2008年12月3日 講義

 

 

第10講 か

 

1.「B 客観にたいする思想の第2の態度」

● 客観的思想とは、主観と客観の一致を示す真理

 ・古い形而上学は、真理を認識しうると考えた

 ・しかし無限な事物を有限な悟性によってとらえようとするところに問題

● 古い形而上学への批判として、「第2の態度」としての経験論とカント哲
 学が登場

 ・経験論とカント哲学に共通するのは、無限な事物の真理は認識しえないと
  する態度

 ・ヘーゲルはこの両者を批判して、無限な事物の真理は認識しうるとする

 

2.経験論批判

37節 ── 経験論は形而上学の批判のうえに誕生

● 2つの要求が古い形而上学から経験論へと導いた

 ① 悟性の抽象的理論に満足しないで「具体的な内容」(156ページ)を要求

 ② 「確かな拠りどころ」(同)を要求

● イギリス経験論とは、ロック、バークリー、ヒューム

 ・ロック ── 生得観念を否定し、「タブラ・ラサ」を唱える

 ・真理を思想のうちに求めるのではなく、経験から取り出そうとする

● 経験は「われわれの内および外に現前している」(同)

 ① 外 ── 客観的事物を直感的に反映する

 ② 内 ── 反映した個別のなかに普遍性、必然性をとらえる


37節補遺 ── 経験論は「具体的な内容」をとらえようとする

● 内容の具体性とは対立物の統一

 ・形而上学は、対立する一方の規定である普遍(抽象的普遍)のみを真理と
  することにより、豊かな内容をとらえきれない

 ・「魂は単純である」(157ページ)── 単純性とは「きわめて貧しい規定
  」 (同)

● 具体的内容を求めて経験論に


38節 ── 経験論は真理の源泉の「確かな拠りどころ」を
      経験に求める

● 経験論は真理の源泉を経験に求める

 ・直観の内容を「普遍的な表象、命題、法則」(158ページ)へ高めはする

 ・しかし普遍的規定に「知覚から取られたもの以上の意味」を与えない

●「確かな拠りどころ」を経験に求める

 ・形而上学は、真理の拠りどころを「主観的な悟性」(158ページ)に求め
  る

 ・経験論は「真実なものは現実のうちに」(同)あるとする
  ── 唯物論的な「偉大な原理」(同)

● 経験論には自由の原理が含まれている

 ・人間が「自分の眼」で確かめたもののみが真理という意味で主体的な自由
  の原理が含まれている

● 徹底した経験論は「超感覚的なもの」(同)の真理を 否定する

 ・神、世界、魂などの真理認識の可能性を否定

 ・思惟には「形式的普遍性と形式的同一性の能力しか認めない」(159ペー
  ジ)

 ・経験論の根本的な錯覚は、形而上学的カテゴリーを無批判に用いつつ形而
  上学批判をしていること


38節補遺 ── 経験論と形而上学の比較検討

● 経験論には「本質的に正しいモメント」(159ページ)

 ・現実のもつ豊かさ、「無限の規定」をとらえようとする

 ・知覚された個々のものから、普遍的な経験へ

 ・用いる「形式」は分析→しかし分析とは「具体的なものを抽象的なものに
  変え」(160ページ)る思想の働き(経験をこえるもの)

● 経験論の「内容」は有限な世界

 ・有限な内容を有限の形式でとらえる

 ・形而上学は、無限な内容を有限な形式でとらえる

● 経験論は唯物論に発展する

 ・ヘーゲルは、唯物論のいう物質とは「1つの抽象物」(162ページ)であ
  って「知覚することができない」(同)と批判

 ・しかし、ヘーゲルも世界を自然と精神という抽象物に2分、隠れ蓑か?

● 経験論は「不自由の学説」

 ・与えられたものをそのままに受容する不自由さをもつ

 ・自由とは「絶対の他者」(同)をもたないこと


39節 ── 経験のもつ2つの要素

● 経験のもつ2つの要素

 ① 「個々ばらばらの無限に多様な素材」

 ② 「普遍性および必然性という規定」
  →②の要素により経験論は唯物論にも観念論にも

● ヒュームの懐疑論

 ・普遍性、必然性は知覚によっては証明されないという理由により、不可知
  論に

 ・法、倫理、宗教の真理性は不可知とされる

 

3.カント哲学(「批判哲学」)の批判 ⑴
  カント哲学の意義

● 形而上学や経験論の批判のうえに、人間の主観性をもとに独自の哲学をう
 ちたてる

 ・認識論としての『純粋理性批判』、いかに生きるべきかを問題とした『実
  践理性批判』、理想と現実の関係を論じた『判断力批判』の3部作

 ・現象は認識しうるが、物自体は認識しえないとする2元論

● ヘーゲルは、カント批判のうえに自己の「絶対的イデアリズム」の哲学を
 確立

 ・総括的批判(40・41節)、「純粋理性」批判(42~52節)、「実践理性
  」批判(53・54節)、「判断力」批判(55~60節)、結論(60節)

 ・批判の中心は『純粋理性批判』


40節 ── カントは普遍性、必然性を主観の産物とする

● 批判哲学は、経験を現象の認識にすぎないと考える

 ・まずカントは、経験の2つの要素を区別し、「普遍的な諸関係」(164ペ
  ージ)は、「思惟の自発性」(165ページ)に属するとする

● 普遍性、必然性の認識は、経験的事実のなかに含まれているのではなく、
 主観的認識能力によるものとする

 ・人間は、多様で無秩序な存在をカテゴリー(思惟規定)によって普遍的、
  必然的に統一する先天的能力をもつ→コペルニクス的転換

● ヒュームは普遍性、必然性が経験に由来することを証明しえないとしたの
 に対し、カントは主観に属するとした


41節 ── カテゴリーの価値の検討

● カントはカテゴリーの「価値」を検討

 ・カテゴリーの内容、相互の関係を問題とせず

 ・主観性か客観性かの面からのみ考察

● カントのいう主観性と客観性

 ・経験のもつ「感性的素材」を主観性、「普遍性、必然性」を客観性とよぶ

 ・さらに広げて、経験全体を主観性、物自体を客観性としている

● 先天的なものとしての思惟の諸形式

 (a)理論的能力、認識そのもの

 (b) 実践的理性

 (c) 反省的判断力


41節補遺1 ── カテゴリーの吟味は重要な進歩

● 批判哲学は「古い形而上学の思惟規定を検討にかけた」(166ページ)

 ・これは重要な進歩

 ・しかし、カントは「認識する以前に認識能力を吟味」(同)しようとした

 ・「吟味はそれ自身すでに、一種の認識」(167ページ)

 ・思惟規定は「自分で自分を吟味し、……自分の欠陥を指示しなければなら
  ない」(同) ── 弁証法的に考察

 ・弁証法は「思惟規定そのものに内在している」(同)

● カントの提起した問題は、「どの程度まで認識しうるかという能力を、思
 惟自身が吟味せねばならない」(167ページ)

 ・カントは古い形而上学が疑問にも思わなかったカテゴリーを吟味しようと
  した

 ・カントのように「主観的か客観的か」の観点からの吟味ではなく、もっと
  先へ進まねばならない
  →それがヘーゲルのおこなったカテゴリーの弁証法的考察


41節補遺2 ── カテゴリーの吟味方法批判

● カントはカテゴリーを主観的か客観的かの見地からのみ考察

 ・カントのいう客観性とは、「普遍的で必然的なもの」(168ページ)、主
  観性とは「単に感覚されたもの」(同)

 ・人々は通常の用法と異なると批判したが、カントが思想を「独立的で第1
  次的なもの」という意味で「客観的」とよび、感覚的知覚を「非独立的で
  第2次的なもの」という意味で「主観的」ととらえたのは正しい

 ・例えば「芸術作品の評価は客観的でなければならない」というときの客観
  性は、「普遍的な見地」(169ページ)を意味している

● 問題は、カントのいう「思惟の客観性は、結局また主観的なものにすぎな
 い」(169ページ)ことに

 ・思惟の客観性(普遍性、必然性)もまた現象の世界(主観性)に属し、物
  自体の世界(客観性)と区別されているという=主客分離の立場

 ・思想の真の客観性は思想が「われわれの思想であるだけでなく、同時に物
  および対象的なもの一般の自体であること」(同) ── つまり主客の一
  致において思想は真に客観的となる

● 客観性の3つの意味

 ① 外的存在

 ② 普遍的で必然的なもの

 ③ 「思惟によって把握された事物の本質」(169ページ)