2006年7月25日 講義

 

 

第4講 予備概念 ③

 

1.批判哲学(カント哲学)の批判 ②

① 「実践理性批判」の批判

● 実践的理性とは「何が行われるべき かを告げる法則を与える」(53節 199ペ
 ージ)意志

 ・「どう生きるべきか」に関する絶対的真理の探究

 ・カントは、「理論理性」に関しては、絶対的真理は認識しえないとしなが
  ら「実践理性にははっきりと積極的な無限性」(54節補遺)、つまり絶対
  的真理を認めている

● カントの「実践理性批判」は、当時の道徳哲学を批判したもの

 ・幸福主義 ── 人間は幸福を目標として生きるべき(憲法13条 ── 幸福追
  求権)

 ・幸福主義は、「あらゆる思惟と気まぐれに門戸を開く」(54節補遺)もの

● カントは、「善」を意志の内容とし、善と矛盾しないように生きるべきである、
 とする

 ・それをヘーゲルは、「理論的理性」がアンチノミーを否定したのと同様、
  実践的理性でも矛盾を否定する「抽象的同一性」の「形式主義を一歩も出
  ない」(54節)と批判

 ・しかし、カントが幸福主義をのりこえ、「いかに生きるべきか」の絶対的
  真理を探究したことは高く評価されるべきもの

● 問題は「善」の内容にある

 ・カントは、この「善」を自己の生き方における「真にあるべき姿」(道徳
  的生き方)という主観的なものに求めた

 ・しかしヘーゲルは、「善が世界のうちに存在しかつ外的な客観性を持つこ
  と」(54節)、つまり国家、社会の「真にあるべき姿」であることを要求
  して「はじめて本当に実践的」(同)だと批判

 ・ヘーゲルのいう「実践的理性」は、科学的社会主義の「生き方論」「生き
  甲斐論」を考えるうえでの出発点となるもの


② 「判断力批判」の批判

● カントは、「判断力批判」において、客観世界に対して「どう行動すべきか」
 に関する絶対的真理をとらえている ── 「理念の思想」(55節)

 ・絶対的真理としての理念は、自らを特殊化し、現実に必然的に転化する普
  遍(理想と現実の統一)

● しかしカントは、この「理念」を芸術美と生命体(55節)に認めるのみ

 ・芸術美は、美の概念を作品に特殊化

 ・生命体は、生命体の内的目的性という理念(種としての理念)を個体に特
  殊化

● カントは、他方で、「包括的な理念」(同)を見出しながら、「思想の怠慢」
 (同)によって、「理想(Ideal)〔理念と実在との統一〕の現実性」(同)
 を否定している

 ・本来「絶対的な理念」(59節)は、「絶対的な究極目的である善が、世界
  のうちに実現されること」(同)でなくてはならない

 ・しかし、カントが「世界の究極目的としている善」は、「実践理性の道徳
  律にすぎない」(60節) ── 国家や社会の「真にあるべき姿」を問題に
  していない


③ カント批判のまとめ

● 「二元論的体系の根本欠陥」(60節)

 ・現象と物自体有限なも のと無限なもの、理想と現実、悟性と理性とを「結
  合されえない」としたり、「結合」したりする不整合

 ・対立物の統一や矛盾を否定することからくる不整合

 ・矛盾の積極的意義を認めた対立物の統一という一元論こそ、絶対的真理に
  接近する唯一の方法

● カントの功績は、悟性的認識は真理に達しえないとしたことのみ(60節補遺
 1)

● 結局カントは、その不可知論により、絶対的真理としての理念を、芸術美、
 生命体にのみ見出し、国家、社会の「真にあるべき姿」は認識しえないとす
 ることにより、諸科学に何の影響も与えなかった

 

2.「客観にたいする思想の第3の態度」

① ヤコービの直接知

● 「第3の態度」というのは第2の態度と異なり、絶対的真理は直接知でとら
 えうるとする

● 思惟は「特殊なものの活動」(61節)として制限されており、「真実なもの
 を真実でないものに変える」(62節)ものであるから、絶対的真理、無限な
 ものは、直接知によってのみとらえうるとする

 ・「カテゴリーにのみかぎられた思惟は、無限なもの、真実なものではな」
  い(同)

 ・「神や真実在は直接知によってのみ知られる」(同)

● 他方で直接知の「主要な関心事」(69節)は主観的理念(無限なもの、絶対
 的真理)は、無媒介的に存在に移行するとするところにある(64節)ヤコー
 ビは、理念と存在の統一という問題を正しくとらえているが(70節)、存在
 から理念へ、理念から存在への移行を「媒介を排除」(65節)するものとし
 てとらえている


② ヘーゲルのヤコービ批判

1)すべての事物は、直接性と媒介性の統一としてある

 ・一見直接知とみられるものも、「多くの媒介を経た考察の結果」(66節)

 ・「神、法、道徳」(67節)の直接知(生得観念、常識、自然的理性)とい
  われるものも、教育、教養という「媒介に制約されている」(同)

2)ヤコービの立場は、「媒介性か直接性か」という「形而上学的悟性のあれ
  これの立場」(65節)へ後退するもの

3)理念と存在(理想と現実)の統一を主張するのは正しいが、理念は存在に
  媒介されつつ、存在を揚棄したものとしてとらえるべきであるし、存在は、
  理念の「それ自身のうちの媒介」(69節)によって理念から存在への移行
  を示すもの

4)直接知では、主観的確信が真理の基礎とされるから、あらゆる迷信や偶像
  崇拝が真理として是認されることになる(71,72節)

5)媒介を否定することは、絶対的真理への無限の接近を否定することで、
  「哲学を目の敵」(77節)にするもの ── 国家、社会の「真にあるべき
  姿」をとらええない

 

3.論理学のより立入った概念と区分

*論理的なもの(事物および認識の真理)は、形式上三つの側面

① 抽象的側面あるいは悟性的側面

● 固定した規定性と区別に立ち止まり、抽象的普遍にとどまるという側面(80
 節)

 ・悟性の原理は「同一性」(同補遺)(あれはあれ、これはこれ)

● 「悟性がなければ確固とした規定はえられない」(同)

 ・「悟性は一般に教養の本質的モメント」

● 「悟性的なものは最後のものではなくて、有限なもの」(同)

 ・人生の経験を積んだ人は、「抽象的なあれでなければこれ」(同)に満足
  しない


② 弁証法的側面あるいは否定的理性の側面

● 固定した「有限な諸規定の自己揚棄であり、反対の規定への移行」(81節)
 をする弁証法的側面

 ・「あらゆる有限なものは、確固としたもの、究極のものではなくて、変化
  し、消滅するものである」(同補遺1)

 ・「有限なものの弁証法」(同)

 ・これにより、弁証法は「恣意によって、混乱と外見上の矛盾をひきおこす
  外面的な技術」(81節)と考えられている

 ・しかし、「すべて有限なものは自分自身を揚棄する」(同)のであって、
  弁証法は、「有限なもの自身の本性」(同)これをヘーゲルは「否定的」
  「理性」とよんでいる

● 弁証法的否定と懐疑論、詭弁における否定

 ・弁証法的否定は、有限なものの変化、発展をもたらす「特定の規定の否定」
  (82節)であり、成果をもたらす否定

 ・「否定の仕方は第1には過程の一般的性質によって、第2にはそれの特殊
  的性質によって規定されている」(エンゲルス『反デューリング論』全集
  ⑳ 147ページ)

 ・「どういう種類の事物についてもそこから発展が生まれてくるような、そ
  れ独特の否定の仕方がある」(同)

 ・懐疑論の否定は、「悟性が確実だとする一切のものに対する完全な絶望」
  (81節補遺2)としての、単なる否定

 ・詭弁の否定は、「そのときどきの利益および特殊の状態に都合のいい」
  (同補遺1)、不特定の勝手気ままな否定

● 弁証法は、「現実の世界のあらゆる運動、あらゆる生命、あらゆる活動の原
 理」「あらゆる真の学的認識の魂」(同)


③ 思弁的側面あるいは肯定的理性の側面

● 思弁的なものは、「対立した二つの規定の解消と移行のうちに含まれている
 肯定的なものを把握する」(82節)

● 弁証法的な否定は、「抽象的な無ではなくて特定の規定の否定」(同)だか
 ら、「肯定的な成果を持つ」(同)

● 思弁的なものは、対立した二つの規定を「揚棄されたものとして自己のうち
 に含んでいる」(同補遺)

 ・思弁的なものは思惟された「肯定的に理性的なもの」(同) ── 「否定
  の否定」としての肯定的なもの

 ・肯定的理性のとらえる無限なもの、絶対的真理は、肯定と否定の対立を揚
  棄した統一である

 ・対立物の統一とは、単なる同一ではなく、「対立したものを観念的モメン
  トとして自己のうちに含む」(同)


④ 論理学の三つの構成部分(83節)

● 有論 ── 直接性(肯定) 本質論 ── 媒介性(否定)概念論 ── 直接性と
 媒介性の統一(肯定と否定の統一)

●「概念がはじめて真実なもの、もっとはっきり言えば有および本質の真理」
 (同補遺)