2003年 講義

 

 

第3講 法の理念

 

1.何から出発するのか

●「緒論」では、法とはê 何かが、自由な意志との関連で論じられる。

 ・ヘーゲルの人間論、自由論が展開される

● ヘーゲルとマルクスの出発点のちがい

 ・ヘーゲルの『法の哲学』は、人間論から出発

 ・マルクスはこれを批判し、物質的諸関係から法や国家を論ずべきだとする

 ・しかし、ヘーゲルが論じたのは、真にあるべき法や国家。マルクスが資本主
  義社会の法や国家とは何かを論じたのと次元を異にする

● 史的唯物論によっても、ヘーゲルの人間論、自由論の功績は失われない

 ・史的唯物論によって、社会主義は科学に--しかし人間を階級の観点からと
  らえるところから、個々の人間を問題とする人間論は結果的に軽視

 ・個人の尊厳や人格的自由の今日的重要性

 ・ヘーゲルの自由論、人間論にはあらためて光があてられるべき

2.法の理念

① 理念とは何か

● 理念とは何か

 ・ヘーゲル哲学の根本概念

 ・プラトンのイデアに由来。しかしヘーゲルはイデアを超越的存在ではなく、
  現実となった概念(概念と現存在との一体性)ととらえる

● 法の理念は、「法の概念とこれの実現」(§1)

 ・「概念みずからによって定立されたこの現実性でないものはすべて、すぐ過
  ぎ去るような現存在」(同)


② 法とはなにか

●「法の理念は自由」(同 追加)

● 法とは何かの問題を概念からではなく、定義からスタートさせてはならない

 ・定義は現にあるもろもろの実定法から抽象したものにすぎない

 ・実定法は、特殊歴史的状況を反映した「一時的な過ぎ去りやすい」(§3)
  ものであって、普遍的意義をもたない

 ・法とは何かの問題は、思惟により求められた「法の概念」から展開しなけれ
  ばならない

●『法の哲学』の法の内容となるのは、法、権利、道徳、倫理(家族、市民社
 会、国家)

 

3.法の地盤は自由な意志

① 法の地盤は意志

● 法は人間の精神活動の所産
   ── 法を知るためには、人間を知らねばならない(汝自身を知れ)

● 知性から思惟へとすすむ過程は、「意志」を生みだす

 ・意志は、「おのれに現存在を与えようとする思惟」(§4)

 ・思惟 ── 理論的精神意志 ── 実践的精神

 ・『小論理学』では、「認識」と「意志」を区別 ── 意志は「世界をそのある
  べき姿にかえようとする」(㊦ 235ページ)

● 法の基盤を意志に求める考えは、ルソーの社会契約論に由来するもの

 ・ルソーには「意志を国家の原理として立てたという功績がある」(§258)

② 意志は自由

● 意志は自由

 ・「自由は重さが物体の一根本規定であるのと全く同様に意志の根本規定」
  (§4)

 ・何かをやろうという実践と結びついた意志は、何でもやりたいという意志と
  して自由な意志でしかありえない

● 法の基盤は自由意志である

 

4.主体としての自由

① 抽象的普遍的自由

● 人間は「考える葦」であり、思惟する主体である

 ・意志は、「純粋な無規定性、すなわち、ひたすらおのれのなかへ折れ返る純
  粋な自己反省という要素を含む」(§5)
   ── 抽象的普遍的自由とは、主体としてあること

 ・「意志は絶対的な抽象、絶対的な普遍性という無制限な無限性」(§5)

 ・「おのれに普遍性を与え、あらゆる特殊性を消す力」(§5)

 ・否定的な自由ないし悟性の自由

● 抽象的普遍的自由は、意志の本質的要素

 ・自己同一性を保ちたいという主体意識から生じるもの

 ・この自由は自分自身の普遍性を想起させる点において、「一つの本質的な規
  定を含んでいる」(§5)

● 否定的な自由が自己に向うとき「インド的な純粋瞑想の狂信」となり、現実に
  向うとき「いっさいの既存の社会的秩序粉砕の狂信」となる(§5)


② 特殊的自由

● 自己同一性を保とうとする意志から、「あるものを意志する」(§6)自由に
 より、実践による変化を求める意志 ── 無規定な普遍から、特殊な規定された
 自我への移行

 ・「自我はまた、区別なき無規定性から、区別立てへの移行」(§6)

 ・自我は、自己自身を規定することによって「現存在一般のなかへ踏み入る」
  (同)

● 特殊的な自由は、自己を特殊化し、制限し、有限性を与える

 ・「意志が意志であるためには、総じておのれを制限しなければならない」
  (§6)


③ 具体的普遍としての自由

● 主体(個別性)の自由は、普遍的自由と特殊的自由の統一としての具体的普遍
 的自由

 ・意志はこの「両契機の一体性」「すなわち、特殊性がそれ自身の中へ折れ返
  り、このことによって普遍性へと連れ戻されたあり方。つまり個別性であ
  る」(§7)

 ・主体としての自我(個別性)は、何も意志しないことによってではなく、ど
  んなに自らの意志を特殊化しながらも、たえず自分自身にたち返り、自己同
  一性を失わないところに、意志の自由がある

● 自由な意志の「概念」は、具体的普遍的自由

 ・抽象的普遍 ── 事物に共通する普遍

 ・具体的普遍(概念)── 普遍と特殊を統一した個別。普遍でありながら、特
  殊であり、特殊でありながら普遍であるような個別存在

 ・自由な意志は、主体としての普遍性(何でも意志しうるという状況)を保ち
  つつ、特殊な意志をもち、またその特殊な意志を否定して、主体としての普
  遍に立ちもどることをくり返す無限の発展性に認めることができる
  =向自有としての自我

 ・自我を「観念的なもの」(同)── 有限なものの無限性 ── として知ること
  が、自由な意志の概念

 ・「感情」の具体的普遍としての友情と愛--自分自身が相手の気持ちに同調
  し、特殊化しながらも、そのなかで自己を見失うのではなく、自己のうちに
  友情、愛を育み、自己を確立していく

 

5.マルクスの人間論、自由論

● マルクスは、ヘーゲルの人間論、自由論をそのままひきついではいない

 ・しかし人間の本質は、その意識活動にあり、しかも意識の根本規定は自由で
  あるという大枠は継承している

● 人間の「一つの意識的な存在者」(『経済学・哲学手稿』全集 437ページ)

 ・「自由な意識的な活動は、人間の類性格」(同 436ページ)

 ・「意志の自由は人間の本質に属する」(「第6回ライン州議会の議事」全
  集① 37ページ)

● マルクスは、法の基盤を自由な意志ととらえている

 ・真の法律は、「人間の規定の自由の定在」(同 66、67ページ)

(最後に)
● 次回に第8節から第33節までを  ● 次回も自由論のつづきを