2003年 講義

 

 

第2講 理性的なものは現実的

 

1.「序文」の位置づけ

● 全文ヘーゲル自身の作成

●『法の哲学』のみならず、ヘーゲル哲学全体の主題が明確に ── ヘーゲル哲学
 の真髄が示されている。ヘーゲルの観念論を再考させるものに

●「客観的精神のと同一のもろもろの根本概念を体系的に論じたもの」
 (153ページ/3ページ)

 

2.真理認識の方法としての弁証法

① 「思弁的な認識の仕方」(154ページ/4ページ)── 弁証法

●「思弁的な知の本性は論理学において詳しく展開」(同)

● 弁証法は、真理に接近しうる認識方法

● 即自 ── 対自 ── 即自かつ対自(159ページおよび注5/ 12ページおよび
 注14)


② ヘーゲル哲学の優位性

● 弁証法によりヘーゲル哲学は真理に接近し、他の哲学より優位にたっている

● 弁証法は内容と形式の統一

 ・内容と形式の統一した哲学のみが「学」の名に価する

 ・法の哲学の内容は、弁証法的に ── 最も単純なものから複雑なものへ、下位
  のものから上位のものへ、抽象的なものから具体的なものへ ── と発展し、
  全体として有機的構成(形式)を持つ。バラバラな要素のよせ集めではない

●『法の哲学』をつうじて、弁証法という形式及び、それによりどう真理に接近
 していくかを学びとることも重要な課題

 

3.ヘーゲル批判とその再批判

①内容と形式の統一批判

△形式は外面的、肝腎なのは内容のみ
 ↑
● 形式を伴わない内容は、「もろもろの真理の押し合いへし合い」(156ページ
 /7ページ)を生み出すのみ

 ・「学による以外」真理は担保されない

 ・「自由な思惟」から出発し、これを「理性的な形式」をつうじて「理性的な
  内容」に発展させ、「概念において把握する」(Begreifen)(同)


② 「自由な思惟」と真理

△「自由な思惟」はおのれの内のみに根拠を求めるから、真理は認識しえない
 (「真理なるものはただ課題」)
 ↑ ・「国家、政府、憲法にかんしては、各人の自分の心情と感激からおのずと
 ↑  生じてくるものこそ真なるもの(161ページ/15ページ)
 ↑ ・自然の法則(客観世界の法則)と精神世界の法則(法のおきて)とは
 ↑  根本的に異なる 
 ↑
● 自然の法則は、「自然そのもののなかに隠されている」(158ページ/10ペー
 ジ)——「われわれの外にある」(158ページの追加/ 11ページ)

● 法のおきて(法則)の場合、一面では、自然の法則と同じであるが、他面では
 そうではない(159ページ/ 11ページ)

 ・ 実定法の法則は、自然の法と同じ

 ・「なにが正しい法か」の法則は「おのれ自身のうちに見いだす」(159ペー
  ジ/12ページ)

 ・「正ないし法のもろもろの思想を認識し、概念において把握する」(160ペ
  ージ/13ページ)ことで、おのれのうちに真理を認識することができる


③ フリース批判

△フリース「国家と憲法」と題し、 愛国的学生団体を前に「おおやけの諸問題
 のどんな仕事にも生命は下から、国民からやってくる」(162ページ/16ペ
 ージ)と講演
 ↑ ・自己の内心の確信さえあれば、いかなることをしてもさしつかえない
 ↑  という思想まで生みだす
 ↑ ・学生ザントが、愛国的至情にもとづき殺人事件
 ↑    ── その当否が社会問題となり、ヘーゲルも巻きこまれる
 ↑
●「学を思想と概念の展開のうえに立てるかわりに、むしろ直接的な覚知と偶然
 的な思いつきのうえに立てようとする」もの(162ページ/16ページ)

 ・フリースの見解は、「法則にたいする憎しみ」を示すもの
   ── 倫理的なもの(権利と義務)の正しさを「主観的なもろもろの目的と意
  見、主観的な感情と自分一個の特殊な確信にもとづくとする原理」(165
  〜166ページ/20ページ)に導く
   ── 真理の認識は罪深い僭望である(166ページ/22ページ)

 ・しかし、「法則はことがらの理性」(164ページ/180〜189ページ)
   ── 法と倫理的体制との現実的世界は、思想をとおしておのれを把握し、思
  想をとおしておのれに、理性的であることの形式を、すなわち普遍性と規定
  されたあり方とを与える」(164ページ/18ページ)

 ・フリースの浅薄な哲学は、哲学を「現実とのもっとも近い関係に入らされ
  た」という「学にとっての一つの幸運」(168ページ/23ページ)を生みだ
  した

 

4.現実に対する哲学の立場

① ヘーゲルの観念論

● ヘーゲルは客観的観念論の代表とされている

●「彼の頭脳のなかの思想は現実の事物や過程の多かれ少なかれ抽象的な模写と
 は考えられないで、逆に事物やその発展がすでに世界よりも前になんらかの仕
 方で存在していた「理念」の現実化された模写でしかないと考えられた」
 (『空想から科学へ』マルクス・エンゲルス全集⑲ 203ページ/古典選書版
 55ページ)

● 論理学の「終点である絶対的理念 ── これは彼がそれについて絶対になにも語
 ることができないかぎりにおいてだけ絶対的なものである——がみずからを
 『外化』して、すなわち転化して自然となり、そして後に精神においてすなわ
 ち思考と歴史とのなかで、ふたたび自分自身に帰る」(『フォイエルバッハ
 論』全集272〜273ページ/古典選書版 19ページ)

● しかし、絶対的理念のうえに客観世界のすべてが構築されるとしたら、ヘーゲ
 ル哲学の全体系は、単なるたわ言にすぎず、学ぶべきものは何もないことにな
 る

●「しかし、エンゲルスは、このヘーゲル哲学の体系を、「無理なこしらえも
 の」にすぎず、「そこには今でもなお完全に値うちのある無数の宝がある」
 (同 274ページ/210〜212ページ)といっている ── それはヘーゲル哲学が
 フランス革命と向きあうという唯物論の見地にたったため

● ヘーゲルの観念論と唯物論の矛盾をどう解明すべきか、その秘密がこの「序
 文」に隠されている


② 現実にたいするヘーゲル哲学の立場

●「哲学は理性的なものの根拠を究めることであり、それだからこそ、現在的か
 つ現実的なものを把握することであって、彼岸的なものをうちたてることでは
 ない」(168ページ/23ページ)

 ・理性的 ── 「万物をつらぬく存在の理法、合法則性、必然性として、現実の
  うちに内在し、現実において顕現する(169ページ注8/37ページ注38)

 ・理性的なものを究めるには、現実に立ち向い現実と格闘しなければならない

 ・「一口に言えば、哲学の内容は現実」(『小論理学』岩波文庫㊤ 68ページ)
   ── 現象と現実の区別

 ・偶然的なものは、可能的なもの以上の価値をもたない存在であり、現実とい
  う名に値しない

●「理性を究める」とは概念を把握すること

 ・ 認識は「有」から「本質」へ、「本質」から「概念」(真にあるべき姿)
  へ

 ・ ヘーゲルのいう概念は、たんに頭のなかで考えた「真にあるべき姿」はな
  く、事物の本質の認識をつうじてえられたその事物の真にあるべき姿という
  唯物論的概念
   ── たんに現実と無関係に頭のなかにえがいた理想(空想)ではない

 ・「存在するところのものを概念において把握するのが哲学の課題」(171
  ページ/27ページ)

 ・ ヘーゲルのいう概念には二種類あり

 ・事物の共通性をとりだした抽象的普遍

 ・事物の真にあるべき姿としての具体的普遍

 ・「真にあるべき姿」を把握するのが、ヘーゲルのいう「概念的に把握する」
  (Begreifen)
   ── 一般的な把握する(Auffassen)と区別

● 哲学もまたその時代を思想のうちにとらえたもの」(171ページ/27ページ)

 ・マルクス「およそ真の哲学はその時代の精神的精髄」(「『ケルン新聞』
   第179号の社説」全集① 112ページ)

●「概念」は、現実の「彼岸」にあるのではない

 ・プラトンのイデアとのちがい

 ・ヘーゲルの「概念」は、現実から導きだされた理想であるがゆえに現実性に
  転化する力(必然性)をもっているもの

 

5.理性的であるものこそ現実的

●「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」
   ── ヘーゲル哲学の真髄を示す命題

 ・「この簡単な命題は多くの人に驚きと敵意をおこさせた」(『小論理学』
  ㊤ 69ページ)

 ・「ヘーゲルの有名な命題ほど、頭の悪い諸政府の感謝と、同じように頭の悪
  い自由主義者たちの怒りをまねいたものはなかった」(『フォイエルバッハ
  論』全集 269ページ/古典選書版 12ページ)

●『法の哲学』は、「国家を一つのそれ自身のうちで理性的なものとして概念に
 おいて把握し、かつあらわそうとするこころみ」(171ページ/27ページ)

 ・「ここがロドスだ、ここで跳べ」(同)

 ・フランス革命の第一幕のおりた1820年のヨーロッパ・ドイツがヘーゲル
  哲学が跳びたつべき「ロドス」

 ・フランス革命という現実のなかから、「国家」の概念を把握する

 ・「哲学は世界の思想である以上、現実がその形成過程を完了しておのれを仕
  上げたあとではじめて、哲学は時間のなかにあらわれる」(174ページ/
  30ページ)

 ・フランス革命という「現実の成熟」によってはじめてヘーゲルの『法の哲
  学』が可能となった

●『法の哲学』は、フランス革命の現実から、国家の概念を把握した「理性的な
 もの」であり、だからこそ、フランス革命の自由の精神を「現実的なもの」に
 転化させる必然性をもった革命の哲学、変革の哲学であることを示した命題と
 して理解すべき

 ・「哲学はただ理念をのみ取扱うものであるが、しかもこの理念は、単にゾレ
  ンにとどまって現実的でないほど無力なものではない」(『小論理学』㊤
  70ページ)

 ・ 理想と現実の統一を訴えた命題 ── 理想と現実を切り放す考えは悟性的な考
  え方(同 69ページ)

● マルクスの「フォイエルバッハにかんするテーゼ」

 ・人間的思惟に対象的真理がとどくかどうかの問題は、なんら観想(テオリ
  ー)の問題などではなくて、一つの実践的な問題である。実践において人間
  は彼の思惟の真理性、すなわち現実性と力、此岸性を証明しなければならな
  い」(全集③ 3ページ/古典選書版『フォイエルバッハ論』105〜106ペー
  ジ)

 ・ヘーゲルの命題からマルクスが学んだもの

 ・ 真理を認識するには、現実に立ち向う実践が必要であり、なんらテオリー
  ア(頭の中で思いめぐらすだけ)の問題ではない

 ・こうして手にした真理としての概念は、現実となる力をもっており、イデア
  の世界という「彼岸」にとどまるものではなく、「此岸」にあらわれでるも
  のである。

●「ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる」
 (174ページ/30ページ)

 ・「知性は単に世界をあるがままに受け取ろうとするにすぎないが、意志はこ
  に反して世界をそのあるべき姿に変えようとする」(『小論理学』㊦ 235
  ページ) ── ヘーゲルの変革の立場を示すもの

 ・世界をあるべき姿に変えるのが、「理性的なものは現実的」

 ・「ただ現実との平和が保たれさえすればいいとするような、冷たい絶望で
  もって理性は満足しない。認識が得させるものは、もっと熱い、現実との平
  和である」(174ページ/29ページ)

 ・ ヘーゲルの『法の哲学』という「ミネルヴァのふくろう」は、フランス革命
  の第二幕をめざして飛びはじめる

 ・エンゲルス ── 共産主義革命は、フランス革命の「第二幕」