『「資本論」の弁証法』より

 


               序

 『資本論』といえば、心ある労働者にとって「生涯に一度は読み通してみたい本」というのが常識的な理解ではないでしょうか。「労働者階級の聖書」と呼ばれていることもあって、『資本論』の高い峰に挑戦しながらも、途中で挫折した労働者も決して少なくないでしょう。そこで、「定年になって時間的余裕ができたら、じっくり数年かけて読み通したい」ということになってくるのです。
 また、何とか読み通したとしても、難行苦行の連続であり、「全体を理解できた」というにはほど遠いという読後感をもつ人も多いのではないかと思われます。
 というのも、それは私自身の体験したところでもあったからです。世に無数の『資本論』の研究書、解説書があるにもかかわらず、また研究者でもない門外漢でありながら、あえて本書を上梓するに至ったのも、こうした反省のうえにたって『資本論』を現役の労働者に読んでもらい、かつその真髄を理解してもらいたいとの思いがあったからにほかなりません。そうであってこそ、文字どおり『資本論』は「労働者階級の聖書」になりうるからです。
 本書は、広島県労働者学習協議会主催の「講座・『資本論』の弁証法」(二〇〇五年四月から二〇〇六年二月)の二〇回分の講義をもとに、訂正、加筆、整理をしたものです。『「資本論」の弁証法』と題したのは、マルクス自身が、「あと書き〔第二版への〕」のなかで、『資本論』で用いた方法は「弁証法」であると、わざわざ述べていることに由来しています。
 だいたい著作に使用した「方法」について一言するということ自体、異例のことといわなければなりません。それだけマルクスにとって、その研究および叙述の双方において、弁証法を駆使することで資本主義的生産様式の運動法則を解明することができたとの思い、また『資本論』を有機的一体性をもつ体系として叙述しえたとの思いが強かったのではないでしょうか。
 ですから弁証法を使って読み解いてこそ、マルクスの真理認識に接近しえた道筋も、また『資本論』の論理の展開も骨太く認識しうるのではないか、との問題意識から、「『資本論』の弁証法」と題して講義し、本書の副題を「哲学的に読み解く『資本論』の真髄」としたのです。
 実際には、この問題意識のみをもって講義を開始したのであって、先行きにしっかりとした見通しがあったわけではありませんが、結果的には弁証法を使って読み解くことによって、『資本論』全三部を「一つの芸術的全体」(マルクス)をなすものとしてつかみとることができ、現役の労働者にも理解してもらえる、分かりやすくしかも一冊の比較的コンパクトな著作になしえたのではないかと思っています。
こうした見地から『資本論』を読み解いた著作は、あまり例をみないのではないかと思われます。もちろん、細部には不正確なもの、問題を含むものも多々あろうかと思いますが、少なくとも、資本主義的生産様式とは何か、なぜ資本主義から社会主義・共産主義への移行は必然的なのかという、マルクスの意図したところは、骨太く解明しえたのではないかと思っているところです。
 本書もこれまでと同様、「広島県労学協スタイル」で編集・出版されることになりました。「労働者に分かる『資本論』」を信条として、編集委員会での討論の積み重ねのなかで、講義の内容よりも、さらに一皮も二皮もむけた、分かりやすい、しかも論理構造の明確なものにすることができたと信じています。
 あらためてこの場を借りて、労苦をともにされた編集委員会のみなさんに感謝と敬意を表明するものです。
 なお装丁は、娘婿のインテリア・デザイナー、ロス・ミクブライドが担当しました。

二〇〇六年 七月 二五日    
『資本論』第一部出版の日に 
           高村 是懿