2004年2月10日 講義

 

 

第5講 人格の陶冶

 

1.人格と所有

① 主体から人格へ

●今日から「第一部 抽象的権利ないし法」へ

● 主体のうちにある「自由な意志」

 ・ 直接的かつ抽象的な意志(§34)── 具体的なものは直接性と媒介性の統一

 ・ここでは、 他者との関係を抜きに考察

● 主体から人格に

 ・ 主体は、自己意識をもつことにより人格となる(§35)

 ・ 主体が人格となるためには、自己を有限性のなかで、無限に発展する自由な
  意識の持ち主として知ること(同)

 ・人格は「高いものであると同時に低いもの」(同、追加)

② 権利能力

● 法は、権利・義務の上に成り立つ

 ・自由な意志の持ち主として、はじめて権利義務の主体となりうる

 ・権利能力 ── 権利の主体となりうる能力

 ・人格性は権利能力をふくむ(§36)

● 人格は、眼前の現存在を自分のものとして定立しようとする(§39)

 ・人格は、自由な意志に現存在を与えて、客観世界を自分のものにしようとす
  る


③ 所有、契約、不法(第一部の内容)(§40)

● 人格は、眼前の現存在に自己の自由な意思を置き入れることによってそれをわ
 がものとして所有する(§44)

 ・権利は、まず所有権から始まる

● 契約とは、所有物をはさんで、自由な意志を共有する二つの人格の相互浸透

● 不法とは、権利の存在を知りながら、自由な意志でそれを侵害すること

 

2.「自分のものとしての所有」(第一章)

① 人格と物件

●人格は物件を所有する

●人格とは何か(§43)

 ・人格は、自由な意志を持つ主体として、精神と肉体の統一

 ・精神的な熟練、学問と芸術、宗教的なものは、人格か物件か
  ── 外面的なものとして表現されたとき物件となる(同)

● 物件とは何か

 ・人格にとって「外的なもの」が「物件」(§42)

 ・物件は、「不自由で、非人格的で、無権利なもの」(§41)

 ・何が「外的なもの」かは、大きな問題 ──「譲渡しうるもの」とは何か


② 所有権の絶対

● 人格は、自分の意志を「置き入れる」ことによりその物件を私のもの(所有)
 にする(§44)

 ・人格は、自己の意志を物件に置き入れことによって物件をつくりかえ、自己
  に同化する(同、追加)

 ・自由に使用しうる権利としての占有権(§45)

 ・自由に処分しうる権利としての所有権が絶対的な権利(同)

● 所有は、私的所有 ── 共有は一時的(§46)

● 時効(§64)── 長期間放置したことによる置き入れた意志の消滅により無主
 となること(消滅時効と取得時効)

● 労働による、自己の意思の「置き入れ」(マルクス)

 ・人間は普遍的に生産する(全集40 437ページ)

 ・労働生産物は、生産者の「作品」であり、己の「二重化」(同)

 ・労働生産物を生産者からとりあげる搾取制度は、人間の本質そのものを奪う
  人間疎外

● マルクスにとっても、自己の労働にもとづく生産物の取得という所有権は絶対
 的権利

 ・「資本主義的な私的所有は、自分の労働にもとづく個人的な私的所有の最初
  の否定」(資本論④ 1306ページ)

 ・社会主義は、「個人的所有の再建」(同)── 否定の否定

● 日本共産党新綱領

 ・「社会化の対象となるのは生産手段だけ」「生活手段についてはあらゆる段
  階をつうじて私有財産が保障される」


③ 二人の私

● 私という人格には、二つの異なった側面がある(§47)

 ・私自身にとっての私 ── 心身分離体

 ・第三者にとっての私 ── 心身同一体

● 私自身にとっての私という人格

 ・私という人格は、私の精神の上にのみ存在する

 ・精神としての私という人格は、私の肉体を物件として所有し、支配し、自由
  に処分しうる

 ・性同一性障害 ── 人格としての性と肉体としての性の不一致。人格が肉体を
  支配して、肉体を改造して精神に一致させようとする

● 人格は、まず肉体を「占有取得」する ── 精神による肉体の鍛錬

 ・人格の陶冶の一形態


④ 人格の陶冶(§57)

● 人間は、自分自身の精神と肉体を自由意志にもとづき、無限に発展させ自由に
 なっていく

 ・奴隷制 ── 人間を人格を持たない肉体としてのみとらえるもの

 ・ルソーの自由論批判 ── 人は生まれながらにして自由なのではなく、自由に
  なっていくもの

 

*次回第6講は、第49節から第71節まで。