『ヘーゲル「法の哲学」を読む』より

 

 

第一六講 国家論

一、革命の哲学

国家論における二つの評価

 今日から第三章「国家」に入ります。今日は総論にあたる第二五七節から第二五九節までを予定しています。
 第一講で、ヘーゲルの『法の哲学』は革命の哲学であり、「自由の精神を賛美しつづけたヘーゲルは、挫折したフランス革命の精神の完成を自己の哲学――『法の哲学』において、思想のうえで完成させた」ことをお話ししました。
 『法の哲学』が革命の哲学であることは、何よりも第三章「国家」にあらわれています。しかし同時に、ヘーゲルの国家論こそ、ヘーゲルについての評価を全く異なるものに二分する分岐点となっているのです。一つには、ヘーゲルは立憲君主制の賛美者とか、プロイセンの御用哲学者であるとかの見解であり、他方では、ヘーゲルの国家論には、「革命がかくされている」とするエンゲルスの評価が存在するのです。
 このように評価を二分する要素を確かにヘーゲルの国家論はもっています。この問題の解明には、フランス革命からウィーン体制までの全経過と、『法の哲学』の講義がくり返しおこなわれた一八一七年から一八三〇年、とりわけ『法の哲学』の出版された一八二一年当時のプロシアの政治状況が考慮されなければなりません。
 プロシアは、一八〇六年のイエーナ会戦で、フランス革命のなかから登場してきたナポレオンに敗れ、絶対主義国家からナポレオン型国家体制への移行をめざすプロシア改革がおこなわれます。それが一八〇七年から始まった「シュタイン=ハルデンベルクの改革」といわれる上からの改革でした。ヘーゲルは、この改革を担ったシュタインなどの教養ある官僚群に期待を寄せますが、ウィーン会議ののち、再び貴族勢力が力を得て、改革は挫折してしまいます。
 このようなプロシア改革の後退に反対した学生たちは、「ドイッチェ・ブルシェンシャフト」という愛国的学生団体を結成して抵抗します。ヘーゲルがベルリン大学に赴任したとき、このような情勢にあったのです。
 ヘーゲルは、一八一八年からベルリン大学で『法の哲学』の講義をしながら、その執筆をはじめ、一八一九年秋頃には完成させたといわれています。
 ところが、一八一九年三月、過激派学生ザントによるコッツェブー殺人事件が起きます。メッテルニヒは、この機会を利用して公然と学生弾圧にのり出し、一八二〇年九月、悪名高き弾圧法「カールスバートの決議」を成立させ、大学の自治と自由は大幅に奪われてしまいます。好ましからざる大学教授が次々追放されるなかで、一八二〇年六月二五日付序文のある『法の哲学』は、検閲を経てようやく一八二一年出版されたのです。ヘーゲルがフランス革命の自由の精神を賛美し、プロシア改革に期待を寄せつつも、プロシア国家の専制政治の直轄地である国立ベルリン大学で教鞭をとり続けるには、ヘーゲルなりの苦労があったことは想像に余りあるものがあります。『法の哲学』には、そのヘーゲルの苦悩の色がにじみ出ているのです。だからこそ、その革命の哲学は、その真の姿を巧みに押し隠しヴェールに包まれて登場することになったのです。
 では何故、ヘーゲルの本音は、革命の哲学にあることが分るのか、そこが問題です。
 ヘーゲルがまだ生存中の一八二七年(一八三一年死亡)、「一般ドイツ実用百科事典」が出版され、その第五巻に「ヘーゲル」の項目が設けられています。それは、ヘーゲル自身の執筆したものではありませんが、ヘーゲル本人でなければ知りえないような個人的な情報が記されているので「ヘーゲルがなんらかの形でこの文章の作成にかかわったとみてよいと思われる」(加藤尚武編『ヘーゲルを学ぶ人のために』二八一ページ、世界思想社)とされています。
 そのなかに、次のような文章があります。
 「この注目すべき体系について、全体としては、この体系をその基礎からみて検討したり、その方法の適用という点で追究したような根本的な評価が、これまでのところ依然としてただのひとつも見出されていないというのは驚くべきことである。ヘーゲルの最近の諸論文を評価する人たちは、ヘーゲルの体系のほんの一隅に突き当たるか、あるいは、一般に体系を批判するかしてきただけで、ヘーゲルの初期の諸論文に含まれている根本にまですることはない」(同二八〇ページ)。ここにいう「ヘーゲルの最近の諸論文」に、一八二一年出版の『法の哲学』が含まれることはいうまでもありません。
 ハイネは、死のベッドにあったヘーゲルの言葉をこう伝えています。「『わしの意見がわかってくれたのは、ただ一人いただけだ』。けれども、すぐそのあとで腹だたしげに、こうつけくわえた。『いや、あの男もほんとうに分ってはくれなかった』」(同二五六ページ)。
 これを先の百科事典の項目とあわせ読むと、『法の哲学』の真意を分ってもらえなかった嘆きとみることができるでしょう。
 では「初期の諸論文」に含まれている根本とは何か。ヘーゲルの初期論文は、「ヘーゲル初期神学論」としてまとめられています。キリスト教をめぐる考察がテーマとなっているのですが、実際には、キリスト教に名を借りてフランス革命の光と影の問題点を追究しているのです。
 一八〇〇年一一月、ヘーゲルは、哲学者の道を決意し、シェリング宛に有名な次の書簡を残しています。
 「僕の学的な形成は人間のより下位の欲求からはじまったが、それがすすむにつれて僕は学へとかりたてられないわけにはゆかなかった。青年時代の理想は、反省形式へと、同時にひとつの体系へと、変化せざるをえなかった。いま僕は、それにとりかかりながら、人間の生にくいこむどのような帰り道があるだろうかと自問している」(同二三ページ)。
 つまり、先の「百科事典」で言いたかったのは、『法の哲学』の真意が、ヘーゲルの「青年時代の理想」であったフランス革命の光と影をふまえた革命の哲学にあったことを、読みとって欲しいということだったのではないでしょうか。
 この観点から『法の哲学』の国家論を読むとき、その全体像をすっきり、鮮明にとらえることができると思います。ヘーゲルの国家論は、以下に述べるように、三重の意味でヘーゲル特有の革命の哲学となっています。

国家論は三重の意味での革命の哲学

 フランス革命は、「自由・平等・友愛」のスローガンを掲げてたたかわれるところとなりました。このフランス革命を理論的に指導したのが、ジャン・ジャック・ルソーの『社会契約論』でした。
 ルソーは、自然状態で自由・平等であった人間は、私有財産とともに不平等と隷属と貧困に屈服することとなったと考え、この状態から抜け出すために、人々は「社会契約」を結んで、自由・平等の未来社会を実現しなければならない、と主張しました。
 つまり、未来の真にあるべき社会は、自由な意志のうえに構築されねばならないとルソーは考えたのです。では、その未来社会は、どうやって自由・平等を実現するのか。それは、私有財産制を廃止するとともに、人民の「一般意志」による統治、つまり治者と被治者の同一性を実現する統治でなければならない。「一般意志」は、人民の「全体意志」から区別される「人民の真にあるべき意志」であり、この一般意志を国家意志とした国家統治によって、人民主権、人民が主人公の国家が誕生し、治者と被治者の同一性が実現される、というのです。
 フランス革命に熱狂したヘーゲルは、ルソーの掲げた、自由な意志にもとづく自由な国家(社会)の形成と一般意志による統治の理論に、フランス革命の精神を見出し、これを自己の国家論に取り入れていくのです。ここに、ヘーゲルの国家論における第一の革命があります。
 フランス革命は、まず絶対君主制から立憲君主制へ、次いで王制廃止・第一共和制の樹立へと展開していきます。第一共和制のもとでのジャコバン独裁は、ルソーの唱える人民主権論にたった政治を掲げながらも、実際には、反革命とみなしたものを次々にギロチンの犠牲とする恐怖政治となってあらわれました。
 フランス革命を賛美してきたヘーゲルは、この事実に衝撃を受け、ルソーの人民主権論に疑問を感じるようになり、第二の革命への道を模索することになります。
 すなわち、その後フランス革命は、テルミドールの反動を経て、総裁政府に、そしてナポレオン体制とその崩壊、メッテルニヒの指導するウィーン体制という反動的復古体制へと続き、それはプロシアにも及んできたのです。ここにフランス革命の挫折は決定的となります。
 フランス革命が恐怖政治を生みだしたことは、フランス革命における自由の精神を賛美し、自由な意志と人間の尊厳、個人の尊厳を人間の本質と考えるヘーゲルにとって、けっして曖昧にはできない問題でした。しかしそれ以上に、絶対主義国家に逆もどりすることは、何としても食いとめなければならない課題でした。
 そこで、あらためて挫折したフランス革命の精神を恐怖政治への道を通ることなく完成させ、復古体制への回帰を許さない思想上の革命を、『法の哲学』の国家論で展開することになったのです。ヘーゲルは、ルソーの人民主権論は、一般意志をとらえた点では正しかったとしながらも、それを主権在民つまり人民の特殊的意志に委ねたところに問題があったと考えます。そこで「シュタイン=ハルデンベルクの改革」を念頭におきながら、人民の全体意志によってではなく、優秀な官僚群の手による一般意志の形成を唱えるにいたるのです。ここにヘーゲル国家論における第二の革命があります。
 国家論における第三の革命は、ヘーゲルの市民社会論との関わりにおける革命の問題です。
 市民社会を「あらゆる歴史のほんとうの竈であり現場である」(全集③三二ページ)ととらえたマルクスは、次のようにのべています。
 「市民社会ということばは一八世紀において、所有関係がすでに古代的および中世的共同体から脱け出ていたときに現われた。市民社会らしい市民社会はやっとブルジョアジーとともに展開する。国家と爾余の観念論的上部構造の土台をいつでもなしているところの、じかに生産と交通から展開する社会組織がその間ずっとこの名称でよばれつづけてきた」(同)。
 市民社会、つまり資本主義経済社会は、それに特有の富と貧困の対立という矛盾を生みだします。
 この点に関するヘーゲルの認識は、マルクスが『資本論』で示したところと大差はありません。
 問題は、この矛盾をどのようにして解決するのかにあります。ヘーゲルは、この矛盾を、政治的革命、つまり国家の革命によって解決しようとしました。それが『法の哲学』の国家であり、ここに国家論の第三の革命があります。もっとも、ヘーゲルは市民社会の矛盾を止揚するものとして国家をとらえているのですが、国家論では、「いかにして貧困を取り除くべきかという重大問題」(第二四四節、追加)についての直接的回答は示していないという制約をもっています。
 これに対してマルクスは、政治的革命ではなく、土台である経済的諸関係の革命による矛盾の解決を訴えたのです。
 この違いについては、第一三講でも、マルクスの「ユダヤ人問題によせて」を引用しながらお話ししてきました。ここでは、マルクスの「ヘーゲル国法論批判」(全集①二三二ページ以下)との対比で、ヘーゲルの革命論をみていきたいと思います。この論文は、『法の哲学』全体に対してではなく、第三章「国家」(第二五七節から第三六〇節)のうちの約半分に相当する第二六一節から第三一三節までをとりあげ、マルクスは逐条的なヘーゲル批判をおこなっています。つまり、ヘーゲルの市民社会論との関係で国家論をとりあげているのではなく、いきなり国家論の批判のみを展開しているのです。ヘーゲルが市民社会の矛盾の止揚として国家論を展開しているのに対し、「国法論批判」における「市民社会論批判の欠落は、マルクスにおける近代自然法国家理論そのものの本格的検討の欠如を同時に意味する」(柴田高好『ヘーゲルの国家理論』二五八ページ、日本評論社)との批判を生みだしていることも紹介しておきたいと思います。
 以上を前置きとして、本論に入っていくことにしましょう。

 

二、真にあるべき国家とは何か

国家は倫理的理念の現実性(第二五七~二五八節)

 「国家は倫理的理念の現実性である。――すなわちはっきりと姿を現わして、おのれ自身にとっておのれの真実の姿がうべくもなく明らかとなった実体的意志としての倫理的精神である」(第二五七節)。
 国家は、社会共同体のなかの最高の存在です。第一四二節で、「倫理とは、現存世界となるとともに自己意識の本性となった、自由の概念である」ことを学びました。つまり倫理とは、自由な意志の真にあるべき姿(概念)が、主体的にも、客観的にも実現されることを意味していますが、その倫理的理念が文字どおり現実となったものが、国家だというのです。
 国家においては、自由の精神という倫理的精神、「共同体の精神」が、主観的にも客観的にも「はっきりと姿を現わして、おのれ自身にとっておのれの真実の姿が見紛うべくもなく明らかとなった実体的意志」としてあらわれてくるのです。ヘーゲルにとってもっとも重要なことは、フランス革命のかかげた自由の精神が、人間社会において貫徹されることにあり、それはとりわけ国家において実現されねばならない理念なのです。
 「国家は習俗において直接的なかたちで顕現し、個々人の自己意識、彼の知と活動において媒介されたかたちで顕現するが、他方、個々人の自己意識もまた、心術を通じて彼の実体的自由を、彼の本質であるとともに彼の活動の目的と所産であるところの国家のうちにもっている」(同)。
 一方で自由な国家は、個々人の生活のなかにあらわれ、他方、個々人は、自由な主体であることを、国家の一員であることをつうじて実感することになるのです。
 第一一講でお話ししたように、ヘーゲルは真にあるべき国家を、治者と被治者の同一性、つまり統治する者も人民であり、統治される者も人民という真の人民主権国家を念頭においています。その見地からここでは、国家と人民の相互媒介の関係をみているのです。

国家は即自かつ対自的に理性的なもの(第二五八節)

 「国家は、実体的意志の現実性であり、この現実性を、国家的普遍性にまで高められた特殊的自己意識のうちにもっているから、即自かつ対自的に理性的なものである。この実体的一体性は絶対不動の自己目的であって、この目的において自由はその最高の権利を得るが、他方、この究極目的も個々人に対して最高の権利をもつから、個個人の最高の義務は国家の成員であることである」(第二五八節)。
序文で「理性的であるものこそ現実的であり、現実的であるものこそ理性的である」ことを学びました。ヘーゲルの考える真にあるべき国家は、「即自かつ対自的に理性的なもの」(絶対的に理性的なもの)として、現実となるべき必然性をもっているのです。
 では、理性的国家とは何か。それは、国家と人民とが相互に浸透しあって一体化し、治者と被治者との同一性の実現された人民主権国家を意味しています。
 「理性的であるということは、抽象的に考察すると、総じて普遍性と個別性とが相互に浸透しあって一体をなしているということである。これを国家に即して具体的にいえば、内容の上では、客観的自由〔すなわち普遍的実体的意志〕と主体的自由〔すなわち個人的な知と特殊的諸目的を求める個人的な意志〕とが一体をなしていることであり、――それゆえ形式の上では、行動が思惟された法則および原理によって、すなわち普遍的な法則および原則によって規定されるということである」(同、注解)。
 この国家と人民との一体化を実現する「普遍的な法則」とは、ルソーのいう「一般意志」(ヘーゲルのいう普遍的意志)を体現した憲法に他なりません(この点は、次講で詳しく展開することにします)。この憲法が、国家において、「はっきりと姿を現」わした「共同体の精神」なのです。
 普遍的意志を媒介にして治者と被治者の同一性が実現した国家において、人民は、倫理的実体(自由の現存在)としての国家と一体となり、この一体性のなかで自由はその最高の権利を獲得します。それはちょうど家族という倫理的実体において、その成員が家族としての一体性のなかで自由であったのと同様の関係に入るのです。
 ヘーゲルにとっては、あくまで国家が実体であり、人民は偶有という関係にすぎません(第一四五節、追加)。しかし、これは国家と人民との関係を、どちらを起点にして考えるかという問題にすぎません。ヘーゲルとしては、あくまで真にあるべき国家は、自由の現存在という「即自かつ対自的に理性的なもの」であり、個人の特殊的恣意の寄せ集めから生じた恣意的なものであってはならないとの考えから、国家を実体としてとらえているのであって、それ以上のものではありません。
 ですから、国家と人民の関係は、けっして国家が一方的に人民を支配するというよそよそしい関係ではなく、「個個人の最高の義務は国家の成員である」(第二五八節)ような関係なのです。
 先に、倫理的一体性のもとにおける倫理的義務は、「義務においてこそ個人は解放されて実体的自由を得る」(第一四九節)ことを学びました。
 真にあるべき国家において、人民は、自ら国家統治に主体として参加する、国家の成員としての倫理的義務を負っています。いわば国の主人公として、国を治めるべき義務と責任とを負っているのです。そしてこの責任と義務を履行することによって、真に自己の主体的自由を実現すると同時に、自由な国家を建設することをつうじて、人間としても解放されることになります。

真の共同は真の自由

第一一講において、ヘーゲルの自由論は「最高の共同性は、最高の自由である」とする自由論だとお話ししてきました。いま国家という自由の現存在の「最高の共同性」にまで到達することによって諸個人も解放され、「最高の自由」に到達するのです。
 このヘーゲルの真の共同は真の自由であるとの考えは、マルクスにも引き継がれています。
 「〔他人たちとの〕共同こそが〔各〕個人がその素質をあらゆる方向へ伸ばす方便なのである。したがって共同においてこそ人間的自由は可能となる。国家等々のような従来のインチキ共同態においては人間的自由はただ、支配階級の境遇のなかで育成された諸個人にとってのみ、そしてただ、彼らがこの階級の個人であったかぎりにおいてのみ、存在したにすぎない。諸個人が従来相寄って結成した見かけ上の共同態はいつも彼らを向こうにまわして独り立ちしたのみならず、同時にまたそれは一つの階級の、他の階級にたいする団結であった以上、被支配階級にとってはたんに一つのまったく幻想的な共同態であったのみならず、また一つの新しい桎梏でもあった。ほんとうの共同態において諸個人は彼らの連帯のなかで、またこの連帯をとおして同時に彼らの自由を手に入れる」(全集③七〇ページ)。
 また、ヘーゲルが人間の本質を国家という共同体に求め、国家と人民の一体化と、人民が国家の一員として国家に積極的に関わるところに、人間解放の姿を求めるところも、マルクスと共通するものとなっています。
 「類的活動と類的精神の、現実的で意識的な真の定在が、社会的な活動と社会的な享受である。人間の本質は、人間が真に共同的な本質であることにあるのだから、人間は彼らの本質の発揮によって人間的な共同体を、すなわち、個々の個人に対立する抽象的・普遍的な力ではけっしてなく、それ自体それぞれの個人の本質であり、彼自身の活動、彼自身の生活、彼自身の精神、彼自身の富であるような、社会的な組織を創造し、産出する」(全集㊵三六九ページ)。
 人間の本質は、「真に共同的な本質」にあるのだから、真の共同体は、「個々の個人に対立する抽象的・普遍的」存在であってはならず、共同体が即、諸個人の生活、精神、富となるような、共同体とその成員の一体化でなければならない、というのです。 
 しかも、その一体化は、成員が自分の固有の力を共同体の力、社会的な力にかえるものでなければならず、この一体化をつうじて、人間は、人間の本来の姿をとりもどし、人間として解放されることになるのです。もう一度「ユダヤ人問題によせて」からの引用をしておきます。
 「あらゆる解放は、人間の世界を、諸関係を、人間そのものへ復帰させることである。……現実の個別的な人間が、抽象的な公民を自己のうちにとりもどし、個別的人間のままでありながら、その経験的な生活において、その個人的な労働において、その個人的な関係において、類的存在となったときはじめて、つまり人間が自分の『固有の力』を社会的な力として認識し組織し、したがって社会的な力をもはや政治的な力の形で自分から切りはなさないときにはじめて、そのときにはじめて、人間的解放は完成されたことになるのである」(全集①四〇七ページ)。
 「抽象的な公民を自分のうちにとりもどし」とあるのは、人間の真の共同的本質を共同体に対する倫理的義務の履行をつうじてとりもどすという意味でしょう。この義務の履行により真の共同的本質を取りもどした人間を、マルクスは「類的存在」とよんだのであり、人間がその「類的存在」をとりもどし、自分を社会的力として組織したときに、人間的解放は完成するというのです。
 こうしてみてくると、ヘーゲルのとらえる真にあるべき国家と、マルクスの未来社会とは、いずれも共同体の一員として倫理的義務を履行することによる人間解放の社会であるという、基本的な部分において共通するものがあることが分かります。
 これから、国家機構の内部に分け入っていくと、ヘーゲルはプロイセン国家の検閲を考慮したためか、以上の国家の理念の影は、やや薄くなるのですが、ヘーゲルの真意は、以上の総論部分に集約されているとみるべきでしょう。
 さて、それでは、再びテキストに戻ることにしましょう。

国家の理念(第二五八節、注解)

 このようにヘーゲルは、国家を絶対的に理性的なものとしてとらえるのですが、このような理性的な国家と市民社会とを取り違えてはならない、といっています。
 というのも、市民社会の使命は、「所有と人格的自由との安全と保護」(第二五八節、注解)にあり、したがって、個々人は、個々人の利益のために市民社会の一員となるからです。これに対し国家の場合は、自由の精神という共同体の精神を国家の理念とするものですから、個々人は、個人的利益のために国家の一員となるのではなく、個々人が「客観性、真理性、倫理性」(同)をもち、真に自由になるために国家の一員にならざるをえないという関係にあるのです。
 こうした見地から、ヘーゲルは国家の理念に関する二つの見解を批判しています。
 まず一つは、ルソーの『社会契約論』の批判です。
 ヘーゲルは、ルソーが「形式上だけではなく内容上も思想であり、しかも思惟そのものであるような原理、すなわち意志を、国家の原理として立てたという功績がある」(同)として、自由な意志から出発して国家の原理をうちたてようとしたことを高く評価しています。しかし、他方でヘーゲルは、ルソーが普遍的意志(一般意志)を「意志の即自かつ対自的に理性的なものとしてではなく、ただ意識された意志としてのこの個別的意志から出てくる共同的なものとして捉えたにすぎない」(同)と批判しています。
 つまり社会契約国家は、個人の恣意にもとづく契約であり、「個々人の恣意や意見や任意の明白な同意」(同)という特殊的意志を基礎とするものであって、理性的な意志を基礎とするものではないところに問題があった、とヘーゲルはいうのです。そこから、「われわれが人類史について知って以来はじめての、途方もない光景」(同)、つまりフランス革命の恐怖政治が生じたのだといっています。
 ルソーの『社会契約論』は、哲学的考察により国家の概念をつかもうとしながらも、国家を理性的なものとしてではなく、恣意を基礎としてとらえたところから、恐怖政治を生みだしてしまったと批判しているのです。
 これに対して、もう一つ別の面から、国家を理性的なものとしてとらえない説があります。フォン・ハラーの『国家学の復興』がそれです。
 「国家の認識において、国家をそれだけで理性的なものとして捉える思想に反対するもう一つの説は、現象の外面性を、すなわち窮乏、保護の必要、勢力、財富などといった偶然的なものの外面性を、国家の史的発展の諸契機とはとらずに、国家の実体ととりちがえる説である」(同)。
つまり、ハラーの国家論は資本主義社会における富と貧困の対立という現象をそのまま「国家の実体」ととらえて、これをそのまま是認し、これを理性的国家にむけての「史的発展の契機」としてとらえない現状肯定的国家論だとの批判です。
 ハラーは、「より力のある者の支配こそ神の永遠の秩序」(ヘーゲル注)との立場から、理性国家を目指したフランス革命を激しく批判し、「国家がそれであるところの理性的内容と思想の形式」(第二五八節、注解)に「激しく食ってかかっ」(同)たのです。
 真にあるべき国家、つまり理性的な国家(国家の理念)は、現状を直視し、それに哲学的考察を加えることによってしか、導き出すことはできないのです。
 「国家の理念というとき、特殊な国家や特殊な制度を念頭においてはならない。むしろ理念を、すなわちこの現実的な神を、それ自身として熟視しなければならない」(同、追加)。
 現実の国家は、問題だらけであり、「恣意と偶然との圏内に立って」います(同)。
 しかし、こうした欠陥にもかかわらず、現実の国家は、肯定的なものとして存続しているのであって、「この肯定的なものこそここでの問題」(同)なのであり、この肯定的なものが、真にあるべき国家に向っての「史的発展の諸契機」となるのです。
 ここに、「どうせましなものは得られないものとし、それゆえただ現実との平和が保たれさえすればいいとするような、冷たい絶望でもっても理性は満足しない。認識が得させるものは、もっと熱い、現実との平和である」との「序文」にみられるヘーゲルの熱い変革の立場をみることができます。
 以下第三章「国家」は、「国内公法」、「国際公法」、「世界史」の三つに分けて考察されることになります(第二五九節)が、そこに入る前に、もう一つ検討すべき重要な問題があります。それが、ルソーのいう「一般意志」の問題なのです。