2009年5月6日 講義
第20講 第1部「有論」②
有論「A 質」
「a 有」(2)
87節 ── 有は無である
●「純粋な有は純粋な抽象」(267ページ)
・純粋な有は規定された内容をもたない「絶対に否定的なもの」(同)=無
●「絶対者は無である」(同)
・カントの物自体は無規定、無内容なものとして無
・「神は最高の存在」という場合の神も、「物自体とまったく同様な非定性
」(同)として無
● 有を無から区別しようとする試み
・有とは「あらゆる変化のうちで恒存するもの」「どんなにでも規定されう
る質料」
・しかし、このような具体的規定をもつ有はもはや純粋な有ではない
・空虚な抽象物としての有と無との区別は「言いあらわしえない」(268ペ
ージ)ような区別
● 有と無とに「確かな意味をもたらそうとする衝動」(同)が、有と無とを
進展させる
・有と無とはより進展したカテゴリー(成、定有、向自有など)の2つのモ
メントとして「具体的なもの」(同)に
・有と無の進展は、絶対者の「より真実な定義」(同)への前進となる
87節補遺 ── 有と無の区別は区別であって区別でない
● 有と無の区別は「区別があるはずだという区別にすぎない」(269ペー
ジ)
・「両者の区別は、即自的」
・区別されるためには2つのものが規定され、その2つの規定が相互に異な
らなければならない
・また区別は「1つの共通のもの」(同)を必要とするが、有と無とには「
共通の土台」(同)がない
●「有を絶対の豊かさ、無を絶対の貧しさ」(同)として区別しうるか
・「すべては有る」(同)というのみでは、有は規定されていないから「絶
対の豊かさ」「絶対の充実」(同)どころか「絶対の空虚」(270ページ
)、つまり無をもつにすぎない
88節 ── 抽象的な有と無の真理は成
● 有と無の真理は、両者の統一としての成
・有と無の統一は成
・成は運動一般を意味するカテゴリー
● 有と無は媒介のない「直接的な対立」なのに、なぜ統一されるのかの疑問
・有と無の統一は対立物の相互媒介による統一ではない
・両者とも「抽象的で無規定」であるという同一性(概念から演繹される統
一)
●「私の家、私の財産」(271ページ)は「あるもないも同じ」(同)ではな
いとの批判
・私の家、財産は特定の内容をもった規定された有であって、無規定な有で
はない
●「有と無との統一は概念できない」(272ページ)という人あり
・「哲学の認識方法」(同)に慣れること
・「誰でもこの統一の表象は無数に持っている」(273ページ)
・手近な例は「成」(同)── そこにあると同時にそこにない。或るもので
あって或るものでない
・「はじめ」── 無のうちの有、終わり ── 有のうちの無
● 「有と無の統一」という表現の不十分さ
・統一という表現には統一のうちにある区別が「不当にも捨象」(274ペー
ジ)されているようにみえる
・成は「自己のうちにおける動揺」(同)=運動
・運動には変化と発展がある
・変化とはある質から他の質への質的変化
・発展とは変化のうち、より高度、より複雑な質への変化
・これに対し「定有」は「自己のうちに動揺を持たぬ統一」(同)=静止
● 成の命題には「質料の永遠性の命題、汎神論の命題が対立」(275ページ
)している
・消滅の命題に対立しているのは「或るものは或るものからのみ生ずる」(
274ページ)という「質料の永遠性の命題」であり、生成の命題に対立し
ているのは、「汎神論」の命題
・古代人は生成を不可能と考えたがこれは「抽象的な悟性的同一の命題」(
275ページ)
・今日でも「なお無からは何も生じない」(同)というキリスト教の教えは
ギリシア哲学への無知を示すもの
88節補遺 ── 成は「最初の具体的な思想」
● 成は「最初の具体的な思想」(275ページ)
・具体的なものは対立物の統一
・成は最初の対立物の統一
・成は、「有の概念」── 抽象的な有の真の姿は具体的な成
● 成は「最初の真実な思惟規定」(同)
・成は最初の真実なカテゴリー(事物の真の姿)
・ヘラクレイトスは「すべては流れる(パンタ・レイ)」として「成があら
ゆる規定の根本規定であること」を指摘
・彼の「有は非有以上に存在しない」(276ページ)との言葉は、抽象的有
と抽象的無(非有)との同一を示すもの
・彼は本当の意味でエレア学派の「有のみがある」を反駁 ──「理念のより
高い具体的な形態」にたって、エレア学派をその一モメントに引き下げる
・成は運動にかんする「きわめて貧しい規定」── 生命、精神というより高
度の成へ
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