2008年9月3日 講義

 

 

第4講 「エンチクロペディーへの序論」①

 

1.「エンチクロペディーへの序論」の
   主題と構成

●「エンチクロペディー」への序論

 ・全体についての序論

 ・ヘーゲル哲学とは何か、他の学問との関係、なぜ3部構成か、などの根本
  問題が論じられている

● 大きく4つに分かれる

 ① ヘーゲル哲学とは何か(1~6節)

 ② ヘーゲル哲学と諸科学との同一と区別(7~9節)

 ③ 思惟の本性(10~12節)

 ④ 哲学の歴史と哲学の体系(13~18節)

 

2.ヘーゲル哲学とは何か

1節 ── 哲学は真理を対象とする

● 哲学は真理を対象とする

 ・世界に存在するすべてのものの真理を対象

 ・有限な自然、無限な精神、両者の相互関係の真理

● 哲学は、真理を「承認されたものとして前提したり」(61ページ)真理認
 識の方法を前提にもたない

● 真理は、思惟によってとらえられる

 ・真理は、表象として「識っている」(61ページ)だけでは不十分

 ・表象による真理を思惟によって考察して、真理の「内容の必然性」(61ペ
  ージ)と真理の「存在をも証明」(同)していくことにする

● そこに「はじめを作ることの困難さが生じてくる」(62ページ)


2節 ── 哲学は思惟の「独自の様式」

● 思惟によって真理をとらえるためには、まず思惟とは何かが考察されねば
 ならない

● 哲学とは「対象を思惟によって考察すること」(62ページ)

 ・「思惟はあらゆる人間的なもののうちに働いている」(同)

● 思惟一般と哲学的思惟との同一と区別

 ・「宗教や法律や人倫」(63ページ)および哲学には「思惟一般が働いてい
  る」(同)

● しかし、思惟には、「感情、直観、表象」という形式と、「思想」という
 形式がある ── 宗教、法律、人倫は前者に、哲学は後者に

 ・したがって「哲学は、思惟の一つの独自の形式」

● 宗教的感情と哲学との対立

 ・宗教的感情は、「追思惟」(同)が信仰に到達する唯一の道だとしている
  として哲学を非難

 ・なるほど哲学は、追思惟(思想そのものを内容とし、それを意識にもたら
  す反省)により、思想に到達する

 ・しかし信仰に到達するには、宗教的感情で十分であることを認める

 ・宗教も哲学も思惟にもとづくものであって、「敵対的」となる理由なし


3節 ── 哲学は表象をカテゴリー・概念に変える

● 思惟の内容となるものは、世界のすべての事物という「同一のもの」(65
 ページ)

 ・内容は同一だが、形式は多様

● 表象

 ・感情、直観、欲求、意志等々は表象

 ・意識のなかにおいて、対象を保存し、イメージとして再生したものが表象

●「哲学は表象を思想やカテゴリーに、より正確に言えば概念に変えるも
 の」(65ページ)

 ・哲学は表象を思想によってカテゴリーや概念(事物の真の姿または真にあ
  るべき姿)に変える

 ・カテゴリーや概念は、抽象化、理論化された思考形式

● 哲学が分かりにくい2つの理由

 ① 感性的素材をぬぎすてた「純粋な思想」(同)

 ② 抽象的なものを「表象の形で思い浮かべようとする」(66ページ)

 ・「概念が問題となっている場合には、概念そのもの以外の何ものをも考え
  るべきではない」(同)


4節 ── 哲学は「特有の認識方法」により、
     真理認識の力をもつことを証明する

●「哲学には哲学特有の認識方法が必要」(同)

 ・表象の形式を思想の形式にかえるには、哲学特有の認識方法が必要

 ・それが9節で議論される

● 哲学は「特有の認識方法」により、真理を「認識する力を持っていること
 を証明」(66, 67ページ)する

 ・その認識能力を哲学にもたらすのが、「もっとも広い意味での必然性」(
  75ページ)をとらえる弁証法


5節 ── 哲学には学習や努力が必要

● 哲学は思惟によって「事物や出来事、さらに感情や直観や、意見や表象の
 真理を知る」(同)

● 誰でも思惟能力を持っているからといって哲学できるわけではない

 ・弁証法の根本原理としての「対立物の統一」には豊かな内容あり

 ・哲学にも研究、学習、努力が必要


6節 ── 哲学の内容は現実

● 6節はヘーゲル哲学の根本思想を示すもの

● 哲学の内容は「意識の外的および内的世界」(68ページ)

 ・世界のすべての事物についての真理を対象とする

●「一口に言えば、哲学の内容は現実である」(同)

 ・「現実」とは存在するすべてのもののうち真に存在するもの

 ・一時的で偶然的なものは「現実という名には値しない」(同)

 ・定有、現存在、現実性を区別 ── 現実性とは本質のあらわれとしての必
  然的な現存在

● 真理は「現実および経験と必ず一致せねばならない」(同)

 ・「哲学の最高の究極目的」(69ページ)は「自覚的理性と存在する理性す
  なわち現実との調和を作り出すこと」(同)── 理想と現実の統一

 ・ここに高い理想をかかげて現実を変革しようとするヘーゲル哲学の革命的
  立場がある

●「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」(『法の
 哲学』序文)

 ・エンゲルス「頭の悪い諸政府の感謝と同じように頭の悪い自由主義者たち
  の怒りとをまねいた」(『フォイエルバッハ論』)

 ・正しい理想は必然的に現実性に転化し、他方真にその名に値する現実のな
  かには正しい理想が潜在的に含まれているという意味

● 理性的なものの現実性を否定する2つの例

 ① 「理念や理想は幻想にすぎ」(70ページ)ない ── 哲学は「幻想の体系」

 ② 「理念や理想は現実」(同)に転化しえない
   →理想と現実とを「切りはなす」(同)のは悟性的な考え
   →理想と現実は統一されなければならない(それのみが真理)

●「哲学はただ理念をのみ取扱うものであるが、しかもこの理念は、単にゾ
 レンにとどまって現実的でないほど無力なものではない」

 ・ゾレン=当為、まさにかくあるべし

 ・カントの「観念的イデアリスムス」を批判したもの

 

3.ヘーゲル哲学と経験諸科学との同一と区別

7節 ── 哲学と経験諸科学との同一

● ルネッサンス、宗教改革が近代自然科学の発展をもたらす

 ・「近代において再び思惟が独立」(71ページ)

 ・思惟は「現象界の一見無秩序ともみえる無限の素材へ」(同)

 ・経験諸科学は経験をつうじて無秩序のうちから「法則、普遍的な命題、理
  論」(72ページ)など「現存するものの思想」(同)を取り出す

● 経験諸科学は哲学と呼ばれた


8節 ── 哲学と経験諸科学の区別①

● 経験諸科学には「自由、精神、神というような対象」(74ページ)が含ま
 れない

 ・それらは無限にして自由な精神から生まれたものであって「内容から言っ
  て無限なもの」である

● 思弁哲学は、「感覚、経験のうちになかった何ものも思惟のうちにはない
 」という命題と同時に「思惟のうちになかった何ものも感覚のうちにはな
 い」との命題をも主張する

 ・前者は「人が或る内容を受け入れ信ずるには自分自身がそれに接していな
  ければならない」(71ページ)という「経験の原理」(同)を示すもの
   ── 経験的諸科学の領域

 ・後者は「精神が世界の原因である」(74ページ)ことを示すもの ── 哲
  学の領域(法律、道徳、宗教は、「ただ思惟のうちにのみその根と場所」
  〔75ページ〕を持つ領域)


9節 ── 哲学と経験諸科学の区別 ②

● 哲学は、「最も広い意味での必然性」(75ページ)を求める

 ・「最も広い意味での必然性」をとらえるのが弁証法

 ・必然性のもっとも根本的な形式は、対立物の統一(対立するものは、互い
  に「固有の他者を持つ一つの関係という必然性のうちにある)

● 経験諸科学は「必然性の形式を満足させない」(同)

 ① 抽象的普遍をとりあげるのみ ── 普遍と特殊を分離、対立のうちに放置
  し、普遍と特殊の統一としての具体的普遍をとりあげず

 ② 「直接的なもの、与えられたもの、前提されたもの」からはじめる

 ・「前提されたもの」が必然的かどうか吟味せず

● ヘーゲル哲学は経験諸科学と「共通な諸形式のほかになお独自の諸形式」
 (同)をもつ

 ・「この独自の諸形式の普遍的な形式は概念」(同)

 ・事物の真の姿または真にあるべき姿としての概念は、事物の「必然性の形
  式」をとらえるもの

● ヘーゲル哲学と経験諸科学との関係

 ・思弁的論理学は、「経験的な諸科学からえた諸カテゴリーのうちへ」(76
  ページ)概念(真の姿、真にあるべき姿)という「他のカテゴリーを導き
  入れかつ使用する」(同)

●「思弁的な論理学は、以前の論理学および形而上学を含み、同じ思惟形式、
 法則、および対象を保存するものであるが、しかし同時により進んだ諸カ
 テゴリーをもってこれらのカテゴリーを発展させ、変形するのである」(
 同)

 ・ヘーゲル論理学は、形式論理学を包摂し、それを発展させる

●「思弁的意味での概念と普通に概念と呼ばれているものとは区別されなけ
 ればならない」(同)

 ・普通の概念 ── 事物の共通性を取り出した抽象的普遍

 ・ヘーゲルの概念 ── 事物の真の姿という普遍でありながら自らを特殊化
  する具体的普遍