『弁証法とは何か』より

 

 

第二〇講 ヘーゲル哲学から何を学ぶか

 

科学的社会主義の源泉としてのヘーゲル

 第一九講まで、かけ足でヘーゲル哲学を学んできましたので、最後にわれわれが科学的社会主義の立場に立って、ヘーゲル哲学から何を学ぶべきなのか、をまとめてみたいと思います。
 一般にヘーゲル哲学は、科学的社会主義の哲学、つまり弁証法的唯物論と史的唯物論の源泉をなすものであり、ヘーゲルの観念論的に逆立ちした弁証法が「もういちど足で立つようにされ」(全集㉑二九八ページ/『フォイエルバッハ論』七一ページ)、弁証法的唯物論が生まれたとされています。
 ヘーゲル哲学と科学的社会主義との関係をまとめて展開したのが、エンゲルスの「フォイエルバッハ論」です。
 そこをもう一度、やや詳しくみていくことにしましょう。
 「ヘーゲルでは、弁証法は概念の自己発展である。絶対的概念は、永遠の昔から ── どこにかはわからないが ── 存在しているばかりでなく、また現存する全世界の本来の生きた魂でもある。それは、 ── 『論理学』のなかで詳細に論じられており、また絶対的概念のなかにすべて含まれている ── 前段階をすべて通って発展し、自分自身になる。それからこの絶対的概念は、転化して自然になることによって、自己を『外化』する。……絶対的概念はついにヘーゲル哲学のなかでふたたび完全に自分自身にたち帰る。だから、ヘーゲルでは、自然および歴史のなかに現われる弁証法的発展、すなわち、すべてのジグザグな運動と一時的な後退をつうじてつらぬかれている、低いものからもっと高いものへ向かう進展の因果的連関は、永遠の昔から ── どこでかはわからないが ── ともかくどの思考する人間の頭脳とも独立に進行している、概念の自己運動のつまらぬ模写にすぎないのである。このようなイデオロギー的なさかだちは、除去しなければならなかった。われわれは、現実の事物を絶対的概念のあれこれの段階の模写と見るのではなしに、ふたたび唯物論的にわれわれの頭脳のなかの概念を現実の事物の模写と解した。これによって弁証法は、外部の世界および人間の思考の運動の一般的諸法則にかんする科学に還元されたのである。……このことによって、概念弁証法そのものは、現実の世界の弁証法的運動の意識された反映にすぎないものとなった」(同二九七~二九八ページ/同七〇~七一ページ)。
 ここにいう「絶対的概念」とは、絶対的理念のことでしょう。ちなみに『反デューリング論』では、「彼の頭のなかの思想は、……すでに世界よりもまえにどこかに存在していた『』の現実化された模写にすぎないと、彼には思えたのであった」(全集⑳二三ページ/『反デューリング論』上三九ページ)となっています。
 それにしてもヘーゲル論理学を学び通した目でこの文章を読むと、どうしても少なからぬ違和感を覚えざるをえません。
 ヘーゲルは、自己の革命的立場を押し隠すという保身のために、ことさらに観念論的な装いを身につけたという感じはするものの、二千五百年におよぶ哲学史の総括から生まれた論理学の全体は、哲学の本流を歩むものであり、「現実の世界の弁証法的運動の意識された反映」論としての合理的な認識の形式論であると理解しうるものであって、「現実の事物を絶対的概念のあれこれの段階の模写」ととらえる特異な論理を展開した形式論とは理解しがたいように思われます。
 確かに、論理学から自然哲学、ついで精神哲学への展開という『エンチクロペディー』の哲学体系において、絶対的理念がその舞台回しの役割を果たしていることは否定できません。しかしこの点も、概念を真にあるべき姿、絶対的理念を絶対的真理と理解すればそれほど気になるものではありません。絶対的理念の外化したものが自然哲学であるとする点は、確かに観念論的に思えますが、逆に自然哲学から精神哲学への移行は、自然の最高の産物が人間の精神活動であるという唯物論的なとらえ方となっていることもみておかなければなりません。何よりも、ヘーゲルが、この哲学の三つの部門を三重の推理ととらえていることも、世界のすべてを「概念の自己運動」ととらえているとする見解への反論を示すものということができます。
 さらに問題なのは、エンゲルスも、一方でヘーゲル弁証法が逆立ちしているといいながら、他方でそれを否定するような見解をも同時に示していることです。
 その一つは、エンゲルスが、「この弁証法的哲学は、究極的な絶対的真理とそれに照応する人類の絶対的状態といった考えをすべて解消してしまう。……この哲学のまえには、生成と消滅との不断の過程、低いものからもっと高いものへの無限の上昇の不断の過程以外には、なにも存続しない」(全集㉑二七一~二七二ページ/同一七ページ)として、「その革命的性格は絶対的」(同二七二ページ/同一七ページ)だとしていることです。
 反動的プロイセン王国の国定哲学にまでのぼりつめたヘーゲル哲学に関し、エンゲルスがヘーゲルの押し隠そうとした革命的性格を鋭く見抜いたのは、さすがの慧眼といわねばなりません。
 しかし、現実の事物を変革するためには、その事物の真の姿をみきわめたうえで、その事物の真にあるべき姿を概念としてとりださなければならないのであり、それは、現実の事物から乖離した観念論的認識論からは、けっして生まれてはこないのです。
 しかも、ヘーゲルの変革の立場は、その「概念」というカテゴリーにもっとも集中的に表現されているにもかかわらず、マルクスもエンゲルスも、この「概念」の意義を正確にはつかみきれなかったところから、概念を単にヘーゲル観念論の象徴でもあるかのようにとらえたというところもあったと思われます。
 その二つは、エンゲルスはヘーゲル哲学も、当時の自然科学と産業を反映して、内容的に唯物論となっていることを認めていることです。
 デカルト、ヘーゲル、ホッブス、フォイエルバッハを「ほんとうに駆りたてたもの、それはとくに自然科学と産業との、強力な、ますます速度をあげながら突進する進歩であった。……観念論の諸体系も、ますます唯物論的内容でみたされるようになり、精神と物質との対立を汎神論的に和解させようとした。こうしてけっきょくヘーゲルの体系は、その方法と内容とにおいて観念論的にさかだちさせられた唯物論にすぎないのである」(同二八一ページ/同三六~三七ページ)。
 もともと観念論と唯物論とは、「なにが根源的なものか、精神かそれとも自然か」(同二七九ページ/同三二ページ)という問題にどう答えたかによる二つの対立する陣営であり、両者の間に和解の成立する余地はないのです。その意味からすると、「観念論的にさかだちさせられた唯物論」という表現をどう理解すべきなのかという問題があります。
 エンゲルスが、ヘーゲルの観念論を「概念弁証法」(同二九八ページ/同七一ページ)に見いだしていることからすると、ここは、「概念というカテゴリーの枠組みを除けば、内容は唯物論」だという趣旨に理解すべきものではないかと思われます。
 私見では、ヘーゲル哲学の本質は「観念論的装いをもった唯物論」にあり、だからこそその哲学の内容の一つひとつが、唯物論的内容にみちていて科学的社会主義の哲学として生かされてくると考えるものです。というのも、ヘーゲルは、哲学の目標を真理の認識におき、客観的事物の反映として認識をとらえつつ、人間の理性は真理を認識しうるとして、理性にたいする無限の信頼をおいているからです。この真理を探究する科学的な態度は、自から唯物論的にならざるをえないのです。
 「哲学という名称は、経験的個別性の大洋のうちにある確かな基準および普遍的なものの認識、一見無秩序ともみえる無数の偶然事のうちにある必然的なものや法則の認識に従事」(七節)する知識に与えられていました。したがってヘーゲル「哲学もひたすら存在しているものを認識するものであって(第七節をみよ)、単にあるべきもの、したがって現に存在しないものは哲学の知るところではない」(三八節)という、唯物論的見地に立っているのです。
 いずれにしても、以上述べたようなエンゲルスの複眼的評価からしても、ヘーゲルを単なる観念論者としてきめつけるところから出発するのではなく、「今日でもなお完全に値うちのある無数の宝」(全集㉑二七四ページ/『フォイエルバッハ論』二二ページ)を発掘するとの見地に立って、虚心坦懐にヘーゲル哲学から学ぶべきものを検討していきたいと思います。

弁証法

 ヘーゲル哲学から学ぶべき最大のものは弁証法です。
 エンゲルスは、「弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的な運動=発展法則にかんする科学という以上のものではない」(全集⑳一四七ページ/『反デューリング論』上二〇一ページ)といっています。
「運動は物質の存在の仕方である。運動のない物質は、かつて、どこにもなかったし、またありえない。……あらゆる静止、あらゆる平衡は、相対的なものにすぎず、あれこれの特定の運動形態にかんしてのみ意味をもつのである」(同六一ページ/同八八ページ)。
 運動の特殊な一形態にすぎない事物の一時的、相対的な固定した姿をとらえようとするのが形式論理学であり、ここに形式論理学の一面性があるのです。この形式論理学の一面性に気づかず、連関し、運動する事物にまでこの論理を適用しようとする誤りをおかすのが、いわゆる「古い形而上学」です。
 この形而上学の誤りを克服し、運動する物質をその相対的、一時的な静止、固定した姿をも含めてとらえるのが弁証法であり、ここに弁証法が客観的事物の真理を認識しうる唯一の形式であるとする根拠があるのです。
 弁証法の核心は、対立物の統一にあります。なぜ対立物の統一が真理認識の形式になるのかといえば、運動とは対立・矛盾を内に含むことによって、はじめて運動となるからです。その事物の内にある対立が調和的対立のもとにあるとき、その事物は相対的に固定し静止していますが、その対立が矛盾に転化したとき、その事物は運動を開始するのです。「一般に、世界を動かすものは矛盾」(一一九節補遺二)なのです。
 「哲学の目的は、これに反して、このような無関係を排して諸事物の必然性を認識することにあり、他者をそれに固有の他者に対立するものとみることにある」(一一九節補遺一)。
 こういう対立物の統一としてとらえることによって、物質の運動の一般的形態をとらえうることになるのです。
 ヘーゲルは、「論理学」の全体をつうじて弁証法とは何かを語っていますが、そのなかでも弁証法という思惟形式についてまとまった叙述をしているのは、論理的なものの三つの側面(七九節~八二節)と、「思弁的方法」(二三八節~二四四節)の二カ所です。
 弁証法とは、まず直接的なもの、悟性的にとらえられたものを、肯定と否定との対立する二つの側面においてとらえかえし、さらにこの対立する二つの側面を止揚して今一度統一してとらえることにより、事物の真理、事物の運動、変化、発展をとらえようとするものです。
 こうしてヘーゲル論理学のすべてのカテゴリーが対立物の統一という形式としてとらえられているのです。質と量、或るものと他のもの、本質と現象、同一と区別、内容と形式、可能性と現実性、原因と結果、偶然性と必然性、自由と必然、主観と客観などなどです。
 対立物の統一には、対立物の相互移行、対立物の同一、対立物の調和、対立物の闘争(矛盾)などのさまざまの形式があります。矛盾は、自己を揚棄することによって、事物の発展をもたらし、新たな統一を生みだします。
 またヘーゲルが「真なるものは具体的なものであって、それは自己のうちで自己を展開しながらも、自己を統一へと集中し、自己のうちに保持するもの」(一四節)として、「絶対者の学は必然的に体系でなければならない」(同)ととらえているのも重要なところです。これがいわゆる「萌芽からの発展」といわれるものです。
 ヘーゲルが、一つのカテゴリーから次のカテゴリーへの移行を弁証法的に展開することをつうじて「論理学」の体系化を実現しているのも、カテゴリーの連関を「並存と継起」つまり、「あれも、これも」「あれと、またこれと」という「もまた」でつなぐのは、本来的な連関のうちにないものを偶然に寄せ集めたものにすぎないのであって、その内容に真理がないと考えているからです。
 マルクスも、このヘーゲルの考えを取り入れ、『資本論』を「弁証法的に編成」して「一つの芸術的な全体」に仕上げようとしました。
 このカテゴリーの弁証法的展開による「萌芽からの発展」とそれによる体系化も、われわれが真理をとらえようとするときに学ぶべき大切な姿勢だと思います。

唯物論的一元論

 第一六講で論じたように、ヘーゲルは基本的には唯物論の立場に立って二元論を批判し、自然科学や社会科学の発展のうえにたって自然や社会がどうあるかを知ることと、人間がより善く生きることとは統一されなければならないと考えました。またより善く生きる問題は、けっして「価値観の多様性」として放置されるべき問題ではなく、そこにも真理があるとの立場にたって、唯物論的一元論こそ正しいし、それがまた価値ある生き方だと主張しています。この考えは論理学では必ずしも十分には展開されていませんが、『法の哲学』において、人間がより善く生きるためには、より良い国家をつくらなければならないという結論として示されています(拙著『ヘーゲル「法の哲学」を読む』参照)。
 ヘーゲルが自分のいう現実性(エネルゲイア)とは、エネルゲイアとしてのイデアであると述べているのも、イデアを掲げての実践にはより善く生きるという生き方の問題が含まれていることをいいたかったものでしょう。
 いうまでもなく正しいのは唯物論的一元論です。唯物論的一元論は物質的生産の諸関係が社会の土台をなすものととらえながらも、人間社会においてもっとも重要なことは、人間として人間らしくより善く生きることであり、物質的生産力の発展もそれに貢献しうるかぎりで必要なものとされているのです。より善く生きることを抜きにした経済中心の現代資本主義が、単に貧困を蓄積し、格差を拡大しているのみならず、一方で核兵器を開発したり、地球環境を破壊したり、他方で人間関係の稀薄化と人間らしさを奪い、コミュニケーションの喪失、児童虐待、いじめ、理由なき殺人、少女買春などの道義的な危機を生みだしているところに、現代資本主義が持ち込んだ二元論の誤りが、いま誰の目にも明らかになっているのです。
 マルクスも若いときは「人間論」に関心をもち、『経済学・哲学手稿』(全集㊵)では、資本主義的労働が人間疎外をもたらし、社会主義・共産主義は、搾取と抑圧を廃止することによる人間解放の理論であることを原理的に解明しています。いわば、物質的生産力の発展も、人間疎外を生みだすのでは意味がなく、より善く生きる人間解放と結びついてこそ意味をもつものという唯物論的一元論にたっていたのです。それは共産主義を「成就されたナチュラリズムとしてヒューマニズム」(同四五七ページ)とする言葉にも示されています。しかし残念ながら、その後マルクスは経済学の研究に生涯のすべてのエネルギーを傾注し、「人間論」を十分に展開する時間的余裕をもちえませんでした。
 これに対して観念論的一元論は、人間がより善く生きるためには、物質世界とのかかわりを無視することはできないとの立場には立ちながらも、物質的生産力の発展や自然科学の発展それ自体に問題があるととらえ、生産力の発展を否定して「自然に帰れ」と説いたり、自然科学そのものを否定する反科学主義の立場に立ったりするのです。こういう人類の発展に逆行するような観念論的一元論の間違っていることはいうまでもありません。
 こうして哲学的世界観としては、唯物論の立場に立つと同時に、唯物論的一元論の立場に立つことが正しいのであり、それがまたより善く生きる人間本来の生き方でもあるのです。
 それだけに、マルクスにかわって、現代に生きるわれわれがヘーゲルの唯物論的一元論から積極的なものを学びとり、科学的社会主義の「人間論」をさらに豊かにしていく必要があると同時に、環境破壊や道義的危機の叫ばれる現代においてこそ、もっと声を大にして唯物論的一元論の正当性を主張しなければならないと思います。

変革の立場

 人間が自然や社会を認識する場合、解釈の立場と変革の立場に分かれます。解釈の立場は、世界がどうあるかを認識するにとどまりますが、変革の立場では、世界がどうあるかの認識のうえにたって、世界がどうあるべきかを問題とすることになります。
 先ほどの一元論、二元論との関係でいいますと、唯物論的な資本主義の二元論の立場は、物質の生産に関しては変革の立場に立たざるをえないのですが、精神にかかわる国家・社会のあり方、人間の生き方については、どうあるべきかを問題にしない解釈の立場にとどまります。
 ヴァリューレス、パーパスレス、センスレスの物質を対象とする自然科学にのみ真理があるとする二元論は、人間の生き方に関わりをもつ、政治・経済・法学に真理は存在しないし、ましてや倫理や道徳は厳密な科学の対象にすらなりえないと考えることにより、国家・社会のあり方や人間の生き方についても解釈の立場にとどまるのです。
 これに対して唯物論的一元論の立場は、より善く生きるという観点から基本的にすべての分野において変革の立場に立っています。ヘーゲル哲学はフランス革命の精神をひきついだ革命の精神に貫かれており、国家や社会を変革の立場からとらえ、そこに人間の生き方をからませるという見地を貫いています。
 ヘーゲルが「論理学を単なる形式的思惟の学というより一層深い意味において理解することは、宗教、国家……のためにも必要である」(一九節補遺三)とのべ、フランス革命は思惟の力で「国家と宗教を破壊した」(同)と批判されているのに対し、「思惟を、それが作り出した諸結果にかんして弁明することが必要となった」(同)として、論理学を著したとしていることにもそれが示されています。
 マルクスは「フォイエルバッハにかんするテーゼ」(第一テーゼ)で、次のように述べています。
 「これまでのあらゆる唯物論(フォイエルバッハのをもふくめて)の主要欠陥は対象、現実、感性がただ客体の、または観照の形式のもとでのみとらえられて、感性的人間的な活動、実践として、主体的にとらえられないことである。それゆえ能動的側面は、唯物論に対立して抽象的に観念論……によって展開されることになった」(全集③三ページ/『フォイエルバッハ論』一〇五ページ)。
 ここにいう「観念論」がヘーゲルを指していることはいうまでもありません。
 こうして、次の第一一テーゼが高らかに宣言されるのです。
 「哲学者たちは世界をたださまざまに解釈してきただけである。肝腎なのはそれを変えることである」(同五ページ)。
 しかし、変革の立場に立つということは、単に「当為の立場」、未来を展望する立場というにすぎません。それだけでは、現状をどのように変革するのかというその方向性はまだ示されていません。変革には合法則的な、進歩的な変革もあれば、法則に逆行する反動的な変革もありうるからです。この変革の方向性を明らかにしたのがヘーゲルにほかなりません。

当為の真理

 ヘーゲルの功績は、変革の立場を明らかにしたことにとどまるものではありません。ヘーゲルは、現にあるものについて真理を認めただけではなく、当為の真理をも認める立場に立って、どう変革すべきかその方向性を明らかにし、理想と現実の統一を訴えたのです。これは価値、当為の問題を「価値観の多様性」に委ねるのではなく、多様な価値観のなかにも真理があることを明らかにするものでした。
 科学的社会主義の認識論は、人間は真理を認識しうるという立場に立ち、不可知論をしりぞけます。真理とは客観的実在に一致する認識であり、その真理は、実践をつうじて一時的、特殊的真理から、絶対的、普遍的真理に無限に接近していきますが、人間が絶対的真理を認識し尽くすことはありえないと考えています。
 この真理観はヘーゲルの真理観に基本的に立脚したものですが、ヘーゲルの真理観はこれに包摂されないものをもっています。
 まず、「予備概念」の客観にたいする思想の態度(二六節から七七節)において、真理を客観と認識との一致としてとらえる近代合理主義を前提として、客観を越える理想(無限なもの)に真理があるのか、を問題としています。そのなかでこれまでの古い形而上学、経験論とカント哲学、直接知のいずれをも批判し、理想には真理があるとしたうえで、それは直接性と媒介性の統一としてとらえねばならない、といっています。つまり理想というものは、客観世界に媒介されながらも、それを揚棄した直接性としてとらえることにより、真の理想を認識しうるというものでした。これにより真理には、現在の真理と同時に未来の真理、当為の真理があることを明らかにしたのです。
 これを受けて、論理学の有論、本質論、概念論が展開されています。有論とは、事物の表面的な真理を認識する思惟形式であり、本質論は、事物の表面的な姿の後ろに隠されたより深い真理、つまり本質、法則、類、実体を認識するものです。しかしヘーゲルにいわせると、有論、本質論は客観と認識との一致ではあっても、真理というより正しさというべきものであり、真理の名にふさわしいのは概念と認識との一致であるといっています(二四節補遺二、二一三節)。概念論では客観的事物を越える真の姿、イデアという真理の認識がとりあげられています。
 ヘーゲルのイデア(真にあるべき姿)論は、プラトンのイデア論とちがって、イデアの生成論において唯物論的なものとなっています。つまり、イデアは客観に媒介されつつ客観を揚棄して生成するものとしてとらえられています。
 では、イデアは客観に媒介されつつ、どのように客観を揚棄し生成されるのでしょうか。ヘーゲルは、カントのアンチノミーに関連して、「アンチノミーの真実で積極的な意味は、あらゆる現実的なものは対立した規定を自分のうちに含んでおり、したがって、或る対象を認識、もっとはっきり言えば、概念的に把握するとは、対象を対立した規定の具体的統一として意識することを意味する、ということにある」(四八節補遺)と述べています。
 イデアを把握するとは概念を把握することであり、それが「概念的把握」の真の意味です。概念を把握するには、まず対象となる客観的事物を「対立した規定の具体的統一」として意識しなければなりません。客観的事物をそのうちに対立・矛盾を含むものとしてとらえることにより、その事物の法則性、必然性が把握されます。これがいわば現在の真理です。次にそのことをつうじて、その対立・矛盾を揚棄する統一としての概念が把握されるのです。これが、いわば事物の合法則的発展としての「概念的把握」といわれるものです。またこれを別の側面からみると、現にある客観的事物のなかには概念が潜在的に存在し、それが客観的事物のなかの現にあるものと真にあるべきものとの対立・矛盾となっているととらえることもできます。この潜在的な概念を人間の主観的作用によって顕在化させ、外的目的として取り出すことにより、「概念的把握」を実現するのです。
 こうして把握された概念が客観的事物の真にあるべき姿、つまりイデアなのです。この真にあるべき姿は、国家、社会、政党、労働組合、人間などすべての客観的事物について問題となりうるものです。概念を把握するには、客観的事物の法則性、必然性という現在の真理をまずとらえなければなりません。そのうえにたってこの法則性、必然性を止揚し、乗り越える未来の真理、当為の真理としての概念が把握されるのです。いわば、当為の真理は、現在の真理を止揚したところに成り立っています。この当為の真理としての概念を目標にかかげた実践により、客観的事物をその法則性に沿って合法則的に発展させ、真にあるべき姿に変革することができるのです。
 イデアは、変革の立場に立って変革の目標と方向性を示す当為の真理を示すものです。真理は一つしかありませんから、イデアもまた単一なものです。さまざまな当為のなかから当為の真理であるこの単一なイデアを把握することにより、この真理としての絶対的な力を発揮することになるのです。
 イデアは客観的事物に媒介され、客観的事物を否定するものとして生成するものではあっても、客観的事物の「真にあるべき姿」であることにより、客観と認識との一致としての真理の一形態ということができるのです。
 以上のようにヘーゲルの真理観は、未来の真理観を提示することにより、真理の枠組みを一歩広げる役割を果たしています。しかし実際には科学的社会主義の真理観には、無自覚的にではあっても当然のように未来の真理が含まれています。科学的社会主義の学説は、国家・社会の変革の理論であり、未来の真理を問題にする理論です。もともと政治というものはすべて未来志向であって、未来の「あるべき姿」(当為)を問題とします。もし当為に真理がないとしたら「価値観の多様性」の名のものに、自民党から共産党まで、その掲げる未来像について等し並の評価を受けることになってしまいます。
 科学的社会主義の学説は、弁証法的唯物論という科学的武器を使って国民の前に未来の真理を提示しうるところに、その先見性、優位性を見いだすことができるのです。
 日本共産党第二〇回大会報告のなかで、科学的社会主義の政党の役割は「そのときどきの歴史が提起した諸問題に正面からたちむかい、社会進歩の促進のために、真理をかかげてたたかうこと」(前衛六五一号四一ページ)にあるとされています。
 ここにいう真理は、未来の真理にほかなりません。この未来の真理、当為の真理まで含めて、真理とは客観と認識との一致としてとらえることが重要なのです。

理想と現実の統一

 哲学の課題は真理の探究にあります。ヘーゲルは、自己の哲学を「絶対的観念論」(アプゾリューター・イデアリスムス)、つまり絶対的理想主義と称しました。これにより理想と現実の統一を「究極目的」(六節)とする哲学体系を構築したのです。『エンチクロペディー』の末尾をアリストテレスの『形而上学』における理想と現実の統一の言葉でしめくくっているところにも、ヘーゲルの思いが込められています。理想と現実の統一は、未来の真理である理想を目標にかかげ、それを実践することによって必然的に現実性に転化するという真理を実現する哲学であると同時に、より善く生きる哲学なのであり、この立場は科学的社会主義の哲学にしっかりと引き継がれています。
 ヘーゲルの理想主義を象徴するカテゴリーが「概念」と「理念」です。「概念」が客観化して現実となったものが「理念」です。ヘーゲルの「概念」は、イデアに近い概念ですが、なぜイデアという概念を使用しなかったのかといえば、プラトンのイデア論について、いくつかの点で同意できなかったからではないでしょうか。
 一つには、プラトンは、人間がイデアを認識しうるのは、魂が生前に学んだことを想起することによってである、という「想起説」をとっていました。一般的には、プラトンのイデア「想起説」は、イデアは人間が存在する以前から宇宙のどこかに存在しており、魂は生前にそれを学んでいて、それを想起することによってイデアを認識するものと考えられています。これに対し、ヘーゲルはこの想起説を「イデアが潜在的に人間のうちにあるもので、……人間にゆかりのないものとして外から人間にやってくるものではない」(六七節補遺)と理解しました。しかしそのように理解するとしても、イデアを客観的事物に媒介されつつ媒介を揚棄したものとしてとらえるという、ヘーゲルの唯物論的イデア生成論からすると、プラトンの観念論が許せなかったのでしょう。
 もう一つは、プラトンの場合、イデアをすべての事物の「原因」となる「原範型(原物、手本)」と考えてはいましたが、「エネルゲイアとしてのイデア」としてはとらえられていませんでした。
 これに対して、ヘーゲルは、イデアは絶対的に生動的なものであり、現実に転化する必然性をもった力であることを明らかにすると同時に、イデアを掲げての実践はエネルゲイアとしてより善く生きる人間本来の生き方であることを強調したかったのです。
 「理念(イデア ── 高村)はけっしてわれわれの頭脳のうちにのみあるものでもなく、またわれわれが勝手に実現したり、しなかったりできるような無力なものでもなく、絶対的に活動的なものであり、現実的なものである」(一四二節補遺)。
 こうして、ヘーゲルはイデア論を発展させた概念論によって不滅の変革の哲学を樹立し、「真にあるべき姿」をかかげた理想と現実の統一を究極目的とすると同時に、それがまた人間としてより善く生きることであるという絶対的理想主義の哲学を確立するに至ったのです。
 しかもヘーゲルの理想主義は、単に「真にあるべき姿」を目標にかかげてたたかうことがより善く生きる人間本来の生き方だという意味の理想主義にとどまるものではなく、「真にあるべき姿」は、客観世界の法則性の認識のうえに成立する未来の真理をとらえたものであるがゆえに、これを目標としたたたかいは客観世界を合法則的に変革し、必ず勝利して現実のものになるという堅い確信に裏付けられています。それをわれわれの言葉にすれば、「真理は必ず勝利する」ということになるでしょう。
 未来の真理としての概念は、最初は少数の者の認識にしかすぎないでしょう。しかしそれは真理であるからこそ人々の心を根底からとらえ、様々な実践をつうじて多数の人々の世界観的確信に転化していくことができるのです。「真にあるべき姿」はその真理のもつ力によって、次第に多数派の共通する認識・確信に転化し、こうして「真理は必ず勝利する」のです。
 科学的社会主義の政党は、真理認識の方法としての弁証法を武器とし、その理論的先見性をつうじて、人民の前に国家・社会の「真にあるべき姿」を提示します。その「真にあるべき姿」は、真理の持つ力により人民の共感を獲得して多数派を形成し、普通選挙を通じて人民の「真にあるべき姿」を実現していくのです。ここに「プロレタリアート執権」の真の意義があります(拙著『ヘーゲル「法の哲学」を読む』参照)。
 ヘーゲルの概念論は、「主権在民の人民主権」(人民の多数の意志にもとづきながら、人民の真にあるべき意志を政治に実現する)という科学的社会主義の「プロレタリアート執権」をも射程におさめうるほどの変革の理論となっています。
 この「プロレタリアート執権」の今日的表現が日本共産党新綱領の「国民が主人公」です。日本人民は科学的社会主義の政党に導かれながら「真にあるべき」政治にむけて多数派を形成し、国家・社会の主人公となることができるのです。
 しかし、社会変革の運動は、けっして平坦な道のりではありません。ヘーゲルはそれを予期したかのように、「真にあるべき姿」をかかげてのたたかいを「大人の立場」として次のように表現しています。
 「意志は、目的が自分自身のものであることを知り、知性は世界が現実的な概念であることを知る。これが理性的認識の真の態度である。……世界の究極目的が不断に実現されつつあるとともに、また実現されているのだということを認識するとき、満足を知らぬ努力というものはなくなってしまう。一般的に言ってこれが大人の立場である」(二三四節補遺)。
 客観世界それ自体、その内的法則によりその「真にあるべき姿」に向かって発展していく「現実的な概念」です。その法則性を認識し、合法則的に客観世界を発展させようとする「真にあるべき姿」をかかげての理想と現実の統一を求めるたたかいは、その目的が直ちに実現されようとされまいと、人間としてより善く生きると同時に客観世界の合法則的発展に寄与するものとして、それ自体に満足すべき努力なのです。
 すなわち、「真にあるべき姿」を目標にかかげての一元論的たたかいは、キーネーシスではなくエネルゲイアなのです。その運動は目標に到達することだけに意味があるのではなく、目標に到達しなくても運動それ自体に意味があり、運動それ自体がより善く生きる価値ある人間本来の生き方なのです。
 日本共産党二〇回大会報告は、「たたかっても勝つ見込みがあるのか、たたかってもむだではないか」との疑問に答えて、次のように述べています。
 「勝算の大小ではなく、歴史の直面する課題にこたえて、歴史をきりひらこうとする人びとによって、世界史はつくられたのであります。その方向が真理にそっているかぎり、たたかってむだなたたかいはない」(前衛六五一号四二ページ)。
 この文章はヘーゲルのいう「大人の立場」と完全に符合するものであることを指摘しておきたいと思います。

ヘーゲルの再評価へ

 ヘーゲル哲学の本質をどう評価すべきかについて、いまだ議論は定まらない感があります。
 若いときにフランス革命を賛美したことは間違いないとしても、晩年『法の哲学』の出版により、反動的プロイセン国家を美化する保守主義者に転身したとの評価が、これまで一般的でした。それを決定づけたのが、ルドルフ・ハイムの『ヘーゲルとその時代』(一八五七年)でした。
 しかし、そうした時代のなかにあって、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』(一八八八年)において『法の哲学』の「重苦しい退屈な文章のうちに、革命がかくれている」(全集㉑二六九ページ/『フォイエルバッハ論』一二ページ)と評価したのは、まさに卓見として評価さるべきものでした。
 その後のヘーゲル研究をつうじて、ヘーゲルは、反動的プロイセン国家が民主的大学教授を大学から追放するという状況のもとで、その革命的精神を保持し続けながらもベルリン大学教授の地位を確保し続けるために、保守主義者に転身したかのように装ったものであったことが明らかになってきています。
 『法の哲学』も、実は、当時危険な禁断の書とされたルソーの『社会契約論』の人民主権論を基軸とし、ヘーゲルなりの「真にあるべき国家」を論じた革命の書であったと結論づけられるべきものだと考えます。
 このようにヘーゲルの評価が大きく保守主義者から革命的精神の持ち主へと一八〇度転化してきているにもかかわらず、ヘーゲルを「観念論者」とする評価は、依然としてゆるぎないものであるかのように思われています。
 しかし、果たしてその評価をそのまま受け入れて良いのかどうかも、あらためて今日の時点に立って再検討してみる必要があるのではないでしょうか。
 そもそもヘーゲルの評価が今日まで定まらなかった最大の理由は、いうまでもなくヘーゲル哲学の難解さにあります。その難解さの大部分は「概念論」にあり、「概念」に関わる記述は、意図的に分かりにくいものとされているようにすら思われます。例えば、概念はいかにして生成するのかという、その生成論は、各所に散見されるのみで、どこにもまとまった形で明確に述べられていないうえに、「概念論」がイデア論であることも正面からは語られていません。また予備概念では、国家・社会の真理の認識が必要である(一九節補遺三)といいながら、概念論では一切それにふれられていないのもその一例といえます。
 だからこそ、エンゲルスもヘーゲル哲学を「概念弁証法」(全集㉑二九八ページ/『フォイエルバッハ論』七一ページ)として批判したのです。また「概念論」の難解さが、これまで「概念論」を「有機体論」だとするような途方もない解釈を許してきたのであり、「概念論」がイデア論であることを誰一人指摘する者はいなかったのです。
 しかしヘーゲル哲学の意義は、何よりも「真にあるべき姿」としての概念をかかげて、理想と現実の統一をめざすところにあり、概念をイデアとして理解し、かつ概念をかかげての実践がエネルゲイアであるととらえないと、その真髄が大きく損なわれてしまうことになってしまうのです。
 ではなぜヘーゲルは意図的に「概念論」を分かりにくいものにしたのでしょうか。それは『法の哲学』の国家論にも共通しているのですが、それによって、「概念論」にこそ革命的精神が潜んでいることをひた隠しにし、心ある者にのみそれを読みとってほしかったからではないでしょうか。
 また「概念論」の分かりにくさは、その観念論的装いと結びついています。先にヘーゲル哲学を「観念論的装いをもった唯物論」と規定したのも、観念論的装いは、唯物論的な革命的精神を押し隠すうえで最も有効な装いであり、ヘーゲル論理学全体を通してみると、その観念論的記述のほとんどが、「概念」というカテゴリーと結びついているからにほかなりません。
 ですから、エンゲルスがヘーゲルの「概念弁証法」にヘーゲル観念論を発見したのは、ヘーゲルにいわせると、ある意味で思う壺だったのかもしれません。
 他方この「概念」とは別に、ヘーゲルが「ヌースあるいは精神……が世界の原因である」(八節)とか「世界のうちには理性がある」(二四節補遺一)「世界は神の摂理によって支配されている」(二一三節補遺)などと述べているところにこそ、精神を根源的なものとみるヘーゲルの観念論があるとの見方は、それなりに根拠をもつものです。
 しかしこの点についても、まだ宇宙の発生もダーウィンの進化論も発表されていないという一九世紀の時代の制約があったにもかかわらず、ヘーゲルは世界には歴史があり世界を発生させた根本原因と発展法則があるはずだと、弁証法的唯物論的な直観のうえにその世界観を展開したものとみることができるでしょう。
 「この考えのうちには、世界の個々別々のものが、そこからそれらが出現してきた統一へ不断に還元され、この統一に適合させられているということが含まれている」(同)との言葉に、ヘーゲルの言わんとするところが示されているといえます。もしヘーゲルが、私たちの宇宙の発生はビッグバンに始まり、生命の発生は細胞にはじまったことを知っていれば、それこそ自分の言いたかったことだと言ったに違いないと思うのです。この点からもヘーゲル哲学は「観念論的装い」をもっているということができるのです。
 エンゲルスは『フォイエルバッハ論』(全集㉑二六九ページ/『フォイエルバッハ論』一二ページ)のなかで、ヘーゲル哲学の革命性に気づいた数少ない一人がハインリッヒ・ハイネであったと指摘しています。
 ハイネは『ドイツ古典哲学の本質』(岩波文庫)のなかで、ドイツの哲学革命を、大きくスコラ哲学という観念論から脱却して唯物論にいたる過程だととらえています。すなわちデカルト哲学は、神学から一歩抜けだし、近代合理主義の出発点となりました。デカルトの二元論はやがて観念論と唯物論という対立する二つの学説を誕生させました。その唯物論はロックに引き継がれ、やがてフランスの機械的唯物論を生みだします。彼らは、神という世界の外にいる技師が、人間という機械をつくるという「超越神論」の立場を採用しました。これに対しスピノザは、神を唯一の実体とし、客観世界そのもののなかに神を認める「汎神論」の立場に立ちました。
 ドイツ哲学革命は、これらの先駆者のうえに、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルによって展開されます。カントは超越神論をうちくだき、フィヒテはカント哲学を体系化しようとして無神論者として告発されます。
 フィヒテが「理想から現実をつくり出した」(前掲書二二二ページ)のに対し、シェリングは「現実から理想をつくり出した」(同)のです。
 このドイツ哲学革命は、ヘーゲルで完成します。「ヘーゲルがこの革命の大きな循環を終結させた」(同二三五ページ)のです。ハイネはどのように完結させたのかを語っていませんが、論理の展開からして、唯物論を完成させ、理想と現実の統一を訴えたということにならざるをえないものだと考えます。
 したがって、ヘーゲルを客観的観念論を代表する人物としてとらえる評価は、見直すべきものであり、その本質は「観念論的装いをもった唯物論」と規定されるべきではないかと考えるものです。
 ここでは、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』のなかで、「概念弁証法」の逆立ちを除去した「唯物論的弁証法」のもたらしたものについて述べている興味深い一文を紹介しておきましょう。
 「これによってしかしヘーゲル哲学の革命的側面がふたたび取りあげられ、同時に、ヘーゲルの場合その徹底した展開のじゃまになっていたあの観念論的装飾から解放されたのである」(全集㉑二九八ページ/『フォイエルバッハ論』七二ページ)。
 この「観念論的装飾」というところに注目して下さい。エンゲルスは概念弁証法の「概念」を、弁証法の革命的側面の「徹底した展開」を妨げていた単なる「観念論的装飾」にすぎないのではないかととらえていたのです。この「概念」のとらえ方には問題があるとしても、エンゲルスの論理からするとその「観念論的装飾」を取り除けば、唯物論的弁証法となるとも読み取れるのです。概念を「真にあるべき姿」としてとらえるならば、ヘーゲル哲学の本質を「観念論的な装いをもった唯物論」と断じても、けっして的はずれな本質規定ではないと思われます。
 最後に、レーニンが一九一四年に執筆した『哲学ノート』「ヘーゲルの著書〈論理学〉の摘要」の最後の文章を今一度紹介して、しめくくりたいと思います。
 「ヘーゲルのこのもっとも観念論的な著作のうちには、観念論がもっともすくなく、唯物論がもっとも多い。"矛盾している"、しかし事実だ!」(レーニン全集㊳二〇三ページ)。
 レーニンは、一九〇八年に執筆した「唯物論と経験批判論」では、まだエンゲルスの『反デューリング論』をつうじてのみヘーゲルを理解していたところから、ヘーゲルを「絶対的観念論者」(同⑭一一一ページ)と規定し、「現実の世界をある世界以前の『絶対的理念』の実現とみなした」(同)としていました。
 それだけに、自らヘーゲルを直接学んだうえでのこの感想は、ヘーゲルの唯物論的本質への驚きが率直に表現されていて興味深いものがあります。