2007年11月21日 講義

 

 

第11講 哲学 ⑦ 自由論

 

1.デューリングの法学

① プロイセン支邦法(ラントレヒト)

● 当時のドイツは半封建的連邦諸国家

 ・プロイセン支邦法の適用

 ・「革命前の時代の遺物」(173ページ)「家父長的専制主義の法典」(同)

● 当時の最新法は1807年以降のナポレオン法典


② デューリングの法知識

● 彼の知識はローマ法とプロイセン支邦法のみ(173ページ)

● 70年も前の「近代フランス法」を「まったく知らない」(168ページ)

 

2.自由と責任

① 問題提起

● 法的、道義的責任の前提は自由意志

 ・行為者が自由意志により、法と道徳という社会規範に違反する行動を選択す
  るところに、責任が生じる

 ・自由意志のない者の社会規範違反には、非難可能性がないので責任なし

 ・「原因において自由な行為」――原因となった飲酒時に自由意志があれば、
  原因において自由な行為として、行為時に酩酊して自由意志がなくても責任
  あり


② 自由と必然

● 18世紀初頭に、自由か必然かの哲学論争

 ・自由論――人間は客観的法則に拘束されず自由に意志決定しうる

 ・必然論(宿命論)――人間の意志は客観法則に支配される必然

● ヘーゲルは、自由を必然との統一としてとらえた


③ 自由とは何か

● 自由とは意志決定の自由であり、必然との関係で3段階の自由に分かれる

1)形式的自由

● 客観的法則(必然性)と無関係に意志決定する自由

 ・単なる偶然性に委ねられた自由、恣意

● しかし、形式的自由は、自由な意志の本質的構成部分

 ・自由権(思想、表現の自由など)の自由は、この形式的自由

● 形式的自由は自由とはいっても必然性に盲目的に支配される不自由さをもって
 いる

 ・「内容からすれば真実で正しいものを選ぶ場合でさえ、気がむいたらまた他
  のものを選んだかも知れないという軽薄さを持っている」(『小論理学』
  145節補遺)

2)普遍的自由または必然的自由

● 客観的事物の必然性を認識し、それをふまえて意志決定する自由

 ・合法則的に意志決定する自由

 ・偶然性と恣意を揚棄したより高度の自由

● この自由は、必然性を利用する自由はあっても、まだ必然性の支配をまぬがれ
 ない不自由さをもっているとして、真の自由である概念的自由に移行

3)概念的自由

● 自然や社会の必然性を変革する自由

 ・動物界と人間界とを区別する決定的基準

● 必然性とは「他のものによって制約されない自己関係」(同147節補遺)
 ――必然は「まったく不自由な関係」(同)

 ・資本主義は、貧富の対立・ という必然性に支配される「不自由な関係」

● 「概念は必然性の真理であり、……必然性は、概念的に把握されないかぎりに
 おいてのみ盲目」(同)

● 概念的自由とは、客観的事物の必然性を揚棄し、その事物の「真にあるべき
 姿」をとらえる自由

 ・概念的自由をつうじて理想と現実の統一を実現する


④ マルクス、エンゲルスの自由論

● マルクス、エンゲルスは、ヘーゲルの自由論を基本的に継承

 ・「ヘーゲルは、自由と必然の関係をはじめて正しく述べた人である」(175
  ページ)

 ・「自由は必然的に歴史的発展の産物である」(176ページ)

 ・しかし、自由を必然との関係で論じながらも、ヘーゲルの3段階説にたって
  いない

 ・事実上、必然的自由のみを自由ととらえている

● 自由は、自然「法則を認識すること、そしてこれによって、これらの法則を特
 定の目的のために計画的に作用させる可能性を得ることにある」(175ペー
 ジ)――第2段階の自由

● 恣意は、「みずからの不自由を、すなわち、それが支配するはずの当の対象に
 みずから支配されていることを証明する」――恣意は不自由


⑤ マルクス、エンゲルスの自由論批判

1)形式的自由は、自由ではないとされる

●「意志の自由とは、事柄についての知識をもって決定をおこなう能力」
 (175,176ページ)

● ここから、ブルジョア民主主義の自由権と、科学的社会主義の自由論とを別個
 のものとする不毛の議論がつづく

● 秋間実――2つの自由を「統一的に、すくなくとも関連させて」つかむことを
 可能にする哲学的自由論が求められている

● 綱領――社会主義・共産主義の日本では、資本主義の価値ある成果(自由と民
 主主義を含む)をすべて継承・発展

2)必然的自由と概念的自由が明確に区別されず

● 一方では、自由とは自然法則を「認識すること」(175ページ)とされつつ、
 他方で「自然は必然性の認識にもとづいて、われわれ自身ならびに外的自然を
 支配する」(176ページ)とする

● 前者は、必然的自由、後者は概念的自由

● エンゲルスは、社会主義を「生活諸条件の全範囲が、いまや人間の支配と統制
 に服する」(506ページ)社会ととらえ、「必然の国から自由の国への人類の
 飛躍」(同)といっている――概念的自由をとらえたもの

● エンゲルスは、自然の利用と自然の支配とを混同している

● テキスト 556ページでは両者を区別しているが、自由論に生かされていない

3)必然的自由のもつ不自由さが明確にならない

● エンゲルスは、「必然性は、概念的に把握されないかぎり盲目」というヘーゲ
 ルの文章を「必然性が盲目なのは、それが理解されないかぎりにおいてのみで
 ある」(175ページ)と理解している――ヘーゲルのいう「概念」の意味を正
 確にとらえきれていない

● そのために必然的自由と概念的自由を区別しえなかった

 ・必然的自由のもつ不自由さと、概念的自由によりその不自由さを克服する真
  の自由をとらえきれなかった


⑥ デューリングの自由論と歴史論

● デューリングの自由論

 ・「自由とは、洞察と衝動との、分別と無分別との平均」(175ページ)
  ↑ヘーゲルの普遍的意志と特殊的意志との対立物の統一という責任論の浅薄
   化

 ・ 責任論の根拠を「意識的動機を感受する能力」(同)
  ↑ヘーゲルの自由な意志決定の自由を浅薄化

● デューリングの歴史論

 ・人類の数千年の歴史は「たいして重要なものではない」(178ページ)
  ↑人類の認識の弁証法的発展に目をつぶるもの

 ・われわれの時代も、数万年後の人類からすると「太古と評価される」(178
  ページ)としながら、「究極の決定的真理」を数万年後の人類に押しつけよ
  うとするもの

 ・「哲学のリヒャルト・ヴァーグナー」(179ページ)