『ヘーゲル「法の哲学」を読む』より

 

 

第一講 『法の哲学』と科学的社会主義

 

一、はじめに

 今日から約一〇ヵ月二〇講、ヘーゲル(一七七〇~一八三一)の『法の哲学』(一八二〇)を皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。
 テキストには、訳にも定評があり、比較的入手しやすい中央公論社の『世界の名著』シリーズ、藤野渉、赤沢正敏訳の『法の哲学』を使います。ヘーゲルの代表的著作は、岩波書店から「ヘーゲル全集」として出版されていますが、そのなかで、ヘーゲルが自ら執筆したのは、『精神現象学』『大論理学』『エンチクロぺディー』(『小論理学』を含む)、そして『法の哲学』です。その他は、ヘーゲルの死後、弟子たちが講義録をおこして編纂したものです。大小二つの『論理学』と『法の哲学』は、相互に補完しあう、ヘーゲル哲学の二本柱といっていいと思います。
 『法の哲学』は、ヘーゲル晩年の主著の一つです。すでにその頃にはヘーゲルの哲学体系を示す『エンチクロペディー』(一八一七)は完成していますので、この哲学体系を構成する「論理学」「自然哲学」「精神哲学」の一環、「精神哲学」のうちの「客観的精神」(人間の精神活動の客観的産物)として『法の哲学』は位置づけられています。
 ヘーゲル哲学は、難解なことで有名ですが、その難解さの原因の一つに、ヘーゲルの独特の用語法があります。このヘーゲルに特有の哲学的用語が用いられているために、ヘーゲル『論理学』を一応学んだうえで『法の哲学』に取りくんだ方が理解しやすいと思います。受講生の方々には、これまでヘーゲル哲学を学んでいない人もおられますので、できるだけ用語の解説も含めて、初めてヘーゲルに取りくむ人でも理解できるように進めていきたいと思います。
 しかし、それにも限度がありますので、参考資料として、『ヘーゲル用語事典』(岩佐茂他編、未来社)を紹介しておきます。この事典は、普通の事典のように、あいうえお順に用語の解説がなされているのではなく、ヘーゲルの主要な著作ごとに、そこで用いられている主な用語をその著作の内容と関連させて解説していますので、著作の概要と用語とを同時に理解するのに便利です。
 ヘーゲルの文章になれないと、なかなかとっつき難いのですが、学んでいるうちにだんだんその面白さが分ってきますので、ぜひ途中で諦めないで、最後まで頑張ってほしいと思います。

 

二、何のために『法の哲学』を学ぶのか

自由と民主主義の継承者としての科学的社会主義

 さて、以上を前置きに本題に入っていきますが、まず最初に、いま、何のために『法の哲学』を学ぶのか、その意義を明確にしておきましょう。
 一つには、科学的社会主義の学説が、ブルジョア民主主義革命で打ちたてられた自由と民主主義の正統な継承者であることを明らかにするためです。
 ブッシュ米大統領は、国連憲章に違反したイラクへの侵略戦争を、イラク人民解放のたたかいと位置づけています。アメリカ帝国主義には、帝国主義的侵略戦争を合理化するネオ・コン(ネオコンサバティブ・新保守主義)と呼ばれるそれなりの理論があるのです。
 それによると、二〇世紀は、自由主義と全体主義との全面対決に自由主義が勝利し、その正しさが証明された世紀であった。アメリカは、この普遍的正義である自由と民主主義を全世界に押し広げる責任がある。イラク戦争は、フセインの独裁政治を倒し自由と民主主義を実現する戦争であった。だから、イラク戦争はイラク人民解放の戦争であり、正義の戦争であった。……というものです。
 しかし、現在のアメリカ帝国主義は、世界中をその軍事力で押さえつけようとするものであって、けっしてアメリカ独立宣言の正統な継承者ではありませんし、ましてや自由と民主主義の擁護者でもありません。二〇世紀を、自由と民主主義の普遍的価値が承認され、全世界的にその意義が確認された世紀としてとらえることは正しいと思いますが、自由主義と全体主義との対決の世紀などととらえることには疑義があります。むしろ、自由と民主主義における資本主義のもつ限界が誰の目にも明らかになり、資本主義から離脱した国々の登場した世紀としてとらえるべきものでしょう。
 重大なことは、ブッシュのいう「全体主義」のなかに、「社会主義国」といわれていたソ連や東欧が含まれているということです。ここでは、社会主義が、自由と民主主義の抑圧者であるかのようにとらえられていますし、また、ソ連や東欧の一党政治支配と人民抑圧体制からみれば、そのとらえ方に一定の合理的側面があることは否定できません。
 しかし、本来、科学的社会主義の学説は、人間解放の理論として歴史の舞台に登場してきたものであり、フランス革命の掲げた「自由・平等・友愛」の理念を現実のものとする理論であったのです。エンゲルスは、一九世紀半ばに登場した共産主義革命の思想は、フランス革命の「第二幕」(全集②六三九ページ)であったとのべています。日本共産党の綱領が、「国民が主人公」をキーワードとし、自由と民主主義の全面開花した未来社会を社会主義・共産主義としてとらえているのも、そのあらわれにほかなりません。
 科学的社会主義の学説は、一方ではアメリカ帝国主義が投げすてた自由と民主主義、ブルジョア民主主義革命のなかから生まれた自由と民主主義を正統に継承するものであり、他方では自由と民主主義を抑圧するソ連や東欧は、社会主義とは無縁の存在であったことを明らかにするためにも、科学的社会主義の源泉の一つとされ、フランス革命の精神を引き継いだ、ヘーゲルの自由論を学んでいく必要があると思うのです。

科学的社会主義の源泉としてのヘーゲル哲学

 二つには、これまでヘーゲルは科学的社会主義の源泉としてとらえられてきましたが、一体いかなる意味で源泉といえるのか、これまでいわれてきたように弁証法的唯物論の源泉としてとらえるだけでいいのかを明らかにしたいと思います。とりわけ、『法の哲学』は「客観的精神」を対象としたものとして人間、社会、国家という人間社会全体にかかわる著作であるだけに、社会変革の理論としての科学的社会主義の理論に、全体として、どのような影響を及ぼしているのか、を探求してみたいと思います。
 これまで『法の哲学』は、マルクスの「ヘーゲル国法論批判」(全集①/国民文庫『ヘーゲル法哲学批判序論他』にも収録されている)で、批判の対象としてのみ取りあげられ、積極的なものは何もないかのように理解されてきた向きもあったと思われますが、果たしてそれでいいのかも検討すべき課題の一つです。
 マルクスのこの論文は、『法の哲学』第三部「倫理」、第三章「国家」の一部だけを取りあつかったものであるだけに、あらためて科学的社会主義の立場にたって『法の哲学』全体にわたる正確な評価が求められていると思います。全体としてどの積極的な部分が、科学的社会主義の学説のなかに取りいれられていったのか、とりわけ、ヘーゲルの人間論、国家論から学ぶべきものは何なのか、の問題意識を持って取り組んでいきたいと思います。
 以上の二点のほかにもまだ多くの意義があると思いますが、とりあえず、この二点については、全体の講義をつうじて、問題意識を持ち続けていきたいと思っています。

 

三、ヘーゲルの時代と『法の哲学』の課題

ヘーゲルの生きた時代

 そこで、まずヘーゲルの生きた時代が、どんな時代であったのかをみてみましょう。ヘーゲルは、一七七〇年に生まれ、一八三一年に亡くなっています。生まれたのはシュツットガルト(ドイツの南の方)、一七八八年にチュービンゲン大学の神学科に入学、卒業後学問の道を志してスイスに行き、家庭教師をしながらカント、フィヒテの哲学を学びます。一七九七年にフランクフルトに行き、シェリングの影響を強く受けます。一八〇一年ドイツ哲学の中心地だったイエナ大学の私講師、一八〇八年ニュールンベルクのギムナジウムの校長、一八一六年ハイデルベルク大学教授、一八一八年、フィヒテがコレラで死亡して空席となったベルリン大学哲学教授就任。そこで哲学者としての名声をきわめ、一八二九年ベルリン大学総長となり、ついにヘーゲル哲学は、反動的プロイセン王国の国定哲学にまで登りつめるのです。
 フランス大革命が始まったのが一七八九年、当時、大学生であったヘーゲルは、革命に熱狂して、友人のシェリングやヘルダーリンらとともに「自由の樹」を植え、その下で革命歌を高唱しながら踊りまわったといわれています。一八世紀末から一九世紀前半にかけてのフランスは、一七八九年革命勃発、一七九二年「八月革命」による王制廃止、第一共和制の樹立。そしてロベスピエールのもとでのジャコバン独裁と恐怖政治、九四年七月「テルミドールの反動」によるブルジョアジーの権力確立。次いで、九九年ナポレオンの「ブリュメール一八日」クーデターによる軍事独裁とナポレオン帝政。つづくナポレオン戦争(反ジャコバン戦争)を経て、フランス革命による影響をヨーロッパから一掃し、絶対主義体制への復帰をめざす一八一五年ウイーン体制の確立、そして一八三〇年の「七月革命」という、まことに波乱に満ちた経過をたどることになります。
 いわば、ヘーゲルは、フランス革命の起承転結のすべてを隣国で見とどけ、フランス革命と時代を共有したのです。
 ヨハヒム・リッターは、『ヘーゲルとフランス革命』のなかで、次のようにのべています。
 「ヘーゲル哲学のように、ひたすら革命の哲学であり、フランス革命の問題を中心的な核としている哲学は、他には一つもない。ヘーゲルは、一七七〇年に生まれ、一八三一年に死んだ。だから彼は生涯一度も、この革命を、完結した出来事として、対岸の火事を見るようにこの革命の動乱とは関係ない安定した世界から、回顧することなどはできなかった。一七八九年から一八三〇年にいたる時期を満たしているもののすべてが、――希望と恐怖となって――彼自身の運命ともなる」(『ヘーゲルとフランス革命』一九ページ、出口純夫訳、理想社)。

フランス革命を思想の上で完成させた

 フランス革命によって提起された「自由、平等、友愛」の精神は挫折し、結局、ブルジョア民主主義革命の枠内にとどめられてしまいました。
 しかしヘーゲルは、フランス革命の終わったところに、まさに問題の所在を見いだしたのです。つまり、自由の精神を賛美しつづけたヘーゲルは、挫折したフランス革命の精神の完成を自己の哲学――『法の哲学』において、思想のうえで完成させようとしたのです。
 まずヘーゲルが、フランス革命をどう評価しているのか、を『歴史哲学』にみてみましょう。
 「人間が頭の上に、すなわち思想の上にたち、思想に基づいて現実界を築き上げるようになろうとは、全くわれわれの夢想だにしないところであった。アナクサゴラスはヌース(理性)が世界を支配するということを主張した最初の人であった。しかし、人間はここにはじめて、思想が精神的現実界を支配すべきものだということを認識する段階にまでも達したのである。その意味で、これは輝かしい日の出であった」(ヘーゲル全集『歴史哲学』下三一一ページ/『歴史哲学講義』岩波文庫三五九ページ)。
 ヘーゲルは、人民主権論と自由・平等を掲げたルソーの哲学が革命を思想的に準備したことを高く評価し、フランス革命のなかで「権利の思想に基づいていまや憲法が制定され、以後一切はこの基礎の上に据えられることになった」(同)ことをもって「思想に基づいて現実界を築き上げ」たものとして、これを「輝かしい日の出」と評価したのです。
 しかしフランス革命の全過程は、「動揺と不安が次から次へと続く。この衝突、この葛藤、この難問は現に歴史が直面しつつあるところのものであって、それこそ将来において歴史が解決しなければならないものである」(同三一八ページ/文庫三六七ページ)。
 ヘーゲルは、フランス革命が提起しながら歴史的に未解決のままとなっている問題を、『法の哲学』という「思想」によって解決しようと試みたものといってよいでしょう。
 リッターは、次のようにのべています。
 「ヘーゲルのフランス革命との対決は『法哲学』で終わる。こうして得られた結論は、『法哲学』の国家論が、フランス革命が根拠とした自由という原理を取り上げ、この原理を将来の法的、政治的秩序すべての前提になるものだと考えている、という点にはっきり示されている」(『ヘーゲルとフランス革命』四七ページ)。

 

四、『フォイエルバッハ論』から

『法の哲学』のもつ革命性

 エンゲルスの著作『フォイエルバッハ論』は、ヘーゲルと科学的社会主義との関係を知るうえでの好著となっています。というのも、このなかで、マルクス、エンゲルスが、「どのようにしてこの哲学から出発し、どのようにしてそれから離れたか」(全集21二六七ページ)について、『法の哲学』をも引用しながら、説き明かされているからです。
 エンゲルスは、『法の哲学』が、「プロイセン王国の国定哲学の位にまでまつりあげられてさえいた」(同二六九ページ)としながらも、ヘーゲルの「重苦しい退屈な文章のうちに、革命がかくれている」(同)という重大な指摘をしています。
 続いて、エンゲルスは、『法の哲学』の有名な序文の命題、「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」(もっともエンゲルスの引用では前後逆になっている)を取りあげ、この命題のなかには、「人間の思考と行為とのすべての結果の究極性にたいし一挙にとどめをさした」ヘーゲル哲学の「真の意義と革命的性格」(『フォイエルバッハ論』全集21二七一ページ)とが秘められていると指摘しています。
 この命題は、『法の哲学』の真髄というべきものですから、次回に詳しく検討します。ここではとりあえず、エンゲルスも、『法の哲学』の革命的性格に着目していたことを確認しておきたいと思います。
 反動的プロイセン王国の国定哲学にまでまつりあげられながら、他方で革命的性格をあわせもつ『法の哲学』を、全体としてどうとらえるべきかについても、エンゲルスの立場は明確です。すなわち、ヘーゲル哲学の「保守性は相対的であり、その革命的性格は絶対的である」(同二七二ページ)というものです。
 エンゲルスも、リッターと同様に、『法の哲学』を革命の哲学としてとらえたのです。
わたしたちがヘーゲルを学ぶのは、けっして研究者としてヘーゲルをどう解釈すべきかという解釈の立場から学ぶのではありません。マルクスは、「フォイエルバッハにかんするテーゼ」(全集③五ページ)のなかで、「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」と述べています。この文章は、ロンドン郊外にあるマルクスの墓石にも刻まれているほどマルクスの代表的な命題なのですが、マルクスはこの変革の立場をヘーゲルから学びとったものと思われます。
 わたしたちも、解釈の立場ではなく、この変革の立場にたって『法の哲学』の革命的性格を学びとることが肝腎なのです。

ヘーゲルの観念論と「無数の宝」

 またエンゲルスは、『フォイエルバッハ論』のなかで、もう一つ重要な指摘をしています。それは、ヘーゲルの観念論をどこに求めるかの問題です。
 マルクスは、ヘーゲルの観念論的弁証法を批判して、「弁証法はヘーゲルにあってはさか立ちしている。神秘的な外皮のなかに合理的な核心を発見するためには、それをひっくり返さなければならない」(『資本論』①二八ページ/二七ページ)と述べています。
 ヘーゲルの『エンチクロペディー』にみられる哲学体系は、第一篇「論理学」、第二篇「自然哲学」、第三篇「精神哲学」として構成されています。ヘーゲルは、論理学を「即自かつ対自的な理念の学」、自然哲学を「本来の姿を失った姿における理念の学」、そして精神哲学を「自己喪失から自己のうちへ帰る理念の学」としてとらえています(『小論理学』上九〇ページ、岩波文庫)。つまり有論から、本質論、概念論を経て、絶対理念が生まれ(論理学)、それが外にあらわれて自然となり(自然哲学)、自然として外にあらわれた絶対理念が自己のうちへ帰ったものが精神となる(精神哲学)、という構成となっており、その体系は、絶対理念を軸に展開するものとして観念論的にとらえられています。そのかぎりでは、マルクスの批判も的を射たものとなっています。
 この「精神哲学」のなかの「客観的精神」の部分が、『法の哲学』という独立の著作になったものです。
 エンゲルスは、この体系そのものの観念論を批判しながらも、この「体系」という「無理なこしらえもの」は、「彼の仕事のわくであり足場であるにすぎない。むだにここに足をとめず、もっと深くこの巨大な建物のなかにはいりこんでいってみると、そこには、今日でもなお完全に値うちのある無数の宝がある」(『フィオエルバッハ論』全集21二七四ページ)と指摘しています。
 そして、『法の哲学』についても、「形式は観念論的であるが、内容は実在論的である。法、経済、政治の全分野が、ここには道徳とならんでとりいれられている」(同二九一ページ)と、唯物論的な内容をもっていると評価しているのです。
 残念ながらエンゲルスは、『法の哲学』のなかに含まれている「完全に値うちのある無数の宝」とは一体何なのかを明らかにしていません。それを発掘することは、現代に生きるわたしたちの課題として残されているのではないでしょうか。
 マルクス、エンゲルスは、ヘーゲルの観念論的歴史観を否定し、史的唯物論を確立していきました。そのきっかけとなったのが、ヘーゲル『法の哲学』への批判でした。
 「私を悩ました疑問の解決のために企てた最初の仕事は、ヘーゲルの法哲学の批判的検討」であったと、マルクスは、「経済学批判・序言」(全集⑬六ページ)のなかで語っています。「私を悩ました難問」というのは、法・政治と経済のどちらが社会のあり方をより根本的に規定するのか、という問題でした。
 「私の研究の到達した結果」は、「法的諸関係ならびに国家諸形態は、それ自体からも、またいわゆる人間精神の一般的発展からも理解されうるものではなく、むしろ物質的な諸生活関係に根ざしているもの」(同)というものでした。そこから、マルクスは経済学の研究に向かい、その余生のすべてを『資本論』にかけることになるのですが、多数の草稿や準備草稿を残しながらもその第一巻を完成したのみで人生の幕を閉じることになったのでした。結局、マルクスも、経済学の研究すら完成させえなかったところから、法、政治、国家の問題を全面的に論じる時間的余裕は持ちえなかったのです。
 これに対し、「法的諸関係ならびに国家諸形態」を「人間精神の一般的発展から」とらえようとしたのが、他ならぬヘーゲル『法の哲学』です。
 『法の哲学』は、「精神哲学」の一環をなすものですが、ヘーゲルは、人間の精神の基本的性格は、自由であるというところから出発して、人格、法、道徳、市民社会、国家などを論じています。いわば、そもそも人間とは何か、という人間論が出発点となっているわけで、マルクスの批判は批判として受けとめながらも、ヘーゲルが人間の尊厳と個人の尊厳などを根本から論じていることは、注目されねばなりません。
 マルクスも若いときには、「ミル評注」や「一八四四年の経済学・哲学手稿」(いずれも全集13)などで、人間の本質の探究を試みているのですが、経済学の研究に全力を投入するようになってからは、こうした問題に立ち戻る時間的余裕は与えられませんでした。
 それだけに、『法の哲学』に含まれる人間論や人間の本質にかかわる自由、民主主義論については、エンゲルスのいう「完全に値うちのある無数の宝」の一つとしてとらえることができるのだと思います。

 

五、科学的社会主義の源泉としてのヘーゲル

 ヘーゲル哲学は、これまで科学的社会主義の源泉の一つとしてとらえられてきました。
 源泉とは、後の理論の重要な構成部分となる理論の萌芽が、先の理論のなかに存在し、その弁証法的発展をつうじて後の理論が派生した場合の、先の理論のことと解すべきものです。源泉を明らかにすることによって、後の理論の重要な構成部分が何なのかを明らかにすることができるのです(拙著『科学的社会主義の源泉としてのルソー』参照)。
 これまでヘーゲルは、その弁証法において、科学的社会主義の源泉になるものとしてとらえられてきました。
 「この体系のなかではじめて――そしてこのことがこの体系の大きな功績なのであるが――自然的・歴史的・精神的世界の全体が一つの過程として、すなわち、不断の運動・変化・転形・発展のうちにあるものとして叙述されたのであり、またこの運動や発展の内的関連を証明しようとする試みがなされたのである」(エンゲルス『空想から科学へ』全集⑲二〇二ページ)。
 「弁証法がヘーゲルの手のなかでこうむっている神秘化は、彼が弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的で意識的な仕方で叙述したということを、決してさまたげるものではない」(『資本論』①二八ページ/二七ページ)。
 いわば、ヘーゲルの観念論的弁証法が源泉となり、科学的社会主義の弁証法的唯物論が誕生したというものです。
 しかし、ヘーゲルの膨大な哲学体系のなかから科学的社会主義に継承されたものを、弁証法に限定すべき根拠はありませんし、実際にも『法の哲学』は、マルクスやエンゲルスにも様々な形で多大な影響を与えています。
 こうしたことからするならば、わたしたちはヘーゲル弁証法のみに着目するのではなく、『法の哲学』の革命的性格を学びとり、そのなかに隠されている「完全に値うちのある無数の宝」を発掘して、それが科学的社会主義の源泉となっているのかどうか、なっているとしたら、どの構成部分にかかわる源泉なのか、を解明することが求められているのではないでしょうか。

 

六、『法の哲学』の内容と構成

 まず『法の哲学』の内容と構成の骨子を説明しておきましょう。
 この場合の「法」とは、ドイツ語のレヒト(英語のライト)であり、法、権利、正しさ、正義などの意味をあわせもっています。ヘーゲルは、『法の哲学』全体をとおして、法や道徳、さらには人間が家族、社会、国家という共同体の一員として、人間らしく自由な人格として生きていくうえでの正しさ(正義)とは何か、をとらえようとしたのです。
 その構成を目次にしたがってみてみましょう。

  序文
 緒論(第一節から第三三節)
 第一部 抽象的な権利ないし法(第三四節から第一〇四節)
 第二部 道徳(第一〇五節から第一四一節)
 第三部 倫理(第一四二節から第三六〇節)

 まず「序文」では、哲学の任務とは何かが問題とされ、それは理想(理性、概念、理念)と現実との統一にあることが明らかにされます。
 ついで「緒論」では、『法の哲学』の対象となる「法」は、現実に国家によって定められた法(実定法)ではなくて、広義の法(レヒト)、しかも理想の「法」(「法」の概念、「法」の真にあるべき姿)であることが示されています。
 以上を前提に本論にはいっていきますが、第一部の「抽象的な権利ないし法」では、狭義の法が自由な意志の現存在であることが明らかにされ、自由な意志をもった人間は、抽象的な人格として権利の主体となり、自由な意志を置きいれた物件との関係が論じられます。
 ここでとりあげられる人間は、実際には、まだ現実に共同体のなかで生活している人間ではありませんから、「抽象的な権利ないし法」とされているのです。
 第二部の「道徳」では、人間が、自由な人格としてより善く生きるために、自己のうちに「善」を定立し、それに向かって無限に前進する人格が論じられています。「善」をなすべしという当為の立場が道徳的立場なのです。
 第三部の「倫理」では、法と道徳を身につけた人間が、いよいよ現実の社会共同体である家族、市民社会、国家のなかで、自由な人格としてより善く生きるために、これらの社会共同体の真にあるべき姿とその構成員とのあるべき関係は何なのかが問われることになります。
 「倫理」(人倫と訳されることもあります)というのは、ちょっとなじみにくい用語ですが、「真にあるべき共同体の精神」というような意味に理解したらいいでしょう。
 この第三部の「倫理」は、『法の哲学』のハイライトともいうべき箇所です。ここはさらに、第一章「家族」、第二章「市民社会」、第三章「国家」の三つに分かれています。 
 第一章では、家族愛を共同体の精神的紐帯とする家族という共同体の真にあるべき姿がとりあげられています。
 第二章では、共同体の喪失態としての市民社会(経済的社会)が問題とされます。セー、スチュアート、スミス、リカードなどの経済学を勉強しているヘーゲルは、資本主義経済社会がもたらす貧富の対立などを鋭く告発し、それをどう克服すべきかを問題としています。
 第三章では、人民の一般意思を共同体の精神的紐帯とする政治的国家の真にあるべき姿が論じられています。ここでヘーゲルが当時のプロイセン立憲君主制をあるべき国家体制としているところから、マルクスの「ヘーゲル国法論批判」で手厳しい批判を受けることになります。しかしヘーゲルの意図は別のところにあったように思えます。詳しくは、その箇所でお話しすることにしましょう。
 いずれにしてもヘーゲルの考える真にあるべき国家は、「最高の共同性は、最高の自由」であるような国家であり、ここに自由な人格は、国家という真の共同体において全面的に開花するものととらえられているのです。
 真の共同のなかに真の自由があるとするヘーゲルの共同体論には、マルクス、エンゲルスのとらえる共産主義社会にも共通する理念があります。
 以上のべたところを、これからテキストに沿って学ぶうえでの参考にしていただいて、次回からいよいよ「序文」に入っていくことにしましょう。
 ヘーゲルの『法の哲学』にかんして、無数の研究書がありますが、科学的社会主義の見地にたって検討するところに本講座の最大の特徴があるということを、最初に指摘しておきたいと思います。