2009年1月10日 講義

 

 

第12講 予備概念 ⑦
     カント批判 ⑶

 

『純粋理性批判』の批判(2)

● カテゴリーを無限者に用いると論理は破綻

 ・47節から52節は無限者である魂、世界、神にカテゴリーを適用すると
  どう破綻するかの具体的検討

 ・カントの形而上学批判のハイライトであると同時に、カントの不可知論を
  示すもの

● ヘーゲルはカントを批判し、無限者を認識しうることを示す


47節 ── 魂にカテゴリーを適用すると誤謬推理に

● 古い形而上学は魂の経験的諸規定にかえてそれらに対応する諸カテゴリー
 を置く

● カントは、経験的規定からカテゴリーを推論するのは誤謬推理であると批
 判

 ・感性的素材は経験そのものから生じるが、普遍性、必然性を示すカテゴリ
  ーは思惟の自発性に

 ・経験的規定は客観に属し、カテゴリーは主観に属する

 ・次元を異にする経験的規定からカテゴリーを推理するのは誤謬推理(パラ
  ロギスムス)── 推理とは、存在する或るものから「同じ仕方で存在する
  他のものへ」(191ページ)の移行

 ・ヒュームが経験的なものと思惟諸規定とは異なるとした(39節)のとお
  なじ論拠

● カントの形而上学批判の唯一の根拠は、経験的規定と思惟規定とが「全く
 同一ではない」(182ページ)というもの

 ・しかし、思惟の本性は「最初知覚に属している諸規定を思惟の諸規定に変
  えることにある」(同)

 ・問題は変化から生まれた思想が「それ自身真理を含んで」(同)いるかど
  うかにある

● カントの古い形而上学批判は正しい

 ・しかしその正しさは、誤謬推理ととらえたことにではなく、古い形而上学
  が魂をとらえたカテゴリーが「それ自身真理を含んでいない」(182ペー
  ジ)ことにある

 ・カントは「思想の内容そのものは問題にしていない」(183ページ)


47節補遺 ── ヘーゲルの「誤謬推理」批判

● パラロギスムスの「誤謬」とは「同じ言葉が異った意味に用いられるとこ
 ろにある」(同)

 ・カントも形而上学も魂を「単純なもの」ととらえる

 ・しかしカントはそれを経験的なものととらえるのに対し、形而上学は「実
  体」というカテゴリーとしてとらえている

● 単純性、普遍性という述語は「魂には適用できない」(同)

 ・その理由は「理性が自分に定められた限界を越える」(同)からではない

 ・「このような抽象的な悟性規定は魂にとってはあまりに低い規定」(同)
  だから

 ・魂は、「単純な自己同一性」(同)であると同時に「自己のうちで自己を
  区別する」(同)


48節 ── 世界にカテゴリーを適用すると矛盾におちいる

● 世界という無制約者を認識しようとすると理性はアンチノミー(矛盾)に
 相反する二つの命題が「同じ必・ 然性をもって主張」(184ページ)され
 ることに

 ・こうした矛盾におちいる世界の内容は「現象にすぎない」(同)

 ・矛盾は「認識する理性のうちにあるにすぎない」(同)

 ・矛盾をもたらすものは「カテゴリーそれ自身」(同)

● 「矛盾が本質的であり必然的であるという思想は、近代の哲学の最も重要
 な、最も根本的な進歩の一つ」(同)

 ・カントが矛盾を「本質的であり必然的である」とした功績は大きいが「そ
  の解決はきわめてつまらないもの」(同)

 ・世界は矛盾をもたず、矛盾は「ただ思惟する理性、精神の本質に属するに
  すぎない」(同)という

 ・「現象する世界」(同)それ自身が不断に運動、変化、発展するものとし
  て矛盾をもち、その矛盾が「観察する精神に矛盾を示す」(同)

 ・「理性はカテゴリーの適用によってのみ矛盾におちいる」(185ページ)
  との言いのがれも役に立たない。「理性は認識のためにカテゴリー以外の
  規定を持たない」(同)から

● カントの4つのアンチノミーとその批判

 ・矛盾は「あらゆる種類のあらゆる対象のうちに、あらゆる表象、概念、お
  よび理念のうちに見出される」(185〜186ページ)

 ・対象を矛盾において認識することは、弁証法という「哲学的考察の本質に
  属する」(186ページ)


48節補遺 ── アンチノミーの積極的意義

● 古い形而上学とカントにおける矛盾の意義

 ・古い形而上学 ── 矛盾は主観のおちいる誤謬

 ・カント ── 矛盾は無限なものを認識しようとするときに生じる「思惟の
  本性」(同)

● カントのアンチノミーの功罪

 ・「思惟の弁証法的運動に注意を向けさせた」(同)

 ・物自体は認識できないという「単に消極的な結論」(同)

● アンチノミーの真の意義

 ・「あらゆる現実的なものは対立した規定を自己のうちに含む」(同)

 ・或る対象を「概念的に把握するとは、対象を対立した規定の具体的統一と
  して意識すること」(同)

● カントの4つのアンチノミー(187ページ)

 1)世界は空間的、時間的に有限か無限か

 2)物質は無限に分割しうるか、不分割か

 3)世界は、自由か必然か

 4)世界は原因を持つか否か

 ・カントの定立、反定立の証明は「偽の証明」(同)

 ・アンチノミーの提示は「批判哲学の非常に重要な、称讃すべき成果」(
  188ページ)

 ・「悟性があくまで分離している二つの規定が、事実上統一のうちにあるこ
  とを言いあらわしている」(同)

 ・時間と空間は連続性と非連続性の統一、世界は自由と必然の統一


49節 ── 神にカテゴリーを適用すると
      現実性なき理想のうちをさまよう

● 形而上学は、神を無規定な「あらゆる実在の総括」であり、抽象的な「存
 在」としてとらえる(189ページ)

● これに対してカントは、神は存在することを証明しうるのか、つまり概念
 と存在との同一(「理性に理想」)を証明しうるのかとの問題を提起し、
 これを否定する


50節 ── 存在から神を証明することはできない

● 神と存在との合一には二つの道

 ・第一の道は、存在から神に至る道

 ・第二の道は、神から存在へ至る道

● 第一の道は、限りなく多様な世界から「普遍的で絶対に必然な存在」(同
 )、即ち神に至る道

 ・カントは、それを「推理であり、移行であると考える」(189〜190
  ページ)

 ・「知覚から普遍と必然を取出す」(190ページ)のは許しがたい誤謬推理
  と批判

● ヘーゲルのカント批判

 ・思惟は「有限なものを越えて無限なものへまで進む」(同)

 ・「移行がすなわち思惟にほかならない」(同)

 ・「移行を行ってはならないと言うのは、思惟してはならないと言うのと同
  じ」

● 思惟の上昇を考察するにあたっては、形式、内容の両面で注意が必要

① 形式的には、推論という肯定的な関係としてではなく、否定的関係として
  とらえるべき

 ・推論とは「或るものから、同じ仕方で存在する他のものへ」(191ページ
  )移行する「肯定的関係」(同)

 ・しかし思惟の上昇は、連続性をもたない飛躍という「否定のモメント」(
  同)を含んでいる

 ・形而上学的神の存在証明は、この「否定のモメントを明確に述べていない
  」(同)ため、カントから誤謬推理との批判を受けることに

 ・世界から神への上昇は「媒介そのもののうちで媒介は揚棄されている」(
  192ページ)のであり、直接性と媒介性の統一としてとらえるべき

 ・ヤコービはこの否定性に注目して、形而上学的神の存在証明を批判

 ・スピノザ主義のもつ否定的モメントは、汎神論との批判をしりぞける ─
  ─ スピノザは、神の否定として、様態としての世界をとらえた(いわば無
  世界論)

② 内容的には、精神から出発して、絶対的精神としての神に到達すべきもの

 ・「世界の実体とか、世界の必然的本質とか、目的にしたがって指導し排列
  する原因」(194ページ)といったような「低い内容」(同)を出発点と
  すべきではない

 ・絶対者である神を思惟するに「最もふさわしい、最も真実の出発点」(
  195ページ)は精神 ── 何故なら「神は精神である」(194ページ)から