2008年10月15日 講義

 

 

第7講 予備概念 ②
    客観的思想とは何か

 

1.反省は事物の真の姿をとらえる

22節、同補遺 ── 反省は直接的なものを改造して真の姿に
          達する

● 反省は表象に変化をもたらす

 ・事物のうちの「本質的なもの、真なるもの、客観的なもの」(112ページ
  )を取り出す

 ・直接的なものの改造により「事物と思想との一致」(113ページ)を実現

●カントの不可知論批判

 ・カントは「思惟の産物と事物そのものとの間に区別」(同)

 ・カントによれば客観的真理は存在しないことになる

 ・しかし人々は「思想と事物との一致を固く信じて」(同)いる

●哲学の仕事は人々の「信じていたことをはっきり意識にもたらすこと」
 (114ページ)

 ・「客観そのものが、思惟されたとおりのものであるということ」(同)

 ・「思惟は対象的なものの真理であるということ」(同)


23節 ── 真理の認識は自由な精神の所産

● 真理の認識は私の「精神の所産」「自由の所産」

 ・真理の認識は「私の精神の所産」(同)
  ── 精神は自由だから「自由の所産」(同)

 ・「内容から言えば、実在(事物そのもの、Sache)とその諸規定のう
  ちにのみありながらも、主観からいえば、無規定な自己安住」(115ペー
  ジ)

 ・真理の認識とは、事物そのもののうちへ「沈潜」(同)しながらも「主観
  の特殊性から解放された」(同)自由によりとらえられるもの

● 品位ある態度

 ・「個人的な意見をすてて、事物そのものを自己のうちに君臨させる」(同)

 

2.客観的思想とは何か

24節 ── 論理学は客観的思想の学

● 客観的思想

 ・客観的思想とは、自由な思惟(主観)が事物そのもの(客観)をとらえる
  こと

 ・言いかえると客観的思想とは、主観と客観の一致としての絶対的真理

● 論理学は形而上学と一致する

 ・どちらも「思想のうちに把握された事物の学」(116ページ)

 ・どちらも「思想は事物の本質的諸規定」(同)と考えている

● 概念は「事物と無関係」(同)ではありえない

 ・思想は概念を作り出す

 ・思惟は、事物のうちにおける普遍的なものを生みだすが「普遍的なものは
  それ自身概念のモメントの一つ」(概念=具体的普遍=普遍、特殊、個別
  の三位一体)

 ・したがって概念は「事物と無関係な規定や関係から成っているはずがない
  」(同)

●「世界には悟性や理性がある」(同)とは「世界には客観的思想がある」
 ということ


24節補遺1 ── 論理学は客観的思想をカテゴリーとして
         とらえたもの

● 客観的思想(思惟規定)が「世界の内面をなしている」(同)

 ・「自然は意識のない思想の体系」(同)「硬化した叡智」(117ページ)

 ・論理学は「思惟規定の体系」(同)として、主観と客観の一致としての客
  観的思想をとらえるもの

●「ヌースが世界を支配している」(同)「世界のうちには理性がある」

 ・客観世界は法則性、必然性に支配される統一体であり、このなかの一切の
  普遍的なもの(本質、類、法則、概念)を取り出したものが論理学

 ・「理性」が「世界の最も内面的な本性であり、普遍である」(同)

● 世界の理性を思惟の理性でとらえたものがカテゴリー

● 思惟は「外的な事物の実体をなすとともに精神的なものの普遍的実体」

 ・思惟は「真の普遍者」(118ページ)として「あらゆる自然的なものおよ
  び精神的なもの」(同)の「一切の根柢」(同)

● 主観的意味の思惟

 ・思惟は「あらゆる表象、記憶、意志、願望等々」(同)のうちにある「普
  遍的なもの」(同)

 ・動物は個別的なものを感じないにすぎないが、人間は思惟することによっ
  て「普遍的なものを自覚する」(同)

 ・人間は自己を二重化し、「普遍者」(119ページ)としての「私」を知る

 ・「人間はどんなものを考察する場合でも、それを常に普遍的なものとして
  考察している」(同)

● 表象は、内容、形式のいずれかが感性的

 ・「内容は思想、形式は表象」(怒、バラ、希望)── 普遍的内容を思想と
  して言いあらわしている

 ・「形式は思想、内容は表象」(神)
  →いずれも「純粋な思想」(120ページ)ではない


24節補遺2 ── 諸カテゴリーはすべての事物の真の姿、
         真にあるべき姿

● 論理学が扱うのは「純粋な思想」(同)、「純粋な思惟規定」(同)

 ・「純粋な思想」とは内容、形式ともの思想

 ・「思惟そのものに属し、思惟そのものによって生みだされた内容」(121
  ページ)のみをその内容とする

 ・個人的特殊性から解放された自由な思惟により、「事柄(事物)そのもの
  」のうちへ沈潜する

● 自然哲学、精神哲学は「応用論理学」

 ・論理学は「それらに生命を与える魂をなす」(同)

 ・自然哲学、精神哲学は論理学の「特殊な表現様式」(同)

● ヘーゲル論理学は、形式と内容の統一

 ・思惟諸規定(カテゴリー)は思惟形式ではあるが内容をもち「真理を問題
  」(123ページ)にしうる

 ・カテゴリーはすべてのものに生命を与える「絶対的根拠」(同)

 

3.ヘーゲル哲学はドイツ政治革命への道ならし

真理とは何か

● 真理とは何か

 ・普通には「対象と表象の一致」(対象に一致する認識)と解されている

 ・哲学的真理とは「事物の本性あるいは概念」と「事物の存在」(124ペー
  ジ)との一致。「概念と実在との真の一致」

 ・事物の真の姿の実現「悪い国家」を「真の国家」に変革

● 論理学の課題は「自分自身との一致」(125ページ)という意味における
 真理を研究すること(概念は事物の真の姿として事物自身)

 ・論理学の仕事は「思惟諸規定がどの程度まで真理をとらえうるかを研究す
  ることにある」(同)

 ・「どのような形式が無限なものの形式であり、どのような形式が有限なも
  のの形式であるか」(同)の研究


ドイツ古典哲学の革命性

●ドイツ古典哲学は「フランス革命のドイツ的理論」(全集① 93ページ)

 ・カントからヘーゲルへのドイツ古典哲学は、観念論から唯物論への転換の
  道程

 ・フィヒテ ── 理想から現実へ シェリング――現実から理想へ
  ヘーゲル ── 理想と現実の統一

● ヘーゲルはドイツ古典哲学を完成させ、ドイツ的政治革命への道ならしと
 なった

 ・エンゲルス ── ヘーゲル哲学の「革命的性格は絶対的」(全集㉑ 272ペ
  ージ)

 ・ヘーゲル哲学の本質はその「革命的性格にある」

 

4.弁証法は真理認識の形式

24節補遺3 ── 弁証法は「認識の最も完全な方法」(126ページ)

● 有限な形式から無限な形式へ

 ・経験(自然的統一)、反省(分裂)、思惟(統一への復帰)

 ・思惟の形式のうちに「真理はその真の姿をもってあらわれる」(126ペー
  ジ)

● 経験にもとづく「直接知」(127ページ)「自然的統一」(同)の立場
 ── 自然的信仰など

● 反省的認識 ──「普遍的な分離の立場」(同)

 ・「古代の偉大な懐疑論」(126ページ)

 ・堕罪の神話は「無邪気」(128ページ)な「直接的状態」(同)の否定

● 思惟は「分裂の立場」(同)を否定し、「統一へ復帰」(同)

 ・アダムとエバの「自然的統一」から意識の目覚めによる分裂へ(羞恥心の
  誕生)ついで衣服をまとって、分裂の克服へ

 ・人間と自然との即自的統一 ── 人間と自然との対立 ── 法則・普遍性の
  認識による人間と自然の統一→この弁証法の形式によって真理がえられる