『エンゲルス「反デューリング論」に学ぶ』より

 

 

第三講 序説② 弁証法とは何か

 

科学的社会主義の源泉としてのドイツ古典哲学

 第二講で、科学的社会主義の源泉の一つに、ドイツ古典哲学があることを学びました。
 今日は、このドイツ古典哲学の頂点としてのヘーゲル哲学と科学的社会主義との関連を学んでいくことにしましょう。
 ドイツ古典哲学とは、カントに始まり、フィヒテ、シェリングを経てヘーゲルに至る哲学を指しています。この四人の哲学者は、隣国フランスの革命に強く影響され、その本質を哲学的にどう総括するのかを共通の土台として自己の哲学を確立していったのです。
 「この世界史上の偉大なる時期に――その最も内なる本質が何であるかを概念的に把握することは歴史哲学に於ける課題であろうが――ただ二つの国民のみが参加した、即ちドイツ国民とフランス国民とがそれであって、……ドイツに於てはこの原理は思想や精神や概念として発現し、フランスに於ては現実そのものの中に勃発したのである」(ヘーゲル『哲学史』下巻の三、五五ページ)。
いわば、フランス人は政治的にフランス革命に参加し、ドイツ人は哲学的に参加したところから、ドイツ古典哲学は「ドイツ的啓蒙」といわれています。
ドイツ古典哲学の歴史的意義は、フランス革命という激動する情勢をまのあたりにすることによって、これまでの古い形而上学的唯物論から、新しい弁証法的唯物論へ移行する理論的前提をつくり出したことにあります。そのなかにあっても後世に大きな影響を及ぼしたのは、カントとヘーゲルでした。
 フランス革命は自由の精神をかかげてたたかわれた革命でした。
 「カント哲学の真実なる点は自由を容認せる事にある。既にルソーが自由の中に絶対者をば掲げていたが、カントもまた同一の原理を掲げた。ただ然しむしろ理論的な側面からである」(同七二ページ)。
 それと同時にカントは、矛盾というものを正面からとりあげて、弁証法的思考への道すじをつくりだしました。こうしたことから、マルクスはカント哲学を、「フランス革命のドイツ的理論」(全集①九三ページ)とよんだのです。
 しかし、カント以上に、挫折したフランス革命の自由の精神を最後まで貫徹しようとしたのがヘーゲルでした。また、ヘーゲルはカントの矛盾論をふまえて、変革の立場を貫く古代ギリシア哲学の弁証法を復活、完成させることによって、ドイツ古典哲学の頂点に立つことになりました。ヘーゲルは、「弁証法の一般的な運動諸形態をはじめて包括的かつ意識的な仕方で叙述した」(二三八ページ)のです。
 こうして、カント哲学をのりこえることでヘーゲル哲学が誕生したところから、エンゲルスも、「弁証法の包括的な綱要がヘーゲルの諸著作というかたちですでに存在しているときに、カントについて弁証法を研究しようとすることは、むだな骨おりであり、労多くして効少ない仕事であろう」(二三六ページ)と言い切っているのです。
 このヘーゲル弁証法を源泉とし、これを継承・発展させたものとして、科学的社会主義の哲学=「弁証法的唯物論と史的唯物論」が誕生することになります。

思考に関する科学

 人類の七百万年におよぶ歴史は、自然や社会、人間に関する認識を蓄積し、発展させてきた歴史でした。この認識発展の歴史をつうじて、人類は、どうすれば自然や社会、人間の真の姿をとらえることができるのかという、真理認識のための思考の形式(枠組み)、思考の方法をも歴史的に発展させてきたのです。
 「思考にかんする科学は、他のあらゆる科学と同様に、一つの歴史的な科学である。つまり、人間の思考の歴史的発展についての科学なのである」(二三一ページ)。
 エンゲルスは、思考(思惟)に関する科学としての「思考方法」(二六ページ)には、大きく弁証法と形而上学の二つがあり、ギリシア哲学から今日までの歴史は、弁証法から形而上学へ、形而上学からヘーゲル弁証法へ、そして再び古い形而上学へ逆もどりし、最後に最高の真理認識の方法としてのマルクス、エンゲルスの弁証法的唯物論へ到達したことを明らかにしていますので、その歴史をたどってみることにしましょう。
 なおエンゲルスは、形而上学と形式論理学を同じような意味で使用していますが、これは区別すべきものだと考えます。思考方法としての形式論理学は、弁証法的論理学(略して弁証法)とともに必要かつ有益な方法です。ですからエンゲルス自身も「近代唯物論は本質的に弁証法的であって、もはや他の諸科学の上に立つ哲学を必要としない」(三三ページ)としたうえで、「これまでのいっさいの哲学のなかでなお独立に存続するのは、思考とその諸法則とにかんする学問――形式論理学と弁証法である」(同)と述べています。
 これに対して形而上学とは、ほんらい弁証法を適用すべき場面に形式論理学をあてはめることによって、誤った論理を生みだす思考形式を意味しています。形式論理学は、一定の限界のなかでは正しい論理であるのに対し、形而上学は、誤った、欠陥をもつ論理なのです。
 ヘーゲルは、この両者を区別して使用しています。
 「有限な事物は、言うまでもなく、有限な諸述語によって規定されなければならないから、この場合には悟性の活動はその場所をえているわけである。……例えば、私が或る行為を窃盗と名づけるとすれば、その行為の根本的な内容はこれによって規定されているのであって、裁判官にはこうした知識で十分である。……しかし理性的対象は、このような有限な述語によっては規定できないものである。そしてあえてそれを行おうとしたところに、古い形而上学の欠陥があったのである」(『小論理学』二八節補遺)。
 「有限な事物」とは、固定し、静止していることによって限界をもっている事物であり、こうした「有限な事物」をとらえるには、「悟性の活動」である形式論理学で十分なのです。これに対して、運動し、連関している事物は、限界をもたない「理性的な対象」です。この「理性的対象」を、「有限な諸述語」としての形式論理学でとらえようとしたところに、「古い形而上学の欠陥」があった、というのです。
 このヘーゲルの理解にしたがって、事物の真の姿をとらえる思考形式が、どのように否定の否定をつうじて弁証法的に発展していったのか、その歴史をみていくことにしましょう。

思考形式の弁証法的発展

 まず最初の世界観は、古代ギリシア哲学に登場した弁証法的な世界観でした。
 それは自然や社会を「もろもろの連関と交互作用が限りなくからみあ」(二六ページ)いながら、「すべてのものが運動し、変化し、生成し、消滅する」とする「原始的で、素朴な、しかし実質上正しい世界観」(同)でした。
 その一例としてヘラクレイトスがあげられています。彼の「すべては流れる(panta rhei)」という言葉が有名です。彼はすべてのものを運動、変化するものとしてとらえたのですが、その運動、変化を表現するには、「万物は存在し、また存在しない」(同)という対立物の統一としてしかとらえることができないことを明らかにしました。これが弁証法といわれるものです。形式論理学では、或るものは存在するか存在しないかのどちらかであって、存在すると同時に存在しないという矛盾した論理は認めません。しかし或るものが移動することを表現しようとすると、或るものは「ここにあって、ここにない」という弁証法でしか表現できないのです。ヘーゲルは、このヘラクレイトスに学んで、成(運動)を「有と無との統一」としてとらえ、「ヘラクレイトスが『すべては流れる』と言うとき、これによって成があらゆる存在の根本規定であることが言いあらわされている」(『小論理学』八八節補遺)といっています。
 「旧序文」では、ギリシア哲学の弁証法のもう一つの例として、レウキッポス、デモクリトスの「原子論」(二三二ページ)があげられています。彼らは物質世界の根本は、それ以上分割できない粒子としての原子と空虚から成ると考えました。原子は空虚のなかを運動して、原子相互の間で結合したり分離したりして、多様な物体が生まれると説明しました。現代の量子力学では、電子、光子などの素粒子は、粒子であると同時に波動であると考えられています。波動の伝搬をもたらすものは「場」とよばれています。ギリシア哲学の原子論における原子と空虚の統一は、現代量子力学における粒子と波動の統一としてとらえられているといえるのではないでしょうか。
 このような古代ギリシャの世界観は、「諸現象の全体としての姿の一般的性格を正しくとらえてはいても、この全体の姿を構成している個別的なものを説明するには、不十分」(二六~二七ページ)でした。個別なものを説明するためには、自然科学の発展が必要だったのです。
 近代の自然科学は、一五世紀後半に始まりました。
 「それは、フランス人が正しくもとよび、プロテスタント的ヨーロッパが一面的にかたくなにと名づける時代であった」(『自然の弁証法』全集⑳五〇四ページ)。
 コペルニクスの地動説に加え、「数学的な事柄、力学と天文学、静力学と動力学の各分野では、とりわけケプラーとガリレイによって大きな業績が達成され、ニュートンはそうした業績から最終結論を引きだした」(同五〇五ページ)。
 こうした自然科学の発展は、「それらの個別的なものを認識する」(二七ページ)ものであり、「自然を認識するうえでなされた巨大な進歩の根本条件」(同)となったのが分析的方法だったのです。
 それは、「自然をその個々の部分に分解すること、さまざまな自然過程や自然対象を一定の部類に分けること、生物体の内部構造をその多様な解剖学的形態について研究する」(同)というものでした。
 こういう自然科学における分析的方法は、「自然の事物や自然過程を個々ばらばらに、大きな全体的連関から切りはなしてとらえるという習慣、したがって、運動するものとしてではなく静止しているものとして、本質的に変化するものとしてではなく固定した恒常的なものとして、生きているものとしてではなく死んだものとしてとらえるという習慣を、われわれに残した」(同)のです。
 もう一つの問題は、当時の自然科学の歴史的制約からくるものでした。
 「とりわけこの時期を特徴づけているものは一つの独特の全体観の作成ということであって、その中心となるのが自然の絶対的な不変性という見解である」(『自然の弁証法』全集⑳三四四ページ)。
 旧約聖書の神による「天地創造」の影響もあり、ニュートン力学は、神の最初の一撃以来、惑星は永久に予定された楕円上を回り続けるというものでしたし、リンネは動植物の種を神によって創造された永遠に不変なものと考えたのです。
 こういう「考え方は自然科学から哲学に移され」(二七ページ)、「一七世紀と一八世紀の形而上学――イギリスではベーコンとロック、ドイツではヴォルフ」(二三四~二三五ページ)を生みだしました。
 しかし、「自然は弁証法の検証となるもの」(三〇ページ)です。
 一七世紀になると、「シュヴァンとシュライデンによる生物細胞の発見」(全集⑳五〇八ページ)がなされ、「生物の発生、成長、またその構造上の秘密は一掃された」(同)のです。これによって生物の種の垣根が絶対的なものではないことが明らかになりました。また一八世紀におけるカントの星雲説は、「太陽もすべての惑星も、一つの回転する星雲塊から発生したとする」(三〇ページ)ものでした。
 こうして、自然科学は神学の世界から脱皮していきました。リンネの不変の生物の種もニュートンの恒久的な太陽系も否定され、自然にも歴史があることが明らかになっていきます。
 フランス革命による社会変革と自然科学のこうした状況を反映して、ドイツ古典哲学は「思考の最高の形式としての弁証法をふたたびとりあげ」(二六ページ)る功績を生みだし「ヘーゲルの体系において完結に達した」(三一ページ)のです。
 ヘーゲルは、『エンチクロペディー』というその哲学体系において、世界全体を「論理学」「自然哲学」「精神哲学」という三部構成の弁証法でとらえました。
 この体系ではじめて「自然的・歴史的・精神的世界の全体が一つの過程として、すなわち、不断の運動、変化、転形、発展のうちにあるものとして示され、またこの運動や発展の内的な連関を明らかにする試みがなされた」(同)のです。
 しかしヘーゲルの死後、ドイツ古典哲学には転機がおとずれます。
 ショーペンハウァー、ハルトマン、フォークト、ビューヒナーなどが、「実際的な事柄に没頭」(二三三ページ)して「ドイツ古典哲学と、きっぱり縁を切」(同)り、「ヘーゲルばりといっしょに弁証法までも投げすててしまい」(同)ました。彼らは「ひとしく形而上学的だという一点でだけ一致していた」(同)のです。
 こうして再び登場してきた「形而上学的思考から弁証法的思考に立ちもどる」(二三四ページ)役割を果たしたのが、マルクス、エンゲルスでした。
 「忘れられていた弁証法的方法や、この方法とヘーゲルの弁証法との関連ならびに区別をまっさきにふたたび取りあげ、それと同時に『資本論』のなかで一つの経験的科学すなわち経済学の諸事実にこの方法を適用したことは、マルクスの功績である」(二三八ページ)。
 以上概括的に、弁証法と形式論理学の間をゆれ動く歴史を考察してきましたが、それは事物の真の姿をとらえようとする二つの思考形式の交互作用をつうじて、より正しい思考形式を探究し続けてきた歴史だったということができるでしょう。
 こうした歴史のうえに、真理認識の思考形式の最高の到達点として弁証法的唯物論が登場することになるのです。

弁証法と形式論理学

 以上の思考形式の歴史的発展を前提にしながら、弁証法と形式論理学とは、一体どのような思考の形式なのかを、テキストに沿ってみていくことにしましょう。
 形式論理学の基本原理となるものは、同一律、矛盾律、排中律、充足理由律の四原則です。同一律とは、「AはAである」というものであり、ひと続きの思考のなかではAという概念のしめす内容は最後までAという同一性を保たなければならないとする原理です。矛盾律とは、「AはAであると同時に非Aであることはできない」というものであり、論理の矛盾は一貫した論理を展開しえないとしてこれを否定する原理です。排中律とは、「或るものはAであるか非Aであるかのいずれかであり、その中間はない」とするものであり、二者択一でその中間を認めないところから排中律とよばれています。
 この形式論理学の三つの基本原理は、結局のところ同一律に帰着するのであり、「あれはあれ、これはこれ」とする原理に貫かれているのです。
 四つ目の充足理由律とは、「すべてのものはその十分な根拠を持っている」とするものであり、後にライプニッツによって三つの基本原理に付加されたものです。
 「形而上学者にとっては、事物とその思想上の模写である概念とは、個々ばらばらな、ひとつずつ順次に、他のものと無関係に考察されなければならない、固定した、不動の、一度あたえられたらそれっきり変わらない研究対象である。彼はものごとを、もっぱら媒介のない対立において考える」(二八ページ)。
 冒頭の「形而上学者」は、「形式論理学者」と読み替えるべきものです。
 形式論理学では、同一律にしたがって「あれはあれ、これはこれ」としてとらえます。したがって「あれ」は、「これ」という「他のものと無関係に考察され」るのです。「あれ」と「これ」とは、「個々ばらばらな」「固定した、不動の、一度あたえられたらそれっきり変わらない研究対象」であって、「あれ」が「これ」になったり、「これ」が「あれ」になったりすることはありえないことになります。「あれ」と「これ」という対立する二つのものは、画然と区別されたままであって、「もっぱら媒介のない対立」においてとらえられるにとどまるのです。
 「彼にとっては、ある物は存在するか存在しないかのどちらかである。同様に、物はそれ自体であると同時に他のものであることはできない。積極的なものと消極的なものとは、絶対的に排除しあう。原因と結果も、同様にたがいに不動の対立をなしている」(同)。
 結局形式論理学とは、同一律を基本原理として、すべて「ものごとを、もっぱら媒介のない対立」としてとらえた思考形式ということができます。
 このような形式論理学の考えは、裁判や国会での議論の基本にもなっている「いわゆる常識の考え方」(同)であり、「きわめて広い領域で正当性」(同)をもっています。ものごとを、ごちゃまぜにしないで、「あれはあれ、これはこれ」として考えることは、「頭脳の整理」(『小論理学』二〇節補遺)にとって必要かつ有益なものであり、いわゆる教養といわれるものの基本になっているものです。
 しかし、この必要かつ有益な形式論理学も、運動し、連関している事物に適用しようとすると、「限界に突きあたる」(二八ページ)のであり、その限界を越えてつき進むと「解決できない矛盾に迷いこ」(同)み、形而上学の誤りに落ちこんでいくのです。
 「形而上学的な考え方は、個々の事物にとらわれてその連関を忘れ、それらの存在にとらわれてその生成と消滅を忘れ、それらの静止にとらわれてそれらの運動を忘れるからであり、木を見て森を見ないからである」(同)。
 ここの「形而上学」は、文字どおりの形而上学といっていいでしょう。要するに形式論理学では、固定し、静止したものはとらえることができても、運動し、連関するものをそのままの姿でとらえることはできないために、運動や連関をとらえようとすると「解決できない矛盾に迷いこんでしまう」のです。
 エンゲルスの例をみましょう。まず胎児と人の関係です。胎児は生成するなかでやがて人になります。胎児を殺すのは堕胎罪(刑法二一二条)になりますが、人を殺すと殺人罪(同一九九条)になります。そこで胎児はいつから人になるのかが問題になります。法律家は、「合理的な境界を見つけだそうとして、さんざんむだ骨をおった」(二九ページ)のです。というのも、胎児から人になる一連の過程において、胎児は、胎児であって胎児ではなく、胎児であると同時に人であるという対立物の統一であるところから、その過程のどこに一線を画しても問題は残らざるをえないからです。
 生から死への過程も同様に「非常に長びく過程」(同)であって、その間は、生きていると同時に生きていない、生きていると同時に死んでいるところから、どこに一線を画しても矛盾が生じてきます。
 例えば脳死の人は、生きていると同時に死んでいます。脳死の人の臓器は、取り出して臓器移植に使用されることがあります。しかし生きている人からその臓器を取り出すことは、傷害罪または殺人罪となります。しかし死んだ人の臓器は取り出しても移植することはできません。したがって臓器移植では、生きていると同時に死んでいる脳死の人を、一方で死んでいるものとみなして身体を傷つけることを肯定し、他方で彼からまだ生きている臓器を取り出して移植し、死者から臓器を取り出したのだから罪に問われないという矛盾をおかしているのです。
 また「どの生物も、各瞬間に同一のものであってまた同一のものはでない」(同)という矛盾した存在です。何十年ぶりかのクラス会に参加すると「ずい分変わった」とか「ちっとも変わっていない」とかの議論に花が咲きますが、どちらも一面的な正しくないとらえ方であり、「変わっていると同時に変わっていない」ととらえるしか正しいとらえ方はありません。
 「ある対立の両極、たとえば積極的なものと消極的なものとは、対立していると同時に、またたがいに分離しえないものであり、まったく対立していながら、たがいに浸透しあっているのである」(同)。例えば、運動はすべて牽引と反発の統一としてとらえられますが、「牽引と反発とが最後には事実上たがいに相殺しあってしまうか、もしくはいっさいの牽引が究極には物質のある部分を占め、いっさいの反発が残りの部分を占めてしまうか、そのどちらかによって運動は終息するという可能性」(全集⑳三八八ページ)は、「はじめから存在しえない」(同)のです。
 では、弁証法は、これらの問題についてどう考えるのでしょうか。
 「これに反して、弁証法というものは、事物とその概念上の模写とを、本質的にそれらの連関、連鎖、運動、生成と消滅においてとらえるものであるから、弁証法にとっては、右に述べたような諸過程の一つひとつが、それ自身のものごとの取扱い方の確証となるのである」(二九~三〇ページ)。
 「自然は弁証法の検証となるもの」(三〇ページ)であって、「自然においては万事はけっきょく形而上学的にではなく弁証法的におこなわれている」(同)のです。エンゲルスは、そのことを証明するために、『自然の弁証法』を完成させようとして、膨大なエネルギーを注ぐのですが、結局は時間的制約から、未完の原稿の束のまま残されることになりました。しかし、より正確には自然のみならず、社会や人間も含めて「世界は弁証法の検証となるもの」というべきものでしょう。
 こうして事物の連関や運動を正しくとらえるには、形式論理学ではなくて弁証法的論理学が必要となってくるのです。では、形式論理学の基本原理が同一律だとすれば、弁証法の基本原理となるものはなんでしょうか。 
 エンゲルスは、それについて明言していませんが、ヘーゲル弁証法を研究したレーニンは、『哲学ノート』(レーニン全集㊳)のなかで弁証法の核心を「対立物の統一」(同三二七ページ)としてとらえています。いわば、形式論理学の同一律が「あれはあれ、これはこれ」というものだったのに対して、「あれはあれであってあれでない」「あれはあれであってこれである」「あれはあれでないと同時にこれでない」というように対立する二つのものを統一においてとらえます。形式論理学が、対立する二つのものを「媒介のない対立」においてとらえるのに対し、弁証法では、対立する二つのものを「媒介された対立」としてとらえることにより、事物の運動や連関をその真の姿においてとらえようとするのです。
 この「媒介された対立」を一言で対立物の統一とよんでいますが、対立物の媒介の仕方には様々な形態があり、そこから対立物の統一の展開として、対立物の同一、対立物の相互浸透、対立物の相互排斥などが論じられることになりますが、その詳細は、これからの課題にしておきたいと思います。

弁証法は形式論理学を包摂する

 以上、形式論理学と弁証法の基本原理をみてきましたが、このことは、静止し、固定したものをとらえるときは形式論理学、運動し、連関しているものをとらえるときは弁証法というように、二つの思考形式を並列的にとらえるということを意味しているのではありません。というのも、物質世界に存在するすべての物質は運動しているからです。
 「運動は物質の存在の仕方である。運動のない物質は、かつて、どこにもなかったし、またありえない」(九〇ページ)。
 これに対しては、物質には、静止し、固定した物質も存在するではないかとの反論があるかもしれません。しかしこの反論は、正しいと同時に正しくないのです。というのも、「あらゆる静止、あらゆる平衡は、相対的なものにすぎず、あれこれの特定の運動形態にかんしてのみ意味をもつ」(同)にすぎないからです。静止し、固定している物質は、普遍的に運動する物質の一つの特殊な運動形態でしかないのです。
 いわば、物質の運動一般をとらえる対立物の統一という弁証法の基本原理は、静止し、固定しているという物質の運動の特殊な形態にも貫かれているのであり、それが対立物の同一といわれる対立物の調和的同一なのです。
 先にヘラクレイトスに学んで、ヘーゲルは成(運動)を有と無の統一としてとらえたとお話ししましたが、それにとどまらず、有と無の統一は、「或るもの」という静止し、固定した物体のなかにも存在するといっています。すなわち、或るものは、一定の質を有していることからすると「有」であり、この質により他のものから区別され、他のものでは無いということからすると「無」であるとして、或るものを有と無の統一としてとらえました。ただし「成」としての統一ではなく、対立物の調和的な同一である「定有」としてとらえているのです。
 したがって、一切の運動の一般的法則をとらえる弁証法は、運動の特殊な形態の法則をとらえる形式論理学をもそのうちに包摂しているのです。その意味で、弁証法は、事物の真の姿をとらえうる唯一の思考形式、唯一の真理認識の方法だということができます。
 「思弁的な論理学は単なる悟性の論理学を含んでいるから、前者から後者を作り出すのは、わけのないことである。それには前者から弁証法的なものと理性的なものとを取去りさえすればいい。すると思弁的な論理学は、普通の論理学と同じもの……になってしまう」(『小論理学』八二節)。
 「思弁的な論理学」とは、弁証法的論理学であり、「悟性の論理学」「普通の論理学」が形式論理学であることはいうまでもありません。