンゲルスはその著作のあれこれのなかで、自由と民主主義論について論及しているものの、その学説のなかで特記すべきほど重要な位置づけをもっていないのかといえば、むろんそうではありません。
 マルクス、エンゲルスは、一八四〇年代に科学的社会主義者として活動をはじめたときから、「国民の自由と民主主義にたいする、封建的あるいはブルジョワ的ないっさいの制限に反対し、人民主権の国家、すべての国民への普通選挙権、出版・結社・集会の自由などを、もっとも徹底した形で実現することを、民主主義の根本問題として主張しつづけた」(『宣言』二三ページ)からです。マルクス、エンゲルスはそもそも民主主義者として出発したのです。
 またマルクス、エンゲルスは、未来社会を「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの共同社会」(『共産党宣言』全集④四九六ページ/古典選書版八六ページ)、「必然の国から自由の国への人類の飛躍」 (『反デューリング論』全集⑳二九ニページ/古典選書版㊦一六一ページ)、「生産者の自由で平等な協同団体を基礎にして生産を組織しかえる社会」(『国家の起源』全集㉑一七二ページ/古典選書版二三三ページ)、「各個人の完全で自由な発展を基本原理とするより高度な社会形態」(『資本論』④一〇一六ページ/〔Ⅰ〕六一八ページ)などととらえていました。彼らにとって自由と民主主義は、社会主義、共産主義の重要なメルクマールだったのです。
 いわば、マルクス、エンゲルスは、その入り口においても出口においても、自由と民主主義を主張し続けたのであり、マルクス主義の学説にとって、けっしてないがしろにできない理論分野なのです。
 では、マルクス主義の三つの構成部分に「マルクス主義の政治学」という四番目の要素を加えて、四つの構成部分とすべきかどうかという点については、今後の研究を待つべき問題でしょう。
 いずれにしても、自由と民主主義論は、さしあたり三つの構成部分のうち、⑴哲学上の人間論、国家論、⑵経済学上の疎外論とその止揚、⑶階級闘争の理論における階級闘争の目的論、としてそれぞれ位置づけられ、三つの構成部分の全体にまたがる科学的社会主義の本質的構成要素だということができると思います。

 

五、科学的社会主義は、ヒューマニズムの理論

 これまで、社会主義、共産主義の社会は、二重の疎外から解放された自由と民主主義の全面開花した社会であることを、さまざまな角度からお話ししてきましたが、いよいよそのまとめをする段階となりました。
 社会主義、共産主義の社会が、どのような意味で、自由、民主主義の全面開花とよぶことができるのかを整理してみましよう。
 「科学的社会主義の展望する共産主義社会自体が、人間の自由の全面的な実現を本来の特徴とする共同社会だということである。共産主義社会は、原始共産制の崩壊以来人類社会を特徴づけてきた社会の階級分裂に終止符をうち、生産力のすばらしい発展と社会生活の新しい内容がうちたてられる社会である。
 それは、⑴階級的な対立と抑圧の社会にかわって、『各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件となる』真に平等で自由な人間関係の社会が生まれるという意味でも、⑵組織的かつ系統的な暴力、一般に人間に対するあらゆる暴力が廃絶され、戦争も消滅し、原則としていっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会という意味でも、⑶最後に、人間が、いままで人間を支配してきた、自然的、社会的な生活諸条件を、その支配と統制のもとにおき、自然と社会の意識的な主人公になるという意味でも、人間的自由が、階級社会では考えられなかった全面性と高度な形態とをもって実現される」(『宣言』二五ページ)。
 ここでは、「人間の自由の全面的な実現」が三つの観点からとらえられています。しかし、その内容は、狭い意味での「人間の自由」にとどまっていませんからこれをもって「人間の自由と民主主義の全面的な実現」ということもできるでしょう。というのも「真に平等で自由な人間関係の社会」とは、民主主義の社会そのものに他なりませんし、また「暴力と戦争のない社会」というのも、国家間、民族間の紛争の民主主義的解決の社会です。さらに「いっさいの強制のない、国家権力そのものが不必要になる社会」というのも、国家と国民の間の支配、従属関係の否定による治者と被治者の同一性の実現という、民主主義の問題としてとらえることができるからです。
 人間は、自由と民主主義の全面的に開花した共産主義社会において、人間の類本質をとり戻し、自由な意志と共同社会性を回復し、いっそう発展させて、友愛と協力・共同のもとに、人間が主人公、人間解放の社会を実現することになるのです。もともと共産主義(コミュニズム)とはコミュニティ(共同社会)に由来する用語であり、共同社会という人間の類本質を回復した社会を意味しているのです。
 「人間的自己疎外としての私的所有のポジティヴな廃棄、したがってまた人間による、また人間のための人間的本質の現実的獲得としての共産主義。したがって、社会的すなわち人間的な人間としての人間の、意識的に、かつ従来の発展のまったき豊かさの内部でなされた、自身にたいする完全な還帰としての共産主義」(「経済学・哲学手稿」全集㊵四五七ページ/岩波文庫一三〇~一ページ)と、マルクスはのべています。共産主義とは、人間が、「人間的本質を現実に獲得」し、「人間的な人間」に還帰する学説と運動なのです。階級社会による階級対立、とりわけ資本主義の競争原理は、社会的存在であった人間を解体して、原子論的な人間、自分さえ良ければよいという利己的な人間を生みだし、社会や国家の一員として社会や国家をより良いものに発展させるのに無関心な人間を、大量につくり出してきました。それはとりもなおさず、人間がその人間性を喪失していく過程でした。
 かつてルソーは、人間が不平等な、支配・服従の制度化された社会からぬけ出すためには、社会契約を結んで人民主権の社会を実現しなければならないと訴えました。しかし、フランス革命によって生みだされた資本主義国家は、国民主権原理を掲げてはいたものの、ルソーの主張した社会契約国家とは、全く似て非なるものにすぎませんでした。
 「そして理性国家、ルソーの社会契約は、ブルジョア的民主共和国としてこの世に生まれでたし、またそのようなものとして生まれでるよりほかはなかった」のです(『空想から科学へ』全集⑲一八七ページ/古典選書版二五~六ページ)。
 では、ルソーの社会契約国家、人民主権の理性国家とは、いったいどんな国家だったのでしょうか。
 「自然状態から社会状態への、この推移は、人間のうちにきわめて注目すべき変化をもたらす。
 人間の行為において、本能を正義によっておきかえ、これまで欠けていたところの道徳性を、その行動にあたえるのである。その時になってはじめて、義務の声が肉体の衝動と交代し、権利が欲望と交代して、人間は、その時までは自分のことだけ考えていたものだが、それまでと違った原理によって動き、自分の好みにきく前に理性に相談しなければならなくなっていることに、気がつく。この状態において、彼は、自然から受けていた多くの利益をうしなうけれど、その代わりにきわめて大きな利益を受けとるのであり、彼の能力はきたえられて発達し、彼の思想は広くなり、彼の感情は気高くなり、彼の魂の全体が高められる」(前掲『社会契約論』三六ページ)。
 ルソーのいう社会状態と理性国家は、ブルジョア民主主義革命によっては実現されませんでしたが、社会主義、共産主義革命によってようやく実現されることになるでしょう。ルソーのいう「社会契約」による人間の「真にあるべき姿」こそ、社会主義、共産主義社会のもとの人間にほかなりません。
 共産主義は「己が所有物としての現実的人間的生活の取り戻してあり、実践的ヒューマニズムの生成」であり、「私的所有の廃止を、自らの媒介としてもつヒューマニズム」(「経済学・哲学手稿」全集㊵五〇六ページ/岩波文庫二一六ページ)なのです。ヒューマニズムとは、人間の価値を最高のものと考え、人間性こそ最高に尊重すべきとする思想を意味しています。科学的社会主義の事業と学説は、人間が、人間の類本質、本来の人間性をとり戻し、人間自身と外的自然の主人公となる、ヒューマニズムの理論と運動なのです。
 十九世紀から二〇世紀前半にかけて、社会主義、共産主義は、燦然と輝く、全世界人民の希望の星でした。それが、ソ連や東欧の誤った姿によって、自由と民主主義そして人間性の対極に位置するかのような偽りの衣を被せられています。
 ニー世紀を迎えた今日、あらためてその偽りの衣をぬぎ去って、科学的社会主義の学説は、その扉に大文字でこう記されねばなりません。

 「科学的社会主義とは、人間が主人公、人間解放をめざすヒューマニズムの理論である」。