2004年9月28日 講義

 

 

第20講 ヘーゲルから何を学ぶのか

 

1.科学的社会主義の立場に立って
  『法の哲学』から学ぶべきものは何か

● エンゲルスのいう「無数の宝」とはなにか

 

2.変革の立場

● ヘーゲルの弁証法

 ・「この哲学のまえには、生成と消滅との不断の過程、低いものからもっと高
  いものへの無限の上昇の不断の過程以外には、なにも存在しない」(全集
  ㉑272ページ)

● ヘーゲル弁証法は実践と結びついた変革の哲学

 ・理想と現実の統一 ──「理性的であるものこそ現実的であり、現実的である
  ものこそ理性的である」(序文)

● 理想としての概念(真にあるべき姿)

 ・概念としての「善」── 善は「世界の絶対的な究極目的」(§129)

 ・第二部道徳、第三部倫理つらぬくテーマが「善」

 ・道徳 ── 自己の内面に「善」をかかげてより善く生きる変革の立場

 ・倫理 ──「生きている善」(§142)。真にあるべき社会共同体と個人とは何
  かを探究する変革の立場

● 科学的社会主義に引き継がれる一元論的世界観

 ・事実と価値、存在と当為の一体化 ── いかにあるかを知ることは、いかにあ
  るべきかを知ること

 ・「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれ
  を変えることである」(全集③ 5ページ)

●「善」という真にあるべき理想をかかげての実践には無駄がない

 

3.ヘーゲルの自由論

① 特徴

● 自由な意志を自由論の基本にすえ、自由を必然性(客観世界の法則性)との関
 係でとらえた

 ・「自由とは、一つの規定されたものを意志すること。しかもこの規定された
  あり方においてありながらも自分のもとにあること」(§7 追加)
 
● 自由に関する主体(主観)と客観との関係には二つの側面

 ・ 一つは、主体が客観をどう認識するかの問題

 ・もう一つは、主体が客観のなかにどう自由な意志を実現するかの問題


② 認識の自由

● 人間は、客観をより深く認識する度合に応じて自由になっている(客観のもつ
 必然性から解放されていく)
 
●「やっとただ即自的に自由であるだけの意志は、直接的ないし自然的な意志」
 (§11)

ア)形式的な自由 ── 必然性を無視した自然的な意志にもとづく自由な意志

 ・単なる恣意 ── 必然性に支配される自由

 ・しかし形式的自由は「自由なものである意志の本質的モメント」

 ・形式的自由は、ブルジョア民主主義としての自由(思想・良心・表現・結社
  の自由)

 ・「内容からすれば真実で正しいものを選ぶ場合でさえ、気が向いたら他のも
  のを選んだかも知れないという軽薄さを持っている」(『小論理学』㊦ 91
  ページ)

イ)普遍的自由 ── 客観のもつ必然性を認識したうえでの自由な意志

 ・合法則的に行動しうる自由(必然性と共存する自由)

 ・普遍的自由において「私は自己自身を押し通すのではなくて、ことがらを妥
  当するようにさせる」(§15 追加)

ウ)概念的自由 ── 客観のもつ必然性を揚棄して自己のうちに含む自由な意志

 ・客観のもつ必然性に沿いつつ、客観を揚棄し、真にあるべき姿に変革する自
  由な意志

 ・概念的自由によって人間の認識は最高の自由に

 ・概念的自由は、変革の立場と結びつく


③ 自由な意志の客観化

●「人が他者と取り結ぶ共同性は、個人の自由の拡張、最高の共同性は、最高の
 自由」(差異論文)

● 第一部法 ── 法は自由な意志の現存在。個人は、自由な意志をもつことによっ
 て権利能力をもつ自由な人格

● 第二部道徳 ── 道徳は、自由な意志をもつ主体が万人のあるべき意志をめざし
 て無限に発展をめざすところにある--主体は、普遍的自由に

● 第三部倫理 ── 社会共同体における主体的自由こそ真にあるべき自由

 ・「倫理的領域においては、自由の概念にとって十全な、自由の概念の顕現で
  ある」(§152 註解)

 ・ 主体は普遍的自由から概念的自由へ(§106と§152との関係をつかむ)

 ・ 倫理の最高の段階が、真に自由な人民主権国家


④ マルクス、エンゲルスの自由論の問題点

ア)出発点を意志の自由においていない

 ・「意志の自由とは、事柄についての知識をもって決定をおこなう能力をさ
  す」(全集⑳ 118ページ)

 ・そのため、形式的自由を自由論の本質的構成部分として明確にしえなかった

イ)普遍的自由と概念的自由とを明確に区別せず

 ・「自由とは、自然的必然性の認識にもとづいてわれわれ自身ならびに外的自
  然を支配すること」(全集⑳ 118ページ)

 

4.個人の尊厳

① 個人の尊厳は、人間論から出発する『法の哲学』の大前提

● 自由な意志をもつ主体は、主体的自由の権利をもつ(人格的自由)

● 自由な人格は、自由な意志にもとづき、無限に発展して真の自由に向う可能性
 をもつところに人間としての尊厳、個人の尊厳をもつ

 ・「人間の最高のことは、人格であることである」(§35 追加)

● 個人の尊厳を保つ生存権と幸福追求権

 ・「個々人の生計と福祉の保障」(§230)による人間らしく生きる権利

 ・幸福追求権は「古代と近代との区別における転回点かつ中心点」(§124)


② 人格の不可譲

● 自由な人格は、不可譲

 ・物件は処分しうるが、人格は処分しえない

 ・労働力の売買も限界をこえると人格の処分となる

● 所有権は、自由な意志の外在化としての絶対的権利

 ・自己の労働にもとづき生産物を取得することは、主体的自由の権利(人格的
  自由)の重要な内容となる

 ・ 搾取制度は、人格的な自由の侵害

 ・ 未来社会においても、自己の労働にもとづく生産物の取得は、生産物分配の
  原理として働く


③ より善く生きる

● 個人の尊厳は、自由な人格が無限に発展して、より善く生きることで高められ
 ていく

 ・「主観的な意志は、その洞察と意図において善にかなっている限りでのみ価
  値と尊厳をもつ」(§131)

 ・人格の陶冶による社会共同体との一体化

 

5.真にあるべき国家

① ヘーゲルのかかげる資本主義の矛盾の止揚としての真にあるべき国家

ア)一般意志による統治の人民主権国家

 ・治者と被治者の同一性実現の国家

イ)中間団体を媒介とする上から下へ、下から上への循環型統治

ウ)倫理的義務論による、人民主権国家への人民の参加


② 真にあるべき国家は国家による資本主義社会の規制

● 史的唯物論を全面的にするもの

● 上部構造による土台への反作用のもつ二面を明らかに

 ・エンゲルスのシュミット宛手紙(1890年1月)は、土台を規制する国家の役
  割を積極的なものとして評価せず

 ・ヘーゲルは、国家による市民社会の規制を市民社会の矛盾を緩和する政策と
  して積極的に評価--民主連合政府の理論的根拠を提供


③ ヘーゲルの問題点

● いかにして貧困をとりのぞくかを重大問題としながら、その具体的解決策を提
 示していない

● 人民主権国家をとなえながら、主権在民論を否定

 ・プロレタリアート執権論により、主権在民の人民主権国家を展望することが
  できた

 

6.ヘーゲルの人間解放論

● 人間解放とは何か

 ・「人間の類本質である自由と民主主義の全面的開花」(『人間解放の哲学』)

● ヘーゲルは、「最高の共同こそ、最高の自由である」ととらえる

 ・人間の主体的自由の確立と人間の共同体的類本質の実現が人間解放--両者
  を結ぶ倫理的義務論

● 今日の道義的危機の根本はエゴイズムの支配による共同体的本質の疎外

 ・コミュニケーションの手段としての言語まで「人間の尊厳を傷つけるもの」
  (全集㊷ 381ページ)に転化

● マルクス「共同においてこそ人間の自由は可能になる」。「ほんとうの共同
 態において諸個人は彼らの連帯のなかで、またこの連帯をとおして彼らの自
 由を手にいれる」(全集③ 70ページ)