2003/07/15 講義
第7講 科学的社会主義の源泉
1.科学的社会主義に引き継がれたルソーの思想
① ルソーの人間論と疎外論
●「不平等論」は、ルソーの人間論(人間とは何か、人間の本質は何か)をとら
えたもの(『不平等論』52、114、81、82ページ)
・自然状態における人間の探究をつうじて人間の本質が自由と平等にあるとし
て、個人の尊厳を主張した
● 階級社会を、人間疎外、個人の尊厳の喪失としてとらえる
・社会人(階級社会の人間)は、「権力と名声」のために「現世を放棄」し、
「自分の奴隷状態を誇」る(同129ページ)
・「未開人は、自分自身のなかで生きている。社会に生きる人は、つねに自分
の外にあり、他人の意見のなかでしか生きられない」(同129ページ)「欺
瞞的で、軽薄な外面、つまり徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽」、
「そういうことがけっして人間の根元的な状態ではないこと」(同130ペ
ージ)
・「人間の疎外状況なるものが、いかにして形成されたかを最初に究明した人
間」(『ルソー』岩波新書)
● 疎外からの解放
・「一切のわれわれの自然の傾向を変化させ、悪化させるものが……社会が生
みだす不平等」(同130ページ)
・「人為的不平等は、……自然法に反する」(同131 ページ)
● 結局ルソーの「不平等論」は、人間解放のヒューマニズムの理論となってお
り、科学的社会主義の理論と重なり合う
・ルソーが生涯を通じて追求した目的は、「人間を内的にも外的にも解放する
こと、一切の圧政や貧困から、一切の不正や虚偽から、人間を自由にするこ
とにあった」(『ルソー研究』206ページ)
② ルソーの自由・平等論
● ルソーは、人間の本質を自由・平等としてとらえることにより、自由と平等を
制限し、否定する社会を告発し、自由・平等実現の社会を唱えた
・とりわけその平等論は、政治的平等のみならず、経済的・社会的平等をも唱
えたものとして、社会主義者の扇動するスローガンとなっていった
(全集⑳ 107ページ)
・またその自由論は、必然との関わりにおける自由(積極的自由)
● ルソーの自由・平等論は、単に絶対君主制を批判する論理として、ブルジョワ
民主主義(フランス人権宣言・アメリカ独立宣言)に受けつがれただけでな
く、資本主義をも告発する論理となって生命力を発揮した
③ ルソーの社会発展論
● 直感的に、私有財産(とりわけ生産手段の私的所有)が階級対立、階級支配の
機関としての国家を生みだし、社会的、経済的不平等の根源だととらえた。史
的唯物論に接近(第3講参照)
●「とくにマルクス主義が普及するにつれて、マルクス以前にすでに財産問題の
重要性とその弊害をこれほど深刻にルソーが分析したことが驚嘆の念をもって
回想されてくる」(『ルソー』岩波新書 19ページ)
● 生産手段の社会化による真に平等な未来社会を展望したのも社会主義の運動に
引きつがれた
④ ルソーの人民主権論
● 人民主権論そのものは、被抑圧人民の解放の理論として受けとめられ、フラン
ス革命を媒介して科学的社会主義の思想にとりこまれていった
● 人民主権と結びついた一般意志論は、プロレタリアート執権論に発展すること
によって単なる理想から、現実となる必然性を持った理想となった
⑤ ルソーの未来社会論
● 生産手段の社会化にもとづく自由・民主主義の共同社会論は、社会主義、共産
主義の社会に近似するもの
● ルソーの「社会契約論を」(62ページ) 引用しつつ、マルクスは、「現実の
個別的名人間が、個人的人間のままでありながら類的存在となったときはじめ
て……人間的解放は完成されたことになる」として「社会契約」国家を人民解
放の完成ととらえている(全集① 407ページ)
⑥ ルソーの弁証法と変革の立場
●「人間不平等起源論」は「弁証法の傑作」(第20巻 19ページ)
● ルソーの平等論は、「はじめて世に現れたさい、自分が弁証法の系統を引いて
いるという印を、ほとんどこれ見よがしにおびていたのであった」。「おまけ
にヘーゲルの生まれるより約20 年も前に」(同144ページ)
●「ルソーのこの書物には、個々の点でもマルクスがもちいているのと同じ弁証
法的な論法が多数見いだされるのである、すなわちその本性において敵対的
で、矛盾を含んでいる過程、1つの極端のその反対物への転化、最後に全体の
核心としての否定の否定がそれである」(同146ページ)
● 革命の訴え
・「もしもすべてができるかぎり最善のものだとしたら、……最も完全な静寂
主義が人間に残された唯一の美徳」(212ページ)
・革命によって、国家は「その灰のなかからよみがえり、死の腕から出て、若
さの力を取り戻す」(『契約論』68ページ)
● ルソーの「社会契約論」は、フランス革命のみならずその後の革命の理論的武
器となった
⑦ 結論――科学的社会主義の理論にルソーほど影響を与えた人物は他にない
2.ルソーと社会主義、共産主義
① ルソーの哲学は「時代の精神」として、 フランス革命、バブーフの陰謀、
7月革命(1830年)をつうじてフランス社会主義、共産主義に発展
● 1793 年憲法(ジャコバン憲法)――人民の主権、権力を暴力的に奪取した政
府に対する人民の革命の権利を布告、無産者に仕事を保障し、働くことのでき
ない者の世話をすることを社会の義務に(全集⑳ 705ページ)
●「バブーフの陰謀によって一時敗北した革命的運動は、共産主義理念を生みだ
した」(第2巻 124ページ)
・1796 年5 月、93年憲法の復活、所有権の否定、万人の幸福を掲げて蜂起準備
・「所有の秩序のラディカルな攻撃を伴わない限り、自由と平等の法は有効に
して持続的な適応を受けることができない」
・人民主権の徹底
・全人民の政治参加――立法、行政、国防は「分配されない」
・全人民は、公民としての教育を受け、公民簿に登録され、終生そこで人民が
その主権を行使すべき会議(主権会議)に出席する権利と義務を持つ
●「この理念をバブーフの友人ブオナロッティが1830 年革命の後、ふたたびフラ
ンスに引き入れた」(同)
●「平等のためのバブーフの陰謀は93年の民主主義の最後の帰結……を明るみに
出したものであった。フランス革命は、はじめからおわりまで、社会的な運動
であった。そしてこの革命以後には、純政治的な民主主義はまったくナンセン
スになっているのである。民主主義、それは今日では共産主義である」
(同638ページ)
② ルソーの哲学は、93年憲法を媒介にイギリスのチャーチスト運動に引きつが
れ、その先進部分は科学的社会主義に合流
●「民主主義協会」――この「急進的な一派はチャーチストから」なる(同640
ページ)
●「チャーチストの大多数にとっては、当時はなお、国家権力を労働者階級の手
に移すことだけが問題だった」のに、民主主義協会の会員は、「93年の憲法
を自分の信条としてかかげ」「共和主義者であったばかりでなく、共産主義
者」(同)であった
3.ルソーこそ空想的社会主義者として、
科学的社会主義の源泉というべき
① 源泉とは何か
● 科学的社会主義の源泉といえるには、社会主義・共産主義のあれこれの姿を天
才的ひらめきで画き出すだけでは足りない
● 科学的社会主義の理論的体系の重要な構成部分となるまとまった理論を提起す
るもののみが「源泉」の名に値する
② ルソーと空想的社会主義者
● ルソーの思想は、文字通り源泉となっており、ルソーは私的所有を批判し、未
来社会として、生産手段の社会化による真の平等社会を展望しているという意
味では、啓蒙思想の枠をこえて、空想的社会主義者の1人といってもよい
● 逆に、サン・シモン、フーリエには、天才的ひらめきはあっても、理論的に
は、源泉となりうるようなものは存在しない
・サン・シモン――「すべては産業によって、すべては産業のために」という
産業主義思想。産業者階級を代表するのは銀行家
・フーリエ――情念引力にもとづいた新しい協同社会(ファランジュ)の実験
を試みる
● ルソーの思想は、フランス、イギリス、日本の社会主義運動に引きつがれて
いったのにたいし、サン・シモン、フーリエの思想は、1830年代には流行し
たものの、その後急速に影響力を失い歴史の審判にたえることはできなかった
● その意味ではルソーこそが、フランス社会主義を触媒して、科学的社会主義の
源泉となったというべきもの
4.ルソーとマルクスの統一を
① ルソーとマルクスはともに人間解放をめざした
● ルソーは、政治的解放を人間解放の道と考え、人民主権と自由・平等を解放へ
の道と位置づけた
・あらゆる事物は結局、政治によっ「て左右されること、また人がどうしよう
としても、国民はその政府の性質によって限定される以外のものではけっし
てありえない」(『告白』、『契約論』224ページ)
・ルソーは、自由・平等を実現するとの見地から、生産手段の私的所有にも目
を向けたが、それを強調しえなかった
・そのため、ルソーの思想に導かれたフランス革命は、人民主権にもとづく政
治的解放はもたらしたが、地上の「市民社会」をそのままに放置し、天上の
政治的国家と地上の市民生活との「二重の生活」を生みだしたにとどまった
(「ユダヤ人問題によせて」)
● マルクスは、自由・平等という啓蒙思想の諸原則を実現するには、ルソーの観
念論を否定し、唯物論的土台の上にすえなければならないと考えた
・そのためには、政治を規定する土台の研究を、と、経済学の研究にむかった
・そして真の自由と平等は、生産手段を社会化し、階級を廃絶した共同社会
(コミュニズム)において実現しうると考えた
・しかし、マルクスは『資本論』未完のまま死亡したため、その自由・平等論
は『資本論』のなかで、結論として示されたのみ
・また、ルソーの人民主権と一般意志とは、マルクスの階級闘争の理論とプロ
レタリアート執権論にひきつがれたが、個人の尊厳と人民が主人公の見地
は、事実上後退してしまった
● ルソーは、政治による人間解放を、マルクスは経済による人間解放を考えた
② ルソーとマルクスの統一による人間解放の理論を
● 史的唯物論は、経済的社会構成体という概念によって、社会を土台と上部構
造、及びその相互作用において有機的一体性を持ったものとしてとらえる
● マルクスは、経済学に広義の経済学と狭義(資本主義)の経済学があると考え
たが、同様に、史的唯物論には資本主義という狭義の経済的社会構成体がなけ
ればならない
● ところがマルクスは、本来、言論、出版の自由の擁護者として登場しながら、
土台としての資本主義経済学の研究に没頭したため、ふたたび資本主義の政治
学(自由・民主主義論)に立ち戻ることはなかった
・ことに晩年のマルクスには、人民主権、自由・民主主義論が不足しており、
唯一それを補うのは「反デューリング論」のみ
● したがって資本主義経済の土台の上に、資本主義政治を展開し、資本主義とい
う経済的社会構成体の全貌を明らかにすると同時に、社会主義の経済的社会構
成体を展望し、人民主権と自由・民主主義の全面的展開をすることが、現代に
生きるわれわれの課題として残されている(政治的解放と経済的解放の統一)
③ 科学的社会主義がルソーから学ぶべきもの
● マルクス・エンゲルスの科学的社会主義は、経済学を中心に組み立てられたた
め、フランス、イギリス社会主義がルソーから受けついだ人民主権論、自由・
平等論を十分に継承発展させることはできなかった
● また人間論、個の発展論(個人の尊厳)は、フランス、イギリス社会主義にも
十分受けつがれることはなかったため、科学的社会主義の理論としても十分に
発展しなかった
● マルクス・エンゲルスは、社会主義の起源をイギリス資本主義の実態、フラン
スの政治、ドイツの哲学の3つに求め(第1巻 523 ページ) 、起源の違いの
不一致を、組織の話し合いによって解決しようとした(『共産主義通信委員
会』㉗ 注34)
● しかし、マルクス・エンゲルスの呼びかけにもかかわらずルソーの流れをつい
だプルードン、カベーなど「フランス社会主義者」の協力は得られなかった
● マルクス・エンゲルスの「フランス社会主義」の研究は、結局資本論研究のた
め深められないままに終わった
● マルクスの経済中心の社会主義論は、政治と経済を統一した社会主義論を発展
させるべきもの
● 日本共産党の綱領改定案はそれを目指したもの――ここにマルクスとルソーの
統一した今日的形態がある
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