『エンゲルス「反デューリング論」に学ぶ』より

 


あとがきにかえて

 広島県労学協が高村講座を出版するのは今回で八冊目となります。高村是懿さんが哲学講座を始められたのは一九九四年のヘーゲル哲学講座からだと聞いていますから、もう十四年も休みなく続いていることになります。『小論理学』から始まりレーニンの『哲学ノート』、『自由と民主主義の宣言』、ルソーの『社会契約論』と『人間不平等起原論』、『法の哲学』、『資本論』、ふたたび『小論理学』そして今回の『反デューリング論』です。
 地方でこうした講座が系統的に開かれ続いているのは、あまり例がないと聞きます。学習会も何らかの魅力、楽しさがないと続きません。では高村さんの講座の魅力はどこにあるのか。それは一つにはテキストに書かれていることの解説にとどめるのではなく、それこそ弁証法を駆使して、一つひとつ具体的な事例を取り上げるにしても、当時を思い起こさせながら、現代の矛盾と切り結び、さらに未来への展望・創造をあわせて話されるところにあるように思います。高村さん自身、「三十年ほど哲学を学んできたが、最近やっと弁証法を使って縦横に話ができるようになった」と話しておられます。本書でも哲学、経済学、社会主義、それぞれ十二分に発揮されているように思います。
 もう一つの魅力は、これまでの定説・考え方にしばられることなく、また批判を恐れず、あるべき姿を追究しようとする姿勢がつらぬかれているところです。今では県労学協の合言葉のように使われている「真理の前にのみ頭を垂れる」「真理は必ず勝利する」に象徴される姿勢です。
 長い間、国政選挙のたびにソ連や東欧、北朝鮮、あるいは中国の天安門事件を例に「あれが社会主義だ」と大々的に反共宣伝がくり返されてきました。「ソ連や北朝鮮がなかったらどんなにかいいだろう」と何度も思いました。社会主義へ踏みだしたソ連の革命政府が打ち出した「平和についての布告」「ロシア諸民族の権利」「勤労し搾取されている人民の権利」などの権利宣言は世界の人民・労働者に希望を与え、たたかいを励ましました。それがなぜ、人民を抑圧する体制になったのか。何が問題だったのか。
 本書では真にあるべき社会主義の政治と国家、とりわけ自由と民主主義について、『科学的社会主義の源泉としてのルソー』をもふまえ、いっそう人民主権、国民が主人公の立場が明確にされています。弁証法に裏打ちされた、批判を恐れず、あるべき姿を追究しようとする姿勢が実らせたのでないかと思います。
 貧困と格差の拡大、地球温暖化にみられる環境問題、泥沼化したアフガニスタン、イラク戦争、原油価格や穀物の高騰など新自由主義路線のもと地球的規模で危機はいっそうすすみ、資本主義の矛盾が深まっています。二一世紀は二〇世紀とは比較にならないほどの規模とスピードで資本主義的矛盾は拡大し、激化しています。
 それだけに科学的社会主義を学び、考えることは、いっそう大切になってきています。「古典を学べ」「古典はいいよ」といわれますが、実際に手に取ることはまれです。私自身、『反デューリング論』を読むのは初めてでしたが、今回の講座をつうじて、現代と切り結んで古典を学ぶ意義がつかめたように思います。
 『反デューリング論』をエンゲルスが著したのが一八七八年、百三十年前です。科学的社会主義の哲学、経済学、社会主義の三つの構成部分を網羅したもので、マルクスやエンゲルスの著作のなかでも特筆される古典だといわれています。この間の歴史もふまえ、現代の到達点にたって、科学的社会主義を考えようとする本書は古典を学ぶための最良の手引き書の一つと確信します。

二〇〇八年 八月 六日  
  編集委員会を代表して
           山根 岩男

 

 

 

● 編集委員
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