『ものの見方・考え方』より

 

 

第二一講 団結こそ何ものにも勝る力

 

会議力発揮のために

 前講で民商の組織的な前進を保障するものは、役員と事務局員とが「共同の運動の推進者」として運動の足並みをそろえることであり、それを実現するのが役員会における意志統一であることをみてきました。
 では役員会で意志統一をはかるにはどうしたらいいのか、県労学協で心がけていることをお話ししてみようかと思います。というのも県労学協は十九年前にゼロからスタートし、現在日本一の会員数になっていますが、それを可能にしたものが「会議力」だったからです。
 私たちは、い(ごびゅう)の統一だということです。どんなにすぐれた指導者であっても、その認識は個人的にも歴史的にも制約されていて、間違いをおかさない人はいません。真理と誤謬の統一という点では、役員も事務局員もすべて例外ではありません。したがって会議はすべての人が発言するように民主的に運営されなければなりません。
 会議では討論をつうじて誤謬を正し、真理を発展させていかなければなりません。第一一講で「自然・人間社会および思考の一般的な運動=発展法則にかんする科学」としての弁証法を学びました。では事物はどのようにして発展するのかといえば、対立物の統一、矛盾の止揚として発展するのです。その意味では、会議で意見が対立することをむしろ発展の契機としてとらえ、意見の対立をおそれないことです。それと同時に間違っている意見だと思われるときも、その意見がどのように間違っているかを批判するのであって、けっしてその人の人格の批判に結びつけてはなりません。すべての人格は、個人の尊厳をもつかけがえのない人格として尊重されなければならないのであり「みんな違ってみんないい」のです。しかし意見の違いは克服しないと、組織としての統一した政策、方針をもつことはできません。意見の批判と人格の批判とを厳密に区別しないと、会議は「会議力」を発揮するどころか「あの人とは口もききたくない。顔も見たくない」となってしまい、会議をしない方がよかったということにもなりかねません。
 意見の対立が容易に解決しないこともありえます。その場合にも「真理は必ず勝利する」との観点から結論をあせらず、とりあえず一致点を確認しあい、不一致点を留保して実践しつつ、実践の教訓をふまえて引き続き討論に委ねていけばいいのです。県労学協の合言葉は「真理の前にのみ頭を垂れる」というものです。
 しかし、対立した意見を真理に向けて発展させるうえで、会議をリードする指導者の役割は決定的に重要です。ヘーゲルは誤謬とは一面性であり、真理は統体性であるといっています。意見が対立している場合、どちらの意見も一面性をもっているが故に対立していることが多いのです。指導者は対立する意見の双方に一面の真理と一面の誤謬があることを明らかにし、対立する意見を止揚することが求められているのです。
 役員会の任務は、その下部組織の活動・経験を総括し、そこから教訓を引き出して、運動を前進させていくことにあります。その際重要なことは、成功した経験のなかに運動を発展させる契機を見いだすと同時に、失敗した経験のなかからも二度と同じ失敗をくり返さないためにその教訓を学んでいかなければなりません。いわば、成功からも失敗からも学習するのです。役員の場合は、下部組織の人々に比べるとより広い視野に立って全局を見通すができます。その広い視野と高い理論によって、活動・経験のなかに潜在的に含まれている(報告者自身がそれを自覚しないような)発展の契機、後退の契機を見いだし、それをより普遍的な理論や運動につなげていくことが求められているのです。そのためにも「共同の運動の推進者」である役員と事務局員には、科学的な「ものの見方・考え方」を不断の学習によって身につけていく努力が必要となってくるのです。
 特に重要なのは、会議のなかにあらわれた積極的な意見は残らずすくいあげるようにすることです。それを全員で確認するだけでも会議は活気づき、会議力を実感することができます。これが「前進的な変化を促進する立場」(第四八回総会方針)です。
 最後に、組織の団結を実現するためには、組織に関するすべての問題を会議の場において解決することです。もし会議以外の場でこうした問題が一部の役員によって議論されることになれば、役員全員の共通の認識になりえませんから、必ず不団結と派閥の原因になってしまいます。
 私たちも「会議力」発揮のために、日々試行錯誤をくり返していますが、少しでも参考になればと考え、問題提起させてもらいました。会議力を発揮したときの会議は、笑い声に満ちたものとなることも報告しておきます。

知は力

 この例からも明らかなように、学習は学習それ自体を目的とするものではなく、それを力に実践に生かしていくことを目的としています。私のモットーは「生涯一学徒」です。人間が真に自由になるためには、生涯学習し続けなければなりません。ましてや組織の指導者たる者が、学ばずして指導者であり続けることは、その組織にとって最大の不幸ということになるでしょう。
 『月刊民商』の裏表紙には、いつも「学習しよう。学習こそ人間成長の糧、営業の繁栄、民商発展の土台」「学習すれば、未来がみえてくる」との素晴らしいスローガンが掲げられています。
 第一講で「人間は、学習することによって自由になり、学習することによってより人間らしくなる」ことを学びました。学習しなければ、中小業者の苦しみは「自己責任」にしかならないのであり、学習することによってはじめて「政治の責任」がみえてきます。ここに至って第一六講で学んだ必然的自由に到達します。しかしそこからさらにすすんで、民商の「理念」を学び、真にあるべき中小業者の姿をとらえることによって、最高の自由、概念的自由に到達し、民商の「理念」に確信をもつことができるのです。
 それと同時に大切なことは、学習をつうじて社会発展への確信を培うことです。
 「一般に、世界を動かすものは矛盾である」(ヘーゲル)。資本主義の本質は利潤第一主義にあり、この本質からして資本主義とは、ますます少数の者がますます多くの富を蓄積し、ますます多数の者がますます貧困と労働苦を蓄積していくという矛盾をかかえた社会です。その矛盾が「新自由主義」のもとでいっそう拡大し、加速し、深刻化しており「資本主義の限界論」が公然と議論されるまでになってきました。
 「資本主義の本質が利潤第一主義にあるかぎり、資本は自らこの貧富の対立・矛盾をなくすことはできません」(第一二講)。矛盾は、階級闘争によって取り除かない限りなくすことはできないのであり、矛盾が深刻化すればするほど階級闘争も発展し、社会は発展するということに、世界観的な確信をもつことが重要です。
 第二三回事務局員交流会でもお話ししたのですが、ヘーゲルは世直しの「理念」を掲げたたたかいについては、「大人の立場」(『小論理学』二三四節補遺) が大切だといっています。世直しの事業というのは、概念的真理を実現しようとするものですが、そのときにはそれが実を結ばないとしても、その真理実現のためのたたかいは、一つひとつ世直しのための土台を強め、高めるために役立っているのであって、そこには無駄なたたかいはひとつもないのです。ヘーゲルはそこに満足を覚えるべきであり「満足を知らぬ努力というものはない」のであって、これが「大人の立場」だといっています。
 よく例えに出すのですが、世直しの事業は駅伝であってマラソンではありません。バトンをつないでいって、最後の人がゴールに駆け込むのであり、自分でゴールに駆け込むわけではありません。世直しに確信をもちながらも、生涯をかけた息の長いたたかいとして、マイペースで、時には息抜きも休養もとりながら、自分の責任を全うすることが求められているのです。
 生きるということは矛盾をもっているということです。ヘーゲルは、生きるとは生と死の統一であるといっていますが、それだけではありません。前向きと後ろ向き、積極的と消極的など、生き方そのものにもすべての人が矛盾をかかえています。人間には常にこの両面があることをそのまま肯定することが、自分自身の生き方の問題としても組織者としての立場としても重要になってくるのです。
 役員も事務局員も民商運動の組織者としての中心的な役割を担っています。運動の組織者という場合、二つの資質が求められているのではないでしょうか。
 一つには、まず民商運動と社会発展に確信をもつことです。民商運動と社会発展に自分自身が確信をもち、相手の目をまっすぐに見つめて、その確信を相手に伝播させることによって、相手を変え、組織することができるのです。組織者自身に確信がなく、下を向いてボソボソと語るのでは、相手も何だかうさんくさい話だと思って、その話に耳を傾けることはないでしょう。
 二つには、社会変革に確信をもつとは、自己の変革、中小業者の変革に確信をもつことです。社会を変えることは、自分を変え、人を変えることにほかなりません。
 社会の矛盾は、中小業者の意識のうえに反映し、中小業者一人ひとりの矛盾となってあらわれます。それが、いわば「自己責任論」と「政治責任論」との矛盾であり、後ろ向きの生き方と前向きの生き方との矛盾なのです。
 すべての中小業者はこの二面性をもっていますが、真理を求めて前向きに生きる側面を誰もがもっていることを信頼し「要求実現の道筋を明らかにし、展望を示すならば」(「基本方向」)、必ず変わりうるとの確信をもたないと、組織者としての役割を果たすことはできません。中小業者や会員を信頼できないと感じはじめたら、人間の積極的側面に目をふさいでいる証拠であり、組織者として赤信号が点滅しているということになるでしょう。

会員が主人公

 民商の組織運営の基本は「会員主人公で役員を中心とした活動」(「基本方向」)にあります。
 会員が主人公の民商運動の活動の原点は「集まって、話し合い、相談し、助け合って、営業と生活を守る」(同)ことにあり、それを保障する場が班活動です。その意味では班体制の確立が団結の基本であり、団結の土台となります。
 中小業者は一国一城の主(あるじ)です。しかも激しい競争社会のなかにあって、なかなか業者同士が胸襟(きょうきん)を開いて話しあう場をもつことはできません。いわば人間の本質である共同社会性を疎外された状況におかれているのです。その疎外された共同社会性を、一定の限られた範囲であっても回復させる場が、班会議です。それには、まず何でも話せる楽しい班会にしなければなりません「会員一人ひとりが自らの言葉で『商売・人生・民商』を語り『入ってよかった。よかったことは人にもすすめよう』の気風」(基本方向)を生みだすのも、班会が土台となります。
 それと同時に、班会は会員が成長し、世直しの事業の主人公としての自覚を高めていく場にしていかなければなりません。いわば班会をつうじて会議力が発揮されるように、みんなの意見を出し合って、その積極的なものがすべてすくいあげられ、しかもそれを真理の方向で一つにまとめるところに、役員や事務局員の力量が問われているのです。
 事務局員の請負主義が問題とされることがあります。請負主義は単に事務局員の負担を過大なものにするだけではなく、会員の自覚の発展を阻害し「会員が主人公」の大原則を否定することにもつながるものです。事務局員の任務は、会員のもつ人間としての積極面に目を向けて、会員の自覚を高め成長を促すところにあることを肝に銘ずることが必要です。
 いずれにしても、民商運動のあらゆる段階で「団結こそ何ものにも勝る宝である」ことが実証されなければならないのであり、それを保障するものが学習なのです。