2006年9月12日 講義

 

 

第7講 本質論 ①

 

1.はじめに

● 今日から本質論を6回かけてじっくり学ぶ ── 「論理学の(最も難解な)
 この部分」(114節)

● 本質論は、事物の内面に踏みこんで事物の真にあるべき姿をとらえる認識

 ・第1部有論は、事物の表面的な真の姿をとらえるもの

 ・有論では、「或るもの」から「他のもの」への「移行」がとらえられた

 ・第2部本質論では、事物の内面に踏みこんで本質、法則、類といった、よ
  り深い事物の真理がとらえられる

● 有論では、「形而上学(形式論理学 ── 高村)および科学一般の諸カテゴ
 リー」(114補遺)を学ぶ

 ・「一口に言えば哲学の内容は現実」(6節)

 ・経験諸科学は、現実のなかにある「必然的なものや法則の認識に従事」
  (7節)する

 ・ヘーゲル弁証法は「経験的諸科学のうちに見出される普遍的なもの、法
  則、類等々を承認」(9節)する

● 本質、法則、類

 ・本質は、本質と現象。法則は内的、外的な二つのものの間の必然的な関係。
  類は類と種という関係

 ・つまり本質論で扱われるのは、対立する二つのものの間の普遍的な関係
  ── ヘーゲルのいう「反省関係」

 ・エンゲルス「対立物の相互浸透の法則」は、「彼の『論理学』のとりわけ
  最も重要な第2部、本質論の全体を占めて」(全集⑳ 379ページ)いる

● しかしヘーゲルの本質論は、形式論理学のカテゴリーをそのまま学ぶのでは
 なく、それを変形し、弁証法的な対立物の統一としてとらえる「思弁的な論
 理学」は、「経験的諸科学からえた諸カテゴリー」を保存するものであるが、
 しかし同時により進んだ諸カテゴリーをもってこれらのカテゴリーを発展さ
 せ、変形する」(9節)

 ・「悟性は区別された二つのものを独立的なものとみると同時に、またその
  相関性を定立」(114節)するが、「これら二つの思想を総合し、概念に
  統一することはしない」(同)

 ・「論理学の第2部、本質論の全体は、直接性と媒介性との本質的な相互定
  立的な統一を取扱うものである」(65節)

● もう一つ本質論で重要なことは、対立、矛盾という弁証法上のもっとも重要
 なカテゴリーが登場すること

 ・対立物の統一は、弁証法の核心(レーニン『哲学ノート』全集 326ページ)

 ・「すべてのものは対立している」(119節補遺2)

 ・「一般的に世界を動かすものは矛盾である」(同)

 ・「矛盾が本質的であり、必然的であるという思想は、近代の哲学の最も重
  要な、最も根本的な進歩の一つ」(48節)

● 本質論と概念論との関係

 ・哲学が求めるのは、「最も広い意味での必然性」(9節 75ページ)

 ・経験諸科学の必然性には制限がある(9節)から、それをのりこえる「独
  自の普遍的」必然性としての概念を問題とする

 ・前者が本質論の対象であり、後者が概念論の対象

 

2.本質論の主題と構成

① 「A 現存在の根拠としての本質」では、本質とは何かを問題とし、本質
  とは、現存在する有の根拠となるものだということが明らかにされる

● 本質とは、有の真理(112節)であり、可変的な有と異なり、不変な、自己
 同一性をつらぬくもの

● 本質は有の「自己のうちへの反省」(同)であり、本質は有(現象)へ反省
 する ── 反省関係

● 反省関係にある有と本質という二つのものは、同一と区別の統一(区別され
 ていると同時に同一である。つまり対立物の相互浸透)

● 区別には差異、対立、矛盾がある

● 同一と区別の統一が根拠(理由)

● 内にある本質が、根拠として外に現われでたものが「現存在」


② 「B 現象」では、本質が現われでた現存在が現象であることが明らかにさ
  れる

● 現象の世界は、相互に根拠となったり、根拠づけられたりする「無限の媒介」
 (132節)の世界として統一体をなしている

● 現象の世界は、その相互媒介により、「現象の法則」(133節)をもち、そ
 れを認識することがより深い真理の認識となる

●「現象の法則」とは、対立物の同一としての「相関」 ── 全体と部分、力と
 その発現、内的なものと外的なもの


③ 「C 現実性」

●「一口に言えば、哲学の内容は現実である」

● 現実性とは、本質と現存在との統一

● 現実性では、可能性、偶然性から必然性への転換が論じられる

● 必然的なものは、「現象」と違って、「絶対的な相関」であり、実体と偶有、
 原因と結果、交互作用を経て、「概念論」への移行が論じられる

 

3.「第2部 本質論」

● 112節から114節までは、本質論の総論


① 本質とは何か

● 本質とは、有に媒介された(有の奥に隠された)有の真の姿

 ・「本質は、自分自身の否定性を通じて自己を自己へ媒介する有」(112節)

 ・ 有をつうじて、有のうちにある、有の否定としての本質を認識する

 ・「事物の直接的存在は、言わば、その背後に本質がかくされている外皮あ
  るいは幕」(同補遺)

 ・事物の真の姿は直接にあらわれているとおりのものではない」(同)

 ・「事物のうちにある真なるものを知るには、単なる注意だけでは不十分で
  あって、直接的に存在するものを変形するところのわれわれの主観的働き
  が必要である」(22節補遺)

● 本質は、事物のうちにおける「不変なもの」(同)

 ・有は、有限な移りゆくものであるのに対し、本質は、不変な自己同一性を
  つらぬくもの

 ・「不変なものがまず本質なのである」(同)

 ・「本質は過ぎ去った有」(同) ── 本質は有が発生したときから有の変
  化のなかにあって現在までずっと存在し続けているもの。「無時間的に過
  ぎ去った有」(『大論理学』)

● 仮象

 ・有を有として孤立的にみるのではなく、本質との関係においてとらえると
  き、有は「仮象へひきさげられている」

 ・仮象 ── 真の姿ではないもの

 ・ 一般には、仮象は本質がそのままの姿であらわれる現象と区別され、本質
  が転倒した姿であらわれる現象の意味で用いられている(例 ── 賃金は労
  働の対価としての仮象をもつ)


② 「本質は自分自身のうちでの反照としての有である」(112節)

●「本質の立場は一般に Reflex・on(反省)の立場」(同補遺)

● 反省 ── いって帰ってくること(反射)

 ・反省とは「対象を直接態においてでなく、媒介されたものとして知ろうと
  するもの」

 ・反省とは、媒介し、媒介される相互媒介関係

● 有は本質に反省し、本質は有に反省する

 ・有は、有として孤立したものとして存在するのではなく、本質に媒介され
  たものとして存在する

 ・本質は、本質として孤立したものとして存在するのではなく、「現象する
  ことによってのみ、そうしたものであるという実を示す」(同) ──
  「本質は現象しなければならない」(131節)


③ 有から本質への反省(113節)

●「本質における自己関係は、同一性、自己内反省という形式である」(同)

 ・有が自己のうちへ反省した自己同一性をつらぬくものが本質

 ・有は可変的であるのに対し、本質は不変な自己同一性をつらぬくもの

● 無思想な感性は、本質ではなくて有限で可変的な有を「自己と同一なもの」と
 解する「悟性の固執へ移っていく」

 ・これが形式論理学の同一律「AはAである」となる


④ 本質から有への反省(114節)

●「本質は内在性であって、それは自分自身のうちに自己の否定、他者への関
 係、媒介を持つかぎりにおいてのみ、反省的である」(同)

 ・本質は、内にとどまるのではなく、自己を否定し、外にあらわれでるかぎ
  りにおいてのみ本質

● 同一性である本質が「反照あるいは媒介の作用には区別の作用が含まれてい
 る」(同)

 ・本質のあらわれとしての現象は、本質と同一であると同時に区別されてい
  る

 ・現象には様々な現象があり、本質的な現象もあれば、仮象もある

●「本質の領域はしたがって、有の領域では即自的にのみ存在していた矛盾の
 定立された領域」

 ・したがって本質論においては、同一と区別という対立物が統一された「矛
  盾の定立された領域」(同)

 ・それを言いかえると、区別されたものは「自己へ関係する直接生」であり
  ながら、同一性(本質)に媒介されたものとして、「直接性と媒介性との
  まだ完全でない結合」(同) ── 完全な結合は概念論における、普遍と
  特殊の統一としての個

 

4.「A 現存在の根拠としての本質」

a 純粋な反省規定

イ)同一性(115節)

●「純粋な反省規定」において、本質と有とは同一と区別の統一という関係で
 あることが明らかにされる

● 二つの同一性(抽象的同一性と具体的同一性)

 ・抽象的同一性とは、区別を含まない同一性

 ・具体的同一性とは、区別を内に含む同一性 ── 「まず根拠であり、より
  高い真理においては概念」(同)

● 形式論理学と弁証法的論理学

 ・形而上学の一般的方法は、「理性的な対象を悟性の抽象的で有限な規定に
  よってとらえ、抽象的な同一性を原理とすることにあった」(36節補遺)

 ・弁証法的論理学は、「対立する二つの規定の解消と移行のうちに含まれて
  いる肯定的なものを把握する」(82節)

 ・弁証法的論理学は、形式論理学を「含んでいる」から、前者から後者を作
  り出す」には、「前者から弁証法的なものと理性的なものとを取去りさえ
  すればよい」(同)

● 形式論理学の同一律(115節) ── 抽象的同一性
 「すべてのものは自己と同一である」
 「AはAである」
 「AはAであると同時に非Aであることはできない」←およそ主語と述語は、
 同一と区別の統一でないと命題としてなりたたない

● 具体的同一性

 ・「直接的に存在するものの観念性」として「高い意義を持つカテゴリー」
  「観念性としての有」(同補遺) ── つまり本質のこと

 ・本質は、有の真理としての同一性 ── 「有およびその諸規定を揚棄され
  たものとして内に含んでいる同一性」(同)

 ・有は、「直接的な無規定」(86節補遺1)であるが、本質は、「すでに媒
  介をへ、規定を揚棄されたものとして自己のうちに含んでいる無規定的な
  もの」((同)