『エンゲルス「反デューリング論」に学ぶ』より

 

 

第一七講 社会主義①
     歴史的概説と理論的概説

 

一、歴史的概説

現代の到達点にたって社会主義を考える

 今回から、第三篇「社会主義」にはいります。第一章「歴史的概説」第二章「理論的概説」は、『空想から科学へ』に採用された科学的社会主義の社会主義論であり、第三章から第五章はデューリングの社会主義論の批判部分となっています。
 いうまでもないことですが、エンゲルスの時代には、わずか七〇数日の「パリ・コミューン」の経験はあったものの、社会主義はまだ理論のうえにしか存在しませんでした。それから一三〇年が経過し、その間第一講でみたように、一方では社会主義の道を踏み出した諸国のうちソ連・東欧は崩壊しましたし、中国・ベトナムは社会主義市場経済をめざしています。他方では二一世紀になって「社会主義のルネッサンス」を主張する南米諸国も生じています。
 こうした現実も踏まえながら、現代の到達点にたって、あらためて社会主義の真にあるべき姿とは何かという、社会主義の理念が論じられなければならないと思います。それは当然にも社会主義をめざしながら、なぜソ連・東欧が崩壊するに至ったのか、その誤りの原因はどこにあったのか、などの理論的解明をも必要とするものです。
 またソ連型の中央集権的経済システムへの批判から、自主管理社会主義という独自の社会主義の道を歩みながらも崩壊したユーゴスラビア、さらには同様に中央集権的計画経済への反省から生まれた中国・ベトナムの社会主義市場経済などをどう評価するかの問題もあります。
 また「社会主義のルネッサンス」といわれるものは、真に社会主義を再生させることになるのかどうかも問題だろうと思います。
 これらのすべてを語りつくすことは、本講座の枠内ではとうてい不可能とも思われますが、できるかぎり、積極的にこれらの諸問題に取り組んでいきたいと考えています。

社会主義・共産主義と自由・民主主義

 第一講で、社会主義思想は、フランス革命の「第二幕」として登場し、一八四八年の『共産党宣言』に「一つの妖怪がヨーロッパをさまよっている――共産主義の妖怪が」(全集④四七五ページ)といわれるほどの広がりをみせていたこと、それは挫折したフランス革命の「自由・平等・友愛」を徹底的に押しすすめ、発展させようとして生まれたことなどを学びました。
 エンゲルスが、「その理論上の形式からすれば、それは、はじめは、一八世紀の偉大なフランスの啓蒙思想家たちの打ちたてた諸原則を受けつぎながらさらに押しすすめ、表むきはいっそう徹底させたものとして現われる」(二一ページ)と記したのは、こうした事情を反映したものだったのです。
 第一講でもお話ししたように、エンゲルスは、一八四三年一一月「大陸における社会改革の進展」と題する論文(全集①)において、当時のヨーロッパの共産主義思想は、イギリス、フランス、ドイツで「それぞれ独立に」(同五二三ページ)成立したと述べています。つまり、イギリス人は経済的に、フランス人は政治的に、ドイツ人は哲学的に共産主義に接近していったというのです。
 ではフランスでは、どのように「政治的」に共産主義に接近していったのでしょうか。それはブルジョア民主主義への失望から始まったのです。
 「フランス革命は、ヨーロッパにおける民主主義の根源であった。民主主義というものは、私はすべての統治形態がそうだと思うのだが、一つの自己矛盾、非真理、根底においては、偽善(われわれドイツ人の呼ぶところに従えば神学)にほかならなぬもの、なのである。政治的自由はえせの自由であり、可能な最悪の奴隷状態である。それは自由の見せかけであり、したがって隷属の現実なのである。政治的平等も同じであって、だから民主主義は、他のどんな統治形態とも同様に、最後にはこなごなになるにちがいない」(同五二四ページ)。
 エンゲルスが、ルソーの『社会契約論』を読んでいたことは、第一二講でも指摘しました。ここは、同著のなかの「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民はドレイとなり、無に帰してしまう」という有名な文章を念頭においたものといっていいでしょう。
 さらにエンゲルスは続けます。
 「偽善は存続することができず、そのなかにかくされていた矛盾は、あらわれずにはおかない。われわれは、本来の奴隷制すなわちむきだしの専制をもつか、ほんとうの自由およびほんとうの平等、すなわち共産主義をもつかの、いずれかになるにちがいない。これらの帰結は二つともフランス革命においてもたらされた。ナポレオンは第一のものを、バブーフは第二のものを、うちたてたのである」(同)。
 以上ながながと引用したのも、そもそもの社会主義・共産主義は、「ほんとうの自由およびほんとうの平等」を求めるものとして歴史の舞台に登場してきたことを明確にしておくことが重要だと思うからです。
 つまり、自由、平等(さらに普遍化して表現すれば、民主主義)は、科学的社会主義の本質的構成要素をなすものであって、国民の自由・民主主義を否定するソ連・東欧諸国は、「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」(日本共産党綱領)だといわなければなりません。
 もう一つ別の面からも、自由と民主主義は、社会主義の本質的構成要素ということができます。マルクスは、社会主義・共産主義を、疎外された人間性を回復した人間解放の社会と考えました。人間疎外とは、人間の本質が、人間の生みだした社会によって否定されることを意味しています。マルクスは、人間の本質を「自由な意識的な活動」(全集㊵四三六ページ)と「真に共同的な本質」(同三六九ページ)とに求め、両者の関係を「ほんとうの共同態において諸個人は彼らの連帯のなかで、またこの連帯をとおして同時に彼らの自由を手に入れる」(全集③七〇ページ)としてとらえています。
 しかし、この人間の本質である自由な意識と共同社会性は、搾取にもとづく階級的支配と国家による階級的抑圧のもとで疎外され、搾取と国家的抑圧の廃止によって、自由と民主主義を回復する人間解放が実現すると考えたのです(拙著『人間解放の哲学』学習の友社参照)。
 こうして、社会主義・共産主義の社会は、「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つのアソシエーション」(『共産党宣言』全集④四九六ページ)と規定されることになったのでした。
 科学的社会主義の学説が人間解放の理論であり、フランス革命で挫折した「ほんとうの自由およびほんとうの平等」を求めて誕生したことからすれば、自由と民主主義をその本質的構成部分としているのは、あまりにも当然ということにならざるをえないのです。

三人の空想的社会主義者

 テキストの四六七ページから四七八ページまでは、『空想から科学へ』に引用されかつ加筆・訂正されている箇所です。第二講でも簡単に紹介しましたが、少し詳しくみていきましょう。
 一八世紀のフランス哲学者は、「理性国家、理性社会を打ち立てなければならない」(四六七ページ)といいましたが、それは、「そのころブルジョアへと発展しつつあった中産市民の悟性を理想化」(同)したものにほかなりませんでした。「いまではわれわれは知っている。この理性の国とは、ブルジョアジーの国を理想化したものにほかならなかったということ」(二二ページ)を。この理性国家が誕生してみると、貧富の対立はいっそう鋭くなり、ブルジョア的悪徳がはびこり、「商業はますます詐欺になって」(四六八ページ)いきました。「『理性の勝利』によってつくりだされた社会的および政治的諸制度は、はなはだ幻滅的な戯画」(同)であったため、一九世紀にはいると「この幻滅を確認する人々」、つまり三人の空想的社会主義者が登場することになります。いずれも一九世紀の初頭、ようやく産業革命が本格的に展開される頃の社会主義者でした。
 しかし当時は大工業の発展とそれに伴う「ブルジョアジーとプロレタリアートの対立もまだきわめて未発展であった」(四六九ページ)ため、「こういう歴史的状態は、社会主義の創始者たちをも支配した。資本主義的生産の未熟な状態、未熟な階級状態に対応して、理論も未熟であった」(同)のです。つまり、彼らにとって、プロレタリアートは、「せいぜい外から、上から助けてやるほかはない、抑圧され苦しんでいる身分」(同)でしかなかったところから、彼らは、彼らの空想的な社会主義計画を実行しようと、「たえず、だれかれの差別なく全社会に、それどころか、とりわけ支配階級に、呼びかけ」(『共産党宣言』全集④五〇五ページ)、他方プロレタリアートの「あらゆる政治行動、とりわけあらゆる革命的行動を非難」(同)したのです。
 彼らにとって「必要なことは、新しい、もっと完全な社会制度の一体系を考えだし、これを宣伝によって、できれば模範的な実験の実例によって、外から社会にさずけ押しつけることであった。これらの新しい社会体系は、はじめからユートピアになる運命にあった。細部にわたって詳しく仕上げられれば仕上げられるほど、それらは、ますますまったくの空想におちこむほかはなかった」(四六九~四七〇ページ)。
 彼らの歴史的役割は、資本主義社会そのもののもつ矛盾を鋭く告発し、社会主義・共産主義の正当性を指摘したことにありました。しかしこの矛盾の生じる理論的根拠と、矛盾を解決する方途を科学的に解明することができず、したがってそこには何ら後の世代に継承・発展させるべきまとまった理論も存在しなかったところから、三人の空想的社会主義者は、「いまではまったく過去のものに」(四七〇ページ)なってしまったのです。
 「階級闘争が発展して、はっきりした形をとるにつれて、このように空想のうえで階級闘争を超越し、空想のうえで階級闘争を克服することには、どんな実践的な価値も、どんな理論上の正当性もないようになる」(全集④五〇五ページ)。
 したがって、彼らの弟子たちは、様々な空中楼閣を築くのに、「ブルジョアの博愛的な心と財布とに呼びかけるほかはな」(同五〇六ページ)くなり、最後は「反動的社会主義者または保守的社会主義者の部類に落ちこんで」(同)いったのです。
 批判は、これくらいにして、エンゲルスにしたがって彼らの「空想的な外皮の陰からいたるところに姿をのぞかせている天才的な思想の萌芽や思想」(四七〇ページ)をみていくことにしましょう。
 サン・シモン(一七六〇~一八二五)には、「天才的な視野の広さが見いだされ」(四七一ページ)、「後代の社会主義者たちのほとんどあらゆる思想が萌芽としてふくまれて」(同)いました。彼には早くも階級的な観点がみられ、「フランス革命を貴族と市民階級と無産者とのあいだの階級闘争」(四七〇ページ)であることを天才的に見いだしたばかりではなく、「恐怖政治が無産大衆の支配」(同)であることまで指摘しました。また彼には、「経済状態が政治的諸制度の土台」(四七一ページ)であるとの認識の萌芽が現われており、「人間にたいする政治的統治が物の管理と生産過程の指揮とに変わってゆく」(同)国家の死滅まで予見されていました。
 フーリエ(一七七二~一八三七)は、「あらゆる時代をつうじての最大の風刺家のひとり」(四七二ページ)でした。彼はこれまでの歴史を「野蛮、家父長制、未開、文明」(同)の四つに区分し、文明は「たえず新たに生みだしながら、克服することのできない諸矛盾のなかを運動しており」(同)、「文明においては、貧困は過剰そのものから生じる」(四七三ページ)と喝破しました。
 ロバート・オーエン(一七七一~一八五八)は、「まれに見る天成の人間指導者」(四七四ページ)でした。彼は人間の性格を「とりまく環境の産物」(同)と考え、良好な環境のもとで「ひどく堕落した分子」(同)からなるニュー・ラナークの大紡績工場を「完全な模範的なに変え」(同)、ヨーロッパ中に名声をとどろかせました。しかしオーエンは、まだそれに満足せず、「この人々は私の奴隷」(四七五ページ)にすぎないとし、彼らのつくり出した新しい富は、企業の所有者に分配されるのではなく、「万人の共有財産として、もっぱら万人の共同の福利のためにはたらくべきもの」(四七六ページ)と考えました。
 「オーエンの共産主義は、こうした純実務的な仕方で、いわば商人的計算の果実として、生まれ」(同)ました。しかし、彼が「共産主義理論をたずさえて現われると、局面は一変」(四七七ページ)します。彼は「公式の社会から放逐」(同)され、「その全財産を投げうったアメリカでの共産主義的実験の失敗のために貧乏になった」(同)にもかかわらず、労働者階級の「あいだでなお三〇年も活動しつづけた」(同)のです。
 彼は、幼稚園を発案し、「協同組合(消費協同組合と生産協同組合)を設立」(同)し、婦人・児童労働規制法を制定させ、イギリスの全労働組合合同大会の初代議長までつとめました。
 以上三人の空想的社会主義者についてみてきましたが、彼らがユートピア社会主義者にならざるをえなかったのは、「資本主義的生産がまだきわめて未発展だった」(四八〇ページ)ために、「新しい社会の諸要素」(同)が「だれの目にも見えるように現われていなかったから」(同)なのです。
 彼らが、「社会主義の創始者」(四六九ページ)ではあっても、科学的社会主義の学説の源泉になりえなかったのは、時代の制約としてやむをえなかったのです(拙著『科学的社会主義の源泉としてのルソー』一粒の麦社参照)。
 ところが彼らが出現して八〇年もたち、資本主義的生産の発展をうけて、『資本論』が登場しているにもかかわらず、デューリングは時代錯誤の「最新のユートピア社会主義者」(四八一ページ)として登場してきたのです。
 「近代化学の諸法則が発見され確定されたあとで昔の錬金術を復興」(同)させるにふさわしい、時代錯誤の「社会的錬金術士」(同)、これがデューリングにふさわしい呼び名です。

 

二、理論的概説

資本主義的生産様式

 「理論的概説」は、その全文が『空想から科学へ』の第三章に転載されており、エンゲルスが力をこめて執筆した箇所となっています。まず一七講で資本主義の基本矛盾とその展開を、一九、二〇講で社会主義論をみていくことにしましょう。
 史的唯物論では、「あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因」(四八三ページ)を「生産および交換の様式の変化に求め」(同)ます。いわば、「その時代の哲学にではなく、経済に求めなければならない」(同)のです。「資本主義的生産様式」(四八四ページ)は機械制大工業のもとで生産力の飛躍的発展をもたらしました。「新しい生産力は、すでにそれのブルジョア的な利用形態のなかでは使いこなせないほどに成長」(同)し、ここに「生産力と生産様式」(同)との衝突が生まれます。
 「近代の社会主義は、この現実の衝突の思想的反射、まず第一に、この衝突によって直接に苦しめられている階級、すなわち労働者階級の頭のなかでのその観念的反映にほかならない。では、この衝突はどういうものか」(四八五ページ)。
 エンゲルスは、第一二講の「否定の否定」で紹介した『資本論』におけるマルクスの議論を再度ここで詳しく展開し、資本主義以前の生産様式との対比において、資本主義的な生産様式の特徴を浮き彫りにしています。
 「資本主義的生産以前には、すなわち中世には、労働する者が自分の生産手段を私有することに基礎をおく小経営が、ひろく存在していた。自由なまたは隷農的な小農民の農耕、都市の手工業がそれである」(同)。
 こういう小経営では、自分で生産した原料と、自分の労働手段を使って、自分または家族が労働していたのですから、その生産物は「あらためてわがものにするまでもな」(四八七ページ)く、「おのずから彼のものであった」(同)。いわば、ここでは、個人的生産とそれに見合う個人的分配(個人的取得)となっていたのであり、労働した生産者が生産物を取得するという、「労働と所有の結合」が当然のようにおこなわれていたのです。
 「そこへ、大きな仕事場や手工制工場への生産手段の集積が、それらの事実上の社会的生産手段への転化がやってきた。しかし、この社会的生産手段と生産物は、それまでどおり個々人の生産手段と生産物であるかのように取り扱われた。……いまでは、労働手段の所有者は、生産物がもはや彼の生産物ではなく、もっぱら他人の労働の生産物であったにもかかわらず、それを取得しつづけた。こうして、生産物は、いまでは社会的に生産されるようになったのに、それを取得するのは、生産手段を実際にうごかし、生産物を実際につくりだした人々ではなく、資本家であった」(四八七~四八八ページ)。
 これが封建制のもとでの小経営的生産から資本主義的生産様式への転化を示すものです。資本主義的生産様式の特徴は、生産手段が道具から機械へと発展して巨大化し、工場という自動装置のもとで労働者は機械に奉仕する存在でしかないという「機械制大工業」にあります。
 マルクスは、「近代的工場制度を特徴づけ」(『資本論』③七二五ページ/四四二ページ)るものは、機械制大工業であり、そこでは「自動装置そのものが主体であって、労働者はただ意識のある諸器官として自動装置の意識のない諸器官に付属させられているだけで、後者とともに中心的動力に従属されている」(同)ことを指摘し、これを「独自の資本主義的生産様式」(八七四ページ)とよんでいます。
 この機械制大工業のもとで、小経営とは異なり、生産手段は社会的となり、生産も社会的生産となります。
 では、生産様式のこのような変化は、分配の問題にどのような影響を及ぼしたのかといえば、労働手段の所有者である資本家が、小経営のときと同様の分配、つまり個人的分配(個人的取得)を受けています。ここでは、生産者である労働者が生産物を取得しえないという、「労働と所有の分離」が生じているのです。
 「生産手段と生産とは本質的に社会的なものになった。だが、それらは、個々人の私的生産を前提とする取得形態、したがって、各人が自分自身の生産物を所有し、それを市場に持ち込む場合の取得形態に従わせられる。生産様式は、このような取得形態の前提を廃止するにもかかわらず、この取得形態に従わせられるのである」(四八八ページ)。
 資本主義的生産様式は、生産と分配とが対立しているという矛盾をもった社会なのです。

資本主義の基本矛盾とその展開

 エンゲルスは、こうした考察のうえにたって、資本主義の基本矛盾を「社会的生産と資本主義的取得」(四八八ページ)としてとらえました。マルクス自身がこの表現をとっているわけではありませんので、エンゲルスの独自の工夫ということができるでしょう。
 小経営の「個人的生産と個人的取得」との対比において、資本主義を「社会的生産と資本主義的取得」ととらえることにより、この矛盾を解決する「社会的生産と社会的取得」として社会主義をとらえることを可能にしたのです。それはまた、より高い段階での「労働と所有との再結合」という「否定の否定」をもたらします。
 しかし、資本主義の基本矛盾を「社会的生産と資本主義的取得」という簡単な弁証法的形式でとらえることは、一面では社会主義との対比を分かりやすくとらえるものであると同時に、他面では、さらなる補足説明を必要としています。
 一つは、資本主義的生産様式のもとでの「社会的生産」とは、内容的には生産は社会的になってはいるものの、形式的には生産手段の私的所有のもとで私的生産であるという矛盾をもっていることを示しています。
 これに対して、社会主義における「社会的生産」は、生産手段の社会化による内容・形式ともの社会的生産ということになります。同じ「社会的生産」といっても、資本主義と社会主義とでは、その意味が異なってきます。
 二つは、「資本主義的取得」とは、生産物を誰が取得するのかという問題ですから、「資本家の個人的取得」と同義で使用されています。
 これによって、封建制のもとにおける「個人的生産と個人的取得」、資本主義のもとにおける「社会的生産と個人的取得」、社会主義における「社会的生産と社会的取得」として定式化され、社会主義が資本主義の矛盾を解決する生産様式であることが明らかになってきます。
 三つは、社会主義における「社会的取得」は、生産物としての生産手段が「社会的取得」となり、生産手段の使用、収益、処分は、社会的にのみ決定されるという意味にとどまります。これに対して、生産物としての消費手段については、社会的に控除されるものを除いては、個人的取得となります。この点は、第一二講の「否定の否定」で学んだところです。
 エンゲルスは、「この矛盾が新しい生産様式にその資本主義的性格をあたえるのであるが、この矛盾のうちに現代の衝突の全体がすでに萌芽としてふくまれている」(四八八ページ)として、この基本矛盾をより下位の三つの矛盾として展開しています。
 第一は、「プロレタリアートとブルジョアジーとの対立」(四八九ページ)です。
 中世の社会では、「生産は本質的に自家消費を目あてとして」(四九〇ページ)いたので、「賃労働は例外」(四八八ページ)にすぎませんでした。
 しかし、機械制大工業による社会的生産は、小生産を駆逐し、彼らをその生産手段から切りはなして賃労働者に変えていきます。「以前には例外であり一時しのぎであった賃労働が、全生産の常則となり、基本形態となった」(四八九ページ)のです。こうして、「社会的生産と資本主義的取得とのあいだの矛盾は、プロレタリアートとブルジョアジーとの対立となって明るみにでた」(同)のです。
 第二は、「個々の工場内における生産の組織化と全体としての社会における生産の無政府状態との対立として再生産される」(四九二ページ)ことです。
 機械制大工業のもとで、個々の工場内における生産は、資本家の支配のもとでの「生産の組織化」を意味しています。資本家の支配のもとで工場全体が一つの生き物として組織化され、有機的統一体として生産をおこなうのです。
 生産の組織化による生産力の発展は、すべての生産物を商品に転化し、商品生産の全面支配する市場経済社会を生みだします。社会的分業のもとで生産者はそれぞれ独立して商品を生産しますが、その商品が売れるかどうかは、市場に投入してみなければわかりません。
 「すべて商品生産にもとづく社会の特徴は、そこでは生産者が彼ら自身の社会関係にたいする支配力を失ってしまっているということである」(四八九ページ)。
 これが「生産の無政府状態」といわれるものです。しかし生産の無政府状態は、商品交換が行われる商品市場の独特の法則を否定するものではありません。それはより品質が良く、より安い商品が市場を制覇するという法則であり、このため生産者はより品質が良く安い商品を生産しようと、市場での競争を強制されることになります。これが市場経済といわれるものです。「競争の強制的な諸法則」(四九〇ページ)は、「生産者に対立」(同)する「自然法則として、自己を貫徹する」(同)のであり、「これは、ダーウィンの言う個体間の生存闘争が、幾層倍にも狂暴なものとなって自然から社会に移されたもの」(四九二ページ)となるのです。こうして「社会的生産と資本主義的取得とのあいだの矛盾は、個々の工場内における生産の組織化と全体としての社会における生産の無政府状態との対立として再生産される」(同)ことになります。
 第三は、生産と消費の矛盾と、その一時的暴力的解決としての恐慌です。
 「生産の社会的無政府状態というこの推進力こそが、……没落したくなければ自分の機械をますます改良してゆかなければならない、という強制命令に変えるのである」(四九三ページ)。
 一方で生産力の発展は、社会的に労働者人口の増大をもたらしますが、他方で機械の改良は、個々の工場から労働者を駆逐していきます。こうして「資本の平均的な雇用需要をこえるある数の待機中の賃労働者、……産業予備軍」(同)がつくりだされるのです。
 「それは、資本にたいする労働者階級の生存闘争においてつねに彼らの足にまつわりつくおもりであり、労賃を資本家の欲望にかなった低い水準に抑えるための調節器である」(同)。
 機械は労働者を隷属させ、労働力を価値以下におさえるための「資本の最も強力な武器」(同)となり、「労働者を資本に釘づけにする」(四九四ページ)のです。
 マルクスは、『資本論』のなかで、次のように表現しています。
 「一方の極における富の蓄積は、同時に、その対極における、……貧困、労働苦、奴隷状態、無知、野蛮化、および道徳的堕落の蓄積である」(『資本論』④一一〇八ページ/六七五ページ)。労働者の自由と民主主義は、資本主義的生産をつうじて奪われ、労働者は資本家階級の賃金奴隷となるのです。
 富と貧困の対立は、生産と消費の対立・矛盾となってあらわれます。一方の側での生産の膨張力に対して、他方の側の「消費、販路、市場」(四九五ページ)の膨張力ははるかに弱く、「市場の膨張は生産の膨張と歩調を合わせることができない」(同)からです。こうして、「最初の全般的恐慌が起こった一八二五年」(同)から、「だいたい一〇年に一回」(同)の割合で、生産と消費の矛盾を暴力的に解決する恐慌が生じているのです。
 恐慌は、「一方では、資本主義的生産様式にはこれ以上これらの生産力を管理してゆく能力がないことが、証拠だてられる。他方では、これらの生産力そのものが、ますます力づよくこの矛盾の揚棄をせまるようになる。つまり、それを資本という性質から解放すること、それの社会的生産力としての性格を実際に承認することを、せまるようになる」(四九七ページ)。
 株式会社や国有化も、こうした「社会的生産力としての性格」を一面的に反映したものにほかなりません。
 「この解決は、近代の生産力の社会的な本性を実際に承認すること、したがって生産、取得、交換の様式を生産手段の社会的性格と一致させることのほかにはありえない」(五〇〇ページ)のです。
 つまり、「社会的生産と社会的取得」を実現する社会主義・共産主義により、「社会的生産と資本主義的取得」という資本主義の基本矛盾は初めて解決されることになります。