2007年6月20日 講義
第1講 『反デューリング論』を学ぶ意義
1.『反デューリング論』とは何か
●「オイゲン・デューリング氏の科学の変革」が正式名称
・デューリング――ベルリン大学の私講師
・「社会主義の大家」「その改革者」(① 3ページ)として、統合されたばか
りの社会民主党に日和見主義的見解を持ち込んで「分裂や混乱」(同)をも
たらそうとした
・ デューリングの『哲学教程』『国民=社会経済学教程』『国民経済学および
社会主義の批判的歴史』という体系を批判して、エンゲルスは科学的社会主
義という「もう一つ別の体系を対置」(① 5ページ)したものが『反デュー
リング論』
● 構成
・第1篇 哲学(弁証法唯物論と史的唯物論)、第2篇 経済学(『資本論』
第1部を中心に)第3篇社会主義(社会主義とは何か、社会主義の青写真)
・ これにヒントをえて、レーニンの「マルクス主義の三つの源泉と三つの構
成部分」――「彼の学説は、哲学、経済学、社会主義の最も偉大な代表者
たち
の学説をまっすぐに直接に継続したもの」(レーニン全集⑲ 3ページ)
・しかし、科学的社会主義は真理を探究する「全一的世界観」(同)だから、
構成部分をこの三つに限定してとらえるべきではない
・政治、法、イデオロギーをも包摂する
・エンゲルスの構成はデューリングの体系に対応したものにすぎない
● エンゲルスとマルクスの事実上の共著
・「この書物で展開されている考え方は、大部分マルクスによって基礎づけら
れ発展させられたもの」(① 9ページ)――エンゲルスの謙遜
・「私が彼に黙ってこういう叙述をしないということは、われわれのあいだで
は自明のこと」(同)
・第2篇10章「批判的歴史から」はマルクスの執筆――第3版で追補(①
18ページ)
●『空想から科学へ』
・もっとも有名な科学的社会主義の入門書
・『反デューリング論』の序説第1章「総論」、第3篇第1章「歴史的概
説」、同第2章「理論的概説」に手を加えて、独立の小冊子にしたもの
(① 11ページ)
● テキスト『反デューリング論』1,2(国民文庫、大月書店)
・『反デューリング論』の準備労作も含まれている(① 227ページ以下/②
571ページ以下)
・『空想から科学へ』のための補足と変更も(① 284ページ以下/② 602
ページ以下)
2.『反デューリング論』にいたる
社会主義・共産主義思想
● アメリカの独立(1783)
● フランス革命(1789〜1794)
・「一方の交戦者だった貴族が滅ぼされて他方の交戦者だったブルジョアジー
が完全に勝利するまで、ほんとうにたたかいぬかれたという点でも、最初の
ものであった」(全集⑲ 557ページ)
・ルソーの人民主権論(『社会契約論』)が理論的指導書となり、「自由・平
等・友愛」をスローガンに
・ジャコバン独裁(1793)と「1793年憲法」
・テルミドールの反動(1794)によりブルジョアジーの権力確立
● フランス革命から共産主義運動へ
・1796.5「バブーフの陰謀」――フランス革命の理念は私有財産を廃止する共
産主義にあったとして、「1793年憲法」の復活による共産主義社会を実現し
ようとした「バブーフの陰謀によって一時・ 敗北した革命的運動は、共産主
義理念を生みだした。この理念をバブーフの友人ブオナロッティが、1830年
革命(7月革命――高村)ののち、ふたたびフランスにひきいれた」(「聖
家族」全集② 124ページ)
・1848 マルクス、エンゲルス『共産党宣言』
――「一つの妖怪がヨーロッパをさまよっている――共産主義の妖怪が」
(全集④ 475ページ)
・フランス革命は革命の第一幕、「今日のヨーロッパの社会運動全体は革命の
第二幕」(全集② 639ページ)
● 1864年国際労働者協会(第一インターナショナル)設立、マルクスが創立宣言
と規約を起草
● マルクス『資本論』第1部(1867)、第2部(1885)、第3部(1894)
● パリ・コミューン(1871)
・世界で最初の共産主義革命をめざすもの
・ルソーの人民主権論が「プロレタリアート執権」論として科学的社会主義の
理論に
・パリ・コミューンは「人民の、人民による、人民のための国家」――「あれ
がプロレタリアートの執権だったのだ」(エンゲルス、全集⑲ 596ページ)
●『反デューリング論』(1878)の時代は、マルクス、エンゲルスの科学的社会
主義がさまざまの雑多な社会主義理論のなかで、ようやく市民権を獲得しよう
としていた時代
・『共産党宣言』では、社会主義・共産主義に①反動的社会主義(封建的社会
主義、小ブルジョア社会主義、ドイツ真正社会主義)②保守的社会主義また
はブルジョア社会主義③空想的社会主義などの諸潮流があったことを指摘
・『反デューリング論』と『空想から科学へ』(1880)および『資本論』をつ
うじて、科学的社会主義の学説が真の社会主義・共産主義の学説として世界
的に承認されることになる
3.『反デューリング論』の時代背景
● 1869年、べーベル、リープクネヒトを中心に「アイゼナッハ派」(ドイツ社会
民主労働者党)を結成
・ドイツ労働運動の革命的潮流を代表し、国際労働者協会へ加盟
・機関紙「フォルクスシュタート」――指導者はべーベル
・マルクス、エンゲルスの指導を受け、科学的社会主義を指導原理に掲げる
● 1863年、ラサール「全ドイツ労働者協会」(ラサール派)を設立
・「賃金鉄則」(賃金基金は一定)だとして、賃上げ闘争を否定
・ブルジョア=地主国家の補助による生産協同組合の設立という階級調和によ
る社会主義を唱えた
● 1875年、アイゼナッハ派とラサール派が合同して「ドイツ社会主義労働者党」
(後のドイツ社会民主党)を結成
・1875年合同大会で採択した綱領が「ゴータ綱領」
・ラサール派の日和見主義的見解を取り入れ、労働者階級の権力の確立を否定
→マルクスの「ゴータ綱領批判」
・機関誌「フォールヴェルツ」
● オイゲン・デューリング(1833~1921)
・小ブルジョア社会主義者
・1870年代からドイツ社会主義労働者党内に思想的混乱をよびおこす
――べーベルも影響(①注解 2ページ)
・1875『国民経済学および社会主義の批判的歴史』第2版、『哲学教程』出版
――「マルクスを激しく攻撃」(①注解 2ページ)
・1875.4 リープクネヒト→エンゲルスに「デューリングをたたきのめすこと
に踏みきらなければならない」と書き送る(同)
● 『反デューリング論』の反響
・「このすっぱいりんごをかじる決心をつけるまでには、一年もかかった」
(① 4ページ)
・1876.5〜1878.7まで執筆(機関紙に掲載)(同 3~6ページ)
・1877.1 第1回論文発表――判断二つに分かれる(同 6ページ)
・1877.5のゴータ党大会で決着(同)
● 1880年ポール・ラファルグの依頼により『空想から科学へ』をパリで出版
・1883 ドイツ語版
・さらにイタリア、イギリス、ロシア、スペイン、ポーランド、デンマーク、
オランダ語で出版
4.『反デューリング論』をどう読むか
① 論争の書
● 「或る哲学を反駁するとは、その哲学の制限を踏み越えて、その哲学の特殊の
原理を観念的な契機へひきさげることを意味するにすぎない」(『小論理学』
86節補遺2)
● エンゲルスは、この模範をみせてくれている
・デューリングの主張との対比で、エンゲルスの主張を読む
・弁証法的否定の例を学ぶ
・弁証法的否定による認識の発展
② 科学的社会主義の主要な構成部分を学ぶ
● ドイツ古典哲学(ヘーゲル)を源泉とする弁証法的唯物論と史的唯物論の哲学
● イギリス古典経済学(ペティ、スミス、リカード)を源泉とする経済学
● フランス社会主義(バブーフ、パリ・コミューン)を源泉とする社会主義理論
③ 自然の弁証法を学ぶ
●「数学と自然科学の知識が必要」(① 12ページ)
● エンゲルスは、1869.7に商業活動に終止符をうって八年間の大部分を数学と自
然科学の「羽がわり」に費やす――当時としての最新の自然科学、数学の知識
のうえにたって、弁証法を論じている
● 当時のニュートン力学と、現代の量子力学、相対性理論には雲泥の差
● 少しでも現代自然科学の到達点に立って論じるように心がけたい
④ 科学的社会主義の現在の到達点に立って学ぶ
● 130年の科学的社会主義の理論と運動の到達点にたって、『反デューリング
論』を読む
・すでに過去のものとなった論争箇所もあるし、新しく論ずべき問題もある
● ロシア革命とソ連・東欧の崩壊をどうみるか
● 中国、ベトナムの市場経済社会主義をどうみるか
● チャベスの参加型社会主義(ベネズエラ統一社会主義党結成準備中)をどうみ
るか
→こうした問題意識をも持ちつつ、今日の到達点に立って、適宜アクセントを
つけながら読んでいく
●『反デューリング論』をつうじて資本主義の没落の必然性と、真にあるべき社
会主義とは何かを学ぶことを最終の目的とする
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