『弁証法とは何か』より

 


               序

 本書は、科学的社会主義の立場に立ち、ヘーゲル『小論理学』をつうじて弁証法そのものを学ぼうとするものです。一九九九年にも、『ヘーゲル「小論理学」を読む』(学習の友社)を出版していますが、その後の弁証法探究の集大成として、本書を世に問うことにしたものです。
 ヘーゲル哲学の難しさには定評があります。それをできるだけ分かりやすくしかもその真髄を読み解き、働く人々により善く生きる糧を提供したい、というのが本書のコンセプトになっています。
 ヘーゲルの難しさには二種類あるように思われます。一つは、その独自の用語になじめないため内容が頭に入らないという問題です。この点では、「ヘーゲル用語事典」(岩佐茂他編、未来社)を併用されることをおすすめします。もう一つは、弁証法それ自体のもつ難しさです。形式論理的な思考に慣れ親しんできたものにとって、弁証法的記述には、「もっとはっきり、分かりやすく言えないのか」という違和感を覚えるものです。しかし、一面的に割り切って事物をとらえないのが弁証法ですから、この点は難しくてもとにかく読み進んでいただく以外にはありません。それを突破すれば大きな喜びが待っていることを信じて頑張ってほしいと思います。

 ヘーゲル哲学は、難しいけれども魅力あふれる哲学の最高峰をなす古典です。ヘーゲルは生涯十回にわたって哲学史の講義を行っています。二千五百年におよぶ哲学の歴史を総括することをつうじて、自己の哲学を確立したのであり、そこにヘーゲル哲学の深遠性と真理性の源があります。いわば、人類の知的遺産の総和のうえに大輪の花を咲かせたのが、ヘーゲル弁証法なのです。
 これまでヘーゲルは、反動的プロイセン国家を支えた保守主義者であり、観念論者であるとの評価を受けてきました。しかし現在、保守主義者との評価はすでに過去のものとなり、観念論者との評価もゆらぎつつあるように思われます。哲学の歴史の大道を歩むヘーゲルには、哲学の本流である唯物論者との評価こそふさわしいものと言っていいでしょう。
 本書では、ヘーゲル哲学の本質について、「観念論的装いをもった唯物論」という大胆な規定をしています。果たしてその本質規定は正しいのか否か、著者の問題提起について積極的な議論が展開されることを期待したいと思います。
 弁証法という思惟形式は、閉塞感につつまれた時代にあって、生きる力と心の支えをもたらしてくれる哲学であり、読み通されれば深い充足感を味わっていただけることでしょう。というのも、弁証法は「真にあるべき姿」をかかげて理想と現実の統一をめざす変革の理論だからです。現代にあってこそ、ヘーゲル『小論理学』は読むに値する古典であるのみならず、もっと読まれるべき古典だと確信しています。そのためにも、まず第一講と第二〇講とを最初に読んで大筋を理解し、そのあと順次、第二講から読み進まれれば少しでもとっつきやすくなるのではないかと思います。
 本書は、二〇〇六年六月から二〇〇七年三月までの講座「ヘーゲル『小論理学』に学ぶ」の二十回分の講義を下敷きとし、編集委員会での討論をもとに訂正、加筆、整理したものです。
 表題を『弁証法とは何か』としたのは、ヘーゲル哲学の枠組みにとらわれず弁証法そのものをより深く探究することにより、一定の新しい問題提起もなしえたのではないかとの思いからです。それだけに様々なご批判をお寄せいただき、それをつうじて真理認識の思惟形式としての弁証法をより鋭い、強靱なものに発展させることができるならば、これにすぐる喜びはありません。

 今回の編集委員会には、神戸の吉崎明夫さんも遠路を辞せず参加していただきました。これまでの「広島県労学協スタイル」で本書を出版することができましたのも、ひとえに編集委員会のみなさんの骨身惜しまぬ御協力、ご尽力の賜であり、この場を借りてあらためて感謝と敬意を表明するものです。
 なお装丁は、長男の文化女子大学准教授、高村是州が担当しました。

 

二〇〇七年 七月 七日

       高村 是懿