2004年4月13日 講義

 

 

第9講 善と良心

 

1.道徳と正義

● 道徳とはよりよく生きる哲学的課題

 ・よりよく生きることは、主体が行為のうちにおのれの満足を見出すという主
  体的自由の権利

 ・もろもろの欲求を満足させることが福祉、幸福

 ・しかし、意図は普遍的なものに関係しているから、万人の福祉を意志する

● しかし、万人が満足をえさえすれば、何をいとしてもいいのかといえば、そう
 ではない

 ・よりよく生きるためには、さらに正義、正しさという欲求も問題とされねば
  ならない

 ・そのためには、幸福や正義より、もっと上位の概念が求められる。それが善
  である。

 

2.善とは何か

● 善は理念(イデア)(§129)

 ・意志の概念(正義)と特殊的意志とを揚棄したものとして保存している理念

●「善は実現された自由であり、世界の絶対的な究極目標」(§129)

 ・善は自由な意志のあらわれとして「善く生きる」、尊厳をもって生きるうえ
  での窮極目的

● 善と正義、福祉との関係(§130)

 ・善は、「善く生きる」うえでの究極目標であるから、正義、幸福、主体的自
  由の権利も、「善に従属しているかぎりでのみ妥当性をもつ」(同)

● 個人の尊厳と善の洞察(§131)

 ・「当為」としての善の洞察により、人間は個人としての尊厳と価値をもつ
  (§131)

 ・自己のうちに、何が善なのかの価値基準をもって行為するところに個人の尊
  厳と価値がある

● 善の発展 ──「主観的意志は、善にたいするある関係のうちにある」(同)


① 私が善を知る段階

② 善の特殊的規定が展開される段階

③ 私という主体が、善を価値基準としてもつ(良心をもつ)段階

 

3.善の洞察が人間の価値と尊厳をもたらす(§132)

● 善は、すべての価値判断の基準となる(価値基準)

 ・善を洞察してこそ、行為の正当、不正等、善、悪、適法、違法の判断をなし
  うる(§132)

 ・善を洞察するところに、人間の知性的、倫理的な価値と尊厳がある

● ヘーゲルの判断論

 ・質的判断、反省の判断、必然性の判断、概念の判断

 ・より深く真理を認識する諸段階

 ・概念の判断は「当為」の世界にも真理があるとして、「真にあるべき姿」
  にてらしての判断として、もっとも深い真理の認識⇒しかし道徳は「当為」
  の世界の判断(価値判断)にとどまり、概念の判断には到達しえない

● 科学的社会主義の判断論は、ヘーゲルの判断論をふまえている

 ・未来社会という「当為」の真理を科学的に把握しようとする学説

 ・概念の判断の立場から、科学的に社会主義・共産主義を展望

 

4.善は、主観的、形式的(§132)

● 善の洞察は、自我の内心の問題として、「主観の最高の権利」(同)

 ・しかし「同時にそれは主観的な形式によって形式的」

 ・善の洞察は、真でも誤謬でもありうる ──「個人の特殊な主観的教養に属す
  る」(同)

● 善は、主観的形式的善から、客観的善(倫理の世界)に移行しなければならない

 

5.善と道徳的義務(§133)

● 善は主観的意志の価値基準であると同時に道徳的義務

 ・自我は、善を「当為」としてそれ自体義務であるとみなすと同時に、善の成
  就を自己の義務ととらえる(より善く生きる義務)

 ・「義務は義務のために行われるべき」(同)

●「私は、義務を行うなかで自分のもとにおり、自由なのである」(同 追加)

 ・自由な意志の主体としての人格は、自己のうちに、善と義務との矛盾を定立
  し、それを解消しようとすることで、無限に発展する自由な人格となる
  ── 個人の尊厳
 
● 義務の抽象的普遍性(§134)

 ・善が主観的、形式的だから、義務も抽象的普遍性をもつのみ
  ── 義務はからっぽな義務(376ページ)

 

6.カントの道徳論批判

● 道徳的義務は、「善をなす義務」という無内容な同一性(§135)

● カントは道徳を最高の立場とした

 ・「汝の意志の格率がつねに同時に一つの普遍的な立法の原理として通用しう
  るように行為せよ」(§135 注5)

 ・「意志の認識は、カント哲学によってはじめてその確固たる概念と出発点
  を、彼の無限な自律の思想をとおして獲得した(§135 註解)

 ・内部に矛盾を定立し、解消することをくり返すことによる自由な人格の無限
  性を指摘

● カント批判

 ・主観的道徳の立場にとどまることにより、「空虚な形式主義」に(同)

 ・主観的道徳から客観的倫理に移行すべき

 ・カントの立場からは、「どんな内在的な義務論も不可能」(同)
  ── おのれの信じるところにしたがって行動せよ、というにとどまる

 ・「こういう仕方ではあらゆる不正かつ不道徳な行為の仕方が正当化されう
  る」(同)

 ・「カント哲学の立場では、原則そのものが存在していない」(同 追加)

 ・「たんに道徳的、関係の立場は、永遠につづく当為」をうろつきまわるのみ
  (同節)

 

7.良心(§136)

● 良心は、「おのれのうちにおける絶対的な自己確信であり、特殊性を定立する
 もの」(§136)

 ・「良心の、最もふかい内面的な、自分だけの孤独性」(同 追加)

 ・憲法19条「良心の自由」──「近代世界の立場」(同)

● 真実の良心(§137)

 ・主観的、形式的な善からは形式的な良心しか生まれない

 ・真実の良心は、「確固たる原則」(§137)をもつ── これが倫理の立場

 ・憲法76条3項「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行う」
  ── 裁判官の良心とは職守上の良心(公正公平な裁判をする)として、確固
  たる原則を持つ

 ・これに対し、証人の宣誓書における「良心」は、確固たる原則なし

● 形式的良心

 ・道徳における良心は、客観的な内容を欠き、無限な自己確信にとどまるとい
  う限界をもつ

● 良心のあやうさ

 ・善と悪とはメダルの表裏

 ・善と悪とをどう区別すべきか、が課題となる

 

*次回、第10講は第139節から第141節(道徳の最後)まで。