2008年9月17日 講義
第5講 「エンチクロペディーへの序論」②
1.思惟の本性
10節 ── 思惟は真理を認識する能力をもっているか
● 弁証法は「絶対的な対象を認識する能力を持っている」(76ページ)こと
を立証しなければならない
・この洞察は「それ自身哲学的認識」(同)
・前もって説明することは「非哲学的な説明とならざるをえない」(同)
● カント哲学の主眼点は「認識にとりかかる前にまず認識能力そのものを吟
味」(77ページ)しようというもの
・「非常に大きな讃歎と同意」(同)
・「しかし認識作用の吟味ということは、認識しながらでなければ不可能」
(同)
● ラインホルトは「仮定的な蓋然的な哲学思惟からはじめ」て、いつかは「
本源的真理へ」(78ページ)
・「暫定的な命題」(同)から始めることは正しい
・しかし、「一つの円」(85ページ)となっていないので「不十分」(78ペ
ージ)
11節 ── 思惟の本性は弁証法
● 思惟が真理を認識しようとすれば、弁証法的にならざるをえない
● 哲学の要求は、思惟を思惟することにある
・「精神は、言葉の最も深い意味において、自分自身へ帰る」(78ページ)
・思惟するとは「矛盾にまきこまれる」(同)こと
・思惟は「思惟そのもののうちでそれ自身の矛盾の解決をなしとげる」(79
ページ)
●「思惟の本性そのものが弁証法」(同)
・矛盾の解決を絶望しないかぎり、真理に到達しうる
・絶望さえしなければ「思惟の嫌悪におちいる必要も」(同)、「自分自身
にたいして反駁的な態度をとる必要もない」(同)
12節 ── 革命の哲学
● 本節はヘーゲル哲学の本質が革命の哲学であることを明らかにした箇所
● 精神が「自分自身へ帰る」出発点が経験
・思惟は、「経験に刺激されて」(79ページ)帰納的意識に達し、次いでこ
れを越えて「自己自らの純粋な境地」(同)に高まる
・「出発点から遠ざかりそれを否定する」(同)
── 現にあるものを否定し、「真にあるべき姿」(概念)に到達する
・思惟は「理念(絶対者、神)」(同)のうちに「満足を見出す」(80ペー
ジ)
● 経験的諸科学は、現にある多様なもの、偶然的なものを「必然にまで高め
ようとする」(同)
● 哲学は「経験的諸科学の豊かな内容をあるがままに受け入れる」(同)
が、同時に「事柄そのものの必然にしたがってあらわれ出る」(同)理
念の形態を与える
・経験から出発して「真にあるべき姿」に到達し、ついでこの認識にもとづ
いて客観世界を変革する
● 意識は直接性と媒介性の統一
・超感覚的なものにかんする知識は「否定と高揚を通じて自己にその独立を
与える」(81ページ)
・思惟はその起源を経験に負いながら、これを否定するものとして「忘恩的
」(同)
・自己のうちにへ帰った思惟は「媒介された直接態」(同)として、「自己
安住」(同)する
・しかし「理念の普遍性から一歩も進まないならば、それは当然公式主義」
(同)
● 哲学の発展は、2つの意味で経験に負う(82ページ)
1)経験的諸科学は、哲学のために材料を作り出す
2)経験的諸科学は、思惟が独自の規定(概念、理念)へ進むことを強要す
る
● 哲学はその発展を経験に負いながらも「事実をして思惟の本源的な、かつ
完全に独立的な活動の表現および模倣たらしめる」(同)
→思惟の自由な産物
である「真にあるべき姿」によって事実を変革する。
ヘーゲル哲学が革命の哲学であることの婉曲の表現
2.哲学の歴史と哲学の体系
13節 ── 哲学の歴史は認識発展の歴史
● 哲学者を年代順にならべた哲学史は「外面的な歴史」(同)にすぎない
・外面的 ── 関連性のないものを外側から結合。「もまた」(105ページ)
の結合
●「さまざまの哲学体系は、発展段階を異にする一つの(理念の)哲学」(
83ページ)
・内面的な歴史を理念においてとらえるもの
・論理的なものと歴史的なものの対応
●「最後の哲学」(同)は「最も発展した、最も豊富な、最も具体的な哲学
」(同)
・哲学の歴史は真理認識の発展の歴史
・ヘーゲル哲学が「最後の哲学」
● 普遍的哲学と特殊的哲学とを区別しなければならない
・理念の普遍的な哲学は幹、特殊的哲学は一つの枝
14節 ── 哲学は必然的に体系でなければならない
● 哲学も真理認識の発展の体系でなければならない
・ヘーゲル哲学は、あらゆる特殊な諸原理を内含む完全な普遍性として「理
念そのもの」(84ページ)(具体的普遍)── 普遍と個別の統一
・「絶対者の学は必然的に体系でなければならない」(同)
・「自己のうちで自己を展開しながらも、自己を統一へと集中し自己を統一
のうちに保持する」(同)── 統体としてのみ存在する
・『資本論』── 「一つの芸術的な全体」
● 非体系的思惟は、単に主観的であり、偶然的なものにすぎない
15節 ── 哲学の体系は1つの円
●『エンチクロペディー』の論理学、自然哲学、精神哲学の各々は、いずれ
も1つの「完結した円」(85ページ)(理念の学)という体系
・端初から始まり端初にかえる
・各々の円は、理念の「特殊の規定性」(同)をなす
●『エンチクロペディー』は、3つの理念の円からなる1つの理念の円
16節 ──『エンチクロペディー』は「真に1つの学」
(86ページ)
● ヘーゲル哲学は「多くの特殊な学からなる一つの全体」(同)
・外面的な統一に対する理念による内面的統一
・偶然的なものに対する必然的なもの
● ヘーゲル哲学は「現実」のみを対象とする
・「単なる知識のよせ集め」(同)、「実証的な」学問は排除
・「外面的で偶然的な事情」(88ページ)のなかに概念、理念がつらぬいて
いる学問のみが対象となる
17節 ── 哲学は端初を哲学によって把握する
● 哲学は「一つの円」(85ページ)であり端初をもたない
・哲学の端初は、単に主観的なもの
・哲学の最初の概念は「哲学そのものによって把握されねばならない」(89
ページ)──「自己へ帰り満足を見出す」(同)
18節 ── 哲学の区分は理念の区分
● 哲学の全体は「理念を表現」(同)
●「哲学の区分もまた理念からのみはじめて理解しうる」(同)
● 3つの構成部分
・論理学 ──「即自かつ対自的な理念の学」(90ページ)
・自然哲学 ──「本来の姿を失った姿における理念の学」(同)
・精神哲学 ──「自己のうちへ帰る理念の学」(同)
● エンゲルスの批判
・事物とその発展は「理念の現実化された模写」(特に論理から自然哲学へ
の移行をとらえての批判)
・自然が全一的な一つの体系をなしていることを示すもの
・「世界の現実の統一性はそれの物質性にある」(全集⑳ 43ページ)とほ
ぼ同義
● この区分は同時に「流動的」(90ページ)
・「三重の推理」
・区分は「静止的なもの」(同)「並置」(同)されたものと考える正しく
ない点がある
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