2007年2月13日 講義
第17講 概念論 ⑤
1.「B 客観」各論
① 「区別にたいして無関心」(194節)でありながら、なぜ各論は三つに分
かれているのか
● 客観は、定有するもの、現存在するもの、現実的なもののすべてを包括する
カテゴリー(主観に対立)
・客観は、「無規定的、直接的存在」(『大論理学』㊦ 195ページ)
・客観は「具体的で自己のうちで完結している独立的なもの」(193節)
● 客観の運動に注目した分類
・機械的関係 ── 力学的運動
・化学的関係 ── 化学的な、化合と分解の運動
・目的的関係 ── 生命体の運動
● ヘーゲルは、客観のなかに含まれる概念のあらわれの差が運動の差をもたら
すととらえている
② 機械論と目的論
● 世界観として、機械論と目的論の対立あり
・機械論 ── 世界は盲目的に型にはまったことをくり返す無意識的な作用
によって規定されている(柳沢「女性は産む機械」)
・目的論 ── 世界は一つの目的によって規定されている
● アリストテレスの4原因
・質料因、形相因、始動因(作用因)、目的因
・作用因は機械論に、目的因は目的論につながる
● 中世スコラ哲学
・神が世界を創造したのであり、世界は一つの目的をもった存在という目的
論的世界観
● 自然科学(とりわけニュートン力学)の発展により、機械論的世界観の確立
・ガリレイの実験で、「目的因」の批判
・デカルトは、形相因と目的因をすて、質料因と作用因のみにより自然を説
明する機械論的自然観の確立
・ニュートン力学の集大成により17世紀には機械論的世界観が定着
● 18世紀のフランス唯物論
・「自然の絶対的な不変性」(全集⑳ 344ページ)を主張する機械的唯物論
── 決定論
・ラ・メトリ「人間機械論」→二つの誤り
①生命体にまで機械論を適用
●「生命に適用した場合の機械論はたよりないカテゴリー」(同 517ページ)
②偶然性を否定
・「エンドウのさやに5つのエンドウ豆が入っていて4つでも6つでもない」
(同 526ページ)
・「必然性が偶然性の地位にまで格下げされている」(同 528ページ)→ヘ
ーゲルは、機械的唯物論を唯物論一般への批判に広げた
● カントによる目的論の復活
・「哲学上における観との偉大な功績の一つ」は外的目的と内的目的とを区
別し、「後者の中に生命の概念、即ち理念」(『大論理学』㊦ 230,231ペ
ージ)を見出したこと
・しかし、カントは、目的論と機械論との対立を、「自由と必然というより
一般的な対立」(同 231ページ)には置きかえたものの、これをアンチノ
ミーとして論じたのみ
● ヘーゲルによる機械論と目的論の統一
・ヘーゲルは、機械論と目的論のどちらも正しいが、目的論は機械論の真理
であるととらえた
・それを可能にしたのが客観を「概念の実現」(193節)ととらえることに
あった
2.「a 機械的関係」
① 形式的機械的関係
● 機械的な関係は、概念を「自己の外に」(195節)もつ
・「単に即自的な概念」(同)
・したがって「すべての規定性は外的に措定された規定性」(同)
・「区別されたものの統一としては、寄せ集められたもの、合成物」(同)
・これが「形式的な機械的関係」(同)
● 形式的機械的関係は、「普遍的な論理的カテゴリー」(同補遺)
・「客観性の最初の形態」(同)として、自然にかんしても、精神にかんし
ても不十分
・普遍的カテゴリーとして、「本来の力学的領域外」にも適用される
・物理学、生理学、精神の世界でも「従属的な位置」(同)をもつ胃の圧迫、
手足の重さ、機械的な記憶
② 親和的な機械的関係(196節)
● 客観は中心性のうちで、「他の中心に関係」(同)
● 落下、欲求、社交本能
③ 絶対的機械的関係(197節)
● 絶対的中心 ── 相対的中心 ── 非独立的な客観(太陽 ── 地球 ── 月)
・太陽系は普 ── 特 ── 個の推理
・この推理は、「三重の推理」(198節)として展開する
● 個人 ── 市民社会 ── 国家も、絶対的機械的関係として、三重の推理をな
す
・三重の推理から、有機的組織が生まれる
● 絶対的機械的関係において、現存在の「直接性は即自的に否定されている」
(199節)
・この即自が、対自的となることにより、化学的関係に移行する
・化学的関係は、「客観は、その現存在において自己に固有の他者にたいし
て吸引的なものとして定立」(同)されている
3.「b 化学的関係」
① 定有と概念との矛盾
● 親和的な客観は、概念と、現存在(定有)との矛盾
・親和的な客観は、「概念の統体性」(200節)を内にもちながら、現存在
は分離しているという矛盾
・したがって、親和的な二つの客観は「この矛盾を揚棄し、そしてその定有
を概念に等しくしようと努める」(同)
・これが化学的関係
● 機械論と目的論の対立(同補遺)
・ガリレイとアリストテレスの対決は、機械論と目的論の対決
・客観とは、概念のあらわれであるとの見地から客観を分類
・ヘーゲルは、目的論は顕在的概念であるとし、大きく機械論としてとらえ
られる客観を機械的関係(即自的概念)と化学的関係(対自的概念)に分
けてとらえている
② 化学的関係とは何か
● 化学的関係は、「二つの関係の中和」(201節)にある
・それをヘーゲルは、「具体的な普遍者である概念が、客観の親和性(特殊
化)を通じて、産物(個)と連結し」(同)、もって自分自身と連結する
ととらえている
● 化学的関係は、客観の完全な「反省的関係」(202節)となっていない
・中和と分化という「二つの形態はあくまで、相互に外的」(同)
・中和的産物が「分離する過程は、第一の過程とは無関係」(同)
・したがって概念そのものは、「顕在的に現存するに至っていない」(同補
遺)
③ 概念の顕在化したものが、目的的関係(203節)
●「化学的過程の二つの形態が相互に揚棄しあう」(同補遺)ことにより概念
は顕在化して、「自由かつ独立なもの、すなわち目的として定立されている」
(203節)
・「独立的に現存する概念が目的」(同補遺)
4.「c 目的的関係」
① 目的的関係とは何か
● 主題となっているのは、広い意味の有機体
・生物学的な生命体と社会的な生命体
・これらの組織は、それ自身のうちに自己の真にあるべき姿(概念)を目的
としてもっている
●「目的とは、直接的な客観性の否定によって自由な現存在へはいった、向自
的に存在する概念である」(204節)
・目的は、「客観性の否定」としての主観性としての概念
・また目的は、「前提されている客観」(目的をそのうちに含む客観)は、
「観念的な、本来空虚な実在」(同)として揚棄さるべきもの
● 目的の実現
・「目的は、それ自身揚棄であり、対立を否定して、それを自己と同一のも
のとして定立する活動」(同)
・それは、目的を客観化して、客観を変革する
● 目的原因と作用原因の区別
・作用原因は、他者へ移行して、他者のうちで、「その本源性を失う」(同)
・これに対し、目的は、その作用のうちで、「自己を保持する」(同)
● 内的目的と外的目的」
・外的な目的 ── 「意識のうちに存在する」(同)目的
・内的目的 ── それ自身のうちに存在する「事柄そのものの必然性のうち
に含まれている目的」(エンゲルス)
・「内的な目的性という概念によって、カントは……生命という理念を再び
よびさました」(同)
● 内的目的の実現としての「欲求、衝動」(同)
・衝動は、主観と客観の一面性を揚棄しようとする「確信の遂行」(同)
・目的活動は、主観性、「手段と前提された客観」(同)の、「三つの項の
否定」(同)
② 外的な目的性
● 外的な目的は、内容からいっても、実現の素材を「外的な条件」(205節)
としてもっていることからいっても、有限
・外的な目的は、「当為」という形式のみの概念であり、内容は「真にある
べき姿」ではないという有限なもの
・「当為」の内容は、「制限されたもの、偶然的なもの、与えられたもの」
(同)
・外的目的が客観世界の法則性と一致したとき、はじめて合法則的変革が可
能となる
・「自由とは、自然必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的
自然を支配することである」(全集⑳ 118,119ページ)
● 目的的関係は、主観的目的 ── 中間項 ── 外的客観性の推理(206節)
・主観的目的は、主観と客観との対立を止揚するために「外へ向う」(207
節)
・「外へ向った活動」(208節)は、客観を「手段として自己のものとする」
(同) ── 「目的は客観を支配する力」(同補遺)として手段をその支
配下におく
・目的は、手段を媒介に「素材と直接的に関係」(209節)する ── 「理性
の狡智」(同)
・労働者階級にとって経済闘争のための労働組合、政治闘争のための政党も
「手段」
● 目的の実現は「主客の統一」(210節)
・「主観と客観一面性が揚棄された中和」(同)
・「達成された目的は、一つの客観にすぎず、それはまた再び他の目的にた
いする手段あるいは材料となる」(211節)
・「この過程によって目的の概念であったものが定立され、主客の潜在的な
統一は顕在するものとなっている。これが理念(イデー)である」(212
節)
③ 目的から理念への移行
● 目的の実現は、「客観自身の内面の顕現」(212節補遺)
・客観の内面である概念の顕現 ── 客観は、「概念がかくされている外被」
(同)
・しかし、目的の有限性のもとで、手段は「外的にのみ目的に包摂」(同)
● 理念は、無限の目的を実現する
・理念は、自己のうちに手段をもち、その目的を「即自かつ対自的に達成」
(同)する
・絶対の善は、永遠に自己を実現しつつある」が、その実現にわれわれを待
っているとの錯覚が活動力を生みだす
・理念自身もこうした錯覚を作り出し、「理念の行為はこうした錯覚を揚棄
する」(同)
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