2004年2月24日 講義

 

 

第6講 人格と個人の尊厳

 

1.はじめに

● 本講のテーマは、所有権の占有取得、使用、譲渡

● 人格は、精神と肉体の同一と区別の統一

 ・人格にとって、譲り渡しうる精神的、肉体的なものとは何か

 ・人格にとって、絶対に譲り渡しえないものは何か ── 人間の尊厳とは何か

● 第六三節は『資本論』にも影響

 

2.平等論

● 人格は、権利の主体としての平等

 ・抽象的人格としての平等

● 経済的不平等が未来社会の分配論として真にあるべき姿であるか否かは、市民
 社会で論じられるべき問題

 

3.所有物の占有取得、使用、譲渡

● 所有の概念(自分の意志の置き入れ)の「実現」としての所有諸形態

● 所有とは、意志プラス占有獲得

 ・占有取得とは、物件を自己の意思の支配下におくこと

 ・人格の陶冶も、精神と肉体を占有取得すること

 ・所有は、物件の自由な使用

 

4.価値と使用価値(ヘーゲルのマルクスへの影響)

● 使用される物件は、一つの個別的な、質と量で規定されている

 ・マルクスは『資本論』で商品を「質と量」の統一としてとらえている

●「物件の独特の有用性は、同時に量的に規定されたものとして」他の物件と比
 較されうる

 ・商品交換は、異なる有用性(質)をもつ二つの物件の一定の量的比率による
  交換

 ・有用性=使用価値

● 質を度外視した普遍性が物件の価値

 ・価値=交換価値

 ・物件の価値は、事物の共通性

 ・共通な第三者により、事物を測りうる

 ・物件の価値の標識(担い手)

● 貨幣は貨幣自身のもつ独特の価値を表現するのみ

 ・貨幣は単なる章標ではない

 

5.不可譲な人格(個人の尊厳)

● 人格は、人格にとって外面的なもの(物件)をもつ主体であり、物件を取得す
 ることも、放棄(譲渡)することもできる

● 固有の人格とは何か

 ・「私の自己意識の普遍的本質をなす」もの(§65)── 自由な意志をもち、自
  己を特殊化しつつたえず普遍としての自我にたちかえる主体

 ・「普遍的な意志自由、倫理、宗教」
  ⇒いうなれば、内心に自由な意志をもつ自由な主体

● 人格は、主体であって客体にはなりえないから譲渡されることもないし、時効
 にもかからない

 ・奴隷、農奴は、自由な主体でないから、人格性を放棄したもの

 ・マインドコントロールされたものも同様

 

6.労働力の売買

● 労働力(肉体と精神の統一)の売買は、人格の譲渡にならないか

 ・マルクス 労働力は「肉体的および精神的諸能力の総体」(『資本論』②
  286ページ)

● 全時間の譲渡は人格の譲渡になê るが、制限された時間は人格の譲渡ではない

 ・制限された時間は、「私の総体性と普遍性に対する一つの外面的な関係」
  (§67)

 ・それは物件の使用と所有の関係と同様(同)

● しかし、使用と所有の関係とは異なる

 ・使用の場合は、制限されない全面的使用を第三者に委ねても所有権はそのま
  ま残る

 ・労働力の場合、全面的譲渡は、普遍的労働力の全面譲渡となる

● むしろ普遍と特殊の関係としてとらえるべき

 ・普遍的労働力(たえず労働力を再生産する力)一般は、生命力のあらわれと
  して人格と一体化

 ・ 特殊的労働力(時間的、目的的に有限な労働力)は、普遍的労働力一般から
  区別し、切り離して、人格が所有し、譲渡することができる

● マルクス

 ・「人格としての彼は、自分の労働力を、いつも自分の所有物」として取り扱
  う(『資本論』② 287ページ)

 ・人格が自分の所有物(商品)とすることができないのは時間に制限された労
  働力

● マルクスは、主体としての人格が、所有の対象としての労働力を「持つ」ために
 はどうしたらいいかの視点から、時間的に制限された労働力を引き出している

 ・この視点と普遍と特殊の観点を一体化して労働力の売買をとらえるべき

● 労働時間の短縮は、たんに人格的発達の土台となるのみならず、人格の確保に
 つながる問題

 

7.精神活動と生命は、所有の対象となるか

● 文芸上の著作や芸術活動は、内にある精神を「外にあらわす方式」をつうじて
 物件性を取得する

 ・「表現の自由」の問題 ── 「内心の自由」の外化

 ・基本的人権の根幹をなすもの

● 生命

 ・人格は、生命のうえに存在するから、人格にとって生命は、外的なものでは
  ない

 ・したがって生命を処分する権利は存在しない(生命は物件になりえない)

 ・しかし、私自身の人格は、精神の上にのみ存在するから、私は自殺すること
  ができる

 

8.人間の尊厳

● 人間は、不可譲の人格をもつことによって最高の存在となる

 ・人格は、無限に発展する可能性をもつ自由な意志の主体

 ・こういう無限なものとして、最高の存在であり、ここに個人の尊厳の基盤が
  ある

 ・不可譲の人格性を喪失したとき、人間は人間としての尊厳を失う

● 不可譲の人格性とは、本来、肉体と精神の統一の上にのみある

 ・しかし、私自身にとっては、精神の上にのみ存在しているようにみえる

 ・第三者が私の肉体を傷つけるのも、私の精神を傷つけるのも、いずれも人格
  (権)の侵害

 ・私は私の肉体を自由に処分しうると思ってしまう

 ・普遍的労働力は、肉体と精神の統一としての人格と一体化しているが、特殊
  化することにより分離し、処分しうる。しかし、特殊的労働力の拡大は、普
  遍的労働力の処分に等しくなる

 ・私は、私の肉体を人格から切り離して売り渡すことはできる。しかし、第三
  者からすると、私自身の人格を取得することに ── 結局、自分では不可譲の
  人格を処分してないと思いつつ、客観的には処分しているから、第三者から
  人格の侵害を受ける

● 人格はまた同時に低いもの

 ・人格は、規定された具体的姿としては有限な存在

 ・まだ、形式的な自由の世界をさまようのみ

 ・形式的な自由から、普遍的自由へ、ついで概念的自由の世界へ

 ・それは、道徳、倫理(家族、市民社会、国家)をつうじて実現され、人格に
  おける有限性と無限性の矛盾は克服される

 

*次回、第7講は72節から104節まで。