2003/06/17 講義
第5講 人民主権論
1.ルソーのいう主権とは何か
① 主権とは、国家意志
● 国家意志とは、国家が国民を統治する意志としての統治意志
● 主権は、国家意志であるから、「譲り渡すことはできない」(44ページ)し、
単一な国家意志であるから「分割できない」(44ページ)
・「権力は譲り渡すこともできよう。しかし意志はできない」(42ページ)
・立法権、執行権、司法権などは、「主権からでてくるにすぎない」(45ペ
ージ)のであって、主権を分割したものではない(統治権と主権の区別)
② 主権者とは、主権を形成し、保持し、行使する個人または階級
・君主主権――君主が個人として主権者である国家。「朕は国家なり」(ル
イ14世)
・人民主権――被抑圧人民が人民全体として主権者である国家
・人民主権の特徴は、人民が主権者として統治の主体であると同時に、統治
の客体でもあるということ(治者と被治者の同一性の実現)
● ある階級が、階級として主権者となる場合、その階級を頭につけて、貴族主
権、ブルジョワ主権、プロレタリア主権とすることも、論理的には可能
・「財界主権」という政治用語は存在する
2.ルソーの人民主権論
① 人民の形成する主権は、つねに一般意志となるのではない。
● 一般意志とは、「人民の真にあるべき意志」(第4講 参照)
・真にあるべき意志として、「つねに正しく、つねに公けの利益をめざす」
(46ページ)「至高の意志」(45ページ)
● 人民の国家意志は、「人民全体の意志」(44ページ)から形成される
・「主権者とは、集合的存在にほかならないから、それはこの集合的存在その
ものによってしか代表されえない」(42ページ)
● しかし、全体意志は、一般意志となることもあれば、特殊意志となることもあ
る(多数決は必ずしも真ならず)
・「実際、ある特殊意志が何らかの点で一般意志と一致することは不可能では
ないとしても、少なくとも、この一致がいつまでも変わらずに続くというこ
とは不可能だ」(43ページ)
・「人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない」
(46ページ)
・「人民は腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがあ
る」(47 ページ)
・「全体意志と一般意志の間には、時にはかなり相違があるものである」(同)
● しかしルソーは、一般意志を全体意志であるかのように表現することもあり、
曖昧さを残している
・「これらの特殊意志から相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として一
般意志がのこる」(同)
・「投票の数を計算すれば、一般意志が表明される」(150ページ)
・ヘーゲルは、ルソーのこの曖昧さを批判
② 人民の一般意志が主権となる場合のみ、
人民主権国家、社会契約国家となる
● 社会契約から、「第1に生まれてくる、そして最も大切な結果は、国家をつく
った目的、つまり公共の幸福にしたがって、国家のもろもろの力を指導できる
のは、一般意志だけだ、ということ」(42ページ)
● 人民主権とは、「一般意志によって指導される」国家の「普遍的な強制的な
力」(49ページ)
・主権は、「意志」であると同時に「力」(統治する権力)
・「主権とは一般意志の行使にほかならぬ」(42 ページ)
③ いったん形成された一般意志も、特殊意志に変化しうる
●「社会の結び目がゆるみ国家が弱くなりはじめ」、「個人的な利害が頭をもた
げ」てくると、「一般意志はもはや全体の意志ではなくな」り、特殊意志が全
体意志、国家意志となる(145ページ)
● そうなると「一般意志はだまってしまう、すべての人人は、人にはいえない動
機にみちびかれ、もはや市民として意見を述べなくなり、国家はまるで存在し
なかったかのようである」(同)
● しかし、「一般意志は破壊できない」(144ページ)。国家意志になりえない
というのみ
④ 人民は、常に一般意志を形成しうるよう、成熟しなければならない
●「人間におけると同じように国民においても、青年、それとも成熟の時期があ
り、国民を法に従わせるには、この時期を待たねばならない」(69ページ)
・ルソーのいう「法」とは「一般意志」に「運動と意志とを与える」(57ペ
ージ)もの
・「1つの人民が成熟したのを見わけることはいつも容易とは限らない」(69
ページ)
● ルソーは、人間の本質の1つを自由な意識にもとづく「自己完成能力」(不平
等起源論57 ページ)ととらえている
・人民も自己完成能力にもとづいて、自らを主権者たる人民に成長させること
により、一般意志の形成者となることができる
・マルクスのいう「個の発展」に相当するもの
● 15 大会決定(『前衛 No.450』106 ページ)
・「すべての人が生まれながらにして平等であり、独立、自主の人格であっ
て、人間の尊厳さは不可侵であることの自覚を始めとする人権感覚、国民大
衆こそが国の主人公であり、国家権力も国民全体への奉仕をこそ責務とすべ
きだとする主権者意識、それらを裏づける知識と能力、経験」などは、階級
闘争の前進によって「歴史的に形成されてきた」。
● しかし、ルソーには「契約論」では、必ずしも明確に「個の発展」を明らかに
していない。それが人民主権は暴走を生みだすというヘーゲルの批判を生みだ
すことに。
・「ルソーは、……意志を、国家の原理として立てたという功績がある。だが
彼は、意志をただ個別的意志という特定の形式において捉えただけであり、
そして普遍的意志を意志の即時かつ対自的に理性的なものとしてではなく、
ただ意識された意志としてのこの個別的意志からでてくる共同的なものとし
て捉えたにすぎない。それだから国家における個々人の合一は契約となり、
したがって個々人の恣意や意見や任意の明白な同意を基礎とするところのも
のとなる…それゆえこれらの抽象的な諸観念が暴力になったとき、まことに
それらは一面ではわれわれが人類史について知って以来はじめての途方もな
い光景をひきおこしたのであった」(『世界の名著35 ヘーゲル』収録『法
の哲学』418ページ)
・人民は「定形のない塊りであって、その動きとふるまいは、まさにそれゆえ
に、自然力のように暴力的で、無茶苦茶で荒々しく、恐るべきもの」(同
562 ページ)
・ヘーゲルの批判は一面正しく、一面正しくない。ルソーは一般意志という
「意志の即自かつ対自的に理性的なもの」による統治を主張した。人民がい
つも一般意志を形成しうるわけではなく、ジャコバン独裁の恐怖政治が「人
民主権」のなから生まれたのはそのとおり(ナチス政権も選挙から)。
・しかも、ルソーは、一般意志と全体意志を区別しただけではなく、同時に人
民主権の暴走を防ぐために、どうすれば一般意志を形成しうるかについても
立法者という重要な問題提起をしている
3.ルソーのいう立法者
① 人民は一般意志にもとづき法を制定する(立法)
●「法は、本来、社会的結合の諸条件以外の何ものでもない。法に従う人民がそ
の作り手でなければならない」(60ページ)
・治者と被治者の同一の実現
●「人民は、ほっておいても、つねに幸福を欲する。しかし、ほっておいても、
人民は、つねに幸福がわかるとはかぎらない。一般意志は、つねに正しいが、
それを導く判断は、つねに啓蒙されているわけではない」(同)
●「個人は幸福はわかるが、これをしりぞける。公衆は、幸福を欲するが、これ
をみとめえない。双方ともひとしく導き手が必要なのである」(61ページ)
●「公衆を啓蒙した結果、社会体の中での悟性と意志との一致が生まれ、それか
ら諸部分の正確な協力、さらに、全体の最大の力という結果が生まれる。この
点からこそ立法者の必要がでてくる」(同)
② 一般意志への導き手としての立法者
● 立法者は「時代の進歩の彼方に光栄を用意しながらも、1つの世紀において働
き、後の世紀において楽しむことができる、そういう知性でなければなるま
い。」(61 ページ)
● 立法者は、偉大な君主よりも、もっと「まれにしかいない人間」(62ページ)
● 立法者は、「その天才によって異常でなければならないが、その職務によって
もやはりそうなのである。…それは人間の国とは何ら共通性のない、特別で優
越した仕事」(63ページ)
●「立法という仕事のなかには両立しがたいように見える2つのものか、同時に
見出される。人間の力をこえた企てとこれを遂行するための無にひとしい権力
とが、それである」(65ページ)
● 立法者は「力も理屈も用いることができない」のだから、「その権威は、暴力
をもちいることなしに導き、理屈をぬきにして納得させうるようなものであ
る」(65 ページ)
③ 立法者とは科学的社会主義の政党
● 人民を一般意志に導く、導き手が立法者
・立法者の条件は、「すぐれた知性」(61ページ)にもとづく、理論の力と、
権威により、一般意志という「意志の概念」(ヘーゲル)意志の真理を探究
し、人民を「理屈ぬきにして納得させる」(65ページ)ことである
・ルソーのいう立法者なくして、人民は一般意志に到達し、不断にそれを堅持
することはできない
・一般意志は、人民の未来の真理として「つねに正しい」ものであるから、真
理への導き手が必要
● 立法者とは、科学的社会主義の政党
・ルソーは、立法を「人間の力をこえた企て」としてとらえたところから、神
の仕事と考えた――立法可能な国はコルシカ島のみ(79ページ)
・マルクス・エンゲルスは、一般意志への人民の導き手を理論的先見性と不屈
性をかねそなえた科学的社会主義の政党にもとめた
・共産主義者は、「実践的には、すべての国の労働者政党のうちで、最も断固
たるたえず推進していく部分である。理論的には、プロレタリア運動の諸条
件、その進路、その一般的結果を洞察している点で、残りのプロレタリアー
トの大衆に先んじている」(全集④ 488ページ)
④ ルソーの人民主権論から、プロレタリアートの執権へ
● ルソーの人民主権論は、人民による一般意志の形成を偶然的なものととらえた
めに、人民主権国家は単なる理想国家にとどまるものとなった。
・ヘーゲルが法の哲学で、「理性的であるものは現実的」とのべたのは、ルソ
ーへの批判と理解すべき
● マルクス、エンゲルスは、科学的社会主義の政党を導き手とする「プロレタリ
アート執権」によって、人民主権国家を、現実となる必然性をもつ国家として
とらえた
・「プロレタリアート執権」とは、「科学的社会主義の政党に導かれつつ、労
働者階級が先頭に立って未来の真理たる人民の一般意志を現実する権力」
・したがって、プロレタリアートは、人民の一般意志を実現するもっとも民主
主義的権力であって、一党支配とは無縁
・レーニンの「執権」論(直接強力に依存する権力)の誤りを指摘し、プロレ
タリアート執権を積極的に「労働者階級の権力」ととらえるだけではなく
て、それをもっとも民主主義的権力と積極的に解することが今日的課題と
なっている
・しかし、マルクスは「人民主権のもとでのプロレタリアート執権」を明確に
せず、「プロレタリアート執権」概念が一人歩きしたという問題があった。
――人民の導き手が人民から切り放されて独走した。
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