『エンゲルス「反デューリング論」に学ぶ』より

 

 

第一〇講 哲学⑥ 平等論

 

一、道徳に真理はあるか

道徳的真理は存在するか

 第九講でお話ししたように、道徳とは善をかかげて、それを目標に生きる道です。ではこの道徳に真理はあるのでしょうか。
 デューリングも、道徳が「地理上および歴史上多様である」(一三〇ページ)ことは認めます。しかしその多様性を認めながらも「道徳の世界にも歴史や民族的差異を超越した永続的な諸原理」(一四四ページ)が存続するのであり、その絶対的善をかかげて生きる道こそが「永遠の、決定的な、今後変わることのない道徳律」(同)だというのです。その例として、「汝盗むなかれ」(同)という道徳律をあげています。
 これに対するエンゲルスの反論は二つあり、一見すると道徳的真理を否定しているようにも見受けられます。
 一つには、「汝盗むなかれ」という道徳律もまた特殊歴史的なものにすぎず、豊かな社会的富が等しく国民に分配されることによって「盗みをする動機」(同)が存在しなくなる社会、社会主義・共産主義社会の道徳律にはなりえないのであり、歴史的差異を超越した究極の道徳的真理は存在しないというものです。
 二つには、階級社会における道徳は「つねに階級道徳」(同)にすぎないといっています。したがって「近代社会の三つの階級、すなわち封建貴族、ブルジョアジー、プロレタリアートがそれぞれ別個の道徳をもっている」(一四三ページ)のであり、どれが道徳の真理であるかを決定することはできないというものです。

「エンゲルスの道徳論」批判

 エンゲルスの道徳論に関して、若干気のついたことを指摘しておきます。
 一つには、エンゲルスも、特定の民族、特定の時代における道徳的真理を否定しているわけではない、ということです。ヘーゲルがいうように、道徳とは、人間がより善く生きるうえでの「普遍的意志」を善として示すものであり、一定の歴史的、民族的条件のもとでは、その普遍的意志は相対的真理を示すものということができます。この普遍的意志こそ、階級社会における国家が国民全体の共同の利益を実現する仮象のもとに、全国民に提起する道徳規範となるものです。
 二つには、しかし階級社会の本質からして、資本主義社会の支配的道徳は、支配階級であるブルジョアジーの道徳であり、国家の提示する普遍的意志にもとづく道徳は形式のみの存在、仮象にとどまるのです。ブルジョアジーの道徳は、利潤第一主義の立場から「利潤を生みだすものは、すべて善」であるとすることを基本にしています。そこから、詐欺とぺてん、ごまかしが横行し、道義的危機を生みだしているのです。
 これに対し、プロレタリアートは、ブルジョアジーの道徳に反対し、普遍的意志にもとづく道徳こそ真の道徳であると主張してブルジョア道徳と対決することになります。ブルジョア道徳が、少数者による多数者支配のための的イデオロギーなのに対し、プロレタリア道徳は、多数者による多数者のためのイデオロギーとして真の道徳となるのです。その意味からすれば、エンゲルスが階級社会に真の道徳は存在しないと主張していることには疑問を感じます。
 エンゲルスも、「真に人間的な道徳」(一四五ページ)は、「階級対立を克服」(同)したところに「はじめて可能になる」(同)といっています。真に人間的な道徳が社会的に実現されるためには、エンゲルスのいうように階級対立を克服するだけではなくて、階級の存在そのものを「忘れてしまった社会段階」(同)が必要かもしれませんが、真に人間的な道徳を普遍的道徳として目標にかかげることは階級社会にあっても可能です。プロレタリアートは、資本主義社会にあっても、「階級対立の克服」をめざすことによって、単なる仮象とされている「真に人間的な道徳」の真の擁護者となることができるのです。

 

二、デューリングの道徳論

二つの人間意志の完全な平等

 デューリングは、道徳を論じるにあたっても、これまでと同様の先天主義的方法によっています。すなわち、社会を「それの最も単純な諸要素と称するものに分解し、これらの諸要素に、同じように単純な、自明な公理と称するものを適用し、こうして得られた諸結論をさらに運用してゆく」(一四七ページ)という方法です。
 「現実哲学」と称しながら、実際には全く観念論的方法、「すなわち、現実を現実そのものからみちびきだすのでなく、観念からみちびきだすもの」(一四八ページ)となっています。
 では、社会の「最も単純な諸要素」とは何を意味するのか。デューリングは、「最も単純な社会はすくなくとも二人の人間からなりたっている」(一四九ページ)というところにそれを見いだし、「二つの人間意志は、それ自体としてはたがいに完全に平等であって、はじめは、一方が他方にたいしてなにかを強要することは絶対にできない」(同)といっています。彼は、この人間意志の完全な平等が「道徳的正義の根本形式」(同)だというのです。
 もっとも問題なのは、このような要素還元主義は、事物の本質を損なってしまいかねないことにあります。
 そもそも二人の人間のみからなる集団を社会とよびうるでしょうか。社会とは多数の人間が共同して生産し、生活する場であって、たった二人の人間では社会は成り立たないのです。例えば村落共同体という地域社会を考えてみて下さい。稲作による農耕を考えた場合、そのための灌漑用水の確保、樹木の伐採、道路や建物の整備補修という作業は、集団の力でなければ実現できません。ですから村落共同体という地域社会を維持するためには、少なくとも十五世帯前後の限界集落が必要となり、過疎化によって世帯数がこの限界集落を下回ることになれば、一挙に共同体は瓦解してしまいます。したがって二人からなる社会はそもそもありえないのです。
 ですから、エンゲルスは、「二人の人間」とは、男性二人か、それとも男性と女性か、あるいは男性の家長二人か、と具体的に問題を提起し、最初の場合には、その社会は「はじめから亡びるように仕組まれている」(一五〇ページ)し、二番目の場合は「性の点で不平等」(一四九ページ)であり、最後の場合は「家長の平等」(一五〇ページ)と「女の従属を証明」(同)しており、いずれの場合にも「たがいに平等」とはいえないと批判しています。
 デューリングの「二人の人間」の原型は、ルソーの『人間不平等起原論』にあり、そこでは、二人の人間は猟師と漁夫という社会的分業を説明するために登場しています。したがって彼らは、平等を説明するためではなく「その生産物をたがいに交換するという点で、不平等である」(一五一ページ)ことを説明するものとして登場していることになります。
 「だから、二人の男という図式は、平等と相互扶助をもたらすようにも、不平等と隷属をもたらすようにも『仕組ま』れている」(一五三ページ)のであり、デューリングの先天主義は、すでに前提において問題を含んでいるのです。

「デューリングの道徳論」批判

 それはさておき、とりあえずデューリングにしたがって「二つの人間意志が、それ自体としてはたがいに完全に平等」(一四九ページ)であったと仮定して話をすすめることにしましょう。
 では二つの意志は「みな、完全に平等で独立」(一五三ページ)なのかというと、彼はいやそうではないといいます。
 まず第一に、子供のように「自己決定が不十分だという欠陥をもつ意志には、これは適用されない」(一五四ページ)といいます。しかし、大人と子供の境目は相対的なものでしかなく、どこに線引きしても問題は残ります。
 第二に、「道徳的に不平等な二つの人格があり、その一方はなんらかの意味で本来の野獣性を分かちもっている」(同)場合にも、適用されません。
 すべての人間は、動物性と人間性との統一であり、動物性のみの人間も、人間性のみの人間も存在しません。エンゲルスは、「道徳的に完全に平等な二つの人格などというものは、けっして存在しない」(一五五ページ)から、こんな例外を設けるのなら、「完全に平等な二人の男を呪文で呼びだしたことは、まったくのむだ骨おりだったことになる」(同)と批判しています。
 第三に、「一方の者は真理と科学にしたがって行動し、他方の者はなんらかの迷信または先入見にしたがって行動する」(一五六ページ)という「精神的不平等」(同)の場合も、また例外となるのです。
 しかし、先にもみたように一人の人間のなかに真理と誤謬は統一しているのであり、真理のみで行動する者も、迷信のみで行動する者も存在しません。
 ともかくこれだけ例外を積み重ねることになると、もはや出発点となったたがいに平等な二人の男という原則は完全に崩壊してしまったということができるでしょう。結局、デューリングが平等の問題を人間の「意志の平等」においたところに問題があるのであって、そもそも意志に平等はありえないのです。歴史的に問題となってきた平等とは、意志の平等ではなく、政治的、社会的、経済的平等にほかなりません。デューリングが実際にも「現実哲学」の立場にたって、具体的人間を論じようとするかぎり、意志の平等を出発点とする先天主義的方法は破綻せざるをえないのです。
 「それらが人間意志一般ではなくなって、現実の個人的な意志に、二人の現実の人間の意志に転化するやいなや、平等はなくなってしまう」(一五八ページ)のです。
 こういう結論になったのも、そもそも「平等」という概念がいかなる内容をもって歴史上登場してきたのか、について具体的な検討を怠った「先天主義」の当然の帰結といわなければなりません。

 

三、平等論

近代の平等の要求

 エンゲルスは、このようなデューリングの先天主義的平等論を否定し、そもそも近代において「平等」というカテゴリーが何を求めて登場してきたのかという、唯物論的考察からはじめています。
 「この観念は、とりわけルソーによってある理論的な役割を演じ、〔フランス〕大革命のさいやそれ以後には実践的=政治的な役割を演じ、今日なおほとんどすべての国の社会主義運動においていちじるしい扇動的な役割を演じている」(一五八~一五九ページ)。
 近代における平等思想は、ルソーの『人間不平等起原論』によって「ある理論的な役割」を演じることになりました。すなわち、かつて平等の自然状態にあった人間は、私有財産によって身分と財産との極端な不平等のもとにおかれており、このような不平等は「明らかに自然法に反している」として、平等は社会変革のスローガンとなったのです。ルソーを理論的指導者として勃発したフランス革命は、「自由・平等・友愛」をかかげましたが、結果的にはせいぜい政治的平等を不十分に実現するものにすぎませんでした。そこでフランス革命のさなかにバブーフが「平等のための陰謀」をかかげて蜂起しようとします。それは事前に鎮圧されてしまいますが、私有財産制を廃止して、経済的・社会的平等を求めるその思想は、「平等の神話」(平岡昇『平等に憑かれた人々』五二ページ、岩波新書)として、一九世紀の「社会主義運動においていちじるしい扇動的な役割」を演じることになりました。
 こういう近代の平等の要求を唯物論的に解明したうえで、エンゲルスは、平等概念の歴史的発展を次のように述べ、歴史的に考察していきます。
 「相対的平等というあの原始的観念から、国家および社会における平等な権利という結論が引きだされるまでには、……数千年の年月がたたなければならなかった」(一五九ページ)。

平等概念の歴史的考察

 まずエンゲルスは、「最古の自然生的な共同社会では、たかだかその共同体の成員のあいだの平等な権利しか問題となりえなかった。女、奴隷、外来者はおのずからこの平等から除外されていた」(同)といっています。この頃彼は、まだモーガンの『古代社会』を読んでいませんから、古代社会が男女の平等も含めて「自由・平等・友愛」の原始共産制社会だったことを知りません。エンゲルスが、この著作にもとづき『家族・私有財産および国家の起源』を著したのは、『反デューリング論』から六年後の一八八四年のことです。
 「ギリシア人やローマ人のあいだでは、人間の不平等のほうが、なんらかの平等よりもずっと幅をきかせていた。ギリシア人と、自由民と奴隷、国家市民と被護民、ローマ市民とローマ服属民……が、平等な政治的資格にたいする権利をもつなどということは、古代人にはかならずや狂気の沙汰と思われたであろう」(同)。
 奴隷制のローマは、「私的所有に立脚する法のうちで最も完全な発達をとげた法であるローマ法」(一六〇ページ)を生みだしますが、そこでも「普遍的な人間的平等」(同)はとうてい問題になりえなかったのです。
 ヨーロッパへのゲルマン人の侵入により、中世の封建制国家が誕生し、それによって「複雑な社会的および政治的位階制度がしだいに築きあげられ、それによって、その後数百年にわたっていっさいの平等の観念が排除」(同)されます。
 封建的中世のなかで、「近代の平等の要求の担い手となるべき使命をおびた一つの階級、すなわち市民階級」(一六一ページ)が登場してきます。彼らは自由な経済活動と商品所有者としての平等な権利、平等な商品交換を要求します。
 「しかし、経済関係が自由と平等な権利とを要求していたのに、政治制度はどこでもツンフトの束縛と特殊な特権をそれに対置していた」(一六二ページ)し、「商業の部面では、地方的特権や、差別関税や、各種の例外法」(同)が制約となっていました。
 こうした「封建的桎梏からの解放を求め、封建的不平等をとりのぞくことによって法的平等を確立しようとする要求」(同)が登場してくることになり、フランス革命へと発展していきます。
 アメリカの独立とフランス革命の結果、「自由と平等が人権として宣言」(一六三ページ)されるに至ります。いわゆる「アメリカ独立宣言」と「フランス人権宣言」であり、そこでは、自由と平等が人間の普遍的意志として宣言されます。しかしその自由と平等はあくまでブルジョアジーにとっての政治的自由と平等でしかなかったのです。
 「これらの人権のもつブルジョア特有の性格をよく示しているのは、人権を承認した最初の憲法であるアメリカ憲法が、その同じ口の下から、アメリカに存在している有色人種の奴隷制を是認している事実である」(同)。フランスでも平等が宣言されながら選挙権はブルジョアジーにのみ与えられ、プロレタリアートはカヤの外におかれました。

ブルジョア的平等とプロレタリア的平等

 こうして近代社会における自由と平等は単なる仮象にすぎず、その本質はブルジョア的自由と平等にすぎないことが明らかになります。
 「ブルジョアジーが封建的な市民階級の殻をぬぎすてるその瞬間、中世的身分であったものが近代的階級に移ってゆくその瞬間から、ブルジョアジーは、つねにまた不可避的に、自分の影法師であるプロレタリアートをともなっている」(同)。ブルジョアジーは、プロレタリアートなくして富を生産することも搾取することもできません。
 近代のブルジョア民主主義革命をブルジョアジーとともにたたかったプロレタリアートは、ブルジョア的な自由と平等に反対し、真の自由と平等、普遍的意志としての自由と平等を要求して、ブルジョアジーに宣戦を布告します。
 こうして平等の要求は、「今日なおほとんどすべての国の社会主義運動においていちじるしい扇動的な役割を演じているもの」(一五九ページ)となります。
 では、社会主義的要求としての平等とは何を意味しているのでしょうか。
 ブルジョアジーが「自分の影法師であるプロレタリアートをともなっている」ところから、「ブルジョア的な平等の諸要求は、プロレタリア的な平等の諸要求をともなっている。階級的特権の廃止というブルジョア的要求が提出されるその瞬間から、それとならんで、階級そのものの廃止というプロレタリア的要求が現われてくる」(一六三~一六四ページ)。
 ブルジョア的平等の要求は、封建的な「階級的特権の廃止」という政治的平等であったのに対し、プロレタリアは、真の平等を実現するには、生産手段を社会化し、搾取と階級の廃止を実現しなければならないこと、つまり、経済的、社会的平等を実現しなければならないことに気がつくのです。そこでブルジョアジーの打ち出した普遍的平等を根拠にかかげ、プロレタリア的平等を要求することになります。
 「プロレタリアは、ブルジョアジーのことばを盾にとって言う。平等はたんに外見上で、たんに国家の分野で実施されるだけであってはならない、それはまた現実にも、社会的、経済的な分野でも実施されなければならない、と。ことに、大革命以来フランスのブルジョアジーが市民的平等を前面に押しだしてからは、フランスのプロレタリアートは、ことあるごとに社会的・経済的平等の要求をもってこれにこたえており、平等はとくにフランスのプロレタリアートの戦いの叫びとなっている」(一六四ページ)。
 私たちは、『反デューリング論』の冒頭で近代の社会主義は、「その理論上の形式からすれば、それは、はじめは、一八世紀の偉大なフランスの啓蒙思想家たちの打ちたてた諸原則を受けつぎながらさらに押しすすめ、表むきはいっそう徹底させたものとして現われる」(二一ページ)といわれたことの真の意味を、ようやくここに来て理解することになるのです。

プロレタリア的平等の意義

 エンゲルスは、続いてプロレタリアートの口から平等の要求がだされるとき、それは「二重の意義をもっている」(一六四ページ)として、次のように説明しています。
 一方では「はなはだしい社会的不平等にたいする、富んだ者と貧しい者、領主と奴僕、飽食する者と飢えた者との対照にたいする、自然発生的な反発」(同)としての平等であり、格差是正を求める「革命的本能の現われ」(同)としての平等ということができます。
 他方では、「それは、ブルジョア的な平等の要求にたいする反発から生まれたものであって、……資本家自身の主張を用いて労働者を資本家に反対して立ちあがらせる扇動手段として役だっている」(同)平等です。
 ブルジョア的な平等がたんに政治的平等(それすらも十分なものではなかった)にすぎなかったのに対し、平等というからには、政治的平等はもとより、社会的、経済的平等まで含まなければならないというプロレタリア的平等となってあらわれたのです。それを「労働者を資本家に反対して立ちあがらせる扇動手段」のスローガンにまで高めたたのが、バブーフでした。ルソー、モレリ、マブリなどによる私有財産制度への告発と、私有財産廃止による共産主義社会の実現は、いわゆる「平等の神話」を生みだし、この神話を現実のものにしようとしたのがバブーフの陰謀だったのです。バブーフの陰謀は、ブオナロッティにより「平等のための陰謀」とよばれています。それは、「自然の財貨の享有に対する全人間に通ずる平等の権利、労働、教育に対する平等の権利をうたうとともに、人民が貧窮の奴隷状態にあるいま、革命はおわらず、一七九三年憲法の実施以外に方法がないことを主張」(平岡前掲書五三ページ)するものでした。
 エンゲルスは、この「二重の意義」を指摘したうえで、「このどちらの場合にも、プロレタリア的な平等の要求のほんとうの内容は、階級の廃止という要求である。これをこえてすすむあらゆる平等の要求は、必然的に不合理なものになってしまう」(一六四ページ)といっています。
 科学的社会主義の学説では、社会主義とは、生産手段の社会化による搾取の廃止、階級の廃止であるとうたっています。そうすると、今日社会主義を論じるにあたって、もはや「平等」の要求は意義を失ってしまったことになるのでしょうか。
 そうではないと思います。もともとエンゲルスも指摘するように、プロレタリアート的平等の要求には、「富んだ者と貧しい者……との対照にたいする、自然発生的な反発」の意義があったのであり、社会主義には、資本主義のもたらす貧富の対立を解消し、格差を是正するという側面をもっているからです。
 生産と分配とは不可分の関係にあります。エンゲルスも「ある特定の歴史的社会の生産および交換の仕方とともに、またこの社会の歴史的先行諸条件とともに、生産物の分配の仕方も同時にきまってくる」(二九八ページ)といっています。後に述べるように、エンゲルスは、資本主義から社会主義への移行を「否定の否定」の弁証法としてとらえています。資本主義とは、それに先立つ小経営の「個人的生産と個人的取得」を否定して誕生した「社会的生産と資本主義的取得」(四八八ページ)の社会です。ここにいう「取得」とは「生産物の取得」、つまり「生産物の分配」のことを意味していますから、「社会的生産と資本主義的取得」とは生産と分配の関係に注目して定式化したものということができます。
 資本主義的生産様式における「社会的生産と資本主義的取得」とは、「生産物は、いまでは社会的に生産されるようになったのに、それを取得するのは、生産手段を実際にうごかし、生産物を実際につくりだした人々ではなく、資本家であった」(四八七~四八八ページ)ことを意味しています。したがってここは、「社会的生産と個人的取得」と規定することもできるでしょう。
 エンゲルスは、この矛盾を資本主義の基本矛盾ととらえ、この矛盾を解決するのが社会主義だとしているのです。その意味では、社会主義とは、生産手段を社会化することによる「社会的生産と社会的取得」と規定することができます。つまり、社会主義においては基本的に生産物を社会全体が取得し、社会全体に「平等」に分配されることになるのです。
 こうした観点からすると、階級の廃止を「こえてすすむあらゆる平等の要求は、必然的に不合理なものになってしまう」(一六四ページ)とするのは、ややいきすぎの感があります。少なくとも、プロレタリア的平等の要求には、階級の廃止に加え、生産物の平等な分配という内容が含まれているのではないでしょうか。
 日本共産党の綱領が、未来社会を「真に平等で自由な人間関係からなる共同社会」と規定していることには、こうした平等な分配という意味が含まれているとみることができるでしょう。

社会主義社会における平等な分配

 エンゲルスは、高度に発達した共産主義社会について、「すべての成員の欲望が満たされるように分配を整備しうるほど十分な生産物を社会はつくり出すであろう」(『共産党宣言』全集④三九二ページ)として、「せいぜい精神病者でもないかぎり盗みをはたらく者などありえなくなる社会」(一四四ページ)ととらえました。
 マルクスは、「ゴータ綱領批判」(全集⑲)においてさらに未来社会の分配論を詳しく展開し、「生まれたばかりの共産主義社会」(同一九ページ)では、"能力におうじて働き、労働におうじて受けとる"のに対し、「共産主義社会のより高度の段階」(同二一ページ)では、"能力におうじて働き、必要におうじて受けとる"と定式化しています。
 問題は、「必要におうじて受けとる」に至るまでの「労働に応じて受けとる」分配とは何を意味するかにあります。社会的総生産物のなかから、消費した生産手段の補填分、追加分、社会保障、医療、教育などの共同利益分を控除し、その残りから、構成員全員に人間らしい健康で文化的な最低限度の生活保障分が分配され、なお余剰がある場合に、「労働におうじた分配」がなされることが、実質的な「真の平等」 といえるのではないでしょうか。
 『共産党宣言』では「私的所有が廃止されれば、あらゆる活動はとまってしまい、全般的な怠惰がはびこるだろう」(全集④四九〇ページ)との疑問に対し、「もしそうなら、ブルジョア社会はとっくの昔に怠惰のために、消滅しているはずである。なぜならこの社会で働く者はなにも儲けないし、この社会で儲けている者は働かないからである」と回答しています。
 しかし、この疑問は、機械的、一律的分配は勤労意欲を失わせるのではないかという趣旨で出されているものですから、この回答では納得しない人もいるでしょう。社会主義的平等は、機械的な一律平等ではなく、健康で文化的な最低限度の生活保障という形式的平等のうえに、労働に応じた分配という実質的平等が加算されると考えることにより、はじめてこの疑問に答えることができるのではないでしょうか。もちろん、社会主義的生産においては、この分配問題以上に、労働者が生産の主役となる生きがい、働きがいのある生産現場の実現が重要であることはいうまでもありません。

平等観念の歴史性

 「こういうわけで、平等の観念は、そのブルジョア的な形態でも、プロレタリア的な形態でも、それ自体一つの歴史的な産物であって、……ほかのなんであろうと、永遠の真理でないことだけはまちがいない」(一六五ページ)。
 では、どうしてデューリングは、平等の観念をもって「道徳的正義の根本形式」(一四九ページ)「法的正義の根本形式」(同)と考えていたのでしょうか。
 それは、当時、一八世紀から一九世紀にたたかわれたフランス革命の影響がヨーロッパ中に広く、深く浸透していて、「平等の神話」が「すでに人民の先入見としての強固さをもっている」(一六五ページ)状況にあったからにほかなりません。
 したがって、地理的、歴史的制限をのりこえて、道徳の「究極の決定的真理」(一二九ページ)をとらえたとするデューリングの道徳論は、一九世紀前半のヨーロッパという地理的、歴史的制約をともなったものでしかなかったことを、端なくも露呈しているのです。
 「じっさい、デューリング氏が彼の哲学を自然的哲学と名づけているのは、この哲学が、彼にまったく自然だと思える事柄だけから出発しているからなのである。しかし、どうしてそれらの事柄が彼に自然に思えるのか――それは、もちろん、彼の問うところではない」(同)。