● 聴 講(①42:59、②30:53、③24:30)

 

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第17講 人民の一般意志にもとづく統治

 

国家とは「倫理的理念の現実性」であるから、
国家としての理念をもたなければならない。

ヘーゲルは、ルソーには「意志を国家の原理として立てたという
功績がある」としながらも、彼のいう「一般意思」は
「個別的意思から出てくる共同的なもの」、
つまり「全体意思」に すぎないと批判している。

しかし、これはヘーゲルの弾圧を逃れるための偽装工作にすぎない。

ヘーゲルは、ルソーの「一般意思」を批判するポーズをとりながら、
国家と人民との一体性を実現するには「一般意思」を統治の原理とする以外には
ないと考え、ひそかにそれを密輸入している。

また、他方でヘーゲルはプロイセンの立憲君主制を支持しているところから、
「法の哲学」は反動的との批判を受けた。
しかしこれも隠れ蓑のひとつであり、一方で立憲君主制を高く掲げながら、
他方で「一般意思」を掲げた憲法があれば、
君主は「署名するほかにはなすべきことはない」として
立憲君主制を形骸化している。