2004年 講義

 

 

第19講 ヘーゲルからマルクスへ

 

1.マルクスの問題意識

●「経済学批判序言」(全集⑬ 6ページ)

 ・ マルクスを悩ませた国家と市民社会との関係の問題

 ・その解決のために「ヘーゲルの法哲学の批判的検討」

● マルクスの『法の哲学』批判論文(すべて全集①に収録)

 ・1843年夏「ヘーゲル国法論批判」(未完の草稿、生前未発表)
  ──(『法の哲学』の国家論の一部のみ逐条的批判)

 ・1843年秋「ユダヤ人問題によせて」1843年末「ヘーゲル法哲学批判序説」
  (「国法論批判」の序として書かれたもの)

 ・1844年7月「批判的論評」

● エンゲルス『フォイエルバッハ論』(全集㉑ 267ページ)

 ・マルクス、エンゲルスがヘーゲル哲学からどのようにして出発し、それから
  離れたかを「手短かに叙述」

 ・しかし『法の哲学』全体にわたっての検討はされていない

● 結局『法の哲学』の批判的検討は、科学的社会主義の学説の出発点となるもの
 の、全面的には展開されないままとなっており、現代の課題となっている。

 

2.マルクスのヘーゲル批判

① 史的唯物論の出発点

● 国家と市民社会の関係をどうみるか ──「経済学批判序言」のテーマ

● ヘーゲルの見解

 ・国家と市民社会をはじめて明確に分離してとらえ、かつ両者を対立するもの
  ととらえた

 ・官僚と中間団体(職業団体、地方自治団体)を媒介に、国家と市民社会の対
  立を克服し、治者と被治者の同一性の実現を目指す

 ・国家が市民社会を規定する

● マルクスの批判

 ・国家と市民社会の同一性は、幻想にすぎないと批判

 ・それを証明したフランス革命 ── 国家のもとでは平等、市民社会では不平
  等、天上と地上の二重生活

 ・しかし、「国法論批判」ではそれ以上に市民社会の革命の必要性は指摘され
  ていない

 ・まだ明確に市民社会が国家を規定するという史的唯物論の見地に立っていな
  い

● 土台と上部構造の関係

 ・基礎は、土台(市民社会)が上部構造(国家 ── 政治、法)を規定する

 ・マルクスも、社会革命の時期には、上部構造全体が急激に覆ることを認めて
  いる

 ・しかし、覆ったあとの土台と上部構造の関係は、明確にされていない

 ・ヘーゲルは、革命期に上部構造である国家が土台である経済体制を規制する
  ことがあることを先駆的に指摘 ── これにより民主連合政府の理論的根拠を
  提供

 ・他方ヘーゲルは、真にあるべき国家を資本主義の枠内での民主的改革にとど
  め、社会主義・共産主義を展望しえてない


② ヘーゲルの観念論批判と変革の立場

●「法哲学批判序説」で、二つの批判

 1)ドイツの立憲君主制を批判し、民主制を主張

 2)観念論的体系の批判

●「国法論批判」の基調は、観念論批判

 ・「論理的汎神論的神秘主義」(全集① 236ページ)

 ・主語と述語の転倒(フォイエルバッハの立場からのヘーゲル批判)
  →しかし、第一にヘーゲルが「真にあるべき国家」という国家の概念・理念
   を論じていること、第二に「革命の哲学」という真の意図を押し隠すため
   の観念論的表現も推測される

● しかし、マルクスはやがて、フォイエルバッハには変革の立場がなく『法の哲
 学』にそれがあることに気づき、ヘーゲルを再評価(1845年夏)

 ・「これまでのあらゆる唯物論(フォイエルバッハのも含めて)の主要欠陥
  は、対象が実践として主体的にとらえられないこと」(全集③ 3ページ)

 ・「能動的側面は、……抽象的に観念論によって展開されることになった」(同)

 ・この観念論は、ヘーゲルの『法の哲学』を指すものと思われる

● エンゲルスも『フォイエルバッハ論』(全集㉑ 291ページ)で同様の評価

 ・『法の哲学』は「形式的観念論的であるが内容は実在論的、フォイエルバッ
  ハではこれと正反対である」(同)


③ プロレタリアート執権論への道

● 立憲君主制への批判

 ・「ヘーゲルの咎められるべきなのは、彼が現代国家の在り方をあるがままに
  描くからではなく、現にある姿を国家というものの在り方だと称するからで
  ある」(全集① 301ページ)

 ・『法の哲学』の君主制は、「朕は国家なり」←一寸言い過ぎ。ヘーゲルの君
  主制は名目的君主制

 ・国家が市民社会を規定する

● ヘーゲルの国民主権批判

 ・ヘーゲル「国民というものは、君主を抜きにして解されたり、……する場合
  は、定形のない塊りであって、これはもはや国家ではない」(§279)

 ・ヘーゲルが、人民主権国家(人民の一般意志による統治国家)を唱えつつ
  も、主権在民を否定したところにヘーゲルの国家論の最大の問題あり

 ・しかし、ヘーゲルの主権在民批判には、第一に恐怖政治をふまえた批判であ
  り、第二に多数決は必ずしも真ならずという民主主義的原理の限界を指摘し
  たという正しい側面をもっている

● マルクスのヘーゲル批判の限界

 ・マルクスは、ヘーゲルが人民主権国家を唱えていることに気づかず、主権在
  民批判にも正面から立ち向わず

 ・君主制に対比して民主制を主張するのみ ──「民主制は体制の類、君主制は
  一つの種、しかも不良種」(全集① 263ページ)

 ・マルクスの民主制は、共和制(主権在民論)との対比でとらえられているこ
  とからすると、人民主権を意味する

 ・マルクスは、ヘーゲルの主権在民否定の人民主権を反論しようとして、人民
  主権をもって立ち向うという筋違いの反論

 ・恐怖政治の原因も究明せず「定形のない塊り」への批判もなし

● マルクスの前進、プロレタリアート執権へ

 ・1843年10月、マルクス、ドイツからパリに移住、革命の息吹にふれる

 ・1843年末「法哲学批判序説」──「定形のない塊り」である人民を組織する
  プロレタリアートの役割に気づく

 ・「ドイツの解放は、人間の解放である。この解放の頭脳は哲学であり、それ
  の心臓はプロレタリアート」(全集① 428ページ)

 ・「国法論批判」の人民主権論と「法哲学批判序説」の人民の組織者・プロレ
  タリアートの理論は、一つに結合して「主権在民の人民主権国家」、すなわ
  ちプロレタリアート執権論へ


④ 憲法の改変批判

● ヘーゲルは、立憲君主制といいつつ、憲法の「変化の形式をとらない変化」を
 認めている

 ・いわゆる明文改憲に対比される解釈改憲(憲法の改変)

● マルクスの批判

 ・ヘーゲルは、国家を「自覚的理性の定在」といいつつ、「盲目的な自然必然
  性の支配」(全集① 293ページ)にまかせている

 ・人民主権の憲法を実現するのみならず、それを維持・発展していくには、科
  学的社会主義の政党に導かれる人民の権力(プロレタリアート執権)が必要

 ・それを支えるのが人民の統一戦線という中間団体

 ・ヘーゲルは中間団体として、職業団体、地方自治団体を指摘しながら憲法改
  変を阻止する力となることを指摘できず
  --主権在民論を否定したヘーゲルの限界

 

3.まとめ

● マルクスのヘーゲル批判も、歴史的限界をもち、後の科学的社会主義の出発点
 となったという意義をもつにとどまっている

●『法の哲学』の革命的性格は、歴史的に検証されてきている