2005年9月25日 講演
● 聴 講(59:41)
『ヘーゲル「法の哲学」を読む』出版記念講演
人間はどんなときに輝くのか
~科学的社会主義の生き甲斐論~
1.『法の哲学』と生き甲斐論
① 人間の本質は、自由な意志にある
② 人間が「より善く生きる」「輝いて生きる」とは、
自由な意志にもとづき人間が真に自由になること
③ 『法の哲学』は、生き甲斐論の哲学
2.哲学と人間の生き方
① 哲学とは、フィロ(愛する)ソフィア(知)
●「知」の対象となるのは、世界・自然のあり方と人間の生き方・行為のあり方
――自然哲学と人間哲学
● 両者は本来不可分の関係にある
● ソクラテス「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなく
て、よく生きるということなのだ」(「クリトン」)
② 自然科学の発展のなかで、自然哲学と人間哲学の分離・対立に
● 自然哲学者は、科学者(scientist)に
――「物質世界(material world)に関する知識の研究者」
● 自然科学の発展のなかで科学の対象になるのは物質世界のみ、の世界観が生ま
れる
● 二元論的世界観
・世界の客観的あり方(事実・存在)と人間の主体的生き方(価値・善)を分
離し、前者に真理はあっても後者の真理はないとする
・自然科学の「没価値性」と価値(道徳、倫理」の「非知識性」
→科学は、人間が「より善く生きる」ことと結びつかないどころか、かえっ
てそれを否定する
・核兵器、生物・化学兵器、環境破壊の開発
③ 二元論的世界観を否定して、再び一元論的世界観を確立したへーゲル
● ヘーゲル哲学は論理学、自然哲学、精神哲学(人間哲学)からなっている
● 精神哲学は主観的精神、客観的精神、絶対的精神から構成されており、「客観
的精神」が『法の哲学』に
・したがって『法の哲学』では、人間の生き方、行為のあり方が問題とされて
いる
● ヘーゲルの立場は、いわば、よりよく知ることは、より善く生きることという
一元論
● マルクス、エンゲルスは、ヘーゲルの一元論的世界観をひきつぐ
・より善い社会への変革とより善く生きることを結合した理論
3.科学的社会主義と生き甲斐論
① 科学的社会主義は一つの世界観として哲学をその構成部分としてもっている
● これまで科学的社会主義の哲学は真理・真実の探求に重点がおかれてきた
● しかし生き甲斐論の哲学がもっと語られてしかるべき
● とくに時代の閉塞感は、「世界観としての生き甲斐論」を奪い、「刹那的生き
甲斐論」、「井の中生き甲斐論」に追いやっている
② 『法の哲学』に学び、科学的社会主義の生き甲斐論が求められている
●『変革の哲学・弁証法』
――「生きることそのものの質を高めること」(3ページ)
● 科学的社会主義の「変革の立場」と生き甲斐論とは、どういう関係にあるのか
――「社会進歩に生き甲斐を重ね合わせる」の持つ意味を考えてみよう
4.『法の哲学』の自由論と生き甲斐論
① 自由論
● 人間は生まれながらに自由なのではなく、人格を陶冶して自由になる
●「ヘーゲルは、自由と必然性の関係をはじめて正しく述べた人である」
(エンゲルス『反デューリング論』)
● 客観世界の必然性(法則性)を無視する形式的自由、必然性を認識する普遍的
自由、必然性を止揚する概念的自由と、自由の段階的発展を主張
――世界・自然のあり方を知れば知るほど自由になれる
② 人間はより自由になることにより「より善く生きる」
●「もっと(上手になりたい)(強くなりたい)(豊かな暮らしをしたい)(人
に認められたい)」という気持ちは「より善く生きたい」ことのあらわれ
●「より善く生きる」ことは、夢と希望(理念・理想)をもって、それに接近し
ていくこと
● そのためには夢と希望の対象となる客観世界について、必然性を認識する普遍
的自由、対象を必然性によって変革する概念的自由が求められる
● 例えば将棋が強くなりたいと思えば、まず定跡(普遍的自由)を身につけねば
ならないし、更には新定跡(概念的自由)を生みださねばならない
●「吹けば飛ぶよな将棋の駒」でも「より善く生きる」対象となる
●「より善く生きる」対象となる客観世界には制限なし――どんなに特殊的、非
現実的理念であっても、理念となりうる
③ 「自分らしくより善く生きる」(個人の尊厳)
●「自分らしくより善く生きる」ための対象となる客観世界は何でもよい
● しかし、これも大事な権利(個人の尊厳)――近代的自我を示す主体的自由の
権利
● 憲法13条「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由および幸福追求に
対する国民の権利については、……最大の尊重を必要とする」
● 幸福追求権とは、自分なりの夢や希望を追求し、満足をうる権利
④ 「人間らしくより善く生きる」(人間の尊厳)
●「自分らしくより善く生きる」だけでは対象の特殊性からくる制限をもつ
・他人に迷惑をかける――ひとりよがり
・人間のもう一つの本質である「共同社会性」に欠ける――社会的存在の否定
による人間疎外にも
● そこから「人間らしくより善く生きる」ことが課題となってくる
・「人間らしくより善く生きる」とは客観世界のあれこれの特殊的世界ではな
く、人間と社会という普遍的世界を対象にした普遍的自由と概念的自由の探究
● 個人の幸福追求権から万人の幸福追求権へ
・万人の幸福追求権から道徳へ
5.『法の哲学』の道徳論
● 道徳とは「人間らしくより善く生きる」ために、人間の真にあるべき生き方を
問題とするもの
● 自己の内面に人間の真にあるべき生き方(人間の概念的自由)を定立し、それ
に向かって前進する義務を課し、より自由になろうとするところに道徳がある
● 善(人間の真にあるべき生き方)と義務とを定立し、両者の統一を目指すとこ
ろに「人格の陶冶」がある
● しかし、「人間の真にあるべき生き方」は、せいぜい「誠実」「正直」「献
身」というような抽象的なものにとどまり、絶対的に規定された「善」は存
在しない
6.『法の哲学』の倫理論
● そこからへーゲルは「人間らしくより善く生きる」ことは、たんに個人の内面
の問題としては解決されないと考えた
● 最高の共同性は、最高の自由
●「人間らしくより善く生きる」ことはより善い国家・社会をつくることを抜き
にしてはありえない――人間は社会的存在
・より善き国家・社会の一員として生きてこそ「人間らしくより善く生きる」
ことができる
・しかし「より善い国家・社会」は、単なる主観的願望ではなく、客観的真理
でなければならない――間違った理念は、真により善く生きることにつなが
らない(テロのための自爆死)
7.自分らしく、人間らしく「より善く生きる」
● ヘーゲルは、「自分らしくより善く生きる」ことと「人間らしくより善く生き
る」こととを弁証法的対立物の統一としてとらえている
● 自分らしさを生かしながら、より善き国家・社会をめざす「人間らしくより善
く生きる」ところに最高の生き甲斐(最も普遍的な概念的自由)があると考え
た
・世直しの運動はもっとも普遍的でかつ現実的な、最高の理念
● 世直しの運動はいつの時代でも最高の「人間らしくより善く生きる」生き方だ
からこそ、どんなに弾圧され、どんなに困難な状況の下にあっても決して跡絶
えることはない
● 科学的社会主義の学説と運動は、世直し運動の真理を探究するもの
● ヘーゲル――大人の立場
「世界の究極目的が不断に実現されつつあるとともに、また実現されているの
だということを認識するとき、満足を知らぬ努力というものはなくなってしま
う」(『小論理学』第234補遺)
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