● 聴 講(①34:11、②41:12、③④33:57)

 

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第18講 主権在民の人民主権国家

 

ヘーゲルは「一般意思」を統治原理にすることを主張しながらも、
それを掲げたジャコバン独裁が恐怖政治を招いたところから、
人民は「定形のない塊り」であるとして国民主権を批判する。

「君主主権に対立させられた国民主権は、
国民についてのめちゃな表象に基づく混乱した思想の一つである」。

問題は、「世論のなかでは、真理と限りない誤謬とが
きわめて密接に結合している」のであり、
果たして人民に委ねて「一般意思」を形成しうるのかの点にある。

ヘーゲルは世論の中から真実を見出すのは「時代の偉人」であるとして、
それを当時の進歩的官僚に求めた。

そこにヘーゲルの限界がある。

それを乗り越えたのがマルクスの「プロレタリアートの執権」論である。

マルクスは、パリ・コミューンの経験をつうじて、
人民の中から「一般意思」を引き出すためには、
人民の導き手としての労働者階級の政党が必要であり、
それを「プロレタリアートの執権」とよんだもの。