2005年4月12日 講義
第1講 なぜいま「資本論の弁証法」か
1.『資本論』とは何か
① 科学的社会主義の理論の要をなすもの
● マルクス(1818〜1883)が生涯を傾けた著作
● 第1部 1867年(マルクス)、第2部 1885年(エンゲルス編集)、第3部
1894年(エンゲルス編集)と剰余価値学説史(1956〜1962ディーツ版)から
② 『資本論』の研究対象と目的
●「最終目的」は、「近代社会の経済的運動法則の暴露」(① 12ページ)
――経済学の本
●『反デューリング論』(全集⑳ 155ページ)
・封建的生産様式から、資本主義的生産様式への移行の必然性を明らかにし、
「資本主義的生産様式の社会主義的批判」で終わる
● 何のために運動法則を明らかにするのか
・社会発展の「生みの苦しみを短くし、やわらげる」(① 12ページ)
――人間の目的意識的活動により、社会の合法則的発展を実現する
・経済学に対する批判を代表できるのは、ただ「資本主義的生産様式の変革と
諸階級の最終的廃止とをその歴史的使命とする階級――プロレタリアート―
―だけである」(① 21ページ)
・"なんじの道を進め、そして人々をして語るにまかせよ!"(① 14ページ)
――法則を正しく認識して、批判をおそれず変革の立場を貫け!!
・「労働者階級の聖書」(① 43ページ)
2.現代において『資本論』を学ぶ意義
① 資本主義のもつ矛盾が激化し、
より高度な社会への発展が求められている
● 世界的規模での貧富の較差の拡大
● 地球的規模での環境破壊
● 現代日本においても、資本主義の矛盾は激化し、社会変革は差し迫った課題と
なってきている
② 『資本論』の内容をより充実した形で読める
● エンゲルスは、マルクスの準備草稿を十分に研究しえなかった。
● 新メガ(新マルクス・エンゲルス全集)により、準備草稿、メモ、ノートまで
含めた研究が可能に
● 資本主義自身が現在その完成態となり、その矛盾と敵対的性格(① 20ページ)
がより顕在化している
・マルクスの時代は、まだイギリスにおいてのみ資本主義が発展(9ページ)
・1830年以来、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなど全世界的に
(① 43ページ)
③ 不破『資本論』研究の成果の上にたって学ぶことができる
●『資本論』全三部がわかりやすく読めるようになった
・1995年の『エンゲルスと資本論』から、『レーニンと資本論』、『マルクス
と資本論』をへて『資本論全三部を読む』にまとめられ、2004年一応の完結
・『資本論』の読みにくさを克服
●「『資本論』を『資本論』自身の歴史のなかで読む」
・完成された著作としてではなく、歴史的認識の発展の一到達点として学ぶ
・マルクス、エンゲルスの歴史的限界も明らかに
・それは同時に「不破研究を不破氏自身の歴史のなかで読む」ことにもなる
3.弁証法とは何か
① 『資本論』の方法は「弁証法」
● わざわざ「あと書き〔第二版への〕」のなかに明記
② 形式論理学と弁証法(的論理学)
● すべての事物は、静止と運動の統一としてある
● 客観的事物を正しく認識する(真理をとらえる)方法論として、形式論理学と
弁証法的論理学(略して弁証法)
・形式論理学――事物をバラバラな、静止したものとしてとらえる真理認識の
方法、常識的ものの見方
・弁証法――事物を連関し、運動するものとしてとらえる真理認識の方法
③ 弁証法とは何か
● 脳死の人は「生きているのか、死んでいるのか」
● 脳死とは、脳の機能は停止しているが、心臓の機能は働いている状態
――いわば、生と死の限界に位置している(生から死への運動の過程にある)
● 臓器移植の学界では「脳死の人は死んでいる」とする(形式論理学)
● しかし、死んでいる人から生きている臓器は取り出せない(死んだ人の臓器は
移植できないという矛盾)
● 結局、脳死の人は「生きていると同時に死んでいる」という弁証法においてし
かとらえられない――臓器移植は「生きていると同時に死んでいる人から、生
きている臓器を取り出し移植するもの」→すべての事物をその運動においてと
らえるには、対立物の統一としてとらえねばならない
・生と死という対立物の統一として、脳死の人をとらえる
・一つの事物のなかに対立する二つの側面を見いだし、この対立する二つの側
面の統一として運動をとらえる
● 形而上学――弁証法を適用すべきところに形式論理学を適用する誤り
● ヘーゲル
・弁証法を「一般的な運動形態で、はじめて包括的な仕方で叙述」
(① 28ページ)
● マルクス
・「私は、自分があの偉大な思想家の弟子であることを公然と認め」(同)る
・ヘーゲルの観念論的弁証法と正反対の唯物論的弁証法
4.なぜ「『資本論』の弁証法」なのか
① 『資本論』の方法は、「弁証法的方法」
● 論述の方法論が論じられること自体、希有
・ヘーゲルの『法の哲学』に、その方法は真理認識の方法としての「弁証法」
とあるのをそのまま借用したもの
・ヘーゲルの弁証法に学んで、意識的に弁証法を駆使して、『資本論』を記述
したことを強調したもの
② 『資本論』のなかに弁証法はどのように生かされているのか
1)萌芽からの発展
● 胚から芽、茎、葉、花が生まれるように、もっとも単純なものから複雑なもの
へと、連関しながら発展する論理の展開
●「彼にとって、さらになによりもまず重要なのは、諸現象の変化とそれらの発
展の法則、すなわち、ある形態から他の形態への移行、連関の一つの秩序から
他の秩序への移行の法則である」(① 25ページ)
● 資本主義的生産様式の胚にあたる「商品」を分析し、まず価値と使用価値の対
立物の統一としてとらえる
● 価値と使用価値の対立は、商品と貨幣の対立、価値のにない手としての貨幣と
支払手段としての貨幣の対立、販売と購買の対立、生産と消費の対立、富と貧
困の対立などを経て、恐慌(豊富のなかの貧困)という資本主義的矛盾にまで
発展していくことを明らかにしていく――弁証法的発展形態においてとらえる
●「たとえどんな欠陥があろうとも、僕の著作の長所は、それが一つの芸術的な
全体をなしているということ」(全集 111ページ)
・弁証法的発展の形式をとっているから、「一つの芸術的全体」をなし、有機
的一体性を保っている
2)「資本主義的秩序を社会的生産の歴史的に一時的な発展段階と」とらえる
(①18ページ)
● ブルジョア経済学(俗流経済学・古典派経済学)は、資本主義的生産様式を
「社会的生産の絶対的で究極的な姿態と捉える」(同)
● マルクスの「研究の科学的価値はある一つの与えられた社会有機体の発生・現
存・発展・死滅を規制し、またそれと他のより高い有機体との交替を規制する
特殊な諸法則を解明することにある」(① 27ページ)
●「弁証法は、現存するものの肯定的理解のうちに、同時にまた、その否定、そ
の必然的没落の理解を含み」、「本質上批判的であり、革命的である」
(① 29ページ)
5.弁証法は『資本論』の生命の源
● 弁証法あっての『資本論』、だからマルクスは「資本論の方法」と指摘
●「ヘーゲル『論理学』全体ををよく研究せず理解しないでは、マルクスの『資
本論』とくにその第一章を完全に理解することはできない。したがってマルク
ス主義者のうちだれひとり、半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかった」
(レーニン『哲学ノート』全集 50ページ)
・弁証法を理解しないでは、『資本論』第一章のみならず、『資本論』そのも
のを理解しえない
・『資本論』を弁証法的に読み解くことによって真に『資本論』を理解しうる
●「マルクスは"論理学"(著書としての論理学)を残さなかったとはいえ、"資
本論"の論理学をのこした」(同 288ページ)
・レーニンは、自ら「資本論の論理学(弁証法)」を著そうとして、「哲学
ノート」を作成したが、完成に至らなかった
・「論理学、弁証法および認識論(この三つの言葉は必要ではない:これらは
同一のものである)」(同)
●『資本論』を弁証法的に読み解き「資本論の弁証法」を完成させることは、現
代に残された課題
・これまでにも、ローゼンターリやイリエンコフの『資本論の弁証法』、梯明
秀の『経済哲学原理』など
・しかし、いずれも『資本論』のなかにあれこれの弁証法のカテゴリーを見出
そうというもの
・これでは、マルクスの意図を生かしたことにならない
● マルクスの意図をうけつぎ、弁証法をつかって『資本論』を読み解く課題に
挑戦したい
・またそのなかで、弁証法のカテゴリーも学んでいきたい
6.『資本論』と弁証法をともに学ぶ
●「二兎を追うもの一兎も得ず」か
●『資本論』は、弁証法的に読み解いてこそ、その骨太い論理的構造を読みとる
ことができる
・「木を見て、森を見ず」にならないように
・弁証法的展開においてとらえることで、「森が見えてくる」
*次回は「第1篇 商品と貨幣」(① 59ページ〜248ページ)
テキストは読んで臨まれた方がいいのはもちろんですが、読んでいなくても
ついていける講義につもりです。
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