2009年7月1日 講義
第22講 第1部「有論」④
1.有論「A 質」「b 定有」(2)
93節 ── 或るものから他のものへの無限進行
● 或るものは他のものに移行する
・他のものも「それ自身1つの或るもの」(286ページ)として、これも
「同じく1つの他のもの」(同)になる
● かくして或るものから他のものへ、有限なものから有限なものへと無限進
行する
94節 ── 有限なものの無限進行は有限なものの矛盾を
いいあらわす
● 有限なものの無限進行は悪無限
・有限なものの否定から生まれるものも有限なもの
・有限なものは揚棄されず、揚棄さるべきことを表現するのみ
● 有限なものの悪無限は、有限なものの矛盾を表現
・有限なものは、或るものであるとともに他のものという矛盾
94節補遺 ── 悪無限と真無限
● 反省は無限進行を「最高のもの」(287ページ)と考える
・しかし、これは有限性を揚棄しえないから真の無限ではない
● 真無限とは、有限なものが自己同一性を保ちつつ自己を無限に否定し、発
展することで自己の有限性を揚棄すること
・「他者のうちにあって自分自身のもとにあること」(287ページ)
・悪無限に立ち止まらないことが重要 ── 「有限なもののうちに立ちどまっ
ている表面的な交替にすぎない」(287〜288ページ)
・悪無限は、有限なものから「逃げることによって解放される」と考えてい
るが「逃げる者はまだ自由ではない」(同)
● 哲学が取り扱うのは「空虚で単に彼岸的な」(同)悪無限ではなく、「絶
対的に現存的な」(同)真無限
・悪無限は「無限と有限とを動かしがたい対立」(同)としてとらえている
が、そうではなく、無限なものは有限なものの「外に出ている」(同)と
ともに「外に出ていない」(同)
・真無限は有限と無限の統一
・真無限は否定の否定として「真の肯定」(同)
● 悪無限は「真の無限に到達しよう」(同)として到達しえない「不幸な中
間物」(同)
・悪無限は、有限なものは揚棄さるべきこと、無限なものは肯定的である「
べし」との正しい意識をもつ
・しかし、悪無限は有限なものを揚棄した肯定的なものとしての真無限をと
らえきれない
・この「べし」には「正しいと認められながらも自己を実現しえない無力が
ある」(289ページ)
・カント、フィヒテの道徳論の立場、プラトンのイデア論も、この悪無限の
立場
95節 ── 定有から向自有へ
● 或るものから他のものへ
・他のものも、1つの或るもの
・結局「或るものは他のものへ移っていくことによって、ただ自分自身と合
する」(289ページ)ことになる ── これが向自有
● 向自有とは「否定の否定」(同)としての有
・定有の変化が、他のものへの移行ではなく、自己のうちでの変化となるの
が真無限
・向自有とは否定の否定としての有 ── 真無限の有
・「否定の否定」による発展は自己同一性をつらぬく発展 矛盾の止揚として
の発展から区別さるべき
● 有限と無限の二元論の誤り
・二元論は有限と無限を並置することにより、無限を有限なものにしてしま
うと同時に、有限なものを「絶対的な存在」(290ページ)に変えてしま
うという二重の誤り
● 真の無限は有限と無限の統一
・「統一」という表現も「一面的であり誤っている」(291ページ) ── 有
限なものが揚棄されていることが「明白に表現されていない」(同)
・酸とアルカリの中和のように、有限と無限の両者が変化するのではない
・無限なものは「自己を保持」(292ページ)し、「有限者だけが揚棄され
る」(同)
● 向自有において「理念性の規定」(同)がはいってくる
・定有の有限性は「実在性の規定のうちに」(同)ある
・有限なものは、真にあるべき姿としての理念のあらわれとして実在性を
もつ
・「有限者の真理」(同)はその「理念性にある」(同)
・有限者の理念性は「哲学の主要命題」(同) ── 哲学は有限者の真にあ
るべき姿(理念性)を探究する
・真の哲学は「理念論」(同) ── ヘーゲルは自己の哲学を「絶対的理念
論」と称している
2.有論「A 質」「c 向自有」
96節 ── 向自有は一者
● 一と多
・ヘラクレイトスの「ヘン・カイ・パン」(一にして全)
・プラトンのイデア(一者)と多様な個物(多)
・ヘーゲルは、プラトンの一と多を念頭におきつつ、向自有のカテゴリー
で、一と多を論じて、量への移行につなげている
● 向自有も有と無の統一
・向自有の否定性は、他のものに関係する否定性ではなく、「自分自身への
関係」(293ページ)としての自己否定
・向自有するものは、1人で自立する「一者」(同) ── 「他者を自己か
ら排除する」(同)
96節補遺 ── 向自有は自我
● 向自有は「完成された質」(同)
・定有は、定有の真にあるべき姿に無限に接近しているという意味で「完成
された質」
● 向自有の「手近な例」(同)は自我
・自我は、自己同一性を保ちながら自己否定をくり返し無限に発展するもの
として向自有
・定有が「拡がり」(同)をもつのに対し、向自有は「尖らされて」(同)
いる
● 定有は実在性、向自有は理念性
・定有という実在性が無限に自己発展して理念にまで高まったものが向自有
・向自有は「実在性の真理」(294ページ)
・精神は自然の真理
● アウフヘーベン
・揚棄する ── 「否定する」(295ページ)と同時に「保存する」(同)
97節 ── 向自有は一と多の統一
● 「一者の反発」(同)
・向自有の否定性は、自己を否定して「自己を自己から区別すること」(同)
・反発は「多くの一者の定立」 ── 多の定立
・向自有は一と多の統一
97節補遺 ── 反発は牽引である
● 多は一に由来する
・一という思想には「自己を多として定立するということが含まれてい
る」(296ページ)
・しかし「他の各々はそれ自身一」(同)
・したがって多者もまた自我という自己同一性に牽引されることになり、反
発は牽引に転化する
98節 ── 質から量への移行
● 反発と牽引の同一のうちで向自有は揚棄される
・向自有は、無限に自己発展する定有であり、その意味で定有のもつ規定性
を揚棄することで質を揚棄し、量に移行することになる
・しかしヘーゲルは、ここに哲学史上の一と多、牽引と反発のカテゴリーを
無理に持ち込み、論理の展開を分かりにくいものにしている
● アトム論批判
・アトム論は、絶対者を一と多とみる
・しかし、多を結合するものを牽引ではなくて「偶然、すなわち無思想なも
の」(297ページ)ととらえる
・「アトム論的見地は、……政治学において一層重要になっている」(298
ページ)が、これは国家の普遍性を否定し、「個人の意志」(一者)を
「国家の原理」(同)とするものとして批判
98節補遺1 ── 物質は斥力と引力の統一
● アトム論は「理念の歴史的発展の本質的な一段階」(同)
・アトム論は、物質を一と多の統一という「思想」としてとらえようとした
から、形而上学の一種
・しかし「諸アトムを集合するものは偶然である」(299ページ)と考えた
点において「正しい形而上学ではない」(同)
● カントは「物質は斥力と引力との統一」(同)とみる「完全な物質観」(
同)を与えた
・しかし、斥力と引力のカテゴリーを「論理的に導き出していない欠陥」
(同)をもっている
98節補遺2 ── 量は揚棄された質
● 「質の弁証法」(300ページ)が、質を揚棄した量への移行をもたらす
・量は質に由来し、質を揚棄したものが量
・有の真理としての成、成は定有となり、定有の真理は変化、変化の成果は
向自有、向自有は反発と牽引のうちでそれ自身を揚棄することで、質一般
を揚棄し、質は量となる ── これが「質の弁証法」
● 量は「規定性に無関心な有」(301ページ)
・量が変化しても事物の質はもとのまま
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