2007年8月14日 講義

 

 

第5講 哲学 ① 思考と存在

 

1.「デューリング氏の約束するもの」

① 「究極の決定的真理」

● 「現代ならびに当面」(37ページ)の哲学の展開にかんして代表権を主張

 ・「究極の決定的真理」「根本的に独自な諸結論と諸見解」にもとづく「確定
  された諸真理」

 ・「主観主義的な……どんな気まぐれも排除するような仕方で、現実が思考さ
  れる」「現実哲学」(38ページ)

 ・「厳密に科学的な把握」(同)(反論) 現実から出発する唯物論と科学の立
  場は評価しうる

 ・なぜ彼の個人的=主観的な制限性の限界を乗りこえること」(同)ができる
  のか

 ・「究極の決定的真理」であれば「当面」の未来のみならず、永遠の未来をも
  代表

 ・唯物論の見地からすると、客観に一致する認識としての真理は、先人の認識
  との連続性と非連続性の統一として漸進的にしか獲得されえない
  ――「根本的に独自な諸結論と諸見解」は非連続性のみを主張するもの

 ・本当に科学の立場から真理をとらえようとしているのか、単なる大ボラ吹き
  ではないのか、の疑問を抱かせる


② 社会主義的計画

● 「明瞭な最終の根底にまで達する」(39ページ)社会主義的計画

 ・一時的、暴力的な所有に対して「真正の所有」(同)

 ・「無過誤の、唯一成聖の計画」(同)←(反論) 空想的社会主義と同じ

 ・空想的社会主義も「天才がいま出現し、真理がまさにいま認識された」
  (24ページ)と主張

 ・未来社会を細部にまで仕上げようとするほど空想的に

 ・資本主義的「生産様式の内的な性格をあばき」(p.35)
  「実在的な基盤の上にすえなければならない」(25ページ)

 ・商品の等価交換から生じる資本主義的所有がなぜ「一時的、暴力的所有」な
  のか、どこに暴力があるのか

 ・暴力的な所有に根拠がないとすれば、それとの対比で用いられている「真正
  の所有」とは何か――単なる空語ではないのか


③ 先人の功績の否定

● 先人への悪罵

 ・ヘーゲル――「ヘーゲル式隠語」「非科学的な手法」「ヘーゲル疫病」(同)

 ・ダーウィン――「人間性に対置された一片の野獣性」(42ページ)

 ・マルクス――「本書の領域(社会主義の批判的歴史)にとって永続的な意義
  をもつものではない(44ページ)(反論)批判とは何か

 ・「或る哲学が反駁されると言うと、人々は普通それを抽象的に否定的な意味
  にのみ理解し、反駁された哲学はもはや全く成立せず、それは片づけられて
  しまったと考える」(『小論理学』86節補遺1)
  ――反駁するとは、悪罵を投げつけ否定することではない

 ・「或る哲学を反駁するとは、その哲学の制限を踏み越えて、その哲学の特殊
  の原理を観念的な(・deell)契機へひきさげることを意味するにすぎない」

 ・より高い普遍的な見地に立って、「特殊の原理」を批判する
  ――「特殊の原理」は、より普遍的な見地に発展させられるべきだとの見地
  から、批判する

 ・デューリングは、そもそも批判の意味が分かっていない

 

2.「分類。先天主義」

① デューリングの哲学

● デューリングの哲学体系は三つの構成部分
 1)「いっさいの存在のもろもろの根本形式」(47ページ)を扱う「一般的な
   世界図式論」(48ページ)
 2)「自然の諸原理にかんする学問」(同)
 3)「人間にかんする学問」(同)

● 「この順序には、同時に一つの内的な論理的秩序がふくまれている」(同)
 ←(反論)ヘーゲル『エンチクロペディー』の形式上の剽窃

 ・ヘーゲル哲学を「形式上からいっても非科学的な手法」(41ページ)といい
  つつ、ヘーゲルの形式を剽窃

 ・『エンチクロペディー』は、「論理学」「自然哲学」「精神哲学」の構成

 ・「論理学を純粋な思惟規定の体系と見れば、他の哲学的科学、すなわち自然
  哲学および精神哲学は、言わば応用論理学である」(『小論理学』24節
  補遺2)


② 存在の根本形式と思惟の根本形式

● 「いっさいの存在に妥当する形式的諸原則」(48ページ)

 ・「純粋に観念的な領域は論理的図式と数学的形象とに限られる」(同)
  (反論)デューリングの哲学は「現実哲学」のはず

 ・存在の根本形式を「外界から取り出」(同)すとなると「全関係はあべこ
  べ」(同)

 ・「原理は研究の出発点ではなくて、それの最後の結論」(同)

● ヘーゲル論理学は「存在の根本形式」ではなく、「思惟の根本形式」である弁
 証法を論じたもの

 ・真理認識の思惟形式を「自然哲学」「精神哲学」に応用したからこそ不朽の
  古典的名著になりえたもの

● 思考と存在は、本来同一

 ・人間の意識(思考)は、客観世界を反映する――これが本来の「現実哲学」

 ・人間の意識は、表象を抽象化して思想、カテゴリー、概念に転化

 ・そこから概念が自立化したような錯覚が生じる

● デューリングの先天主義

 ・「イデオロギー的方法、普通に先天主義的方法とよばれている方法」(147
  ページ)は「ある対象の諸特性を、対象そのものから認識するのではなく、
  その対象の概念から論証によってみちびき出す」(同)

● 問題は、世界図式論が思考形式をとらえようとするのか、それとも客観世界の
 「存在の……根本形式」(47ページ)そのものをとらえようとするのか

 ・もし唯物論の対場から存在の根本形式を論じるのであれば、実証的な科学に
  解消されるのであって、「世界図式論」は「骨折り損」


③ 世界の体系的な認識

● ヘーゲルの哲学体系は、「一つの不治の内的矛盾に悩んでいた」(32ページ)

● デューリングの体系は、矛盾のない「究極の決定的真理」だとする

● しかし「世界体系のどんな思想上の模写」(52ページ)も、歴史的、個人的状
 態によって制限されている

 ・「人間は、一方では、世界体系の総連関をあますところなく認識しようとす
  るが、他方では、人間そのものの本性からしても、また世界体系の本性から
  しても、いつになってもこの課題を完全に解決することはできない、という
  矛盾に当面する」(同)

 ・この矛盾は「いっさいの知的進歩の主要な槓杆であって、日々に、たえまて
  こなく、人類の無限の進歩的発展をつうじて解決されてゆく」(同)

● 人間の認識は、つねに真理と誤謬の統一という矛盾にあり、この矛盾が相対的
 真理から絶対的真理への前進の槓杆となる


④ 純粋科学は、観念の所産か

● 純粋数学とは、数と四則計算、図形とユークリッド幾何学のこと

● ヘーゲルは、数、四則計算を唯物論的にとらえた

● 「数や図形の概念は、現実の世界」(53ページ)の反映

 ・数や図形は、「外界に起原」(同)をもち、外界を反映したもの

 ・その意識のうえへの反映を抽象化して、点や線、定数、変数、最後に「虚量
  に、到達する」(54ページ)

 ・外界の反映であるからこそ、外界に一致し、外界に「適用できる」
  (55ページ)

● デューリングも、他方で「数学的諸要素(数、量、時間、空間、幾何学的運
 動)」が「観念的なのは、その形式からみてのことにすぎ」(57ページ)ず、
 「まったく経験的なもの」(同)であることを認めている

 ・「いったいどちらを信じたらよいのか?」(58ページ)
  ――デューリングに統一的な体系を論じる資格なし