2008年8月20日 講義

 

 

第3講 「第2版への序文」
    「第3版への序文」

 

1.「第2版への序文」

① 第2版の意図

● 第1版から10年経過した(1827.5)

● 改訂の真意

 ・プロイセン国家の反動化のもとで革命の哲学を一層慎重に覆い隠す必要上
  からの大幅改訂

 ・「ヘーゲルの挨拶」にみられるような熱い息吹は姿を消す

 ・国家、社会の問題が消え、もっぱら哲学と宗教の関係を論じる

 ・しかし反面ではより論理を重要とし、宗教をつうじて弁証法の深い論理を
  展開している

● 表面的な改訂の意図

・形式面——堅苦しさを和らげ、注釈を増やす

・内容面——形而上学に対する弁証法、悟性にたいする理性を示す

・悟性——事物の固定性、一面性をとらえる能力

・理性——事物を全面的、統体としてとらえる能力


② 哲学は対立物の統一による「真理の学的認識」

●「真理の学的認識」(25ページ)

 ・対立物の統一という「方法のみが思想を制御し、真理へ導」(同)く

● ︎哲学は、諸科学や宗教「から学び、それらによって自己を力づける」
 (26ページ)

 ・諸科学、宗教のなかの悟性的真理を対立物の統一の理性的真理としてとら
  えようとするもの

 ・「無批判的な悟性」(28ページ)は、逆に弁証法を批判して哲学と対立

● 悟性はヘーゲル哲学を「同一性の哲学」(29ページ)と批判

 ・弁証法的な対立物の統一を、対立するものをすべて同一とする(善と悪、
  主観と客観、有限と無限の同一)と酷評

 ・「悟性の手にかかると理念の統一性は抽象的な、精神のない同一性とされ
  てしまい、そこには区別はなくてあらゆるものが一つとなり、善と悪も同
  じものになってしまう」(29ページ)

 ・対立物の統一は、区別をうちに含んだ統一


③「同一性の哲学」とされることへの批判︎

● 彼らは「スピノザの哲学のうちには本来善悪の差別がない」(31ページ)と
 いう

● スピノザは神(自然)を唯一「実体」とし、広がり(物質)と思考(精神)
 を神(自然)の「属性」と考えた

 ・人間という「様態」は「属性」のあらわれであり、実体である神の必然性
  によって規定

 ・したがって人間の自由意志は否定されるという決定論に立つ——したがっ
  て「善悪の差別がない」との批判を浴びる

 ・しかし、その決定論は、必然性を前提とする自由としての決定論
  →自由と必然の統一に道をひらいた

● ヘーゲルの反論

 ・スピノザは、神と人間とを区別——神は「善そのもの」だが、人間は「本
  質的に善悪の区別として存在する」(同)

 ・さらにスピノザは、必然性を前提とする自由の見地から「悪や、感情や、
  ......人間に自由」(32ページ)を論じている


④トルックの「自由と必然の統一」批判

● トルックは人間の意志に関する自由と必然の対立を止揚しようとした

 ・決定論——神が「根本原因」であり「私の自由な行為というものは迷妄」
  (33ページ)——道徳的基準も絶対に真実ではなく「善と悪とは等しい」
  (同)

 ・自由論——「個人の絶対的独立」(同)絶対的自由意志を肯定

 ・トルックは、この「二者択一的な対立」を「無差別の根本存在」=神に
  よって否定しようとする

● ヘーゲルのトルック批判

 ・トルックの止揚は「全く一面的なもののうち(神——高村)での一面的な
  ものの否定」(34ページ)

 ・「二つの一面性のいずれも正しくないのだということは考えてもみないよ
  うな人は、どんなに深い感情を持っているにせよ、哲学については何も言
  わない方がいいのである」(33ページ)

 ・トルックの「深い感情」は叡智に近づいているがまだ叡智ではない—— 叡
  智の根本思想は「贖罪(Versöshung)」(34ページ)にある(自然状態
  —— 原罪——贖罪という否定の否定による統一)

 ・贖罪は「思弁的理念と同一」(同)だが、トルックはそれを「罪の自然的
  な罰」(41ページ)ととらえるのみ


⑤ トルックの三位一体説批判

● 三位一体説

 ・神(父)、キリスト(子)、聖霊(両者の統一)を一体とするもの

 ・「最も聖なる教義」(40ページ)、「信仰箇条として信仰そのものの主要
  な内容」(同)

 ・弁証法の根本原理(肯定——否定——肯定と否定の統一)を示すもの

● トルックの三位一体説

 ・三位一体説は「決して、信仰を基礎づける土台ではない」(同)

 ・「キリストが復活して父なる神の右に高められることにも、聖霊の降臨に
  も言及せず」


⑥ 哲学と宗教

● 宗教はすべての人のとらえうる真理を問題とするのに対し、哲学は「真理を
 意識する特殊な仕方」(37ページ)

 ・「哲学は宗教を自己のうちに含んでいる」(38ページ)

 ・宗教は「客観的真理」を信仰の一面性でとらえようとする

 ・これに対し「学的認識」(37ページ)は、弁証法の形式により「精神のう
  ちに脈打つ理念の生命」という根本的真理をとらえる

 ・哲学は「深い思弁的な精神をもってそれらの内容に明確な学問的栄誉を与
  える」(43〜43ページ)

● 「ドイツの哲学者」(44ページ)ヤコーブ・ベーメ(1575〜1624)は三位
 一体説の意義を読み解き、「理性の最高の諸問題を考察」(同)した

● ︎ 哲学は宗教における「真理の諸形態」(47ページ)のうちに「理念を発見」
 (同)する


⑦ 現代哲学の課題

● かつて「秘儀として啓示されていたもの」(48ページ)を「思惟そのものに
 おいて啓示」(同)

● 例えばグノーシス派は、始元——啓示——始元への還帰という弁証法的構造
 をもつ

● プラトン、アリストテレスの「理念の形態」(49ページ)を思想のうちに明
 らかにすることは「哲学そのものの進歩をも意味する」(同)

● ヘーゲルは自分の哲学を「絶対的イデアリズム」と呼んでいる

 

2.「第3版への序文」


① ヘーゲル哲学批判への批判

●『エンチクロペディー』は「最も真面目な態度をもって仕上げられた著作」
 (50ページ)

● これに対して、「悪意と無知」(51ページ)の批判

 ・その代表例として、宗教論争


② 宗教論争と哲学

● 宗教論争は「哲学の地盤に足をふみ入れ」(51ページ)ることのない「空し
 いもの」(同)

 ・一方の側に「信心を自惚れて攻撃する側」

 ・他方の側に「自由な理性を自惚れる側」

● 前者の例——ダンテの『神曲』(52ページ)

 ・いたるところで聖書の言葉を引用し、法王の聖職売買などの腐敗堕落を批
  判

 ・ヘーゲルは、「許すべからざる僭越」(同)と批判——「博識はまだ学問
  でな」(53ページ)く「信仰そのものはまだ真理そのものではない」(53
  〜54ページ)

 ・重要なことは、聖書の「教義を発展させ、(哲学として——高村)完成す
  ること」(53ページ)

● 後者の例——「啓蒙神学」(55ページ)

 ・フランス啓蒙思想は宗教批判にはじまる

 ・専制君主が法王などと結託して民衆をだまして支配するために信仰を押し
  つけるものとして批判——教義に反する異端への迫害に反対して信仰の自
  由を主張、理性に矛盾する教義を迷信にすぎないと批判

 ・ヘーゲルは、啓蒙神学を「消極的形式」と批判——宗教的迷信や宗教を圧
  政に利用することへの批判は正しいが、宗教のもつ積極的な内容を哲学的
  に解明しようとしない

● 哲学がこんな宗教論争に巻き込まれなかったのは喜ぶべきこと


③「認識は最善のもの」

● いまや哲学の研究は、宗教的権威から自由となり、真理を探究しうる状況に
 なっている

● アリストテレス——「認識が至福のものであり、善のうちで最善のものであ
 る」(57ページ)

●「その研究が深く根本的であるほど、それは自己を友として孤独であり、外
 に向かっては言葉少ないものである」

 ・真理を探究するうえで自分自身が最大の批判者という意味で「自己を友」

 ・「真面目な人間はながい困難な研究によってのみ展開されうる大きな内容
  のためには、静かな研究を続けながらながい間そのうちへ沈潜する」(同)