2006年12月12日 講義

 

 

第13講 概念論 ①

 

1.概念論の主題と構成

① 概念論の主題

● 形式論理学の概念、判断、推理が論じられる

 ・ヘーゲルは、弁証法的に改作

 ・特に重要なのが「概念」 ── 抽象的普遍と同時に具体的普遍(真にある
  べき姿)を意味する

● 具体的普遍としての概念が、必然的に現実に転化し、理念となる(理想と現
 実の統一)ことが、概念論全体をつらぬく主題


② 概念論の構成

● 総論、A主観的概念、B客観、C理念の4つに

● 総論では、概念とは何かが論じられる

● 主観的概念では、概念、判断、推理がとりあげられ、独自の意義が与えられ
 る

● 客観では、主観的概念が、現実に転化した客観として、機械的関係、化学的
 関係、目的的関係(生物的関係)が論じられる

● 理念は、主観的概念と客観との統一としての絶対的真理が論じられる

 

2.概念論総論

① 概念論で語られないこと

● 本来なら概念論は、「真にあるべき姿」が現実に転化する「現実性としての
 イデア」(142節)が正面から論じられるべき

 ・そのためには、イデアとは何か、どのようにしてイデアが生まれるのか、
  客観世界とどのように関わるのかが、論じられるべき

 ・そのうえで、イデアが現実に転化する問題を論ずべき

● しかしヘーゲルは、イデアの問題を「現象の世界」(132節)に対立する世
 界だとして正面から論じていない

 ・142節補遺では、「現実性としてのイデア」を論じながら、概念論がイデ
  ア界を論じていることを指摘していない

 ・159節では、「必然から自由への、あるいは現実から概念への移りゆきは、
  最も困難なもの」としながら、それを十分に展開していない

 ・このため、「概念論」をどうとらえるかについて様々な誤解

 ・見田派は、概念を有機体ととらえている

● 概念を「真にあるべき姿」(イデア)ととらえないと、概念論全体を正しく
 理解することはできない


② 概念とは何か(160節)

●「概念は向自的に存在する実体的な力として自由なもの」(同)

 ・概念は、客観世界から自立して存在する自由なもの ── 客観世界の必然
  性に支配されない

 ・概念は、現実性を生みだす「実体的な力」

●「概念は、自己同一のうちにありながら、即自かつ対自的に規定されている
 もの」(同)

 ・「真にあるべき姿」は、自己同一性を保ちつつ自らを規定して、特殊化し、
  個別となる

 ・概念は、具体的普遍として、普、特、個の「不可分の統一」(同)

●「概念の立場は、絶対的な観念論」(同補遺)

 ・概念の立場は、「イデア(理念)」を問題とする絶対的イデア論(アプゾ
  リュート・イデアリスムス) ── 絶対的観念論と訳したところに問題あ
  り

 ・存在するもの、独立的なものを「単にイデア的なモメントにすぎない」と
  とらえる立場

● 形式論理学は、概念を「抽象的普遍」としてのみとらえるが、「概念はむし
 ろあらゆる生命の原理、したがって同時に絶対的に具体的なもの」

 ・見田派の概念=有機体説の根拠となっている箇所

 ・しかし、概念を「あらゆる生命の原理」といっているのは、すべての現実
  性を生みだす「実体的な力」の意味

 ・概念=有機体と考えると、形式論理学の概念との共通性は全くなくなる

 ・しかし、ヘーゲルは、「思弁的論理学で言う概念」は、「一見そうみえな
  いほど、一般の用語に縁のないものではない」といっている

 ・抽象的普遍とは、事物の「本来の姿」であり事物の「真にあるべき姿」と
  重なる意義をもっている

● 概念は、形式と内容の統一

 ・「無限の創造的な形式」(同) ── 概念は、一度達成されると終わりで
  はなく、無限に発展する「創造的な形式」(同)

 ・「実体的な力」として、形式活動をすると同時に、「豊かな内容を自己の
  うちに含む」(同) ── 内容を無限に発展させる

● 概念は、抽象と具体の統一

 ・概念は、イデアであり、手でつかめないし、目や耳も用をなさない ──
  思惟の自由な産物

 ・概念は、客観世界の「富全体」(同)を自己のうちに含む「絶対に具体的
  なもの」 ── 個物ごとにそれぞれの概念をもつ


③ 概念の進展は発展(161節)

● 概念の進展は、対立物の闘争としての発展

 ・「真にあるべき姿」は、「現にあるもの」のなかに潜在的に存在

 ・それを主観の働きで取り出したものが概念として顕在化し、概念は客観へ
  と発展する

 ・概念の進展は、「現にある姿」と「真にあるべき姿」との対立物の闘争

● 胚の例をどうみるか

 ・見田派は、ヘーゲルの胚の例から、概念を有機体ととらえると同時に、ヘ
  ーゲルのいう「発展」とは「展開」にすぎない(矛盾とその解決ではない)
  と批判

 ・しかし、胚のうちにその植物の「真にあるべき姿」が「観念的にのみ存
  在」(同補遺)しているのであって、「すでに現存在している」(同)わ
  けではないとしていることに注目すべき

 ・胚は、「現にある姿」と「真にあるべき姿」との矛盾であり、その解決と
  して植物全体となる


④ 概念の諸形式は、「現実的なものの生きた精神」(162節)

● 概念論の構成

 ・「形式的概念」(同)(概念、判断、推理)も内容のない「形式的学問」
  (同)ではなく、「現実的なものの生きた精神」(同)であり、真理であ
  るかどうかが問題となる

● 有論、本質論は「限定された概念、即自的な概念」

 ・有論は「即自的にすぎぬ概念」(84節)、本質論は、「媒介的に定立され
  た概念としての概念」(112節)

 ・有論、本質論の諸カテゴリーも、概念のモメントとしてとらえることによ
  り、真理となる

 ・移行、反省、相関は、すべて同一と区別の統一だが、まだ普遍と特殊の同
  一と区別の統一としてとらえられていない

 ・同一と区別の統一が、個(実体)として規定されていない

 ・諸カテゴリーは、具体的普遍のように自由なものとして定立されていない

 

3.「A 主観的概念」

① 主観的概念とは何か

● 主観的概念とは、「概念そのもの」

 ・概念は、抽象的普遍またはイデアであり、いずれも主観的なもの

 ・主観的概念において、概念、 ・判断、推理、定義、分類などの思惟形式
  が論じられる


② 「a 概念そのもの」

● 概念の3つのモメント(163節)

 ・普遍、特殊、個(個別)

 ・普遍が特殊化したものが個

 ・個は概念から出現した現実的なもの(142節)として、「真にあるべき姿」
  としての現実性

 ・個(主体)は、「統体性として定立された概念」(163節)

● 抽象的普遍と具体的普遍

 ・抽象的普遍としての概念は、「空虚なもの、単なる図式および影」(同
  補遺1)

 ・具体的普遍としての概念は、「自ら特殊化」「他者のうちにありながら
  も、曇りない姿で自分自身のもとにとどまる」(同)

 ・真の普遍は、「キリスト教によってはじめて完全に承認」 ── 父、子、
  聖霊の三位一体説

● ルソーの「万人の意志」と「普遍的意志」

 ・万人の意志 ── 多数意志、主権在民

 ・普遍的意志 ── 人民の真にあるべき意志、人民主権

 ・ヘーゲルは、人民主権を高級官僚の手により実現しようとした

 ・マルクス、エンゲルスは、「主権在民の人民主権」を実現するために、労
  働者階級の政党が必要であると主張 ── 「プロレタリアート執権」

●「概念は真に最初のもの」(同補遺2)

 ・一見すると、神が世界を創造するという観念論にみえる

 ・しかし、客観世界に潜在する「真にあるべき姿」は、主観的活動により取
  り出されてはじめて「概念」として顕在化する、の意

 ・概念は、「無限の形式、自由な、創造的な活動」 ── 無限に豊かな現実
  性を生みだす


③「概念は絶対に具体的」(164節)

● 概念は一つには個々の事物ごとに概念があり、二つには概念は、絶対的に自
 己産出するものとして、「絶対に具体的」

 ・普遍は特殊、個を自己のうちに含み、特殊は、普遍を内在させ、個として
  存在し、個は類と種とを自己のうちに含む

 ・概念の透明性

● 概念は、抽象的であると同時に具体的(cf.160節)

 ・感覚的でない、理念でないという意味で、抽象的

 ・しかし、「規定された真実の姿」として全く具体的

 ・普通の人々は、具体的というと、抽象的普遍に対応する「外的に結合され
  た多様」と考えているが、自己産出するものこそが具体的


④ 「概念の特殊性の定立されたものが判断」(165節)

● 概念は、規定されて(特殊化して)個となる

 ・概念は規定されることによって、その普、特、個のモメントが区別される

 ・この区別が定立され、かつ区別された二つのモメントの同一性の定立され
  たものが判断

 ・「個は普遍である」

 ・「明白な概念、妥当な概念」「下位概念と同位概念」「反対概念と矛盾概
  念」などは、概念の真の区別ではない

● 概念の真の区別は、普遍、特殊、個別のみ

 ・概念は自己を規定し、区別することによって判断となる