『ヘーゲル「小論理学」を読む』(二版)より

 

 

第二講 「ヘーゲルの挨拶」
    「第一版への序文」

 

一、「聴講者にたいするヘーゲルの挨拶」

時代背景

 ベルリン大学は一八〇九年シュタインの改革のもとでプロシアの官僚養成機関として設立された国立大学であり、一八一一年フィヒテが総長に就任します。日本の東京大学はこれに倣って設立されたものです。
 プロシア政府は一八一八年一〇月、フィヒテがチフスに罹って死亡してから四年間空席になっていたベルリン大学哲学教授に、ヘーゲルを迎えます。このときの着任挨拶が「聴講者にたいするヘーゲルの挨拶」です。このベルリン時代の十三年間はヘーゲルの黄金期であり、一八二九年、ヘーゲルはベルリン大学総長にまで昇りつめることになります。
 一八〇六年イエナ会戦でナポレオンに敗れたプロイセンは、フランスの占領下にあって旧体制の改革に着手します。いわゆるシュタイン=ハルデンベルクの改革といわれるもので、フランス革命のめざした自由の精神にもとづいて、統一ある近代国家を実現しようとしたものでした。シュタインは農民の地主からの解放、都市自治制、教育改革などを実施し、一八一〇年に誕生したハルデンベルク内閣はシュタインの改革を継承しました。
 しかし、一八一五年の反動的ウィーン体制のもとで、プロイセンでも次第に旧勢力が優位を占め、改革は終息に向かいだします。ウィーン体制の主役・メッテルニヒは一八一九年主要十ヵ国の政府代表をカールスバートに招集し、学問、出版の自由を制限する「カールスバート決議」を採択し、ヨーロッパ全体におけるフランス革命の影響を一掃しようとします。これにより、民主的大学教授は大学から追放されます。「ブルシェンシャフト」とよばれる民主的学生運動も厳しく弾圧され、それに関わったヘーゲルの弟子も相次いで逮捕されることになり、ヘーゲルも一時困難な状況に追いこまれます。
 ヘーゲルがベルリン大学に招かれたのは、ハルデンベルクの改革の末期、カールスバート決議の前という独特の時期でした。
 フランス革命の精神を生涯にわたって賛美したヘーゲルは、プロシアの上からの改革に大きな期待を寄せ、プロシアこそ国民の自由を実現する真にあるべき国家であり、それを理論的に支えるのがベルリン大学だと考えたのです。しかし、その夢はわずか一年足らずでカールスバードの決議によって破れ去ることになります。
 真にあるべき国家・社会を論じた『法の哲学』は、一八二〇年六月に「序文」が書かれながら、当局に睨まれていたヘーゲルへの厳しい検閲のため、出版されたのは翌年の一八二一年でした。
 このとき以後ヘーゲルは、反動化し民主的教授が大学から追放されるという状況下で、ベルリン大学教授の地位の確保と自己の良心との間で厳しい葛藤を強いられることになります。しかしヘーゲルは、バスティーユ占領の七月一四日の乾杯は毎年欠かしたことがないと語っており、良心を貫くために奴隷の言葉で革命の哲学を語ることを強いられます。ヘーゲル哲学の難解さの理由の一つは、当時の政治的状況に強いられて、ことさらに神を持ち出し、観念論的装いで革命の哲学をカムフラージュしようとしたところにあります。ヘーゲルがその革命性を隠すためにいかに念入りに偽装をしたかを詳しく論証するものとして、ジャック・ドント著『ベルリンのヘーゲル』(法政大学出版局)があります。
 「一八二〇年のプロイセンでは君主制と封建諸侯、そして彼らの警察と検閲が君臨していた。われらの哲学者(ヘーゲル ── 高村)は、すべてを語ることを断念しなければならなかった。彼は自分の本当の意見を、印刷とは別の手段で表現することを余儀なくされていた」(前掲書三ページ)。
 そのためにヘーゲル哲学は、反動的プロイセン国家の国定哲学と誤解され、ヘーゲルも反動的立憲君主制を賛美する保守主義者だとみなされてしまいます。
 ハイネの『ドイツ古典哲学の本質』(一八九ページ、岩波文庫)によると、ヘーゲルは臨終のベッドで、「わしの意見をわかってくれたのは、ただ一人いただけだ」と言ったすぐ後に、「いや、あの男もほんとうに分かってはくれなかった」と腹だたしげにつけ加えた、とされています。
 ここに奴隷の言葉で語らざるをえなかったヘーゲルの無念さをみることができると同時に、私たちはヘーゲルの偽装を見破って、その真意を解放すべき責任を負っているのです。

時代への期待

 「聴講者にたいするヘーゲルの挨拶」(一三ページ)は、まず時代への期待から始まっています。
 ヘーゲルは、いまや「哲学がふたたび注意と愛を人々から受ける期待を持つことが許され」(同)この「沈黙していた学問がふたたび声を挙げることができるような」(同)時代になったと謳歌しています。
 一八一三年にプロイセンは対仏解放戦争を布告し、一八一四年ナポレオンは敗退します。ここに一八〇六年以来のフランスの占領が終わりドイツは民族の独立を回復します。シュタイン=ハルデンベルクの上からの改革が重なり、ドイツは「思想の自由な国もまた独立に栄えていく時代」(一四ページ)を迎えたのです。
 「世界精神」(一三ページ)は、「外部へひっぱりだされていた」(同)のに、やっとふるさとに帰ってきたというのは、いかにもヘーゲルらしい表現です。第一講でナポレオンを「世界精神」ととらえていたことを紹介しましたが、世界全体を支配する「時代の精神」としての精神の自由は、ルターの宗教改革にはじまりました。先ほど紹介したハイネの著作は「マルチン・ルターがウォルムスのドイツ国会でローマ法王の権威を否定して、『諸君は聖書そのものの中の言葉により、あるいは道理にかなった理由によって余の説に反対すべきである』と公然とはっきりのべたあの日から、ドイツには新時代がはじまった」(前掲書六八ページ)と述べています。「こうしてドイツにはいわゆる精神の自由が成立した。この自由はまた思想の自由ともよばれている。思想に権利があたえられ、理性の権限は正当なものとして認められるようになった」(同七一ページ)のです。
 この精神の自由という世界精神は、本来ルターの宗教改革によってドイツの土壌に誕生したものであり、一時フランス革命においてフランスにひっぱりだされていたけれども、再びドイツに立ち戻ってきたというわけです。
 若きヘーゲルはキリスト教を絶対主義国家との結びつきで批判しましたが、『エンチクロペディー』においてはこの後にみるように、自由な精神による真理探究の一翼を担うものとして積極的に評価しています。そこには精神の自由を確立したルターの宗教改革の歴史的意義の再評価が根底にあったのではないかと思われます。
 「あの民族の偉大な闘争、ドイツ民族がその諸侯とともに、独立と、外国の冷酷きわまる専制の打倒と、精神の自由をめざして戦った偉大な闘争が、今やより高い段階においてはじまっているのである。精神の倫理的な力が今やそのあふれる力を感じ、自己の旗をかかげ、そしてこのような感情をして現実の支配力としているのである」(一四ページ)。
 「精神の倫理的な力」とありますが、これは真にあるべき国家・社会を求める哲学を意味しています。一般的には「倫理」とは人倫のみち、道徳の原理と解されていますが、ヘーゲルの場合『法の哲学』で「倫理」を真にあるべき国家・社会の意味でも用いています。
 いまこそ国家・社会の真にあるべき姿を論じるドイツ哲学の出番だというのです。ではドイツ哲学の活躍の舞台はどこにあるのか、それこそドイツの中心・ベルリン大学だというわけです。「ドイツの中心点の大学であるこの大学においてこそ、あらゆる精神的教養の、およびあらゆる学問と真理の中心点である哲学もまた、自己にふさわしい場所とすぐれた保護を見出さなければならない」(同)と述べています。
 ヘーゲルは、哲学こそ「ドイツ精神の深い財産」(一六ページ)であり、「この神聖な燈火を護ること」(同)こそ、ベルリン大学哲学教授のヘーゲルに「託された任務」(同)だととらえているのです。

真理の国こそ哲学の故国

 では哲学の任務とは何か、それは自由な精神にもとづく真理の探究です。「真理の国こそ、哲学の故国」(一八ページ)なのです。
 しかし、他ならぬこのドイツにおいて、「浅薄な精神は、ついに、真理の認識は存在しないことを見出し証明したと考え、そしてそれを断言するほどにまで立ちいたって」(一六ページ)おり、「真理の認識の放棄は、われわれの時代によって精神の最高の勝利にまで高めあげられている」(一七ページ)と嘆いています。
 ヘーゲルは若いときにプロテスタントのチュービンゲン神学院に学び、キリスト教の研究をしたので、聖書からの引用がよく出てきます。
 紀元後ユダヤは、ローマ帝国の支配下にあり、王と言えばローマ皇帝テベリオ(ティベリウス)を指していました。ところが、イエスはテベリオをさておき「ユダヤの王」をしているとして逮捕されます。ユダヤの総督ピラトの尋問に、イエスは「我は之がために生れ、之がために世に来れり、即ち真理につきてせん為なり」(ヨハネ福音書一八・三七)と答え、それに対してピラトは「真理の認識なぞ存在しないという意味をふくませて、『真理とは何か』と反問した」(一七ページ)のです。 
 ヘーゲルは真理の認識を放棄するものは、このピラトと同様、「理性にたいする絶望」(同)を示すものだと批判しています。
 「それによれば、神、世界および精神の本質というようなものは認識しえないものであり、……宗教は、理性的知識なしに、信仰、感情、感得に立ちどまっていなければならない。更にそれによれば、認識は、絶対的なものの本性、神の本性、自然および精神のうちで真実かつ絶対的であるものの本性に関係を持たないと考えられており、認識はただ、……外面的なもの、すなわち歴史的なもの、認識と自称するものがそのもとにあらわれた偶然的な諸事情にのみ関係を持つと考えられている」(一六~一七ページ)。
 ヘーゲルはこうした見解の一つひとつを、「予備概念」(一九節以下)で批判しています。まず、「神、世界および精神の本質」は、経験を超える存在であるから認識しえない、とするのはイギリスの経験論(三七節以下)です。「宗教は、理性的知識なしに、信仰、感情、感得に立ちどまっていなければならない」とするのは、ヤコービ(一七四三~一八一九)の「直接知」(六一節以下)です。さらに「認識は、絶対的なものの本性、神の本性、自然および精神のうちで真実かつ絶対的であるものの本性に関係を持たない」と考えているのは、カント(一七二四~一八〇四)の批判哲学(四〇節以下)です。
 ヘーゲル哲学は、カント哲学の批判のうえに誕生しました。それだけにヘーゲルのカント批判には厳しいものがあります。「最後に、いわゆる批判哲学が、永遠なもの、神的なものについては何も認識できないということを証明したと主張することによって、永遠なものおよび神的なものにかんするこのような無知を安心させたのである」(一七ページ)。

ヘーゲル哲学と宗教

 ここで、ヘーゲル哲学と宗教との関係について一言述べておきましょう。
 『エンチクロペディー』の第三部「精神哲学」は、主観的精神 ── 客観的精神 ── 絶対的精神の三部構成になっています。主観的精神である自由の精神が外にあらわれた社会共同体が客観的精神とよばれるものです。社会共同体のなかで、自由な精神が再び自己のうちに立ち戻り、社会的産物となった精神活動が絶対的精神となります。絶対的精神は芸術 ── 宗教 ── 哲学に区分されています。芸術は絶対的精神の感性的直観の形式であり、宗教は表象の形式であり、哲学は理性の形式です。表象とはイメージすることであり、ヘーゲルは感性的直観と思想との中間に表象を位置づけています。
 ヘーゲルは、哲学を絶対的精神の最高峰として位置づけており、宗教は哲学的真理へ至る通路の機能として位置づけられています。ですから彼にとって、精神が「宗教のもとに立ちどまって」(一六ページ)いたり、「理性的知識なしに、信仰、感情、感得に立ちどま」(同)ることは許されないと考えるのです。こういう形式上の違いがあるとはいえ、芸術、宗教、哲学のいずれも自由な精神による真理の探究という内容上の共通性をもっているのです。
 第一講で、絶対者とは何か、の説明をしましたが、一言でいえば絶対者とは、神という宗教的表象を哲学的に表現したものです。ヘーゲルは、「一般的に言って、哲学は表象を思想やカテゴリーに、より正確に言えば概念に変えるものだ」(六五ページ)といっています。いわば神という表象を「理性の形式」において表現し、概念に変えたものが絶対者なのです。
 ここで、ヘーゲル哲学のキーワードともいうべき「概念」について説明しておきましょう。第一講でお話ししたように、論理学は、自然と精神という対象を思考によってとらえ、それを思惟形式としてのカテゴリーに変えるものです。直観や表象は人間がその対象を受動的に受けとめるにとどまっているのに対し、思想は直観や表象を前提に人間が主体的に対象を受けとめ、それを消化し、思惟形式にかえることによって、対象の真の姿をとらえようとするのです。
 思惟形式は、一言でいうとカテゴリーということができます。カテゴリーとは最高類概念であり、事物を抽象化していってそれ以上抽象化できないような存在の根本形式、存在の真の姿を意味しています。例えば、ヒトは、ヒト ── 哺乳類 ── 動物 ── 生物(生命)と抽象化されますので、そのカテゴリーは生命となります。こうしたカテゴリーを体系化したものが論理学なのです。
 カテゴリーを初めて論じたのはアリストテレスであり、彼は実体、量、性質、関係、場所、時、位置、様態(状態)、能動、受動の十個をあげました。
 これに対し、カントは直観形式のカテゴリーとして空間と時間をあげ、思惟形式のカテゴリーとして、量(総体性、数多性、単一性)、質(実在性、否定性、制限性)、関係(実体と属性、原因と結果、相互性)、様相(可能性、現実性、必然性)の十二種類をあげました。これらをふまえて、ヘーゲル論理学ではさらに多様なカテゴリーが論じられることになります。
 ヘーゲルはこれらのカテゴリーと区別して、「概念」という用語を使用します。これもカテゴリーの一種であり、一般には事物の本質をとらえる抽象的普遍を意味しています。例えばヒトの概念は、「直立二足歩行することにより労働する哺乳類」ということになるでしょう。「抽象的普遍」とは、その事物に属するすべての個物に共通する普遍的なものという意味です。
 ところが、ヘーゲルはこれに加えて「概念」に「真の姿または真にあるべき姿」としての意味合いを与えています。
 これから追々に「概念」についてお話ししていきますが、ヘーゲルは、思惟形式の最高の真理は事物をその概念においてとらえることにあると考えていることだけを、とりあえず理解しておいてください。
 このように、論理学はさまざまなカテゴリーと概念によって構成される絶対的真理の学問であり、したがって「絶対者の学」(八四ページ)とされています。

ヘーゲルの「神」

 ヘーゲルは一七八八年チュービンゲン神学院・哲学部に入学し、翌年フランス革命を経験します。ヘーゲルはキリスト教を哲学的観点から学び、「宗教哲学」の講義も生涯に四回行っています。こうした成果のうえに彼の哲学を確立していくのです。
 彼はキリスト教の真髄を「三位一体説」に見いだします。三位一体説とは、天なる父(神)が神の子キリストを生みだして父と子の対立が生じ、この矛盾の解決としてキリストは死んで天に昇り神と一体化した聖霊となったとして、神、キリスト、聖霊を三位一体と考えるものです。
 ヘーゲルはこの三位一体説を、哲学的には精神の展開を述べたものとして理解します。人間の精神は青年期に至るまで自我を自覚することのない即自態としてありますが、青年期には自分自身を反省し、自分は何ものかを模索し、自己の分裂に苦悩します。ゲーテのいう『若きウェルテルの悩み』の時代にはいるのです。やがて自己のうちの対立を克服して、自己の世界観、人生観を確立し自己を取り戻します。このように精神は、自己を自己から反発し自己のなかに対立を生みだしながら、再びこの区別を止揚して自己に復帰します。いわゆる即自 ── 対自 ── 即かつ対自の三分法はこの三位一体説から生まれたのです。
 『エンチクロペディー』も即自としての論理学、対自としての自然哲学、即かつ対自としての精神哲学という三位一体の構成になっているのです。
 またキリスト教の教え(福音書)についても、同様にその意味を哲学的に読み解き「精神の無限性ということ、精神が世の中の一切の束縛を投げ捨てて、唯一の真理である精神的世界に高揚する次第を説くことが根本のテーマとなっている」(『歴史哲学』下巻一四八ページ、岩波書店)ととらえます。キリストの「山上の垂訓」として有名な「幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん」(マタイ伝五・八)は「人間の心に外からのしかかって来る何ものをも撥ね飛ばす、最も弾力のある文句」(前掲書同)であると理解します。
 さらにキリストの「われ地に平和を投ぜんために来れりと思ふな。平和にあらず、反って剣を投ぜん為に来れり」(マタイ伝一〇・三四)について、「ここでは現実界に属する一切のもの、道徳的掟さえも投げ捨てられることになる。実際、福音書におけるほどの革命的な言は何処にもない」(前掲書一五〇ページ)として、真理の前には一切のしがらみを捨てる勇気をもつべきだという革命性を示すものと解釈しています。
 したがってヘーゲルのいう「神」は、絶対者、絶対的真理と同義で用いられているのです。
 ヘーゲルは「一般に論理的諸規定全般は、絶対者の諸定義、神の形而上学的諸定義とみることができる」(二五九ページ)といっています。ヘーゲルにおいては、神は絶対的に真なるもの、絶対的実体として、世界のすべての事物のなかに自己を展開しているとされています。世界のすべての事物には絶対的真理が含まれているのであり、それをもたらしたものが、絶対者(神)によるロゴス(論理)だと考えているのです。ヘーゲルの時代には、自然科学の未発展のため、宇宙、地球、地球上のすべての事物を現代科学のように量子論で説明することはできませんでした。いわば「世界の現実の統一性はその物質性にある」(エンゲルス)ことが解明されなかったところから、世界の統一性の根拠として絶対者とか神が引っぱり出されているにすぎません。重要なことは、時代の制約があるにもかかわらず、ヘーゲルが「世界の現実の統一性」と、そこにある根本の真理を認識しうることを確信し、その世界の根本原理を説明するのに、絶対者・神というカテゴリーを使用しているということをみておかなければなりません。

理性への信頼

 以上みてきたように、ヘーゲルは「真理または真理の認識は存在しない」という見解を厳しく批判しつつ、人間の認識は無限に前進し、無限に真理に接近しうるものであり、それを可能にするものが理性であるとして、理性への無限の信頼を寄せています。
 「真理を認識しようとせず、ただ現象的なもの、時間的なもの、偶然的なもの、一口に言えば、空虚なもののみを認識しようとするこのような空虚が、哲学において幅をきかせてき、現代においてもなお幅をきかせ大きな口をきいているのである。哲学がドイツにあらわれはじめていらい、このような見解、理性的認識にたいするこのような断念が、これほどまでの僭越と流行に達するほど、哲学はひどい状態におちいったことはないと言ってもいい」(一七~一八ページ)。「ただ現象的なもの、時間的なもの」とあるのは、「現象的なもの、一時的なもの」と解すればいいでしょう。
 では、ヘーゲルはどうやってこの哲学の「ひどい状態」を脱けだそうというのか、といえば、「青年の精神」(一八ページ)へのよびかけです。青年そのものにではなく、若々しい、健全さをもった「青年の精神」に期待をよせているのです。対仏解放戦争後にドイツ民族の自由と統一を旗印に結成された「ブルシェンシャフト」という愛国主義的学生団体をも念頭においていたのではないかと思われます。「まだ健全さを失わない心は、なお真理を要求する勇気を持って」(同)おり、「真理の国こそ、哲学の故国」(同)だからです。
 ヘーゲルは精神の本質は自由にあると考えています。精神が「利害にわずらわされないで」(同)本来もっている自由な働きをするならば、必ず真理に到達することができると考えているのです。

哲学の目標は理念の把握

 「人生において真実なもの、偉大なもの、神的なものは、理念によってそうなのである。哲学の目標は、この理念をその真の姿と普遍性において把握することである」(同)。
 ヘーゲルにとって理念(イデー)は最も重要なカテゴリーの一つです。この理念はプラトンの「イデア論」に由来するものです。プラトンは感覚のうちにとらえられる客観的個物は真の姿ではなく、理性によって認識されるイデアの世界こそ真実在の世界としてとらえました。そのうえで客観的個物は、イデアを模写し、あるいはイデアを分有するイデアの影にすぎないとしました。例えば「バラ」という個物が美しいのは、バラが美のイデアを分有すると考えたのです。
 ヘーゲルはこのプラトンのイデア論を発展させ、真にあるべき姿としての「概念」に一致する存在を「理念」ととらえ、理念をもって絶対的真理だと考えました。
 したがって哲学の目標は「理念をその真の姿と普遍性において把握することにある」と述べているのです。
 「精神の国は自由の国である。人間の生活を統一するすべてのもの、価値あり意義あるすべてのものは、精神的なものであり、そしてこの精神の国はただ真理と法の意識を通じてのみ、理念の把握を通じてのみ存在するのである」(一八~一九ページ)。
 「真理と法」の「法」とは『法の哲学』の法、つまり正義です。精神は真理と正義、理念を把握してこそ「自由の国」にあるといえるのです。
 「ところでさしあたり私が諸君に要求しうることは、ただ諸君が学問にたいする信頼、理性にたいする信念、自分自身にたいする信頼と信念を持つということだけである。真理の勇気、精神の力にたいする信頼こそ哲学的研究の第一の条件であり、人間は自己をうやまい、自己が最高のものに価するという自信を持たなければならない」(一九ページ)。
 真理を探究しようという勇気をもつものは、誰でも哲学者なのです。新自由主義の現代資本主義のもとで、貧困と格差にあえぐ労働者が人間らしく生きようとすれば、真理を探究するしかありません。哲学者は象牙の塔のなかにいるのではなく、労働者・国民のなかにいるのです。
 もっとも「自分自身にたいする信頼と信念を持つ」ということは、ただ現在のあるがままの自分を肯定し、信頼しろということではありません。人間の理性に無限の信頼をおき、直接的な自然的存在としての自分を揚棄する努力を積み重ねることによって、どんな人間でも「真理の国」に到達しうることを確信すべきだというのです。すべての人間は無限の可能性を秘めた至高の存在なのです。実に素晴らしい人間賛歌だと思います。
 「精神の偉大さと力は、それをどれほど大きく考えても、考えすぎるということはない。宇宙のとざされた本質は、認識の勇気に抵抗しうるほどの力を持っていない。それは認識の勇気の前に自己をひらき、その富と深みを眼前にあらわし、その享受をほしいままにさせざるをえないのである」(同)。
 いまや量子論とビッグバンの理論によって「宇宙のとざされた本質」は「その富と深みを眼前にあらわし」つつあるということができるでしょう。注意すべきは、ここにいう「宇宙」には、国家・社会も含まれるということです。前年の五月に『エンチクロペディー』を出版したヘーゲルは、この挨拶をした一八一八年一〇月にはすでに真にあるべき国家・社会を論じた『法の哲学』の執筆を始めていました。一八一九年三月には、早くも『法の哲学』の刊行を予告する手紙を書いています。すでに反動化しつつあるプロシアで、まだ執筆・出版できるうちに執筆しておこうとの意図があったのではないでしょうか。したがって、ここには「国家・社会のとざされた本質」をこじあけようとするヘーゲルの「認識の勇気」がそれとなく表明されていると考えることができるでしょう。

 

二、『エンチクロペディー』「第一版への序文」

『エンチクロペディー』とは何か

 ヘーゲルの最初の主著は『精神現象学』(一八〇七)でした。当初はこれを「哲学体系の第一部」とし、第二部として論理学、自然哲学、精神哲学を出版する予定であり、ヘーゲルはこの体系構想にもとづき、第二の主著『大論理学』(一八一二~一八一六)を出版します。
 しかし『大論理学』執筆の過程で、哲学体系についての考えがかわり、一八一三年冬には、哲学体系全体を概観する「哲学的エンチクロペディー」の講義が行われるようになります。それ以後ニュルンベルクのギムナジウム(高等学校のようなもの)の校長として、毎年『エンチクロペディー』の講義を行い、一八一七年五月、ハイデルベルク大学教授として「哲学的諸学のエンチクロペディー綱要」の「序文」を完成します。それがテキストの「第一版への序文」です。ここにヘーゲル哲学の新たな体系が完成することになります。
 これにより、これまでの『精神現象学』は『エンチクロペディー』第三部「精神哲学」第一篇「主観的精神」の一部分に位置づけられることになり、『大論理学』は『小論理学』へと転換することになったのです。
 「綱要」というのは、講義の骨子、レジメのことです。いわば綱要は、講義が行われることを前提に、口頭での講義の理解を助けるものとして作成されたのです。
 「『哲学的エンチクロペディーの綱要』という本書の表題は、一方ではそれが哲学の全領域を取扱っていることを示すとともに、他方では細目の点は口頭の講義に残しておくという意図を示したものである」(二〇ページ)。
 本来の『エンチクロペディー』はこの「綱要」のみです。しかしテキストでは、例えば三節六五ページの中央に一段下げて印刷された部分があり、これは後にヘーゲル自身が第二版の大幅改訂をした際、「注解」として書き加えたものです。さらに、例えば一九節九七ページには、「補遺一」という箇所があります。この「補遺」ははじめからヘーゲルの書物にあったものではなく、「ヘーゲルの死後、全集が刊行されたとき、ヘーゲルの弟子ヘンニングがヘーゲルの講義のノートから選択して、附加したもの」(四ページ)です。補遺はヘーゲルのものではないから信頼できないとの疑念があるかもしれません。しかしベルリン大学教授だったヘンニングは、他に受講したホトおよびミヘレット教授などのノートをも参照して作成しているところから、「内的な忠実さを保ち信頼に足るもの」(一一ページ)であり、編者として「許される限界を越えなかった」(同)と語っているので、概ねヘーゲルの言葉としてとらえてよいだろうと思われます。エンゲルスも「補遺」のついた『小論理学』を読むようすすめています(全集㊳一六九ページ)。それにしても、ヘーゲルの講義を同僚である同じベルリン大学の教授たちが受講したというところに、ヘーゲル哲学の当時の権威をみる思いがします。

弁証法による哲学の革新

 ヘーゲルは、『エンチクロペディー』で哲学を内容・形式ともにこれまでの哲学と全く異なる弁証法的なものに革新しようとしました。
 「本書の叙述は……それが唯一の真実な、内容と同一な方法であることが認められることを私が期待しているような方法にしたがって哲学を革新しようとするのである」(二〇ページ)。
 自分の哲学は、内容においても「唯一の真実な、内容」を探究したものであるが、形式においても内容と同様に「唯一の真実な」方法がとられているというのです。
 ではこれまでの哲学のどこに問題があったのか。まず方法論についていえば、「今日では普通となっているやり方というのは、まず一つの図式を前提してこの図式でさまざまな材料を、諸科学でなされると同様に外面的に、そして一層勝手に切りもりし、そして偶然的で勝手な結合をもって概念の必然性を満足させたと主張するやり方である」(二一ページ)。
 ヘーゲルは、思惟・思考の根本形式を論じる哲学について、他の諸科学と違って前提をもたない点に特徴があると考えています。生物学の場合には生物という前提が、経済学の場合には経済という前提がありますが、哲学にはそれがありません。したがってあれこれの「一つの図式」から出発することは許されないのです。
 それと同時に、哲学を体系的に展開するにあたって、勝手な思いつきで材料を切りきざんだり、結合したりするのでは、その体系は偶然的なものにすぎず、必然的な真理をとらえた体系にはなりえません。
 では何から出発し、どのように展開すべきなのか、そこにヘーゲル哲学の工夫があり、これから詳しくみていくことになります。一言でいうと絶対者、絶対的真理を最も単純なカテゴリーから、次第により高度で複雑なカテゴリーへと弁証法的に発展させていくという「萌芽からの発展」の形式で「論理学」は構成されています。
 マルクスはヘーゲルに学んで、資本主義の富の基本形態である商品から出発し、その弁証法的発展をつうじて資本主義の没落の必然性までを『資本論』で明らかにしていきました。
 それはちょうどかれた種が芽を出し、葉を出し、花をつけ実をみのらせるような、自分の限界を一つひとつ乗り越え、一方で自己同一性を保ちつつ、他方で自己否定をくり返しながら一本の大木に成長するような発展であるところから、「萌芽からの発展」とよんでいるのです。ヘーゲルが「ひたすら概念によって行われる媒介でなければならない移行」(同)といっているのも、一つのカテゴリーから次のカテゴリーへの移行は、そのカテゴリーの限界を明らかにし、限界をのりこえて次のカテゴリーに移行するという弁証法的な必然的移行でなければならない、との趣旨なのです。
 次に内容の問題についていうと、ヘーゲルは、これまでの哲学には「二つの方向」(同)の問題があったと指摘しています。一つは、「新しい時代の血気」(二二ページ)ともいうべき「思想の冒険に乗り出し」(二一ページ)、「気まぐれな結合と無理なこじつけを弄する機智」(同)にもとづく内容をとなえるものであり、もう一つは「利口ぶった懐疑論や理性を過小評価する批判主義」(同)です。
 前者はルソーの主権在民論を意味しています。「新しい時代の血気」とはフランス革命を指しており、ヘーゲルはフランス革命における自由の精神は賛美しつつも、主権在民論は恐怖政治を招いたとして「狂気の沙汰」(二一ページ)とよんでいるのです。後者はカントの批判哲学とその影響下にあったヘーゲルの論敵フリースを指しているものと思われます。
 「精神のこの二つの方向はかなりながい間ドイツ的な真摯を愚弄し、その深い哲学的要求をつかれさせたので、その結果学問的な哲学にたいする無関心、否軽侮さえ生じ、ついには……理性的認識を僭越にも哲学に拒んでもかまわないとさえ考えるにいたったのである」(二一~二二ページ)。
 とりわけヘーゲルが語気鋭く批判するのは、カントとフリースの真理は認識しえないとする不可知論です。
 「もう一つの現象はこれより質がわるい。なぜなら、それは、その衰退と無気力とが見えすいているのに、それを、あらゆる世紀の哲学的精神を非難するほどの自惚をもっておおいかくそうとしているからである」(二二ページ)。
 では、「ドイツ的な真摯を愚弄」するこれら二つの方向を克服し、哲学の革新を実現するためには、何が必要とされているのか。それは、理性に無限の信頼を寄せ、理性による真理の探究に限界はないことを確信し、真理を内容とする論理学を確立することです。いうまでもなく、それはヘーゲルの弁証法的論理学で実現されることになるのです。真理を認識しようとする「哲学的関心」(同)は、「理性的洞察の進んでやまぬ内的衝動を証明」(二二~二三ページ)するものにほかなりません。
 「真理の認識にたいするこうした関心に、それを満足させる一つの手引あるいは寄与を与えることを目的として、私はこの試みを捧げる」(二三ページ)。
 ヘーゲルは、なぜ自分の哲学がその内容において真理を認識しえたのかは説明していませんが、一面的誤謬から解き放たれ、統体性という真理を認識しうる弁証法を駆使した内容となっているからにほかなりません。いわば、ヘーゲルの「哲学の革新」は方法・内容ともに弁証法を縦横に使うことによって実現されることになるのです。
 最後に一言。第一版、第二版、第三版への「序文」と「エンチクロペディーへの序論」は、論理学、自然哲学、精神哲学を含む『エンチクロペディー』全体にかかわる「序文」「序論」であり、『小論理学』へのものではありません。
 『小論理学』は、一九節の「予備概念」から始まっています。