『ものの見方・考え方』より

 

 

第二〇講 民商とは何か

 

世界に誇りうる運動

 ここであらためて民商とは何か、について考えてみることにしましょう。
 「基本方向」では「国際的にも類のない中小業者自身の自主的・民主的な組織として築き上げられてきた民商・全商連運動は、世界に誇りうる運動」だと宣言しています。
 では、どうして民商運動は「国際的にも類のない」運動なのでしょうか。またどんな点において「世界に誇りうる運動」なのでしょうか。
 私なりに整理してみますと次のようになるのではないかと思われます。
 まず第一に、民商は経済団体ではあっても、中小業者の営業と生活、権利を守るための自主的・民主的な組織だということです。
 第一〇講の史的唯物論でお話ししたように、社会の土台は経済的諸関係にあります。したがって資本主義社会の経済団体は、資本主義体制を支える団体であるのが当たり前なのです。日本には、経済三団体と呼ばれる経済団体連合会(経団連)、経済同友会(同友会)、日本商工会議所(日商)があります。そのなかでも日商の会員の大多数は、中小業者の経営者です。しかし実際には、独占資本の意向や政策を中小企業にまで及ぼす組織となっていて、経団連の中小企業対策部の役割を果たすにとどまっています。
 これらの経済団体がすべて独占資本の利益を代表する団体であるのに対し、民商は「中小業者の営業と生活権利を守」( 基本方向)り、その「社会的・経済的地位の向上」のために「大企業の横暴を許さず、民主的規制を求める運動」(同)を推しすすめる団体です。
 資本主義国における中小業者の団体であるにもかかわらず、民商は独占資本、大企業の横暴な支配に反対し、それに民主的タガをはめて中小業者を守る組織として「国際的にも類のない」存在なのです。
 第二に、民商は、中小業者の苦しみの根源に「政治の責任」があることを科学的に解明し、世直しによってその原因を除去しようとする組織です。すなわち、中小業者の苦しみの原因が「新自由主義「構造改革」にあることを明らかにし、これに反対する世直しによって、中小業者の「真にあるべき姿」である「経済の主人公」
「街づくりの主人公」を実現しようというのが、民商の「理念」となっています。
 「基本方向」の第一章が「民商・全商連の理念と目的」を掲げていることは重要な意義をもっています。
 民商は、中小業者の営業と生活、権利を守る組織です。税金、金融、多重債務の整理など、会員の様々な当面の要求に応えて日々奮闘すること抜きに民商運動を語ることはできません。
 しかし、民商運動の独自性は、そうした当面の要求の解決にとどまらず、こうした要求を生みだす根源に「新自由主義」という政治の責任があることを明らかにし「中小業者は経済の主人公、街づくりの主人公」という、「理念」を掲げた世直しのたたかいを訴えるところにあるのです。
 第一六講で「理念とは何か」を学びました。
 「概念的真理『真にあるべき姿』という理念をとらえることによって、人間は客観的事物を自在に支配し、真に自由になることができるのです」。
 民商は中小業者の「理念」を掲げることによって、中小業者の「導き手」となり、人間の本質である自由を真に実現しようという、もっとも人間味にあふれる、人間性豊かな運動体として「世界に誇りうる運動」なのです。
 第三に、民商は「理念」を掲げた世直しのたたかいを訴える階級闘争の担い手でもあります。第一一講で、「階級闘争は歴史発展の原動力」であることを学びました。民商は「中小零細資本家と勤労市民など中間階級の階級的中央組織」(第一四講)として、労働者階級とも連帯しながら、独占資本家階級とたたかって、その要求」の実現をめざします。
 「新自由主義」型国家独占資本主義のもとでは「独占資本以外の階級、すなわち労働者階級、小ブルジョアジー、中小資本家階級には、すべて大差のないギリギリの生活条件が押しつけられるため、階級的に連帯して階級闘争をたたかう客観的条件が生まれてくることになるのです」(同)。最近の反貧困ネットワークの広がりは、それを示す一例ということができるでしょう。
 このように「基本方向」が、まず「民商・全商連の理念と目的」から出発しているのには「目的」と「理念」との深いかかわりを示す問題意識が込められているのです。中小業者の「理念」を掲げ、その実現を「目的」として広く連帯してたたかうところに、民商の意義があります。民商の「たたかえば、間違った政治を変えられる」とのスローガンも、民商の理念と結合して理解することが求められています。
 第四に、こういう世直しの理念を掲げる民商は、その「理念と目的」にふさわしい独特の組織形態をもっており、この組織形態もまた「国際的にも類のない」ものとなっています。
 通常の組織では、役員中心の組織となっていて、事務局は役員を補助するという上下の関係になっています。組織の方針、政策はすべて役員会で決定し、事務局は役員の指示にしたがい、決定事項を単に実行するのみという関係です。
 しかし民商の場合には、役員と事務局員とは、民商運動の「共同の運動の推進者」( 事務局活動の改善・強化をすすめるために)という横の関係として位置づけられています。
 民商の役員は、家業のかたわら非専従の役員としての役割を果たしますが、事務局員は専従者として、日常的に会員の営業と生活の実態と要求をつかみうる立場にあります。
 組織運営の基本は「会員主人公で役員を中心とした活動」(基本方向)ですが、こういう組織運営を支えているのが事務局員です。事務局員は、専従者としての日常活動をつうじて会員と接し、会員とともに要求実現をめざし「会員が主人公」の運営を保障するのです。これらの経験が事務局員会議をつうじて蓄積され、その内容が役員会に反映されます。こうした手続きを経て役員会で決定された方針が、役員と事務局員との協力によって実践されることになります。
 いわば、事務局員は「会員自らが活動に参加できるよう役員と一緒になって活動する」(「事務局活動の改善・強化をすすめるために)のであり、専従者である事務局員は「会員が主人公」の組織運営の要であり、その成否の鍵を握っているのです。
 こういう独特の役割を事務局員がもっているところに「国際的にも類のない」組織とされるゆえんがあります。
 以上要約してみますと、民商とは、役員と事務局員とが「共同の運動の推進者」として、中小業者の当面の要求を世直しの運動と結びつけ、大企業の横暴から中小業者の営業と生活、権利を守り、その社会的・経済的地位の向上をめざす経済団体である、ということになるのではないでしょうか。
 中小業者の要求を実現するためには、強大な民商を確立しなければなりません「強くて大きい組織をつくる。ことが要求実現の力」(「基本方法」)との立場で、地域に根ざした強大な民商づくりのため奮闘がなされてきたのはそのためです。

役員と事務局員との団結

 多くの中小業者を結集し組織を大きくするためには、まず民商が団結しなければなりません。内に不団結があれば、目が内部に向いてしまって、外に向かって打って出るエネルギーが失われてしまうからです。
 その意味で「団結こそ何ものにも勝る宝である」(基本方向)ということになります」。
 「会員主人公で役員を中心とした活動」をすすめるためには、役員と事務局員とが「共同の運動の推進者」とならなければなりません。
 したがって地域に根ざした強大な民商を建設するためには、まず役員と事務局員とがしっかり団結し、それをバネにして全会員の団結を実現する必要があります。この団結の基本となるのは、いうまでもなく「基本方向」と「規約」です。役員も事務局員も、すべてこの「基本方向」と「規約」にしたがって学習し、運動することによって団結することができるのです。
 しかし、それで団結にかんする全ての問題が解決されるかといえばそうではありません。
 というのも、役員はすべて非専従の中小業者であるのに対し、事務局員はすべて専従の労働者だからです。第一八講でお話ししたように「社会的存在は社会的意識を規定する」のであって、非専従の役員には中小業者としての、専従の事務局員には労働者としての特有の考え方があるからです。
 役員と事務局員とは「基本方向」と「規約」のもとに団結する「共同の運動の推進者」でありながら、異なる「社会的存在」に属するという区別をもっています。ヘーゲルはこういう状況を「同一と区別の統一」の弁証法としてとらえています。
 民商の「基本方向」における同一と、社会的存在における区別という対立物を統一することが、民商の団結を生みだすのであり、この両者が統一されないと「基本方向」では一致しても運動の足並みがそろわないことになり、民商の団結は生まれてきません。これを生み出すのが、学習を前提とした役員会という会議の場なのです。
 第五講で、人間の本質の一つは「共同社会性」にあることをお話ししました。人間はその共同社会性にもとづいて、さまざまな「社会的な組織を創造し、産出する」(「ミル評伝」全集㊵三六九ページ)ことになります。マルクスは『資本論』のなかで「集団力」という言葉を使っています。社会的な組織が集団力を発揮するとは、その組織における「計画的な協力のなかで、彼の個人的諸制限を脱して、彼の類的能力を発展させる」(『資本論』③五七三ページ)ことだと語っています。いわば「三人寄れば文殊の知恵」というところでしょう。私たち県労学協の役員も、その構成からみれば、労働者、主婦、知識人、専従者などさまざまです。しかし「共同の運動の推進者」として役員会をつうじて集団力を発揮しています。私たちは、この集団力が会議をつうじて実現されるところから、これを「会議力」とよんでいます。
 役員と事務局員とが「共同の運動の推進者」として、共同社会性としての集団力または会議力を発揮するためには、お互いの立場と役割のちがいを相互に認識しあい、そのうえにたって会議における意志統一をはからなければなりません。
 組織を構成する構成員の総和は一定であっても、そのなかに対立があれば、十人の力は五人分の力としかならない反面、それが統一されれば、十人の力が二十人分の力にもなるところに、人間の共同社会性と組織のもつ面白さもあれば、難しさもあるのです。