2008年4月2日 講義

 

 

第20講 社会主義 ④
     デューリング式社会主義論批判

 

1.デューリング式社会主義論の生産・分配論批判

① デューリングの経済コミューン批判

● 経済コミューンの連合(512ページ)

 ・商業コミューン(529ページ)に包摂される

 ・コミューンが生産手段を所有し、コミューンが生産物を取得し、分配する

 ・個々人のあいだで交換はおこなわれない――コミューン間で

● 商業コミューンの役割は、「個々のコミューン相互のあいだの生産物の面での
 競争」(513ページ)をとり除くことにある

● 交換の基準は、「等しい労働と等しい労働」(531ページ)との交換
 →コミューン単位に生産される商品が、市場で交換

● エンゲルスの批判

 ・生産手段の社会化にもとづく計画経済のもとでは生産物は商品とならず、価
  値規定も市場も不要となる


② デューリングの生産論批判

● 分業は「いっさいの生産の基本形態」(515ページ)

 ・社会内部における分業

 ・生産施設内部における分業

● 都市と農村の分離・対立は、「事柄の性質上避けられない」(515ページ)、
 という

 ・農業と工業のあいだの溝は火酒醸造と甜菜糖製造によって緩和されるだけ
  →これでは資本主義とかわらない。資本主義の利潤第一主義が、都市と農村
   の対立を生みだす。

 ・社会主義的計画経済のもとでは、国家による農産物の価格保障、所得保証に
  より、工業と農業の所得格差を解消

 ・中国の社会主義市場経済のもとでも都市と農村の格差是正が課題に

 ・計画経済のもとで、工業を全国に適正配置しうる

● 生産施設内部の分業

 ・資本主義的生産では、労働者は機械の部品となり、分業により不具化される

 ・デューリングは、「万事はだいたいにおいてこれまでどおり」(517ページ)

 ・しかも経済コミューン間の競争により、「人間はもとどおり競争に従属させ
  られたまま」(514ページ)

 ・労働は「人間そのものをも創造」

 ・労働は、労働をつうじて自己実現し、生きる喜びをもたらす

 ・資本主義的労働は苦役に転化

 ・生産者の自由なアソシエーションとしての社会主義において、本来の労働の
  回復

 ・「生産的労働が、……いっさいの肉体的および精神的能力をあらゆる方向に
  発達させ、発揮する機会を提供することによって、人間を解放する手段」
  (521ページ)に

● デューリング式生産は、「コミューンが資本家にとって代わることだけ」
 (514ページ)


③ デューリングの分配・交換論批判

● コミューンと成員間の「等しい労働と等しい労働」(531ページ)との交換、
 という

 ・そうなると、コミューンは自らの富をふやすことも、医療、福祉、年金など
  に富を回すこともできない

 ・2つに1つ。等しい労働の交換の場合は、蓄積なし。蓄積する場合は、等し
  い労働の交換ではない

● 交換は、貨幣を媒介に、という

 ・生産の無政府性のもとで、商品の価値は交換をつうじて、相対的な交換比率
  で示される

 ・この回り道を短縮するのが金属貨幣

 ・計画経済のもとでは、社会が商品に含まれる労働時間を直接に把握しうるの
  で、金属貨幣を使用して迂回する必要がない

 ・社会主義のもとで、貨幣が使用されれば「共同体を解体させて私的生産者の
  群れにしてしまう」(547ページ)


④ エンゲルスの批判の検討

● デューリングのコミューンは、資本主義的分業と競争を無批判的に肯定しなが
 らも、ユーゴの「自主管理社会主義」の側面を持つ

● 他方エンゲルスの批判は、アソシエーションと計画経済の優位性を語りながら
 も、商品生産、市場経済、価値規定を否定しているのには問題あり

● どちらも一面的

 ・計画経済と市場経済の統一に真理があるというべき

 ・マルクスは、社会主義でも「価値規定が重きをなす」としている

 

2.デューリングの国家、家族、教育論批判

① デューリングの社会主義国家論批判

● ルソーの人民主権国家

 ・社会契約により一般意志を主権意志・国家意志として、治者と被治者の同一
  性を実現

 ・人民の、人民による、人民のための政治

 ・一般意志は、至高の意志として、国家権力、議員、閣僚を支配する

 ・一般意志と全体意志の区別

● デューリングによるルソーの浅薄化

 ・社会契約から「個人の主権」(552ページ)=一般意思が形成される

 ・「この主権こそ、そこから真の諸権利がみちびきだされてくる唯一の源」
  (同)

 ・「個人の主権」は、各人を「国家にたいする関係は絶対的な強制」(553
  ページ)のもとにおく

 ・「立法府と裁判官」(同)も「人々の総体」(同)=一般意志の「手ににぎ
  られて」(同)いる

● 至るところで「社会契約論」の引きうつしをしながら、ルソーの人民主権論
 が、人民の、人民による、人民のための政治であることは語らない


② デューリングの宗教論批判

● 宗教の「廃止」(554ページ)を説く

● 何故様々な宗教が再生産されるのか

 ・現世の社会的矛盾から生まれる苦しみの救済を求めるため

 ・現世の苦しみがある限り、宗教は存続する

 ・宗教をなくすには、社会主義による人間解放しかない(556、557ページ)

 ・宗教を禁止することは、「宗教の存命を延ばす」(557ページ)のみ


③ デューリングの家族、教育論批判

● 家族

 ・14才まで母親の手に、それ以降父親の後見に

 ・生産と交換の様式が、家族制度の基礎

 ・社会主義では、家事労働は公的産業に転化、家族成員の真に自由な相互関係

● 教育

 ・「世界観と人生観とに関係のあるあらゆる科学の基礎と主要な成果」(570
  ページ)を授ける

 ・学校教育の理念なく、あれこれの羅列

 ・基礎的教養の土台のうえに、人間が主人公となり、真に自由で平等なアソシ
  エーションの担い手となる人間の育成

 ・「各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つのアソシ
  エーション」(「共産党宣言」)

 ・個人の尊厳と主権者としての人間の尊厳の確立――私人と公民の統一

 ・「真に人間的な道徳」(145ページ)教育

 ・デューリングは、優生保護法を主張

 ・ヒトのゲノム作戦で、現実的問題に

 ・両親又は母親は、情報をえたうえで、胎児を出産するか否かの自己決定権
  (個人の尊厳)をもつ

 

3.総括

● デューリング式社会主義論は、がらくたワールド

●「誇大妄想による責任無能力」(570ページ)