2006年6月27日 講義

 

 

第2講 予備概念 ①

 

1.予備概念とは何か

●『 小論理学』は、本文、注解、補遺の三段構え

① 予備概念は三つの部分から構成

● 論理学とは何か(19~25節)

● 客観に対する思想の態度(26~78節)

● 論理学のより立ち入った概念と区分(79~83節)


② 各部分の主題

1)論理学とは何か

● 論理学とは、思惟のよって客観的事物の真理をとらえる学問

 ・すべての学問の土台となるのが論理学(論理学から自然哲学、精神哲学に)

 ・マルクスの『資本論』(経済学の書)は、ヘーゲル論理学の上に立つ

● 真理とは何かをも問題にする

2)客観にたいする思想の態度

● ヘーゲルは、中世スコラ哲学以後の近世の哲学を大きく批判し、その上に自
 己の哲学を展開する

● 「客観にたいする思想の態度」とは、思惟は客観的事物について真理を認識
 しうるのかに対する様々な態度を批判的に取り上げたもの

● 形而上学、経験論、カント哲学、ヤコービ哲学の批判が展開されている

● これらの批判をつうじて、絶対的真理の認識は可能であり、それをもたらす
 のが、直接性と媒介性の統一としての思惟であることが明らかにされる

3)論理学のより立ち入った概念と区分

● 絶対的真理を認識するには、弁証法が必要

● 悟性的側面、否定的理性の側面、肯定的理性の側面の三つの側面(79節)

 

2.論理学(哲学)とは何か

① 論理学は、思惟により真理をとらえる学問

● 「論理学は……思惟の抽象的な領域にある理念にかんする学」(19節)

 ・理念=絶対的真理。「真理が論理学の対象」(同補遺1)

 ・「思惟は、永遠で絶対的なものをとらえる唯一の形式」(同補遺2)

● 哲学の仕事は思惟によって「表象を思想に」かえること(20節)

 ・表象を思想にかえるとは、「普遍と特殊、原因と結果」のような「必然的
  な係を定立する」こと

 ・客観的事物を思惟によって改造し、「本質的なもの、内面的なもの、真な
  るもの」(22,21節)に到達する ── 本質、法則、類、普遍性を認識する

● 「思惟によってはじめて対象の真の姿は知られる」(21節)

 ・客観のなかに、思想(真理としての普遍)が潜んでいる=客観的思想「世
  界のうちには理性がある」

 ・客観世界のなかに真理がある


② 真理とは何か

● 一般的には真理とは「主観と客観の一致」「客観に一致する認識」とされて
 いる

 ・ヘーゲルはそれを「対象と表象との一致」とよび、それは浅い真理にすぎ
  ないというというのも、対象それ自体が真にあるべき姿であることもあれ
  ば、一時的な、偶然的な姿であることもあるから

● 哲学的真理は、「概念と実在との一致」

 ・概念=「真にあるべき姿」

 ・客観的事物が真にあるべき姿に一致したときはじめて哲学的真理といえる
  →変革の立場に立った真理観

●「論理学の課題は、……自分自身との一致という意味における真理を、研究
 することである」(24節補遺2)

 ・「自分自身との一致」とは「本来の自分自身との一致」の意味


③ 思惟はどうやって真理に到達するか

● 直接性と媒介性の統一

 ・媒介性 ── 客観的事物に媒介された思惟、反映論

 ・直接性 ── 客観的事物に媒介されない自由な思惟、意識の創造性

● 経験的認識から反省的認識へ(反映論)

 ・現象から本質、法則、類の認識へ

● 反省的認識から哲学的認識へ

 ・反映論から思惟の自由へ

 ・思惟の自由により、思想、カテゴリーは概念にかわる


④ ヘーゲルの哲学体系

● 当初の構想

 ・第1部 精神の現象学

 ・第2部 論理学、自然哲学、精神哲学

● 後の構想

 ・エンチクロペディーの体系

 ・精神の現象学は精神哲学の一部に

 

3.近世の哲学

① 近世の哲学は、スコラ哲学からの脱皮として始まる

● スコラ哲学 ── 神から出発し、神(聖書)を基準に真理をとらえる

● 近世哲学 ── 自己から出発し、悟性、理性を基準に真理をとらえる


② 近世哲学の開祖

● ベーコン(1561〜1626) ── 経験を唯一の認識の源泉として、本質、法則、
 類、普遍者を見出そうとする

● デカルト(1596〜1650)

 ・教会の権威を否定し、自己自身から出発 ── 「一切を疑え」「我思う故
  に我あり」

 ・世界は神、精神(res cog・tans)、物体(res extensa)の三つの実体か
  ら成ると考えた ── デカルトの二元論

● スピノザ(1632〜1677)

 ・世界は唯一実体の神、神の属性の精神と物体から成ると考えた

 ・機械的自然観と決定論(偶然性の排除)により自然科学の没価値性に導く

● ライプニッツ(1646〜1716)

 ・世界は、精神的な単一実体としてのモナドから成る

 ・モナドは、人間にあっては精神、動物では魂、物質では物質を結合する力
  の原理

● 近世哲学の立場

 ・人間から出発し、思惟することによって「世界の実体は何か」「主観と客
  観」「客観の真の姿は何か」など世界観を模索した

 

4.客観にたいする思想の第一の態度

① 形而上学

●「自己内における対立をまだ意識せず、追思惟によって真理が認識され、客
 観の真の姿が意識にもたらされると信じているところの素朴な態度」(26
 節)

 ・客観的事物を思惟することによって真理をとらえようとする

 ・感覚、直観から思想へ(真理へ) ── 「意識の日常の活動」(同)

 ・客観的事物の内部の対立を意識せず「あれか、これか」という悟性的思惟
  で真理をとらえようとする

●「最も手近な例は、カント哲学以前にドイツに見られたような古い形而上学」
 (27節)

 ・ヘーゲルは、とりわけヴォルフを念頭においている


② 形而上学は、個々のものを分析し、区別してとらえる悟性的思惟により、
  自然科学を発展させた

● 15世紀後半に始まった自然科学の発展は、「自然物や自然過程を個々ばらば
 らにして、大きな全体的連関の外でとらえるという習慣、したがってそれら
 を運動しているものとしてではなく静止しているものとして、本質的に変化
 するものとしてではなく固定不変のものとして……とらえるという習慣をわ
 れわれに残した」(エンゲルス『空想から科学へ』)


③ 形而上学は常識的考え

● 形而上学的考えは、「常識の考え方」(同)であり、「かなり広い領域で正
 当でもあれば必要でさえあるのだが、つねにおそかれはやかれ限界につきあ
 たる」(同)

 ・「有限な事物は、言うまでもなく、有限な諸述語によって規定されなけれ
  ばならないから、この場合には、悟性の活動はその場所をえているわけで
  ある。……裁判官にはこうした知識で十分である」(28節補遺)

● 形而上学は、「ドグマティズム(一面観)」(32節)

 ・「二つの対立した主張のうち、一つが真実で、他は誤謬でなければならな
  い、と考えざるをえなかったからである」(同)


④ 形而上学の限界

● 形而上学は、「この限界からさきでは一面的な、偏狭な、抽象的なものとな
 り、解決できない矛盾に迷いこんでしまう」(エンゲルス前掲書)

● 「限界のさき」の問題として、二つあり

 ・ヘーゲルは、古い形而上学のあげている「神は存在するか否か」「世界は
  有限か無限か」「魂は単一か合成か」(28節)という問題をあげている
  ── これらの問題は、無限な事物であるから、「あれか、これか」の形而
  上学ではとらえられない

 ・エンゲルスは、「限界からさき」の問題として、事物の運動、変化、発展
  をあげており、運動においては「ここにあってここにない」という対立物
  の統一としてとらえなければならないとする

●「限界からさき」の真理をとらえるのが、弁証法

 ・「限界からさき」とは、事物を固定した「有限なもの」としてではなく、
  事物を無限に運動、変化、発展する「無限なもの」「限界を持たないもの」
  としてとらえること

 ・「真実在はそれ自身無限なものであって、有限なものによってこれを表現
  し意識にもたらすことはできない」(28節補遺)

 ・無限なものは、理性的思惟(弁証法的思惟)によってのみとらえうる


⑤ 結論

● 形而上学は「理性的対象の悟性的な考察」(21節)

● その根本的な特徴は、「理性的な対象を悟性の抽象的で有限な規定によって
 とらえ、抽象的な同一性を原理とすることにあったのである」(36節補遺)