2006年10月24日 講義

 

 

第10講 本質論 ④

 

1.「b 内容と形式」

① 現象の世界は形式をもつ

● 現象の世界(客観世界)は、「無限の媒介」(132節)による「一つの統体」
 (133節)として、「完全に規定」(同)された形式をもつ

 ・その形式は、第9講で学んだように、無規定な本質が規定されたものとし
  てあらわれることによるもの

 ・したがって現象は、本質のあらわれとして形式をもつのであり、その形式
  は、本質という内容に結びついている

● 形式には二つあり

 ・一つは内容に結びつく形式(本質と直接的に結びつく形式) ── 「形式
  は内容」(同)

 ・一つは、内容に結びつかない「外的な形式」(同) ── 「多くの多様な
  現存在する物」(131節補遺)


② 内容と形式との「相互転化」(133節)

● 内容と結びつく形式(「自己へ反省した形式」(同))は、内容と形式が相
 互に移行しあい、転化する

 ・質料と形式は、一定無関心であるのに対し、内容と形式は「全き同一を示」
  (同補遺)す

 ・「内容に無関心で外的な現存在であるような形式」(同)は、「悪い形式」
  (同)

 ・「正しい形式は、内容に無関係であるどころか、むしろ内容そのもの」
  (同)


③ 現象の法則

1)現象の法則と必然性の法則

● 哲学は、「一見無秩序ともみえる無数の偶然時のうちにある必然的なものや
 法則の認識に従事」

 ・法則とは、二つの本質の間の恒常的な同一性の関係

 ・法則には、差異する二つの本質間の法則と、対立する二つの本質間の法則
  の二種類があり、前者が現象の法則、後者が必然性の法則としての対立物
  の統一の法則

 ・「哲学の目的は、これに反して、このような無関係を排して諸事物の必然
  性を認識することにあり、他者をそれに固有の他者に対立するものとみる
  ことにある」(119節補遺1)

2)現象の法則(『大論理学』㊥ 167ページ以下)

●「法則は、現象の彼岸にあるのではなく、現象の中にそのまま現存している。
 即ち法則の国は実存する世界、または現象する世界の静止的な映像」(172
 ページ)

● 現象の法則は、差異する二つの本質の間における恒常的な同一性の関係を経
 験的に認識し、外面的に結合する

 ・エンゲルス「観察による経験だけでは、けっして必然性を十分に証明しつ
  くすわけにはいかない。ポスト・ホック(それのあとに)」(全集⑳ 537
  ページ)

 ・例)落下の法則 S= ── 通過した空間は経過した時間の二乗に比例する

3)対立物の統一の法則

● エンゲルスのいう「弁証法の三つの基本法則」(同)

 ①量から質への転化、またその逆の転化の法則(第1部)

 ②対立物の相互浸透の法則(第2部)

 ③否定の否定の法則(全体系の根本法則)

● 次のように整理すべきではないか

 ①第1部対立物の相互移行の法則

 ・量から質、質から量への移行もその一例

 ②第2部対立物の相互浸透の法則、または対立物の同一の法則

 ・133節の「内容と形式」から155節の「交互作用」までのすべてが、対立
  物の相互浸透の法則の具体化

 ・その代表的なものが、因果法則(153,154節)

 ・エンゲルスのいう「プロプテル・ホック(それのゆえに)」(前掲 537ペ
  ージ)

 ③第3部対立物の相互排斥(矛盾とその解決または止揚)の法則

 ・いわゆる発展法則 ── 理念と実践を媒介にした自然や社会の発展法則

 ・発展法則は、予備概念「論理学のより立ち入った概念と区分」に、肯定、
  否定、肯定と否定の統一(または否定の否定)として定立化されている

 

2.「c 相関」

① 相関とは何か(134節)

● 内容と形式の相互転化が、相関

● 相関とは、対立する二つのものが「独立の現存在」(同)としてあると同時
 に、「また同一的な関係としても存在」(同)していること ── 「相関は
 自己への関係と他者への関係との統一」(135節補遺)

● 本質論の前半は反省、後半は相関 ── 反省では相互媒介関係が強調される
 のに対し、相関では「対立」がもつ二つの項の自立性と同一性の関係が論じ
 られる

● 相関は、「全く普遍的な現象の仕方」

 ・相関は「直接性と媒介性の統一」のより発展した形態

 ・直接性と媒介性の統一と同様に「現存在するものは、すべて相関をなして
  おり、この相関があらゆる現存在の真理である」(同)


② 「全体と部分の相関」(135~137節)

● 部分を総括したものが全体であり、全体が分割されると部分になる

●「全体と諸部分という相関は、その概念と実在とが一致していないかぎりに
 おいて、真実でないもの」(135節)

 ・全体と部分は、それぞれ独立しているが、全体が部分に分割されると全体
  は消滅し、部分が総括されて全体になると部分が消滅するという関係

 ・したがって、二つの項が独立しつつ同一であるという相関の概念に、全体
  と部分という実在は一致しない。したがって真実の相関ではない

● 全体と部分は機械的関係にのみ妥当

 ・「有機的生命の真の姿を認識するには不十分」(同)

 ・ 機械は、労働者を機械の「確実に作動する器官に転化」(『資本論』③
  608ページ)する ── 労働者は、機械の一分肢


③ 「力とその発現」の相関(136節)

● この相関は、「自分自身をつきはなして区別となり、他者への反省として現
 存在するようになるが、逆にまたこの他者への反省を自己への反省および無
 関心性へ復帰させる」(同)

 ・力は、発現することによって力であることを示し、発現は、発現のなかに
  力を見出す

 ・万有引力は、リンゴを落下させることで自己の力を示し、リンゴの落下は、
  そのなかに万有引力を見出す

 ・二つの項は、他者に移行しながら、そのなかに自己の存在を示し、他者に
  とどまる

● 力とその発現の相関は「有限な相関」(同)

 ・力は「外からの誘発を必要とし、盲目的に作用する」(同) ── 「運動
  の絶対的なはじまりが欠けている」(同補遺1)と同時に、「目的のよう
  に、自分自身のうちで自分を規定するものではない」(同)

 ・力の内容もまた「制限され偶然的」(136節)である ── 「概念」や「目
  的」とは異なる

●「力を根源的なもの」ととらえるのは「力の概念に矛盾する」(同補遺2)

● 力の発現は、「二つの項の差別の揚棄」(137節)

 ・したがって、力と発現との真理は「内的なものと外的なもの」の相関


④ 「内的なものと外的なもの」との相関(138~141節)

● 内的なもの」は内にある「根拠」(138節)、それが外にあらわれたものが
 「外的なもの」

 ・「内的なもの」と「外的なもの」とは、同一のものが内にあるか外にある
  か、という形式の違いにすぎない

 ・「内的なものと外的なものとの同一は、実現された同一」(同) ──
  「両者は同じ一つの総体」(同)

 ・両者は、いずれも「同じ内容」(139節)

 ・しかし両者は、「形式規定としては対立しあってもいる」(140節) ──
  「一方は自己同一」、他方は「多様性あるいは実在性」(同)

● 単に内的なものは、単に外的なものであり、単に外的なものは、単に内的な
 ものとして、「欠陥を持つ」(同補遺)

 ・単に内的な子供の理性は、単に外的な教育(詰め込み教育)という欠陥を
  もつ ── 真の教育は、内的理性を外に引き出すことにある

● 人は外的にあるとおりに内的にある(内的なものは外的なもの)

 ・「人が行うところのものがすなわちかれである」

 ・「樹は果によりて知らるなり」(同)

 ・「人はその行為の系列にほかならない」(同)

● 相関から現実性への移行(141節)

 ・内的なものと外的なものとの内容の同一性は、形式的同一性にまで移行し、
  「相関」のもつ二つの項の自立性は揚棄され、内容・形式ともの同一性と
  しての「C 現実性」、すなわち、必然性としての「絶対的相関」に移行す
  る