● 聴 講(①40:50、②32:55、③38:34)

 

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第13講 市民社会

 

ヘーゲルは、「経済社会」である「市民社会」の本質を、
自由な共同社会ではあっても、
「もろもろの欲求のかたまり」のエゴイズムの社会であるととらえる。
市民社会において後景に退いてしまった倫理的一体性を、
どう取り戻すのかの観点から市民社会を論じている。

この観点は、資本主義社会の人間を「利己的な人間」とした
マルクスにも引き継がれている。

すなわち、市民社会は近代的自我が自由な経済活動を展開する社会であるが、
他方では自我の「特殊性の権利」が「放埓な享楽と悲惨な貧困」を生み出し、
「倫理的な頽廃の光景を示す」ことになる。

したがって特殊性の市民社会は、
普遍性の国家によって規制されることによって、
特殊と普遍とは統一されねばならない。

「この放埓な享楽と窮乏との紛糾状態は、
この状態を制御する国家によってはじめて調和に達することができる」。

いわば、民主連合政府による「ルールある経済社会」を
展望するものといえる。