2004年 講義

 

 

第17講 人民の一般意志にもとづく統治

 

1.一般意志

① 主体的自由の権利を認めながら、
  いかにして特殊性と普遍性の統一を実現するかが問題

● ヘーゲルはルソーの社会契約論が、個人の意志の自由(主体的自由の権利)
 から出発して、その特殊的意志にもとづく社会契約国家を主張したところに、
 恐怖政治の原因を見いだした。

● かといって、プラトンの普遍的国家により、特殊性を否定することは、自由な
 意志の否定につながる

● 特殊性から出発しながら、いかにして普遍性に到達するかは問題


② ルソーの一般意志

● ルソーは、人民の特殊的意志の総体としての全体意志と人民の一般意志とを区
 別

● 人民の一般意志とは、人民の真にあるべき意志

● ルソーは、神のような天才によって、人民の一般意志が形成され、全体意志
 は、一般意志へと導かれると考えた


③ ヘーゲルも、ルソーの一般意志論をひそかに取り入れている

● 一方では、ルソーは、「普遍的意志を、意志の即自かつ対自的に理性的なもの
 としてではなく、ただ意識された意志としてのこの個別的な意志から出てくる
 共同的なものとして捉えたにすぎない」(§258 註解)と批判

● しかし、他方で「ルソーは、国家の法律は普遍的意志(注、一般意志)から生
 じなければならないが、といって決して万人の意志(注、全体意志)である必
 要はない、と言っている。もしルソーが常にこの区別を念頭においていたら、
 かれはその国家論にかんしてもっと深い業績を残したであろう。普遍的意志と
 はすなわち意志の概念であり、もろもろの法律はこの概念にもとづいている意
 志の特殊規定である」(「小論理学」㊦ 129ページ130ページ)とのべている

● 意志の「概念」とは、意志の真にあるべき姿

● これを受けてヘーゲルは、「近代における国家理念の特色は、国家を主観的意
 向に基づくのではくて意志の概念、すなわち意志の普遍性に基づく自由の実現
 態とするところにある」(§260 追加)としている


④ ヘーゲルの国家論も、人民の一般意志にもとづく統治による治者と
  被治者の同一性実現という、ルソーの人民主権論のうえに構築されている

● このことは、いままで誰も指摘していないが、これこそヘーゲルの革命の哲学
 のあらわれといってよい

 

2.「国内公法」

① 国家は、特殊性と普遍性の統一(§260)

●「国家は、具体的自由の現実性」(同)

 ・具体的自由とは、主体性の原理を余すところなく発展させると同時に、国家
 を「おのれ自身の実体的精神として承認」し「この普遍的なもののためにはた
 らく」ことにある(§147参照)

 ・特殊性(主体性的自由)から出発しながら、特殊性と普遍性を統一

●「近代的国家の原理のもつとてつもない強さと深さ」(同)

 ・主体性の原理(主体的自由の原理)の完成と同時にこの原理そのもののうち
  に国家との「実体的一体性を保つ」(人民は国家であり、国家は人民である)

 ・古代国家(プラトンの国家)では、普遍性は見出されても、主体的自由が実
  現されていない


② 権利と義務の合一(§261)

● 倫理的義務論(§148)

 ・人民と国家とは「同一の関係」(§147)

 ・「義務においてこそ個人は解放されて実体的自由を得る」(§149)

● 国家の二面性(§261)

 ・国家は、一面では、家族、市民社会の「上に立つより高い威力」(同)

 ・しかし他面では、国家は、家族、市民社会の「内在的目的」(同)

● 諸個人は、人民の一般意志を実現するよう国家に要求する権利をもつと同時
 に、一般意志を国家の意志として実践する義務を負う--権利と義務の合一

 ・「市民がもろもろの義務を国家に対する努めおよび職務として果すことに
  よってこそ、国家は維持され存続する」(同 註解)

● 権利と義務との合一は、特殊的利益と普遍的利益との一致から生じる

 ・「個人はおのれの義務を履行することにおいて、……同時におのれ自身の利
  益を」得る(同)

 ・特殊的利益と普遍的利益との一致によって「特殊的利益そのものも、普遍的
  なものも、ともに維持される」(同)

 ・人民の一般意志を実現することは、諸個人の特殊的意志を実現することになる

③ 国家は普遍的精神(§262~§270)

● 国家は、最高の倫理共同体として、「生きている現存せる精神」(§151)

 ・倫理的なものは、諸個人の一般的な行為の仕方(習俗)として現われる

 ・習俗は、「生きている現存せる精神」として、「自由の精神に属するもの」
  ── 共同体の精神

● 国家の精神は、家族と市民社会の圏における「観念性」(真理)としての「対
 自的に無限な現実的精神」(§262)

 ・具体的には、人民の一般意志を実現することが国家の精神

● 国家と、市民社会、家族の関係

 ・国家は、家族、市民社会に対し、人民の一般意志を諸制度(婚姻制度、司法
  制度、福祉行政と職業団体)として示す(§263)

 ・国家は神経組織、家族は感受性(自己再生産)、市民社会は反応性(対外活
  動)(同 追加)

 ・家族と市民社会を支配する掟ないし法則の「根拠、究極の真理は精神」(同)

● 国民の二重の契機(§264)

 ・個別性の権利と普遍性の権利--私人と公民の統一

 ・国民は、「普遍的なものとしての諸制度のうちに、おのれの本質的な自己意
  識をもつ」(同)

● 諸制度は、自由と必然の統一(§265)

 ・これらの諸制度は、諸個人の主体的自由を、必然性を認識した自由に高める
  もの

 ・要は、理性の掟と特殊的自由の掟とが融合し、私の特殊的目的が普遍的なも
  のと同一になるということ」(同 追加)

 ・「国家の目的は、市民たちの幸福である」(同)

● 国家の精神は、自由と必然の統一(§266)

 ・国家の精神である真にあるべき意志を体現した諸制度は、必然性としての威
  力(§263)をもつと同時に、普遍的な自由の意志を体現したものとして自
  由の形態

● 国家の精神(理念)の主体的実体性と客体的実体性(§267)

 ・主体的実体性は、政治的心術としての愛国心(§268)── 愛国心は、一般意
  志を体現する国家への信頼から生まれる

 ・客体的実体性は、一般意志を実現する政治的体制、一般意志をつらぬく有機
  組織(§269)

● 国家の実体性(倫理的一体性)(§270)

 ・国家の目的は、国家の実体性(一体性)を実現する(普遍的利益と特殊的利
  益との統一)ことにある

 ・国家の実体性(主体性)は、諸権力へのおのれの区分を生みだす

● 国家の実体性こそ、国家は人民の一般意志を目的とし、行動する存在であるこ
 とを自覚することにある


④ 政治体制としての国家(§271~§274)

● 国家は、政治的体制として、有機的生命体であり、他方で、排他的一者(対外
 主権)である(§270)

● 国家は、一般意志を国家意志として持つ一個の生命体であり、生命(概念の肉
 体化)の本性にしたがっておのれ自身を区別し、規定する(§272)

 ・区別された諸権力--普遍性としての立法権、特殊性(司法活動、福祉行政
  権)としての統治権、個別性としての君主権

 ・しかし、区別された諸権力は、「それ自身において一個の全体をなさなくて
  はならない」(同 追加)

● モンテスキュー批判(同)

 ・モンテスキューの権力分立の思想には、国家権力は概念にしたがって区別さ
  れるという「理性的規定性の契機」がある

 ・しかし、権力分立思想を抽象的悟性によってとらえると、諸権力は相互に絶
  対的自立性をもっているとしたり、諸権力相互の関係を否定的に捉えること
  になってしまう

 ・この考えは、国家の「生きた一体性」を損うもの
 
● 政治的体制の実体的区分(§273)

 ⅰ)立法者 ── 普遍的な一般意志を規定し確定する権力

 ⅱ)統治権 ── 一般意志のもとに、特殊的な諸圏を包摂する権力

 ⅲ)君主権 ── 最終意志決定としての主体性(個別性)の権力

● 立憲君主制

 ・「立憲君主制への成熟は、実体的理念が無限の形式_を獲得した近代世界の
  業績」(同 註解)

 ・立憲君主制は、一般意志の実現という国家の理念が、おのれ自身を区別して
  諸権力として解き放つと同時に、それら諸権力を一般意志という「概念の理
  想的一体性のうちに保持」しているところに、最高の政治的体制

 ・古代の国家体制(君主制、貴族性、民主制)は、いまだ内部的区別をもたな
  い実体的一体性を基礎にしているにすぎないから、「具体的な理性的状態に
  到達していない」(同)→しかし、ヘーゲルのこれまでの主張からすると、
  一般意志を国家の意志とし、国家を一般意志の貫徹する有機組織とすれば、
  治者と被治者の同一性を実現しうるのであって、立憲君主制でなければなら
  ない必要性はない

● 近代世界の原理は主体性の自由(同 追加)

 ・君主制がよいか、民主制がよいかは「くだらない問い」

 ・「おのれのうちに自由な主体性の原理があることにたえることができず、成
  熟した理性に適合するすべを心得ていないようないっさいの国家体制の形式
  は、一面的な形式」(同)

● 国民の自己意識が国家体制を規定する(§274)